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早弾きやソロだけじゃない、新たな方向性を開拓した80年代のギター・ヒーローたち

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Photo: Rob Verhorst/Redferns

1980年代になると、ギターの速弾き合戦にうんざりして新しいものに飢えていたロック・ファンの要求に応えて、型破りなギタリストたちが次々に登場。その中には新顔もいれば、自らのスタイルを一新した1970年代からの古参もいたが、そのプレイ・スタイルはどれも目新しいものだった。

彼らは派手なプレイよりも音質や音作りにこだわり、これみよがしに攻撃的なフレーズを繰り出すより新しいメロディを紡ぐことに重きを置いていた。そして、神聖なるソロ・パートではそのことが特に顕著だった。

また、そうした彼らの野心は、ギター・シンセや新しく登場したデジタル・エフェクト、そしてスタジオ・ワークといった最新技術の力により実現することも多かった。だが結局のところ、1980年代を彩ったギタリスト界の”アンチ”・ヒーローたちは、冷静な頭脳と熱い想いの両方を注ぎ込んで、ギターという楽器の新たな方向性を開拓したといえるだろう。

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パンクの登場と訪れた変革のとき

昔ながらの”ギター・ゴッド”という概念がロック界に生まれたのは60年代後半のこと。ブルース・ロックやサイケデリック・ロックのギタリストを中心に、プレイの速さや技巧を追求するようになっていったのだ。この流れの中で数々の名作が生まれ、何世代にも亘る音楽への基本的な考え方が形成されたことは疑いないが、それから10年ほど経つと潮目が変わってきた。

ロック界のメインストリームでは、テクニックを極めた名手としてギター・ヒーローを重要視する傾向がしばらく続いたが、パンクの登場が音楽に関する価値を大きく変容させた。1970年代後半のロック界に訪れた変革によって、ギター・ソロをはじめこれまでの常識に疑いの目が向けられるようになったのだのだ。

初期のパンク/ニュー・ウェーヴは多くの場合、リード・ギターという概念そのものを完全に否定していた。伝説的なライヴ・ハウスCBGBにおけるジェリー・ガルシアといえる存在だったテレヴィジョンのトム・ヴァーレインなどのプレイヤーはその例外だったといえよう。

1977年にクラッシュのデビュー・アルバムに収録された「Complete Control」では、ミック・ジョーンズによる短く素朴なソロに続いて、ジョー・ストラマーが「お前が俺のギター・ヒーローだ! (You’re my guitar hero!)」と叫ぶ。皮肉のこもったこの印象的なシャウトは、そうした時代の変化を象徴していたといえよう。

The Clash – Complete Control (Official Video)

まだパンクが全盛を迎えていないうちから、ポスト・パンクの最初の波は既に起こっていた。そこからもまた、ギターへの新たな考え方が生まれていったのだ。ジョン・ライドンは残骸と化したセックス・ピストルズを脱退し、パブリック・イメージ・リミテッド (PiL) を結成。一から新しいスタイルの音楽を作り上げたが、それはキース・レヴィンによる革新的なギター・プレイによるところが大きかった。

レヴィンによる先鋭的なギター・テクニックの引き出しは、その後数年で加速度的に増加していく。だが、PiLのデビュー作『First Issue』 (1978年) の1曲目に配された、黙示録の世界観を思わせる9分間超の大曲「Theme」においてレヴィンは、既にメロディを伴った一般的なギター・プレイから脱却。エフェクトを多用したサウンドで、渦巻くような重厚なサウンドを生み出していた。

Theme (2011 Remaster)

 

ポスト・パンクの時代

同じころ、初期のポスト・パンク/ニュー・ウェーヴのサウンドに乗せて革新的なプレイを生み出すギタリストがもうひとり現れた。ポリスのアンディ・サマーズは、レヴィンと同じくダブ/レゲエに強い影響を受けていたが、レヴィンより15歳ほど年上だった。

それまで彼はズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドでR&Bを、ダンタリアンズ・チャリオットではサイケデリック・ロックを、ソフト・マシーンではジャジーなプログレッシヴ・ロックをそれぞれ演奏。”従来的な”ギター・プレイの経験が豊富な人物だった。

