放送禁止や販売停止を受けた楽曲10選:世界に衝撃を与え、物議を醸し、大ヒットした曲たち

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ドラッグ、警官への攻撃、あからさまに性的な表現……。これまでも度々、ヒット・チャートはアーティストと検閲が争う場所となってきた。放送禁止や販売停止といった処分を食らったことのあるミュージシャンは、枚挙に暇がない。これは、音楽の表現に対してアーティストたちがギリギリのところまで挑戦しているということを示している。それだけではない。検閲しようとする側がアーティストたちを黙らせようとして、かなりのところまで踏み込んでくるということも示している。しかし、物議を醸しそうなレコードに対する規制は、妥当なものなのだろうか? 必ずしもそうとも言い切れない場合もあるのではないだろうか?

ここでご紹介するのは、”黙っていることを拒んだ10曲”である。

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1. セックス・ピストルズ「God Save The Queen」(1977年)

たとえば黒人へのリンチの場面を描いた「Strange Fruit( 奇妙な果実)」のような作品の場合、どれほど時間が経過しても、そのインパクトは薄れることがない。しかしセックス・ピストルズの「God Save The Queen」を今聞いても、この曲があれほどの騒動を引き起こしたということを理解するのは難しいに違いない。曲そのものは、今聴いても反抗的なロックンロールのスリリングな1曲としても楽しむことができる。しかし、発表当時にイギリス社会に言語に絶するダメージを起こしたこの曲が、今もそのような強烈な反応を引き起こすことができるだろうか? 今では無理だはずだ。

しかし1977年の段階では、事情はかなり異なっていた。そしてセックス・ピストルズ(特にヴォーカリストのジョン・ライドン)は、モラルを揺るがす震源地のど真ん中にいた。女王エリザベス2世の即位25周年を控えていたこのころ、ピストルズと彼らのマネージャーであるマルコム・マクラーレンは、便乗できるチャンスがあると感じていた。3月10日、このグループはA&Mレーベルと新たに契約を結んだ。契約した場所はバッキンガム宮殿のすぐ外。反権威主義的なシングル「God Save The Queen」は既に2万5000枚がプレスされていた。しかしそんなお祭り騒ぎは、収拾がつかないところまで大きくなっていた。A&Mはわずか4日後にピストルズとの契約を解除。ブレス済みのシングルも、ほとんどが廃棄処分になった。

ここで登場したのがリチャード・ブランソンと彼のヴァージン・レーベルである。5月18日、彼はピストルズと契約を結び、女王の即位記念祭に合わせてこのシングルを急遽リリースすることに決めた。BBCからは放送禁止処分が下ったが、レコードは飛ぶように売れ、発売1週目で20万枚という売上になった。それでも、どういうわけかヒット・チャートでは1位にならなかった。音楽業界が裏で数字をいじったのではと勘ぐったピストルズとマクラーレンは、さらなる仕掛けを企てた。6月7日、彼らはテームズ川を下る船の上で、国会議事堂横目に見ながらライヴを行った。タブロイド紙は凄まじい騒ぎになり、ピストルズの悪名は確固たるものになった。

 

2. N.W.A.「Fuck Tha Police」(1988年)

1980年代後期、ロサンゼルスに暮らすアフリカン・アメリカンの青年たちにとって、警察から嫌がらせを受けることは日常茶飯時だった。ロサンゼルス市警は、1987年に”Operation Hammer”と題したギャングに対する暴力鎮圧作戦を開始。翌年までに5万人を逮捕した。

そんな警察に対する不満を吐き出す方法は、大多数の人間は持ち合わせていなかった(この時期、過剰な暴力を働いたとして調査された警官は全体の1パーセント未満)。しかしN.W.A.には、音楽という武器があった。アイス・キューブによれば、「ああいう類の占領軍(=警察)に虐げられる状況というのは、あまりにひどくて耐えられないほどだった。とにかく、もうたくさんだという感じ。俺たちにあった武器は、自分たちの音楽だけだった」

では、N.W.A.はどういう手を取ったのだろうか? 彼らがリリースしたのは、まったく譲歩するところのない曲「Fuck Tha Police」だった。警察権力を大胆にこき下ろすこの強力な曲は、罵倒の言葉に満ちあふれていた。

