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ザ・ビートルズ、アメリカ征服までの長い軌跡:様々なレーベルからの発売といまだ破られない全米TOP5独占

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ザ・ビートルズがイギリスで瞬く間にスターの座に登りつめると、彼らと契約を交わしたパーロフォン・レーベルは、この新しい宝物を最大限活用しようと躍起になった。そして、パーロフォンと同様EMIレコードの傘下にあったアメリカの姉妹レーベル、キャピトルに接触を試みる。しかしながらキャピトルは、当初ザ・ビートルズのレコードにあまり関心がなく、発売を見送ってしまった。一方カナダでは、かなり違う展開になった。カナダ・キャピトルはこのグループの潜在的な価値に気づき、「Love Me Do」(リンゴ・スターがドラムズを叩いている方のヴァージョン)をシングルとして発売している。ただし、これはヒットしなかった。

The Beatles

その後、パーロフォンは、ヴィー・ジェイというアメリカの弱小レーベルに目を向けた。ここはインディアナ州ゲイリーに住む夫婦が始めたレーベルで、黒人ミュージシャンのR&Bを専門としていた。皮肉な成り行きだったが、ブラック・ミュージックを愛好するザ・ビートルズの面々はこれを別に皮肉とは受け止めなかっただろう。その少し前にヴィー・ジェイは初めて黒人以外のグループ、つまりフォー・シーズンズと契約していた。噂によれば、ヴィー・ジェイはザ・ビートルズよりも、むしろ別のEMI所属歌手、フランク・アイフィールドのほうを獲得したがっていたという。

1963年2月25日、ヴィー・ジェイは「Please Please Me」の米国盤シングル(カタログ番号はVJ 498)を発売。これはシカゴの大手ラジオ局WLSで採り上げられ、この局が独自集計したチャートにも2週間ランク入りした。しかし、Billboard誌の全国チャートにはまったく登場していない。ちなみにヴィー・ジェイは、このシングルでバンド名のつづりを「Beattles」と間違えていた。そういう不手際も足を引っ張ったに違いない。

イギリスでは3枚目のシングル「From Me To You」が4月下旬に発表され、イギリスのシングル・チャートで7週連続1位を記録。もはやザ・ビートルズの勢いは誰にも止められなかった。しかしアメリカでは、そうすんなりとは事が運ばなかった。ザ・ビートルズがイギリスでチャートの首位に立ったことを受け、ヴィー・ジェイはシングル「From Me To You b/w Thank You Girl」(VJ 522)を1963年5月27日に発売。これはキャッシュボックス誌の‘今週注目の一枚’に選ばれ、チャート入りはほぼ確実と思われた。

一方カナダ・キャピトルは、イギリスでヒットしたシングルを次々と発表していった。4月上旬には「Please, Please Me」、6月には「From Me To You」、さらに10月には「She Loves You」がそれぞれカナダ盤シングルとして出ている。このうち「Please, Please Me」は、いくつかのローカル・ラジオ・チャートに入った。たとえばCFGP(キャッチフレーズは‘インランド・エンパイアのサウンド’)のチャートでは、27位を記録している。ただし当時カナダには、アメリカでBillboard誌やキャッシュボックス誌が発表しているような全国チャートがなかった。とにかくカナダという国はイギリスとの関係が深かったので、どうやら隣国よりも素早くザ・ビートルズを受け入れることができたようだ。

ザ・ビートルズを担当していたカナダ・キャピトルの重役、ポール・ホワイトによると、こうしたカナダ盤シングルは初めのうち悲惨な売れ行きだったという。「いろいろ頑張ったのに、‘Love Me Do’の売り上げ枚数は170枚。次に‘Please, Please Me’で挑戦してみたものの、こちらも売れた枚数は280枚くらい。3枚目の‘From Me To You’の売り上げも300枚といったところだった。しかしながら、その次にリリースした‘She Loves You’が爆発的に売れた。売り上げ枚数は最終的に10万枚近くまで行ったよ」。

