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リンダ・ロンシュタット初の全米1位作品『Heart Like A Wheel / 悪いあなた』

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リンダ・ロンシュタットがアルバム『Heart Like A Wheel』を1974年11月に発表したとき、キャピトル・レコードとは既に8年もの関係が続いていた。ストーン・ポニーズとして3枚、そしてソロ作品を4枚リリースしていたリンダ・ロンシュタットは、1969年から1973年の間にその知名度を更に広げた。そしてやっと彼女にとってのブレイク・タイミングが到来し、アメリカ全国がその作品を耳にする時がきた。

1973年のアルバム『Don’t Cry Now』は、J.D.サウザー、ジョン・ボイラン、そしてピーター・アッシャーがプロデュースを手がけ、それまでのリンダ・ロンシュタットの作品のどれよりもポップ・マーケットで成功し、もう少しでトップ40のところまで届いた。その成功はカントリー・ジャンルでの方が大きく、最高5位にランク・インされた。『Heart Like A Wheel』ではピーター・アッシャーが一人だけでプロデュースを担当し、その当時から長年続けてFMとAMラジオの両方で人気となるリンダ・ロンシュタット独自の洗練されたクロスオーヴァー・サウンドへと作品を導いた。

アルバムは、60年代に成功を収めたピーター&ゴードンの一人として活躍したピーター・アッシャー自身の背景、そしてイギリスとアメリカのポップ、カントリー、ソウル、フォーク、そして西海岸サウンドのすべてを解釈して同じ威厳のある声質で歌うリンダ・ロンシュタットのまれな才能を反映している。

クリント・バラードの「You’re No Good」のカヴァーは、ファースト・シングル兼オープニング・トラックとしてアルバムと同時に発売された。ディー・ディー・ワーウィックによって最初レコーディングされ、その後はティー・エヴェレットによりソウル・ヒットとなったこの曲をアッシャーはイギリスのザ・スウィンギング・ブルー・ジーンズのカヴァーで知っていた。1975年初期にリンダ・ロンシュタットのヴァージョンが全米シングル・チャートでトップを飾った。彼女にとって嬉しい出来事として、同じ週にはアルバムがオハイオ・プレイヤーズの替わりにアルバム・チャートのトップを飾り、シングルも同じソウル・グループのオハイオ・プレイヤーズが発売したタイトル・トラックからも1位の座を奪った。

次に発売されたエヴァリー・ブラザースの「When Will I Be Loved」のカヴァー・シングルは、全米ポップ・チャートで2位を獲得。バディ・ホリーの「It Doesn’t Matter Anymore」のカヴァーとカップリングされた。

しかしリンダ・ロンシュタットの多才さは、リトル・フィートの「Willin」のロックなカヴァー、サウザーの「Faithless Love」やジェイムス・テイラーの「You Can Close Your Eyes」のシンガー・ソングライターらしいスタイル、そしてアンナ・マッガリグルのフォーク調のタイトル・トラックなど様々な要素を含んだアルバムによって強調された。

同時に、ハンク・ウィリアムズの「I Can’t Help It (If I’m Still In Love With You)」とソウルいっぱいの多くの人にカヴァーされてきたチップス・モーマンとダン・ペン作曲のジェームズ・カーの「The Dark End Of The Street」などが収録され、カントリー・ファンたちをも満足させた。

Written By Paul Sexton



リンダ・ロンシュタット『Heart Like A Wheel』


 

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