ケンドリック・ラマーのコンセプト・アルバムの傑作『good kid, m.A.A.d city』を読み解く

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最高のコンセプト・アルバムには素晴らしいシングル曲が収録されている。もしかすると収録されていたアルバムをフルでは聴いたことがないかもしれないが、ノートリアス・B.I.G.の「Juicy」、マーヴィン・ゲイの「Mercy Mercy Me」、デヴィット・ボウイの「Ziggy Stardut」をみんなが知っているのには理由がある。収録アルバムについてうわべの知識しかない者でも、その裏側にある才能を否定できないほどこれらのシングル曲は単体でも十分に力強いのだ。ケンドリック・ラマーのメジャー・デビュー・アルバム『good kid, m.A.A.d city』からリリースされたシングル曲「Bitch, Don’t Kill My Vibe」や「Swimming Pools (Drank)」にも同じことが言えるだろう。

リリースから時が経ったが、アルバム『good kid, m.A.A.d city』はヒップホップ界における地位を維持していただけでなく、カルチャーさえも変えてしまった。それはいくつかの大学のカリキュラムに取り入れられるほどに発展している。

『good kid, m.A.A.d city』のアルバム・カヴァー・アート(通常盤)には、幼少期のケンドリック・ラマーが叔父と祖父と一緒に写っているポラロイド写真が使用されている。哺乳瓶と1.2リットルの酒のボトル、そしてギャング・サインをちらつかせる一人の叔父。背景の壁に飾ってある写真にはケンドリックと彼の父親が写っている。写真の登場人物たちの目線には、黒で塗りつぶされたモザイクが入っている。このアルバム・カヴァーについて、ケンドリック・ラマーはこう語っている。

「あの写真はかなり俺の人生を語っている。俺がコンプトンでどのように育てられてきたのか、俺が無邪気な目をして見てきたもの、そして何が起こっているのか理解しようとしていたころを」

 

映画的な物語

アルバム・カヴァーのタイトルには、”a short film by Kendrick Lamar(ケンドリック・ラマーによる短編映像)”とも書かれている。これは適当に書かれたものではない。『good kid, m.A.A.d city』は映画的で、魅惑的で具体的な物語を語ってくれる。アルバムで語られるのは主人公K Dot(ケンドリック・ラマーの昔のラップネーム)の1日であり、彼がケンドリック・ラマーになり、彼女といい仲になったり、強奪したり、災難を通り抜けてきたり、地元の政治とは何かを彼に問いかけている。

1曲目の「Sherane aka Master Splinter’s Daughter」は物語の始まりではなく、むしろ準備段階的な曲である。映画『レザボア・ドッグス』の冒頭でなされるマドンナの「Like A Virgin」の歌詞についてやウェイトレスにチップを渡すべきか否かといったような会話を目に浮かべて欲しい。前に話を押し進めることをせず、リスナーが足を踏み入れようとしている世界観を最初に提供している。

この曲の中で、この物語の主人公であるK Dot=ケンドリック・ラマーという人格の考え方にあなたは足を踏み入れることになる。まるでタランティーノの映画の中のように、K-Dotは “シェレーン” という名前の女の子と出会う。物語は正確に話の筋を追っているわけではない。全体的にのらりくらりとした、紆余曲折を経たストーリーになっているのだ。

歌に続くスキットは簡潔だが、ケンドリック・ラマーの友達や母親、父親が実際に登場している。彼らがこのストーリーをまとめるのに完璧な役割を果たしている。1曲目「Sherane a.k.a Master Splinter’s Daughter」の後のスキットでは、ケンドリックに貸している黒いバンを早く運転して持って帰ってきて欲しがっているケンドリック・ラマーの母親と父親が登場する。この黒いバンの写真はアルバムのデラックス・エディションのジャケットに掲載されているものだ。

ヒップホップの現状

シングル曲「Bitch, Don’t Kill My Vibe」も、同じようにイントロダクション的な役割を果たしており、ヒップホップのありさまについてが歌われる。実はこの曲のオリジナル・ヴァージョンには、レディー・ガガがゲスト・ヴォーカルとして参加していて「Partynauseous」というタイトルが付けられていた。しかし発表タイミングの問題が浮上、最終的にレディー・ガガが参加ヴァージョンはアルバムには収録されなかった。彼女はケンドリック・ラマーを驚かせるためか、その後、彼女自身のライブでその曲を使用している。「Bitch, Don’t Kill My Vibe」を終えるスキットでは、再びストーリーをどんどん進められていく。その中で、K Dotの友達がラップのビートが入ったCDを持っているから車の中に来いよとK Dotに話かける様子が聞こえる。

「Backseat Freestyle」と「The Art of Peer Pressure」は必然的に調和している。「Backseat Freestyle」は、“Martin had a Dream, Kendrick have a dream(マーティンには夢があった, ケンドリックには夢がある)”と夢見がちに名を成そうと車の中で彼の友達と一緒にフリースタイルを行っているK Dotについての歌だ。