ここで登場するのがデル・シャノンである。彼はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでザ・ビートルズと同じコンサートに出演し、そこで新譜「From Me To You」が演奏されるのを聴いた。そして帰国するとすぐにカヴァー・ヴァージョンを吹き込んだ。このカヴァー・シングルはそれほど大きなヒットにはならなかったが、ジョン・レノンポール・マッカートニーの共作曲を初めてアメリカのシングル・チャートに送り込むという輝かしい結果を残した。このデル・シャノンの「From Me To You」はBillboard誌の全米シングル・チャートでは最高77位に留まったが、それでも4人組の新進グループにとっては迷惑な話だった。ザ・ビートルズのオリジナル・ヴァージョンは100位圏内に入り損ね、最高116位にしか達することができなかったのである(この順位まで来れたのは、ロサンゼルス・エリアで売れ行き好調だったことが大きかった)。

それでもヴィー・ジェイはくじけなかった。経営難に陥りながらも、ザ・ビートルズのアルバムを出す決断を下したのである。そのアルバムは『Introducing The Beatles』(VJLP 1062)というタイトルになった。しかし当時ヴィー・ジェイはビジネス的にあまりにも多くの問題を抱えていたため、土壇場で発売を中止してしまう。とにかく、この時点でのザ・ビートルズはあまり売れていなかったのだ。
The Beatles

ヴィー・ジェイがこうした状況にあったため、本国イギリスのEMIは次のザ・ビートルズのシングル「She Loves You」(1963年9月にイギリスのシングル・チャートで4週連続1位を記録)を出す権利をフィラデルフィアの小レーベル、スワンに与えた(このときも米キャピトルは発売を見送っている)。スワンはこのシングルを9月末に発売したが、やはり世間一般からはほとんど見向きもされなかった。というのも、この曲を放送するラジオ局がほとんどなかったため、レコードの存在すら知られていなかったのである。「She Loves You」という曲がアメリカで注目を集めたのは、ようやく翌’64年の1月になってからのことだった。NBCのテレビ・ショー、『The Jack Paar Program』でザ・ビートルズのパフォーマンスの映像が放送されたあとのことだった。そのころには、ザ・ビートルズの人気はうなぎ登りになっていた。

1963年10月、ザ・ビートルズはスウェーデン・ツアーでストックホルムに赴いた。これは人気者になってから初めての海外ツアーだった。ストックホルムの空港での歓迎ぶりは凄まじいものだったが、1週間後に帰国したときの大混乱に比べれば大したことはなかった。それと時を同じくして、テレビ司会者で若者の流行の仕掛け人でもあったエド・サリヴァンがロンドンから帰路に就こうとしていた。この熱狂的なブームを目の当たりにしたエド・サリヴァンは度肝を抜かれ、アメリカで放送している自らの番組にザ・ビートルズを出演させることに決めた。

同年11月1日、ザ・ビートルズはヘッドライナーとしての初ツアーを開始。最初のライヴ会場はチェルテナムのオデオン・シネマだった。チェルテナムはイングランド西部の静かな町だったが、その町がかつてない熱狂の渦に巻き込まれた。その凄まじさを言い表すために、とある新聞記者が歴史に残るフレーズを思いついた。すなわち”ビートルマニア(ザ・ビートルズ旋風)”である。

11月中旬になると、アメリカもイギリスで大ブームが起きていることに気づき、テレビの三大ネットワークすべてがザ・ビートルズをインタビューするために特派員を派遣した。この三大ネットワークによるインタビューは、ボーンマスのウィンター・ガーデンズの舞台裏で行われた。またクリスマス商戦に合わせて、パーロフォンはザ・ビートルズのセカンド・アルバム『With The Beatles』を急遽発売。続いてニュー・シングル「I Want To Hold Your Hand(邦題:抱きしめたい)b/w This Boy」も発売される。このシングルは予約枚数だけで100万枚を突破していた。

ついに米キャピトルもザ・ビートルズに将来性があるということに気づき、1963年のクリスマスの翌日、シングル「I Want To Hold Your Hand」を発売する。3週間後、この曲はBillboard誌のチャートに入り、1964年2月1日には首位をマーク。以降、実に7週に亘ってそのポジションを維持し続けた。この「I Want To Hold Your Hand」から首位の座を奪ったのは、スワンからリリースされたシングル「She Loves You」で、こちらは2週間に渡って1位を保っている。当時の弱小インディ・レーベルというと短命に終わるものが多かったが、スワンは「She Loves You」がヒットしたおかげで競合他社よりも長続きしたと言われている。

クリスマス前の時期に、キャピトルは既にプロモ-ション・キャンペーンを始めていた。ニューヨーク・エリアだけで5万ドルという過去に例のない額の予算を投じ、「ザ・ビートルズがやって来る」と告知したのである。その宣伝文句通りに、ザ・ビートルズは姿を現した。まずテレビ番組『The Jack Paar Program』に出演。その後、『エド・サリヴァン・ショー』で生演奏を披露している。

