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クリームやザ・フーなども出演した第6回ジャズ&ブルース・フェスティヴァル

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1966年7月の最後の週末に、第6回ジャズ&ブルース・フェスティヴァルは当初の開催地であるイングランドのサリー州リッチモンドの西側にあるウィンザーで開かれた。過去5回同様、多様なジャンルのアーティストが集うラインナップになったが、第6回はそれまで以上に多様で、イギリスのフェスとしてはそれまでで最も豪華な顔ぶれが揃うイベントになった。

ウィンザーのバルーン・メドウで行われたこの年のフェスは、クリームが初めての大舞台に立ったコンサートでもあった。「エリック・クラプトン、ジャック・ブルース&ジンジャー・ベイカー」とクレジットされた3人は、この数日前にマンチェスターでクリームとして最初のライヴをこなしたばかりだった。

ジャズ&ブルース・フェスティヴァルが当時のクリームにとって重要なイベントだったのは、普段はロンドン近郊の小さな会場で数百人を前に演奏していたバンドにとって、数千人規模の大きな舞台を経験するチャンスになったからだ。

一方で、同イベントには多くのジャズ・ミュージシャンも出演していたことでジャンルは多様になっていた。1966年のラインナップにはクリス・バーバーやロニー・スコット、スタン・トレイシー、トビー・ヘイズらブリティッシュ・ジャズの大御所が名を連ねていた。

初日である金曜日の夜には勢いのある若手バンドが出演するのがこのフェスの通例だった。今は忘れ去られつつあるマーク・バリーの後に2番手で出演したソウル・エージェンツはロッド・スチュワートの元バック・バンドで、ロジャー・ポープ、デイヴ・グローヴァー、イアン・ダック(後にカレブ・クウェイとともにフックフットを結成し4枚のアルバムをリリース。また、エルトン・ジョンの初期作品にバック・バンドとして参加)というメンバーによる周囲から信頼されたグループだった。

続いて登場したのはジーノ・ワシントン&ザ・ラム・ ジャム・バンドである。彼らは一世を風靡したような重要グループでこそなかったが、精力的にステージをこなし続けた1960年代の英ソウル・バンドの典型と言っていい存在だった。ウィンザーでのステージに立ったとき彼らは初めてシングルをヒットさせたばかりだったが、ヒットの定義も相対的なもので、順位としては全英39位だった。

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その次は直近でシングル「Sha-La-La-La-Lee」が全英3位の大ヒットとなっていたスモール・フェイセスだ。彼らは次なるシングル「All or Nothing」をリリースする直前だったが、同曲は結果として全英1位に輝いている。

ヴォーカル/オルガンにスティーヴ・ウィンウッドを擁するスペンサー・デイヴィス・グループは金曜日のステージのトリにふさわしく、過去6ヶ月のうちに「Keep On Running」と「Somebody Help Me」の2曲で全英1位を獲得していた。

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土曜日のラインナップはジャズ、ブルース、ポップが混在した顔ぶれで、なかには天才ギタリストのアルバート・リーとオルガニストのデイヴ・グリーンスレイドが所属するクリス・ファーロウ&ザ・サンダーバーズも含まれていた。彼らの出番の後、昼過ぎの時間にはゲイリー・ファー&ザ・T・ボーンズが、日が暮れる頃には周囲の尊敬を集めるジミー・ジェイムス&ザ・ヴァガボンズが登場した。ジェイムスはジャマイカの出身で、60年代のクラブ界隈ではジーノ・ワシントンと並んで人気の高いR&B/ソウルのミュージシャンだった。

土曜日の目玉のひとつだったザ・ムーヴは、シングル「Night Of Fear(恐怖の夜)」の初ヒットこそこの5ヶ月後のことであるものの、注目度の高いいくつかのイベントに出演して人気を確立していた。バーミンガム出身の彼らは、ロンドンのマーキー・クラブに1週間連続で出演した際、ギャングのようなスーツに身をまとって現れた。だがギターのロイ・ウッドとヴォーカルのカール・ウェインを筆頭に、彼らの実力は本物だった。プロデューサーのデニー・コーデルはデッカ・レコードのレーベル、デラムとの契約を彼らに確約し、ロイ・ウッド作のファースト・シングル「Night Of Fear」は1967年1月に見事全英2位となっている。そのときの1位はモンキーズの「I’m A Believer」だった。

午後9時30分から出演予定だったのはジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、キース・レルフ、ジム・マッカーティ、クリス・ドレヤというメンバーを揃えたヤードバーズだ。彼らはシングル「Shape Of Things」をトップ10に送り込んだばかりで、新曲「Over Under Sideways down」もチャート・インしていた。だが残念ながら、直前になって体調不良を理由に出演はキャンセルとなった。

土曜日のトリは、全英2位となった「My Generation」を含む4つのトップ10ヒットを誇っていたザ・フーである。同年の上半期だけで100回以上のライヴをこなしていた彼らは、「I Can’t Explain」「Anyway, Anyhow, Anywhere」「Substitute(恋のピンチ・ヒッター)」「A Legal Matter」「I’m a Boy」「My Generation」といったレパートリーを披露した。

雨の降った日曜日はジャズ中心の顔ぶれになった。夜からのステージのトップ・バッターはアラン・ボウン・セットで、8時15分からはジョージィ・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズが登場した。

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当日の出順によれば、その次にステージに立ったのはクリームだ。彼らは降りしきる雨をものともしない約1万人の熱心なファンを前に40分のライヴを繰り広げた。なかでもジンジャー・ベイカーの20分にも及ぶドラム・ソロをフィーチャーした「Toad(いやな奴)」は観客を大いに沸かせた。記事によって諸説あるものの、この日、彼らはほかに「Meet Me At the Bottom」「Spoonful」「Steppin’ Out」「I’m So Glad」などを披露したのではないかと言われている。クリームこそが、ほかのバンドたちがこぞって憧れをもったブルース界の原動力だったのだ。

続いてロンドン出身のアクションが出演した後、ジョージィ・フェイムが再びステージに立ち、トビー・ヘイズをゲストに迎えてハリー・サウス・オーケストラと共演した。彼らはこの後1966年に共同で名作『Sound Venture』を作っている。長らく同作は廃盤になっているが、店で見かけたら是非手に入れて欲しい。

9月15日にマーキー・クラブにも出演することになるブルーソロジーというバンドもこの日のステージに立っている。フォンタナ・レコードと契約したばかりだったこのピナー出身の同グループにはレグ・ドワイトというピアニスト/ヴォーカリストがいたが、このフェスの直前にリリースされたドワイト作の「Come Back Baby」はチャートを賑わすには至らなかった。ご存知のように、レグ・ドワイトという人物はのちのエルトン・ジョンである。

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By Richard Havers


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