この曲によって、N.W.A.の「世界で最も危険なグループ」という立場はさらに固まった。レコードはラジオで放送禁止になり、彼らの悪名はさらに高まった。有名な話だが、このグループがツアーを行った時、警察はその日程の先回りをして、歌詞カードのコピーを公演地の警察にFAXで送信した。それによってN.W.A.に対する地元警察の敵意が高まり、会場の警備の面で警官に協力してもらうことが難しくなった。

 

3. キンクス「Lola」(1971年)

この歌は、主人公が酒場で出会って好きになった「女」が実は「男」だったことに気づく……という内容の作品だった。しかし意外なことに、BBCがこの歌を放送禁止処分にしたのは、そういうきわどいテーマを扱った曲だからではなかった。BBC が問題にしたのは、歌詞の中に”Coca-Cola”という言葉が使用されているという点だった

当時BBC は商品名を放送で流すことを厳しく禁じていたため、「Lola」はラジオでオン・エアできなくなり、ヒットする可能性も危うくなった。そこでレイ・デイヴィスは、問題となった飲み物の名前を、具体的な商品名ではない”Cherry Cola”に変更することにした。

しかし不運なことに、その時点でキンクスはアメリカ・ツアーの真っ最中であり、マスターテープはイギリスにあった。このためデイヴィスは、ミネソタでのライヴを終えた後に飛行機に飛び乗り、イギリスに戻ってオーヴァーダビングを行なった。しかしそれが満足する出来にならなかったので、シカゴ公演を行うためにアメリカに戻っている。その後、再びロンドンに戻り、ようやく満足のいくヴォーカルを録音することができた。歌詞変更後のシングルはラジオで大流行になり、キンクスは大ヒット曲を手にした。レイ・デイヴィスは、ほっと一息つくことができたのだ。

 

4. ニール・ヤング「This Note’s For You」(1988年)

ニール・ヤングは業界からの期待に決して迎合しないミュージシャンだ。1980年代の彼は、そのつむじ曲がりなところを知っている人さえまごつかせるような活動を繰り広げた。このころヤングがリリースした一連のアルバムは熱心なファンをも困惑させ、しまいには所属レーベルが「路線から外れすぎたレコードばかり作っている」ことを裏切り行為だとして彼を訴えるところまで行った。そういったことを踏まえると意外でも何でもないことだろうが、ニール・ヤングは当時流行り始めていたミュージシャンとブランドとのタイアップを皮肉な目で見つめていた。

彼が1988年に発表したアルバム『This Note’s For You』のタイトルトラックは、企業が音楽に与える影響についての率直な気持ちを映し出していた。ここでのヤングは挑発的な姿勢をとっていた。

Ain’t singing for Pepsi, ain’t singing for Coke
I don’t sing for nobody, makes me look like a joke…
ペプシのためにも歌わない コカコーラのためにも歌わない
誰のためにも歌わない そんなことしたら俺が馬鹿みたいに見える…

この曲をシングルカットした彼は、プロモーション・ビデオでさらにそうした姿勢を強調し、マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストンなどのそっくりさんまで登場させて企業とのタイアップを皮肉った。しかし肝心のMTVはこのビデオを放送禁止処分にしたのだった。

ヤングは見事なまでに無遠慮な公開書簡をMTVに送りつけた。その書簡の冒頭は「腰抜けのくだらないMTV御中」で始まり、「MTVの“M”は何を表しているんだ? ミュージック(Music)か、それともマネー(Money)か? ロックンロールよ永遠なれ」と結ばれていた。それでもこの曲はヒットになり、MTV もついに降参した。「This Note’s For You」のプロモーション・ビデオは、MTV の1989年の”Video Of The Year (年間最優秀ビデオ賞)”を受賞している。

 

5. フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「Relax」 (1983年)