The Beatles

やや出遅れたキャピトルは、その遅れを取り戻すため、1964年1月20日に慌ててザ・ビートルズのアメリカ編集によるアルバムをリリースすることにした。そのアルバム『Meet the Beatles!』は、ジャケットで「ザ・ビートルズのアメリカにおける最初のアルバム」とうたわれていた。確かに、“キャピトルからリリースされた最初のザ・ビートルズのアルバム”だったことは事実である。これは1964年2月15日のBillboard誌のアルバム・チャートの1位に到達。それから11週間もその位置に留まったあと、『The Beatles’ Second Album』に首位の座を明け渡している。アメリカのアルバム・チャートのトップを、同一アーティストが続けざまに獲得するのは、前代未聞のことだった。

前述のとおり『Meet the Beatles!』は初のアメリカのアルバムではない。なぜなら、この作品がリリースされる10日前、ヴィー・ジェイが『Introducing… The Beatles』を発表していたからである。ヴィー・ジェイのオーナーだったヴィヴィアンの弟カルヴィン・カーターはこう語っている。「ヴィー・ジェイがあのアルバムを出すと、EMIがキャピトルを通して販売停止を求める法的措置を執ってきた。毎週のように販売停止命令が来たよ。月曜日にその命令が来たら、こちらも裁判所に訴え出て、金曜日には命令が取り消される。だから週末にレコードをプレスして月曜日に出荷してしまう。週末になるたびに、休みなしでプレスを続けていた」。

『Introducing… The Beatles』はアルバム・チャートで2位に達し、そこに9週間留まった。ヴィー・ジェイはアルバムを出すだけに飽き足らず、まだ販売権を有していたシングルも再発することにした。1964年1月30日、ヴィー・ジェイからシングル「Please Please Me / From Me To You」(VJ581)が発売される。このシングルのプロモ盤には特製のピクチャー・スリーヴが付いており、「ザ・ビートルズ旋風に火を付けたレコード」との売り文句が書かれていた。またこのスリーヴでは、『エド・サリヴァン・ショー』にザ・ビートルズが出演することも宣伝されていた。

1964年1月、ザ・ビートルズはフランス・パリのオランピア劇場に3週に亘って出演している。それからロンドンに戻り、次の旅支度に1日だけ費やしたあと、2月7日にアメリカに向けて出発。ロンドンのヒースロー空港からパンアメリカン航空のボーイング707で飛び立ち、ニューヨークのJFK空港に到着すると今度は記者会見に臨んだ。アメリカのメディアは、このリヴァプール出身の若者4人組をどう扱うべきかまだ迷っていた。そのためこの時点では、皮肉から騒々しい疑いの声に至るまで、ありとあらゆる声が記者から浴びせかけられていた。

その翌日、寒々しい雪模様のセントラル・パークで記者会見を行ったあと、ザ・ビートルズの面々は『エド・サリヴァン・ショー』のリハーサルに参加したが、体調不良のジョージ・ハリスンは欠席していた。幸い彼は翌日には回復し、午後8時には4人揃って7,300万人の視聴者の前に姿を現した(そのちょうど1年前の段階では、ザ・ビートルズはまだイングランド北部の町サンダーランドの映画館で数千人の観客を前に演奏していた。しかもそれは、ヘレン・シャピロの前座というごく地味な仕事だった)。

The Beatles – I Want To Hold Your Hand – Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/9/64

Ed Sullivan Show

この日は『エド・サリヴァン・ショウ』の生出演だけでなく、別の回の出演シーンの収録も行っていた。その翌日、ザ・ビートルズは記者会見を行い、その場でザ・ビートルズとの契約を決定したキャピトルの会長アラン・リヴィングストンから2枚のゴールド・ディスクを贈呈された。うち1枚は販売枚数が100万枚に及んだシングル「I Want To Hold Your Hand(邦題:抱きしめたい)」、もう1枚は売り上げが100万ドルに達したアルバム『Meet the Beatles!』だった。

