90年代、ヒップホップはいかに世界征服を成し遂げたか

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Photo: Raymond Boyd/Getty Images


80年代、ヒップホップは文化的にも商業的にも発展性のある音楽として確固たる地位を築いたが、この頃はまだアンダーグラウンドの関心事だった。しかし、90年代に入るとすべてが変わった。ヒップホップは芸術面で高みに達しただけでなく、ヒップホップのアーティストがスーパースターとなったのだ。90年代のヒップホップが放った大ヒットによって、同ジャンルはトップに上りつめ、それ以降も高い地位を維持し続けている。

 

ギャングスタ・ラップ成功と影

それでも90年代初頭、ヒップホップはちょっとした危機に直面した。ロサンゼルス出身のN.W.A.による1988年のデビュー・アルバム『Straight Outta Compton』は、ストリートのヴァイオレンスをハードかつリアルなスタイルで表現していたが、彼らをはじめとするギャングスタ・ラップ・グループの成功を受けて、多くのラジオ局がアグレッシヴなヒップホップ・アーティストをボイコットしたのだ。

さらに悪いことに1991年、ビズ・マーキーがギルバート・オサリヴァンの「Alone Again (Naturally)」を許可なくサンプリングしていたことで、ギルバート・オサリヴァンが提訴して訴訟に勝利したことで、ヒップホップというアート・フォームの構築方法に変化の危機が訪れたのだ。プロデューサーは訴訟を恐れ、さまざまなサンプリングを使えなくなってしまった。

それでも、ヒップホップは芸術的な活力に満ち溢れていた。90年代が始まった最初の数年で、パブリック・エネミーの『Fear Of A Black Planet』、ア・トライブ・コールド・クエストの『People’s Instinctive Travels And The Paths Of Rhythm』や『The Low End Theory』、デ・ラ・ソウルの『De La Soul Is Dead』、メイン・ソースの『Breaking Atoms』等が90年代ヒップホップを代表する名盤をリリースしたのだ。

また、N.W.A.が1991年にリリースしたセカンド・アルバム『Efil4zaggin』 は、ギャングスタ・ラップが商業的にも他のジャンルを凌駕しはじめたことを示した。同アルバムは、都市部をはるかに超えて郊外の若者の寝室にまで浸透すると、ヒップホップ・グループによるアルバムとして初の全米アルバム・チャート1位を獲得。

しかし、この時点でグループは既に分裂しつつあった。アイス・キューブは同アルバムがリリースされる前年に険悪な形でグループと喧嘩別れしており(ソロとしてのデビュー・アルバム『AmeriKKKa’s Most Wanted』は内容的にも商業的も成功を収めた)、ドクター・ドレーもグループを脱退。そして、ドクター・ドレーのソロ・キャリアは、ヒップホップ史の行方を変えることとなる。

 

デス・ロウ・レコードの登場

ドクター・ドレーはシュグ・ナイトとThe D.O.C.とともにデス・ロウ・レコードを設立すると、同レーベルから1992年終盤にデビュー・アルバム『The Chronic』をリリース。同アルバムは絶大な人気を博した。Gファンクと命名された彼の革新的なプロダクション・スタイルは、ディープに響くベース、Pファンク的なグルーヴ、ソウルフルなヴォーカルを見事に融合しており、ギャングスタ・ラップの鋭さをやわらげた聴きやすいフォーマットになっているため、ラジオ局のサポートを得ることができた。

デス・ロウ・レコードは、ザ・ドッグ・パウンドの『Dogg Food』、スヌープ・ドギー・ドッグの1993年のデビュー・アルバム『Doggystyle』は全米アルバム・チャート初登場第1位を記録する等、Gファンクを立て続けに大ヒットさせたことで90年代ラップ・ミュージックにおける支配勢力は東海岸から西海岸へと移っていった。西海岸のアーティストは大スターとなり、メインストリームで名声を確立した。

 

東海岸の情勢

東海岸は商業的に苦戦を強いられていたが、シーン自体は停滞とは程遠い状況だった。1993年には、ア・トライブ・コールド・クエストの名盤『Midnight Marauders』に加え、ウータン・クランの画期的なデビュー・アルバム『Enter The Wu-Tang: 36 Chambers』がリリースされ、硬質な東海岸のヒップホップの新時代が到来した。