それでもサマーズは、ギターによる抽象表現の追求に意欲を燃やしていた。ポリスのデビュー作『Outlandos D’Amor』(1978年) での彼のプレイの多くは、ロックとレゲエが融合した彼らの音楽の中でもパンク寄りのサウンドに合わせたものだったが、「Can’t Stand Losing You」ではのちのサマーズのプレイ・スタイルの片鱗を見ることができる。彼がフェイザー (および名も知らぬその他のエフェクト) を使用してスペイシーなサウンドを作り出すパートは、ロック・ギターというより花が成長していくタイム・ラプスのビデオを見ているような感覚に陥る。

The Police – Can't Stand Losing You

1980年代に入ると、新たな表現方法を志向するロック・ギタリストが次々に現れ始める。その代表格がダブリン出身の19歳、デイヴ・エヴァンスだ。彼はのちにジ・エッジという芸名で、U2の面々とともに世界を席巻することになる。

パンクを下地にしつつそれ以上のものを志向していたジ・エッジが彼の代名詞といえるサウンドを探求し始めたのは、U2が世界にその名を知らしめた1980年のデビュー作『Boy』でのこと。やがて彼は、ハーモニクスやフィードバック、そして様々なエフェクトを組み合わせ、決して派手ではないが技巧的なサウンドを確立していく。このスタイルが真に花開いたのは『The Unforgettable Fire (焔) 』や『The Joshua Tree』などその後の傑作においてであったが、ダークなサウンドの「An Cat Dubh」などでは早くもそれが形となっている。

An Cat Dubh (Remastered 2008)

 

スタイルを一新したベテランたち

当時、リード・ギターの常識を塗り替えていたのは若い世代だけではない。キング・クリムゾンの頭脳であるロバート・フリップはプログレ界屈指の超大物だ。しかし同バンドが解散すると彼は、デヴィッド・ボウイやピーター・ガブリエル、ブロンディといったアーティストの作品にゲスト参加し、滑らかで長く伸びる得意のギター・サウンドを披露。ギター・ソロにおいては速弾きの技術をひけらかさず、ムード溢れるプレイを聴かせた。

そして1981年、彼はこのスタイルをさらに発展させていく。手始めに、短命に終わったニュー・ウェーヴ・バンド、リーグ・オブ・ジェントルメンとしてアルバムを発表すると、その数ヶ月後には革新的なサウンドとともにキング・クリムゾンを復活させた。

1970年代のクリムゾンと1980年代のクリムゾンの音楽性は、トーキング・ヘッズとムーディー・ブルースくらいかけ離れていた。ひとつの要因として、フリップがキャリアで初めて別のギタリストと共演したことが挙げられるだろう。しかもそれは、少し前にトーキング・ヘッズの音楽性の変化を手助けした人物だった。その男、エイドリアン・ブリューはトーキング・ヘッズのアルバム『Remain In Light』に大きな革新をもたらした。そしてアルバム『Discipline』ではフリップとタッグを組み、摩訶不思議なサウンドの引き出しをさらに開放。飛び道具的なプレイを存分に披露してみせた。

ブリューは象や虎、カモメなど様々な動物の鳴き声のほか、この世のものとは思えない叫び声や竜巻のような音などをギターで再現。これらは彼の持つ豊富なエフェクターやギター・シンセ、そして独特な発想力がすべて揃ってようやく成り立つ芸当だった。

他方、ブリューという先鋭的なパートナーと張り合えるようになったフリップも、衰えない革新性を同作でさらに爆発させている。彼は腱鞘炎になりそうな細かいフレージングを捨て去ることなく、思いのままに芸術的なフレーズを演奏。ときには荒々しいブリューのギターと対照的に穏やかなプレイを聴かせる場面もあるが、それでもその演奏は彼にしかできないものであった。

King Crimson – Elephant Talk

フリップ同様、ロキシー・ミュージックのフィル・マンザネラも1970年代にグラム・ロックの名演を残し、アート・ロック界のギター・ヒーローとなった人物だ。はじめから彼はテクニックを見せつけるタイプではなかったが、ロキシー・ミュージックが音楽性を変化させた1982年作『Avalon』で新たなファン層を獲得した際、その中核を担ったのがマンザネラだった。

