ファレル・ウィリアムスの経歴 : N*E*R*Dからトップ・プロデューサーとなった引く手あまたの存在

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Photo Credit: Terry Richardson, courtesy of Interscope

ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)の活動は、ありとあらゆる方向に広がっているように思える。彼は今や、ヒップホップ、ポップス、アート、ファッション、映画といったさまざまなジャンルでアイドル的存在となった。そんな表現をしても、彼の影響力を軽んじることにはならない。彼は唯一無二の存在としか言いようがない。

時にはシャネルとのコラボレーションを行い、時にはヒット映画に楽曲を提供し、時にはヴィヴィアン・ウエストウッドの帽子をかぶって無数のミームを生んでいる。そしてそれ以外の時には、音楽界の大物アーティストを手掛けるプロデューサーとして引く手あまたの存在になっている。

ファレルと彼のグループあるネプチューンズは、キャリアの初期にはほかのアーティストにヒット曲を提供していたが、その後は自分たちの活動を本格化させた。ファレルはさらに活動の守備範囲を広げ、ストリートウェアのブランドであるビリオネア・ボーイズ・クラブやアイスクリームにも関わった。さらにその数年後には、当時としては最大級のコラボレーションを実現し、前代未聞の成功を収めたのだ。

そんな彼のキャリアを振り返ってみよう。

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テディ・ライリーの愛弟子としてスタート

ファレルのキャリアは、N*E*R*Dでシーンに颯爽と登場するずっと前から始まっていた。ファレルとネプチューンズのパートナーであるチャド・ヒューゴは、ニュー・ジャック・スウィングのパイオニア、テディ・ライリーにバージニア・ビーチで「発見」された。ライリーはこのふたりの面倒を見るようになり、そうして彼らはテディ・ライリー流のサウンド・プロダクションの信奉者となったのである。

ファレルは、1992年のレックスン・エフェクトのヒット曲「Rump Shaker」でライリーのヴァースを作り、プロデュースを手伝い、プロデューサーとしての最初期のクレジットを得た。それ以降、ファレルはSWVの「Right Here」 (ヒューマン・ネイチャー・レディ・ミックスではファレルがバック・ヴォーカルを担当している) やブラックストリートの「Tonight’s The Night」といったライリーの大ヒット作の多くに参加するようになる。

 

さまざまな戦略

ファレルのキャリアは、始まった瞬間からさまざまな戦略であふれかえっていた。N*E*R*Dのデビュー・アルバム『In Search Of…』は名盤であり、特定のジャンルに縛られることなく多大な影響力を残したが、このアルバムには2つのヴァージョンがあったのだ。

ひとつはエレクトロニック・プロダクションであり、もうひとつはラップ・ロックのフルバンド・サウンドになっていた。熱狂的なファン (タイラー・ザ・クリエイターもそのひとりである) は、最初から頑張って作品を集めなければならなかったが、この2つのヴァージョンはファレルの天才的な才能を引き出すために必要不可欠なものだったのだ。このアルバムがリリースされた当時、ファレルとネプチューンズは、やがて伝説となるアーティストたち (ケリスやクリプスなど) のキャリアを確立することにも貢献していた。

21世紀初頭、ファレルはスカーフェイス、ノリエガ、ブリトニー・スピアーズとも仕事をするようになり、さらに彼は、ほかの大物たちの作品にも関わり続ける。

ジェイ・Zが引退作となる『Black Album』をレコーディングしていたとき、そのリード・シングル「Change Clothes」のプロデュースにはネプチューンズが起用され、ファレルのヴォーカルがフィーチャーされることになった (このヴォーカルは今では名演とされている) 。

このプロダクション・チームは、2000年代初頭のヒップホップ界で最大級のヒットとなったレコードのひとつ、ネリーの「Hot In Herre」を生み出し、その過程でダーティ・サウス・サウンドの誕生にも一役買った。この曲はヒット・チャートの首位に達し、ネプチューンズはこの時代の最もホットなプロダクション・チームとなった。

 

『Fly Or Die』からヒットメーカーへ

N*E*R*Dのセカンド・アルバム『Fly Or Die』は、評論家とファンの両方から好評を得たものの、彼ら自身のシングルは、プロデューサーとして関わったその他のアーティストの作品よりも上位にチャートインすることはなかった。とはいえ、2004年はネプチューンズにとってそれまでで最も大きな成功を収めた年となった。

もっとも、相棒のプロデューサー、チャド・ヒューゴが常に地味な立場を貫いていたため、結果的にファレルの露出が増えることになった。『Fly Or Die』から数カ月後、グウェン・ステファニーがソロ・デビュー・アルバム『Love.Angel.Music.Baby』をリリースしたが、ここで彼女はインスピレーションの源としてファレルを起用していた。レコーディング中にスランプに陥っていたグウェンは、ファレルが近日リリースする予定だったソロ・アルバムの曲を聴き、創作意欲をそそられたのである。その結果、ファレルと共作したシングル「Hollaback Girl」がヒット・チャートで首位を獲得し、ふたりのキャリアを決定づけることになった。