親密な友人たちの間で鮮明によみがえるもの、車の中でマリファナをまわし、友人たちとのフリースタイリングなどから得られる喜びのささやかな瞬間が歌われる。そしてこのアルバムで語られる物語の中で、最も大きく展開する「The Art of Peer Pressure」へと繋がっていく。

表面的に無邪気に見える友人たちとのキャラバンは、結局、マリファナと酒、そして強奪の夜を境に終わりを向かえる。そこまで強がりはなかったものの、より内なる葛藤はあった。この状況にもかかわらず、まだK Dotに支援の手を差し伸べられ、彼が警官から逃れたときはホッとする。彼はその時ジレンマに直面するのだ。彼の仲間が歩いた道を辿るのか、それとも目立たないように身を潜めて金を稼ぐのか。そして次の「Money Trees」につながっていく。

「Poetic Justice」はシェレーンとの出会いの始まりに、私たちを連れ戻してくれるが、男の集団が、K Dotが他の地元から来たという理由だけで彼に襲いかかる。人の家に強奪に入ったあとのK Dotですら、すぐにこうなる。捕食者であってもいともたやすく被害者になるのだと彼は悟る。

 

地元に対する永遠の葛藤

「Good Kid」と「mAAd City」は同様にうまくリンクしあう。「Good Kid」は地元に対する永遠の葛藤について歌っている。地元ギャング(ブラッズ)示す赤い服を着るのか、それとも相対するギャング(クリップス)を意味する青い服を着るのか。どこ出身かが問題の世界の中でどうやって生き残ることができるのか。この曲は物語のもうひとつのターニング・ポイントでもある。ここから生きて脱出することができるのかどうか、K Dotは疑問に思うのだ。コンプレックスのインタビューで、エンジニアのミックスド・バイ・アリはさらに深く説明を加えた。

「良い少年であり続けることは、箱の中に閉じ込められたままってことさ。ドライブ・バイ・シューティング(走行中の車からの銃撃)に同乗することや、家に忍び込んで物を盗むことしか選択肢がなかったんだ。なぜならそういう環境に彼は囲まれていたからさ、彼は深い考えもなく、彼の周りの人々と一緒になってやっていただけなんだよ」

彼はもう一度、「mAAd City」でギャング生活の両刃の剣に直面することになる。もし彼がギャングのやり方に背くのであれば、彼を守るものはいなくなる。けれども、もし彼がギャングと手を結ぶのなら、より暴力の世界に彼は連れていかれるだろう。2部に分かれているこの曲は、ハードなクラブ・ビートが高まる前にゆっくりとしたイントロで始まる。この曲は、ケンドリック・ラマーが、彼の活躍より前に生まれたコンプトンのヒップホップ・サウンドに敬礼するもうひとつの瞬間でもあり、それを表すように西海岸のレジェンド、MCエイトがゲストとして参加している。

何気なく聞いているリスナーにとって、「Swimming Pool (Drank)」はパーティー用の曲のように聞こえるだろう。だが、じっと耳を傾けると、より訓戒的な物語であることがわかる。物語のこの時点で、ケンドリック・ラマーの友達は、以前ケンドリック・ラマーを踏みつけていた人々に対する復習を企てる。そして、それは結果的に彼の友人の兄弟、デイヴの死をもたらすことになる。

 

K Dotとしての生活を問う

「Sing About Me, I’m Dying of Thirst」はケンドリックの人生に衝撃を与えた悲劇について、彼自身の思いを歌っている。まず最初に前述のデイヴ、次にケンドリック・ラマーのデビュー作『Section.80』に収録されている曲のテーマとなった売春婦の姉妹について。最後にK Dotとしての彼の人生について初めて疑問を持つケンドリック・ラマーを聞くことになる。この曲の後半「I’m Dying of Thirst」部分は洗礼を受け、自己をみつめることを表現した一曲だ。

アルバム『good kid, m.A.A.d city』の終わりに、“金、権力、尊敬” が最も大切だったK Dotの過去の見識に従って生きることは危険だと気づかされる。そして11曲目「Real」では歌われるのは「リアル」とは何か? とケンドリック・ラマーはこう言った。

「1日を通して自分がやっていたことがリアルじゃなかったんだと気づき始めた。誰もが、“本物の黒人はどういうものか” といった自分自身の見識を持っている。ほとんどの場合、捨て猫か、もしくは違法な仕事に関わっているか、暴力行為をしているかのどれかだ。俺らもそうなんだと思っていた。でもこのアルバムでは、何がリアルなのかってのを僕自身がちゃんと理解しようとしていたんだ」

アルバム最後の曲「Compton」は、この物語調のアルバムのエンディング・ロールのように例えられるとはいえ、もう少し早めにストーリーに登場しても良かったかもしれない。連鎖を断ち最初からやり直すこと、そして新しいチャプターでのきらめきを意味した一曲である。

Written by Joe Dana



ケンドリック・ラマー『good kid, m.A.A.d city』
    



 

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