ライヴ・エイド – 特別だった日を思い返して

7月 13, 2018


ライヴ・エイド – 特別だった日を思い返して

ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロが、エチオピアの飢饉救済に対する取り組みを支援するライヴ・コンサートを行うという大胆な計画を発表した時に感じた狂喜を未だに覚えている。しかも1公演ではなく、ロンドンの象徴的なウェンブリー・スタジアムとフィラデルフィアのジョン・F・ケネディ・スタジアムの2公演だ。ロンドンでのコンサートには7万2千人、フィラデルフィアでのショーには10万人訪れたと来場数が発表されているが、これらの数字は世界130カ国で放映され視聴したとされる190万人に比べたら、ごく一部の人数に過ぎない。

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私はウェンブリーの7万2千人のうちの一人で、一時たりとも事を逃してはいけないという決心のもと、早めに現地に到着していた。そして正午、最初に起こった事が英国近衛軍楽隊(Band of the Coldstream Guards)による「God Save The Queen」の演奏だったのだが全く違和感を感じる事はなかった。そんな雰囲気の日だったし、そうであるべき日だったのだ。最高だった!こんなオープニングを超えられるのかと思っていたところに続いたのが、ステイタス・クォーのここしかないという「Rockin’ All Over The World」だった。

ステイタス・クォーに続いたのは当時最高といわれた名だたるバンドたちだった。ポール・ウェラーのバンド、スタイル・カウンシル、ボブ・ゲルドフのブームタウン・ラッツは熱狂的な歓迎を受け「I Don’t Like Mondays(邦題:哀愁のマンデイ)」で歌詞「(And)The lesson today is how to die(今日の授業は人はどう死ぬかについてだったことを)」を歌い上げた直後に演奏を意図的に止めるヴァージョンを披露した。観ていた誰もに衝撃を与え、私たちが何故その場にいたのかを思い出させたのだった。

アダム・アント、ウルトラヴォックス、スパンダー・バレエ、バーナード・バトラーが演奏したが、まだ午後2時だった。エルヴィス・コステロが歌った「All You Need Is Love」は感動的な瞬間だったし、続いたニック・カーショウとシャーデーもその日続いた多くのハイライトのひとつだった。

午後3時を少し過ぎた頃、スティングがステージに上がり、ドラムにフィル・コリンズを迎えてポリスとフィル・コリンズのソロ曲から成るセットを披露した。ステージが終わった直後、フィル・コリンズはその夜に同時開催だったフィラデルフィア会場にも出演することになっていたので、コンコルド(あの象徴的な飛行機を覚えているだろうか?)に搭乗するためにロンドン・ヒースロー空港へすぐに移動したのだった。

次の1時間には、ハワード・ジョーンズ、デヴィッド・ギルモアをギターに迎えたブライアン・フェリー、ポール・ヤングそしてU2が出演。午後6時には、ダイアー・ストレイツが「Money For Nothing」でヴォーカルにスティングを迎え、「Sultans Of Swing (邦題:悲しきサルタン)」で締めた。最高の音に観客誰もが惹かれ酔いしれた。

そして次はクイーン。私が彼らを観るのは、彼らがイギリスはサリーにあるイーウェル・テクニカル・カレッジ(Ewell Technical College/現・North East Surrey College Of Technology (NESCOT) )で、ケヴィン・エアーズ、フライング・フォートレス(当時次期大物アーティストとして嘱望されていた彼らを覚えているだろうか?)とジェネシスのサポート・アクトをしていた頃の1970年代初頭、結成間もない時のライブ以来だった。正直、その後、私の中ではクイーンを途中で見失ってしまっていたのだ。もちろん「Bohemian Rhapsody」は好きだったが、その程度であった。しかしその日のウェンブリーで全てが変わった。やっとクイーンがわかったのだ。スタジアム内の他の皆のように、「We Are the Champions(邦題:伝説のチャンピオン)」を私は完璧に歌い上げていたのだった。