少々古風なスキャンダルがヒット曲を生み出すこともある。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのデビュー・シングル「Relax」 は、イギリスのシングル・チャートのトップ100を2カ月かけてゆっくりと上がっていた。そのペースが急に変わったのはトップ40に達したときのことだった。そのころBBCレディオ1のDJ 、マイク・リードが自分の番組でこの曲をオン・エアした。これはBBCの放送禁止曲リストに含まれていなかったが、リードは曲の放送を途中で切り上げた。その理由は、この曲が暗示しているものに気づいたことにあるように思われた。フランキーの抜け目のないマネージャー、ポール・マーリーは権威を敵に仕立て上げれば大きな宣伝になると考えた。そしてBBC のDJ がレディオ1でこの曲を放送禁止にしたという噂を広げた。

それから現在に至るまで、リードは自分にそんな権限はなかったと主張し、曲の放送を切り上げた理由は放送時間に限りがあったせいだとしている。しかし「放送禁止」という言葉の威力は絶大だった。「Relax」は英シングル・チャートで5週間首位の座を維持し、やがては世界的なヒットになった。そしてフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドはセンセーショナルなポップ・グループとして一躍人気者になったのである。

 

6. イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ「Spasticus Autisticus」 (1981)

イアン・デューリーは7歳の時にポリオ(小児麻痺ウイルス)に感染し、手足が不自由になった。そして1950年代の少年時代は障害児のための特殊学校(として通用していた代物)で過ごすことになり、大変な苦しみを味わった。そんな彼は、障害を抱えて生きることの厳しい現実を身にしみて承知していた。国連が1981年を国際障害者年に制定した時、デューリーはそれを恩着せがましいことだと感じた。障害者を「本日の社会問題」として一時的に取り上げるようなやり方が気に食わなかったのである。そうして彼が国際障害者年に合わせて作ったのが「Spasticus Autisticus」だった。

この曲は挑戦的な姿勢で作られており、障害者の体験を綺麗事として描くことを拒否していた。そして、利他主義的な慈善行為についての感想を非常に巧みな歌詞で綴っていた。

So place your hard-earned peanuts in my tin,
and thank the Creator you’re not in the state I’m in
あんたが汗水垂らして手に入れたピーナッツをこのブリキ缶に恵んでおくれ
そうして神様に感謝するんだな 俺みたいな境遇でないことに

ラジオのローカル局やBBCはこの曲「Spasticus Autisticus」をリスナーに不快感を与える内容だとみなし、放送禁止曲のリストに入れた。とはいえ、こうした断固たる姿勢の芸術作品は、そう簡単に消えることがない。デューリーの戦闘開始のスローガンは、商業的な成功という面ではやや足を引っ張る結果になったのかもしれない(驚くべきことだが、この曲は彼が大手レコード会社と契約後に出した第1弾シングルに選ばれていた)。

しかしこの曲の持つパワーは今も衰えていない。感動的なことに、2012年のロンドン・パラリンピックの開会式では、障害者のメンバーで構成されるグレイアイ・シアター・カンパニーが「Spasticus Autisticus」を歌いながらパフォーマンスを披露しているのだ。

 

7. ロレッタ・リン「The Pill」 (1975年)

「私は、女の人の生活をそのまま歌にした最初の人間だった」

かつてロレッタ・リンは、自らが作った率直な語り口の曲についてそう述べていた。そうした曲のおかげで熱烈なファンを獲得し、ロレッタは史上稀に見る大人気のカントリー歌手のひとりとなった。しかし保守的なカントリー・ラジオ局は、お決まりのように彼女の曲を放送禁止にしていた。その中には、「Fist City」「Rated X」「Don’t Come Home A-Drinkin (With Lovin’ On Your Mind)」といった曲も含まれていた。そして、彼女にとって全米チャートで最も高い順位まで行った曲「The Pill」も例外ではなかった。

ロレッタが「The Pill」を作り、レコーディングしたのは1975年のことだった。しかし彼女の所属するレコード会社MCAは、この曲を3年間もお蔵入りにした後でようやくリリースした。それは、経口避妊薬であるピルの使用を奨励しているように聞こえるこの曲が、カントリー・ミュージックの世界でどんな反響を巻き起こすのか察知していたからだった。

カントリーの世界には中絶や避妊に関する歌はたくさんあったが、女性が選択の自由を手にしているかどうかという点から見れば、どの曲もロレッタには不十分に感じられた。そうして彼女が作った歌に保守的なラジオ局は拒否反応を示し、たくさんの局がこの曲を放送禁止にした。そうした反応も、レコードの売上を伸ばすだけだった。「The Pill」はロレッタにとってまたもや大ヒット曲になった。