「More Than This (夜に抱かれて) 」や「Take A Chance With Me」といったヒット曲では、フェイザーやエコー、コーラスといったエフェクターを多用。一音一音が煌めくような騒がしさとは無縁のギター・サウンドは、気品溢れるブライアン・フェリーの歌との相性も抜群だった。

Roxy Music – More Than This

海を渡った北米大陸でも、1970年代から活躍するベテランがバンドの未来を切り開くべく、ギター・ソロのスタイルを変化させようとしていた。カナダ出身のラッシュはイエスとレッド・ツェッペリンを掛け合わせたようなサウンドで、1970年代の前半から活躍。アレックス・ライフソンは、凄まじい速さで猛烈な音数を弾くスタイルを確立していた。

だが、セールス面でも創造性の面でもラッシュが新たな境地に達した1981年作『Moving Pictures』では、ライフソンもフェンダー・ストラトキャスター (場合によってはギブソン355) の音色に時代性を反映してみせた。ロック・スターとしてのラッシュの地位を確かなものにした「Tom Sawyer」、「Limelight」といった楽曲ではマシンガンのような長尺の速弾きが影を潜め、ソロは短く纏まったものに変化。そのプレイは以前と大きく異なり、強烈なチョーキングや高音のサステインがフィーチャーされるようになったが、同時にライフソンの演奏技術もしっかりと発揮されていた。

Rush – Limelight (Official Music Video)

プログレ界のパイオニアであるイエスにおいては、エイジア結成に向けたスティーヴ・ハウの脱退が変化のきっかけになった。そこで加入したのが若手のトレヴァー・ラビンである。この新ギタリストの加入でイエスは活気を取り戻し、 (敏腕プロデューサーで一時はイエスのメンバーであったトレヴァー・ホーンの助けも借りて) 新時代のサウンドを作り上げることとなる。

メガ・ヒットを記録した「Owner Of A Lonely Heart」でイエスはトップに返り咲いたが、この曲でラビンが披露した驚異的なソロの功績は大きい。深いエフェクトが掛かったうねるようなソロは、一歩間違えば大惨事になりかねない斬新なプレイであったが、結果的に大成功を収めた。

YES – Owner of a Lonely Heart (Official Music Video)

 

メインストリーム・ロックの終焉

1980年代中盤になると、ジ・エッジやアンディ・サマーズといったギタリスト界の異端児はアーティストとしての全盛期を迎え、はみ出し者だった彼らは流行の発信源に変わっていた。

メタル界では依然として速弾きも重要視されていたが、もはやそれだけがギター・ヒーローの唯一の道ではなくなっていた。また、この頃になると往年の名ロック・ナンバーと並んで、U2の「Gloria」やポリスの「Don’t Stand So Close To Me (高校教師) 」をコピーするギター少年も増えていた。そうした未来のギタリストたちは、音符を正しく弾けるようになることはもちろん、音作りにも気を配るようになっていたのだ。

The Police – Don't Stand So Close To Me

その他にも、既成概念にとらわれないギタリスト界の”アンチ”・ヒーローは1980年代に数多く存在した。上述のギタリストたちに加え、1980年代前半にはロック・ギターの常識に抗う型破りなパイオニアたちが次々に登場。プリテンダーズのジェイムス・ハニーマン・スコットや、スミスのジョニー・マー、R.E.M.のピーター・バック、ドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリーなどはそのごく一部に過ぎない。

こうして、かつて時代の波に抗っていたギタリストたちは、新たな潮流をリードする存在に変わっていった。確かに、1980年代の終わりになるとロック界のメインストリームは、速弾きのギターを特徴とするヘア・メタルが席巻する。だがその後、カート・コバーンがリードしたグランジの流行により、ハード・ロックは闇へと葬られることになる。「俺たちはここにいる、さあ楽しませてくれ! (Here we are now, entertain us!)」と叫んだコバーンが、どんなスタイルでギターを弾いていたか忘れてはならない。

Nirvana – Smells Like Teen Spirit (Official Music Video)

Written By Jim Allen


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