スヌープ・ドッグも同じような経過をたどった。デビュー・アルバム『Doggystyle』のリリースから10年後、スヌープはベテランになっていた。多くのラッパーは10年も経てば忘れられてしまうが、スヌープはそうではなかった。それは彼の豪快なキャラクターが理由であることは間違いないが、それと同時にファレルからも大きなアシストがあった。

スヌープのアルバム『R&G (Rhythm & Gangsta) : The Masterpiece』には、ネプチューンズがプロデュースしたトラックが4曲収録されている。そのひとつ「Drop It Like It’s Hot」は伝説的な作品となり、スヌープにとってデビューから12年目にして初のNo.1シングルになっている。

「Hollaback Girl」と同じように、「Drop It Like It’s Hot」もひとつのカルチャーを代表する定番曲となり、ファレルのチャンピオン・ベルトにまた新たな業績が刻まれた。この曲はファレルのプロデュース作品の中でも代表作と言えるが、彼はその後も上昇気流に乗り続けた。

 

ソロ活動

2005年、ファレルは待望のソロ・デビュー作『In My Mind』をリリースする。彼はそれ以前からアルバムの発表をほのめかし続け、その数カ月前には予告編とも言えるミックステープ『In My Mind : The Prequel』もリリースしていた。それまでネプチューンズはプロデュースしたシングルが大ヒットを飛ばし、ファレルはキングメーカーとしての地位を確立していた。しかしこのソロ作品は、そうしたプロデュース作品ほどのインパクトを与えることができなかった。

とはいえこのアルバムは何年もかけてカルト的な人気を獲得し、熱狂的なファンの予想さえ上回る大きな影響力を持つようになった。ファレルのスーパーファンを自称するタイラー・ザ・クリエイターは、ファレルの後継者 (もしそういう者が存在するとしたらの話だが) としての地位を確立しただけでなく、自身の作品を通じてファレルの影響力を高めている。

その後の数年間、ファレルとネプチューンズは、ありとあらゆるアーティストたちとコラボレーションを試みていくことになる。その例としては、キングス・オブ・レオン、ルーペ・フィアスコ、ビヨンセ、50セント、ゴリラズなど多岐にわたる。

21世紀のポップ・ミュージックの歴史をたどると、ファレルの影響力の全体像を把握することは不可能に近いように感じられる。この時期、ファレルは2000年代初頭のような文化的影響力はなかったが、ポップス、ヒップホップ、R&B、そしてそれらの中間にあるあらゆるサウンドの未来を舞台裏で静かに再構築し続けていたのである。

 

スポットライトを奪取

そして2013年、20年足らずのあいだに、ほかのアーティストが一生で創ることのできないほどの音楽を創り出したファレルは、裏方から表舞台に立つ存在へと変身を遂げた。そのキャリアを決定づけたのは、3枚のシングルだった。

「Get Lucky」はフランスのエレクトロ・ポップ・デュオ、ダフト・パンクのカムバック・シングルというだけでなく、世代を超えて愛される文化現象となった。これはナイル・ロジャースの正真正銘のディスコ・サウンド、ファレルのスムースなヴォーカルとプロデュース・センスと言った才能が関わっていなければ、決して実現しなかった曲だろう。

その後に登場したのがTIとロビン・シックによる「Blurred Lines」だった。ポップ・カルチャーがノスタルジアの波に包まれる中、ダフト・パンクとファレルのコラボレーションに続くサウンドとして、「Blurred Lines」は完璧だった。

この盛り上がりを背景に、ファレルはついに「Happy」で自らもヒット作を獲得した。この作品は2014年最大のヒットとなり、彼は初めてアカデミー賞歌曲賞にノミネートされた。

 

今なお未来を切り拓く

ヒップホップのゴッドファーザーたちからも、ターゲットでミニオンズのぬいぐるみを買う小さな子供たちからも愛されているアーティストはファレルだけ。そう言っても過言ではない。2013年に大ヒット作を3曲を立て続けに放ったあとも、その勢いは衰えなかった。

オーディション番組『The Voice』で新人シンガーを指導したり、シャネルやアディダスのコレクションをデザインしたりといった活動を続けつつ、ファレルは今も地球上の大物ミュージシャンたちのキャリアを手助けをしている。

アリアナ・グランデの『Sweetener』も、ベックの2019年のレトロ・フューチャーな『Hyperspace』も、彼なしではありえなかったはずだ。前者はアリアナをポップス界の頂点に押し上げるのに一役買い、後者はベックを前代未聞の領域へと導いた。しかしながらクリエイティブな裏方として20年以上活動してきたファレルにとって、それはただの通常業務でもあったのだ。

Written By Patrick Bierut




 

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