その翌年も同じく強力な1年で、NASが不朽のデビュー・アルバム『Illmatic』をリリースし、ノトーリアス・B.I.G.がソロ・デビュー・アルバム『Ready To Die』で大ヒットを記録した。ショーン・コムズのバッド・ボーイ・エンターテインメントからリリースされた『Ready To Die』からは、「Juicy」「Big Poppa」「One More Chance」(ポップ・チャートでマイケル・ジャクソンの「Scream」と並ぶ初登場最高位を記録)がシングル・ヒットし、アルバムのセールスは400万枚を超えると、ノトーリアス・B.I.G.は一躍大スターとなった。

 

東西シーンの抗争

しかし、東西ヒップホップ・シーンの競争は、健全とは言い難かった。

1995年、ロサンゼルスで活動する大スターの1人、トゥパックがニューヨークで2人組の強盗に撃たれた。彼が性的暴行で有罪判決を受ける前日のことである。トゥパックは獄中で、ショーン・コムズをはじめ、かつては友人だったノトーリアスB.I.G.等が銃撃事件の背後にいたと糾弾。その年の後半、トゥパックの保釈金を払い、トゥパックをデス・ロウに迎え入れたシュグ・ナイトは、ニューヨークで行われたソース・アワードのステージ上でショーン・コムズを公に侮辱し、この争いに参入した。

アウトローな評判を博したトゥパックだが、その音楽キャリアには悪影響はなかった。90年代半ばには、90年代ヒップホップで最大のスターの1人となっただけでなく、音楽業界でも屈指のドル箱スターとなった。

1995年、トゥパックが獄中にいる間にリリースされた『Me Against The World』は全米アルバム・チャートで第1位に輝き、翌年にはデス・ロウ移籍第一弾、『All Eyez On Me』がリリースされた。ヒップホップで初となる2枚組の力作『All Eyez On Me』は、トゥパックがヒップホップ界で際立った才能を持つだけでなく、最も大きな成功をも収めていることを裏付ける作品となった。同アルバムは、発売第1週で566,000枚を売り上げると、チャートの首位を獲得した。

 

悲劇的な最後

デス・ロウとバッド・ボーイの間で鬱積していた確執は、悲劇的な結末を迎えた。1996年9月7日、ラスヴェガスで行われたマイク・タイソンのボクサーの試合後、トゥパックとシュグ・ナイトを乗せた車が銃撃されたのだ。6日後、銃撃による怪我が原因でトゥパックは死去した。

翌年、ノトーリアス・B.I.G.も不気味なまでにトゥパックと類似した運命を辿り、走行中の車からの発砲されて殺害された。ビギーの死からほんの数日後にリリースされたアルバム『Life After Death』は史上最大のセールスを記録したヒップホップ・アルバムの1枚となったが、トゥパックとビギーの死を受けて、ヒップホップのシーンは真剣な内省を必要とした。

まずはショーン・コムズが、敵対性を抑えた方向性を示した。同年の後半、彼はパフ・ダディとして、殺された友人を追悼して2枚のベネフィット・シングルをリリース。その後、彼はソロ・キャリアで数々のヒットを生み出し、さまざまな事業に関わると、ジェニファー・ロペスとの交際でも注目を浴びた。こうして彼は、90年代ヒップホップの中でも特に著名な人物となると、レコーディング・スタジオだけでなく、レッド・カーペット、企業の重役用会議室でも大活躍する新世代のラップ・スターの先陣を切った。

 

ビギーの弟子的存在だったジェイ・Zも、ヴァイオレンスが目立った1995年のデビュー・アルバム『Reasonable Doubt』から卒業した。1997年にリリースされた『In My Lifetime, Vol.1』は、ポップ・マーケットへのクロスオーヴァーを目論んで、ショーン・コムズやテディ・ライリーのラジオ向きなプロダクションに、卓越したジェイ・Zのラップを融合した。同アルバムと1998年にリリースされたヒット曲満載の『Vol.2… Hard Knock Life』によって、ジェイ・Zはスーパースターの座につき、現在もその地位を維持している。

 

90年代が終わるまでに、もうひとつ劇的な変化がヒップホップに訪れた。1996年、デス・ロウを捨てて自身のレーベル、アフターマス・エンターテインメントを設立したドクター・ドレーが、当時ほぼ無名だったデトロイトのラッパー、エミネムと契約を結んだのだ。

1999年にリリースされた『The Marshall Mathers LP』は、チャートの首位を獲得。90年代のヒップホップは世界的な優位性を確固たるものとすると、エミネムは音楽業界でトップの売り上げを誇るアーティストの道を歩み始めた。そしてヒップホップは、その後数十年にわたり、上昇気流に乗り続けるのだった。

Written By Paul Bowler



『90s Hip Hop

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