翌日、ザ・ビートルズはアメリカでの初コンサートを行うため、首都ワシントンD.C.に向かう。ただしこの日は米東海岸が大雪に見舞われ、すべての航空便が運航中止になったため、鉄路での移動になった。会場のワシントン・コロシアムは、ステージがぐるりと観客席に囲まれるかたちになっていた。このためリンゴがどの観客席からも見えるように、曲間の休憩になるたびにドラム・キットの向きが変えられることになった。この日の夜、ザ・ビートルズの面々はイギリス大使館でカクテル・パーティに出席。翌日にはニューヨーク・シティに戻り、カーネギー・ホールで全席完売の客席を前にライヴを行っている。その後はマイアミに空路移動し、またもや『エド・サリヴァン・ショウ』の収録に参加。この際のパフォーマンスは、2月16日にアメリカ全土で放送された。

その5日後、スワン・レーベルから出たシングル「She Loves You」が全米チャート1位の座をうかがっているころ、ザ・ビートルズは帰国の途に就き、翌朝ロンドンに到着した。4人は疲れ果てていたが、有頂天になっていた。スケジュールは多忙を極めていたが、このバンドが活動のスピードを緩める気配はまったくなかった。帰国した翌日にはテレビ番組の収録を行っている。2月25日、ジョージ・ハリスンが21歳の誕生日を祝ったその日に、ザ・ビートルズはアビイ・ロードで「Can’t Buy Me Love」のレコーディングを行っている。まさに働き詰めの一日だった。

全米チャートの首位を2週間守った「She Loves You」と入れ替わりに1位に達したのは、その「Can’t Buy Me Love」だった。こちらは5週間に渡って1位の座に留まっている。全米シングル・チャートの首位を独占し続けたザ・ビートルズの大記録は、5月9日についに途切れた。ザ・ビートルズの代わりに首位に立ったのは、誰あろう”サッチモ”、すなわちルイ・アームストロングだった。アームストロングの「Hello Dolly’」は1週間だけ1位を獲得している。それからずっと、彼は「ザ・ビートルズを首位から蹴落とした男」というキャッチフレーズを好んで使っていた。

こうした慌ただしさの中、ザ・ビートルズは3月2日から初めての主演映画の撮影に入る。この映画ではイングランド西部のサマセットにある海岸沿いの避暑地マインヘッドや鉄道の車内でもロケが行われた。室内の場面は、ほとんどがロンドン西部のトウィッケナム・フィルム・スタジオで撮影されている。またコンサートの場面の撮影は、3月末にロンドンのウェスト・エンド地区にあるスカラ・シアターで行われた。

アメリカでは、キャピトル発売のレコードと足並みを揃えて、他のレコード会社も独自の”ザ・ビートルズのレコード”をリリースし、ブームに便乗していた。まずMGMはザ・ビートルズをバックに起用したトニー・シェリダンの「My Bonnie」をリリースし、これはアメリカのシングル・チャートで最高26位をマークしている。またアトコもトニー・シェリダンの「Ain’t She Sweet」もシングルとしてリリースされ、最高19位を記録した。そしてヴィー・ジェイも傘下のレーベル、トーリーから「Twist and Shout」(ファースト・アルバムの収録曲)をシングルとして発売し、こちらは1964年4月4日にチャートの2位にまで上がった。

これは前代未聞の状況だった。つまりこの4月4日の週は、全米シングル・チャートのトップ5をザ・ビートルズの曲が独占していたのである。「Twist and Shout」の1位到達を阻んだのは、首位に居座っていたザ・ビートルズの「Can’t Buy Me Love」だった。その後5月初めには「Can’t Buy Me Love」と「Twist and Shout」とニュー・シングル「Do You want To Know A Secret」がトップ3を独占。また別のイギリスのグループ、デイヴ・クラーク・ファイヴも計2曲をトップ10圏内に送り込んでいた。今やイギリス勢による侵略(ブリティッシュ・インヴェイジョン)は最高潮に達していた。

5月上旬、ザ・ビートルズは休暇に入った。ジョン・レノン、レノンの夫人のシンシア、ジョージ・ハリスン、そしてパティ・ボイド(ジョージの新しい恋人)はホノルルに向かい、次いでタヒチを訪問。またポール・マッカートニーと彼の恋人のジェーン・アッシャー、リンゴ・スターとその夫人、モーリンはカリブ諸島を訪れた。そして5月末、休暇から戻ったメンバー一同は、「Love Me Do」がアメリカのシングル・チャートの1位を獲得したという報せを受け取ったのだった。

Written By Richard Havers



 

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