 

8. スコット・ウォーカー「Jackie」(1967年)

BBCレディオ1が開局したのは1967年9月のことだ。これは当時、若者に人気だった先鋭的な海賊ラジオ局に対抗してBBC が設立したラジオ・チャンネルだった。ただし、流行最先端の若者に聞いてもらおうとしていたとはいえ、きわどい内容の曲がこのチャンネルの電波に乗るのはもっとあとのことになる。

スコット・ウォーカーの「Jackie」(ジャック・ブレルの「La Chanson De Jacky」の英語カヴァー)には、「Authentic queers and phony virgins / 本物のホモセクシャルとインチキの処女」や「Boats of opium / 阿片のボート」といった語句が含まれていた。こうした歌詞を聞いたBBCのお偉方は神経を尖らせ、この曲を放送禁止曲のリストに入れてしまった

 

9. ザ・ビートルズ「Lucy In The Sky With Diamonds」/「A Day In The Life」(1967年)

1967年にもなると、ザ・ビートルズは物議を醸すことに関してはベテランの域に入っていた。ポップ・ミュージックの限界に絶えず挑戦しているようなアーティストの場合、そうした揉め事に巻き込まれるのは避けられないことだった。ジョン・レノンが「ビートルズは若者にとってキリスト教よりも意義深い存在かもしれない」といった意味の発言をしたため、彼らはアメリカの狂信的なキリスト教信者を激しく怒らせることになった。さらには、アメリカのみで発売されたアルバム『Yesterday & Today』の通称「ブッチャー・カヴァー」のような非常に挑発的なジャケット・アートでアルバムを発表した。その結果、アルバムが回収されるという騒ぎにもなっていた。

とはいえ、ビートルズがBBC の放送禁止曲リストの仲間入りを果たしたのは、アルバム『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を発表した時が初めてだった。「A Day In The Life」と「Lucy In The Sky With Diamonds」が違法ドラッグに関する曲だとみなされ、この2曲の放送が拒否されたのである。ビートルズの側はこれらの曲はドラッグと何の関係もないと主張した。ただし当時流行していたカウンターカルチャーの中では、この2曲はそういった文脈でもてはやされていた。

 

10. ジェーン・バーキン&セルジュ・ゲンスブール「Je T’aime…Moi Non Plus」(1969年)

1967年、フランスの女優ブリジット・バルドーは世界中で雑誌のグラビアに登場していた。セルジュ・ゲンスブールも、そんな彼女に魅惑されたひとりだった。この無頼派ソングライターは自らのレコード・レーベルで彼女と歌手契約を結び、しかも夫のいるバルドーを口説いて、デートの約束まで取り付けた。そのデートが不首尾に終わり、せっかくのチャンスをふいにしてしまった……とゲンスブールは思った。

しかしその翌朝、バルドーから電話が来た。その内容は、名誉挽回のチャンスとして、「あなたに作れる最も美しいラブ・ソング」を提供してほしいというものだった。こうしてゲンスブールが作ったのが「Bonnie & Clyde」と「Je T’aime…Moi Non Plus」だった。

ふたりは恋仲になり、「Je T’aime…」を録音した。それがあまりにエロティックな内容だったため、フランスのメディアでは一大スキャンダルになった。その結果バルドーは、ゲンスブールに曲の発表を中止するように懇願する。とはいえセルジュ・ゲンスブールはこの曲をお蔵入りにするのはもったいないと感じ、1969年に新しいガールフレンド、イギリス人女優のジェーン・バーキンにバルドーのパートを歌わせたのだ。

この曲の喘ぎ声や悩ましげな吐息はセンセーショナルな反響を呼び、BBCは放送禁止処分を下した。さらにはバチカン教皇庁もこの曲を非難する声明を出した。しかし焼け石に水。このシングルはイギリスのチャートの首位に到達した。放送禁止シングル、そして外国語で歌われたシングルがイギリスのチャートで1位を記録するというのは、前代未聞のことだった。

 

Written By Jamie Atkins



 

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