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デヴィッド・ボウイが良いのは分かっていたが、やはりその通りだった。特に「Heroes」が良かった。ザ・フーは決して完璧ではなかったが、それは問題ではなかった。彼らのセットは典型的かつ演劇的であったが、「Won’t Get Fooled Again(邦題:無法の世界)」でそのショウを締めた時点では誰もが飛び跳ね楽しんでいた。

ショウはクライマックスに到達し始めており、スタジアムではザ・ビートルズが3人で出てくるかどうかという話題で盛り上がっていた。ちょうど午後9時前、エルトン・ジョンが舞台に立ち鮮やかな姿を披露していた。キキ・ディーとのデュエット「Don’t Go Breaking My Heart(邦題:恋のデュエット)」は、ジョージ・マイケルと披露した「Don’t Let The Sun Go Down On Me(邦題:僕の瞳に小さな太陽)」とともに全観客を満足させた。

午後10時前、フレディ・マーキュリーとブライアン・メイが「Is This The World We Created(邦題:悲しき世界)」を披露し、観客全員にここにいる理由をいま一度問いかけた瞬間となった。そしてフィナーレを迎えた。ポール・マッカートニーがジョージ・ハリスンとリンゴ・スターとではなく、ボブ・ゲルドフ、デヴィッド・ボウイ、アリソン・モイエ、ピート・タウンゼントとステージに。ショーは、「Do They Know It’s Christmas」で幕を閉じた。他の曲で終わることはあり得なかっただろう。

おそらく多くの人同様、私はアメリカでのショウをテレビで視聴するために家路を急いだ。私が最初に見れたのはフィル・コリンズとエリック・クラプトンだった。続くはジミー・ペイジ、ロバート・プラントとジョン・ポール・ジョーンズ、そしてドラムにフィル・コリンズが入った編成のバンド。彼らはセットの最後を「Stairway to Heaven(邦題:天国への階段)」で締めくくった。それ以外あり得ないだろう? その後にMTVが全米でスターに育て上げたデュラン・デュランが続き、パティ・ラベル、ダリル・ホール&ジョン・オーツへとつないだ。デュラン・デュランはこの日以降約20年間に及ぶブランクに入ったため、最後の公演となった。(*訳注:オリジナル・メンバーとしては最後の公演)

テンプテーションズのエディー・ケンドリックスとデイビット・ラフィンは、ダリル・ホール&ジョン・オーツのステージに参加し、4人にさらにミック・ジャガーとティナ・ターナーが加わった。ミック・ジャガーは「Miss You」と「It's Only Rock 'N' Roll」を披露した。

ザ・ローリング・ストーンズが一緒に演奏するのではなく、キース・リチャーズとロン・ウッドはボブ・ディランを引き連れ、3人でステージへ。ボブ・ディランが特有の‘ボブ感’を出しギターの弦を切ると、ロン・ウッドが彼のギターをボブ・ディランに渡した。ロン・ウッドは別のギターが来るのを待つ間、ピート・タウンゼントのスタイルでエア・ギターを披露した。英国と同じように、ショウはチャリティー・ソングで締めくくられたが、アメリカで披露されたのは「We Are The World」だった。

私はライヴ・エイドをDVDで追体験し、当時見逃したアメリカでのパフォーマンスを幾つか観たが、すべてのライブと同じように、テレビで観るよりもその日の現地体験に勝るものはないと改めて実感した。80年代とロックの気品が融合したケースであったと気付かされるとともに、出演していた、そして中にはスター性が少し衰えてしまった幾つかのアーティストにとっても、あの非現実的な日が特別なものであったのだろうと考えずにはいられない。私にとっては長い一日だったが、素晴らしい一日であり、未だにそう言えることを光栄に思う。私はライヴ・エイドにいた、と。

Written by Richard Havers


  • クイーンのライヴ・エイドのパフォーマンスも収録
    『伝説の証 ~ロック・モントリオール1981&ライヴ・エイド1985』 DVD / Blu-ray
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