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フランク・シナトラ1974年フィラデルフィア公演『Standing Room Only』解説

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Photo: Frank Sinatra Enterprises

ことショービジネスの世界に限って言えば、月曜日の夜は何事もない静かな夜になりがちだ。月曜は、週末の浮かれ騒ぎが終わったあとの週明けの1日目。やや疲れが残り、大人しい雰囲気が漂う中、客席は空になり、大したことも起こりそうにない。ただしフランク・シナトラが来れば話は別だ。

その長い芸能人生の中で、シナトラは何度もフィラデルフィアに足を延ばしていた。1974年10月7日、59歳の誕生日まであと2カ月というころ、彼はあえて月曜の夜にコンサートを行うことにした。公演場所のスペクトラムは、その7年前にオープンした比較的新しい会場だった。

収容人数1万8,000人のこの場所には、ロックやポップスの大物ミュージシャン/グループ、たとえばエルヴィス・プレスリーやレッド・ツェッペリンらがたびたび出演していた。ただし大物という点では、フランク・シナトラは過去の出演者の誰よりも格が上だった。当時のシナトラはキャリアの黄昏を迎えつつあったが、それでも彼が、依然として光り輝く圧倒的な大スターであることに変わりなかった。

この10月の夜、運良くコンサートに来ることができたフィラデルフィアのファンは胸をわくわくさせていた。そうした観客のざわめきは、冒頭のオーケストラの前奏曲でもはっきりと聴くことができる(このコンサートの音源は、最近リリースされたライヴ音源を纏めたボックス・セット『Standing Room Only』のディスク2でようやく正式に発表された)。

この前奏曲のパートでは、シナトラ本人がステージに登場する前にオーケストラがさまざまな曲をインストゥルメンタルで演奏していった。まずはメロウな木管とソフトなストリングスがゆらめく和音を響かせ、そのあとはサックスが「It Was A Very Good Year」の甘美なメロディを奏でる。そこからは切れ目なしにシナトラお気に入りの楽曲「All The Way」の抜粋が続き、やがてそのメロディはテンポの速いスウィングのグルーヴへと移り変わっていく。その上で、「My Kind Of Town (Chicago)」のお馴染みのメロディが聞こえてくる。聴衆は、主役のシナトラの登場が近いことを予感して、熱狂的な歓声を上げる。

短いブラスのファンファーレがシナトラの登場を告げ、バンドは「The Lady Is A Tramp」の演奏をスタート。シナトラはタイミングもぴったりに歌い始め、往時を思い出させる小粋なビッグ・バンド・スウィングの伴奏に乗って特徴的なバリトンの歌声を響かせる。

「またこの街に来ることができて嬉しいよ」と言うシナトラは、当時58歳になっていたが、その年齢になっても、いともたやすくスウィングできることを、ここではっきりと証明していた。このあとには、ファンに人気の高いアップテンポの「I Get A Kick Out Of You」「I’ve Got You Under My Skin」「My Kind Of Town」といったレパートリーが続いていく。このうち「My Kind Of Town」は、底抜け騒ぎのようなにぎやかな演奏に仕上がっている。

とはいえ、この時点で超有名な歌手になっていたにもかかわらず、シナトラはサロン・シンガーとしてのルーツを決して捨てたことはなかった。それは彼の歌うバラードを聴けばよくわかる。特に注目すべきなのが、感動的な至高の演奏となった「I Get Along Without You Very Well」である。このホーギー・カーマイケルが共作した名曲では、ネルソン・リドルのアレンジによる優雅なストリング・セクションをバックに、シナトラの素晴らしい歌声が軽やかに踊っている。「どうだい? 素敵な曲だろ」と彼は語りかける。そのさりげない口ぶりは、演奏の素晴らしさを謙遜しているかのようだ。客席に集まったフィラデルフィアの観客たちは、熱狂的な拍手でそれに応えている。

シナトラは、新しい時代の流れにもしっかりと波長を合わせていた。それを示すかのように、彼はこの時代のヒット曲のカヴァーもレパートリーに採り入れている。「Send In The Clowns」は荘厳で実に魅力的な曲(「この曲に夢中なんだ」とシナトラは興奮したような口調で言う)。それに続いて、彼はブレッドのデヴィッド・ゲイツが作曲した「If」を繊細な歌声で歌う(ここではアル・ヴィオラのギターにスポットライトが当たっている)。

そうしたカヴァーの中でもおそらく最も素晴らしい出来になったのが、「You Are The Sunshine Of My Life」だろう。スティーヴィー・ワンダーが作ったこの曲は、ここではパンチの効いたホーン・セクションをバックに配した陽気なスウィング・チューンに様変わりしている。

おそらくは当然のことではあったものの、このコンサートはあの「My Way」で締めくくられる。シナトラは、あまり知られていないフランスの曲「Comme D’Habitude」をこの題名でカヴァーし、1969年に大ヒットさせた。ポール・アンカが新たに英語の歌詞を付けた結果、この「My Way」はまさにシナトラの人生を物語るような堂々たる曲へと変貌した。そして「My Way」はたちまちにして彼の代表曲のひとつとなり、コンサートの締めくくりに歌われるのが常となった。このコンサートでは、主役が退場するときの伴奏曲としても演奏されている。オーケストラが奏でる「My Way」が流れる中、スタンディング・オベーションをする1万8,000人の観客に向けて、シナトラはお辞儀をしている。

フィラデルフィアは、明らかにシナトラのお気に入りの街だった。ただしスペクトラムは地元の住民にはさほど愛されていなかったようだ。この会場は何度かその名称を変更したあと、2009年に閉鎖され、その翌年には取り壊されている。しかし『Standing Room Only』のディスク2を聴けばわかるように、1974年10月7日、フランク・シナトラはここで熱烈な歓迎を受けた。シナトラが来れば、月曜の夜は決して静かにならなかったのだ。

Written By Charles Waring



フランク・シナトラ『Standing Room Only』

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