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レーナード・スキナードの元ギタリスト、エド・キングが68歳で死去

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伝説的サザン・ロック・バンド、レーナード・スキナードの元ギタリストで、色褪せないヒット曲「Sweet Home Alabama」の共作者でもあるエド・キングが2018年8月22日に68歳で逝去した。

彼の家族がFacebookに寄せた投稿の中で、「とても悲しいことですが、彼は2018年8月22日にテネシー州、ナシュビルの自宅で亡くなりました。彼のキャリアを通して、エドを支えてくださった多くの友人の皆さま、ファンの皆さまに感謝致します」と彼の死を報告した。

彼の死が報じられた当初は死因は発表されていなかったが、彼は最近になって肺癌と闘病し、入院生活を送ったいたということが判明している。

現在ツアー中のレーナード・スキナードの唯一のオリジナル・メンバーであるゲイリー・ロッシントンは、彼の死をこう偲んでいる。

「たった今エドが亡くなったことを知ったのですが、とてもショックで悲しいです。エドは私たちの兄弟のような存在で、素晴らしい作曲家であり、ギタリストでもありました。そして、きっと彼は天国で仲間たちと再会していることでしょう」

当時、南部出身ではなかった唯一のメンバーとして、カリフォルニア生まれの彼は、このサザン・ロック・バンドに外部からの新たな視点をもたらした。エド・キングは彼の音楽キャリアを「Incense and Peppermints」が代表的なシングルとして知られる60年代のサイケデリック・バンド、ストロベリー・アラーム・クロックの創設者としてスタートした。

彼はもともと1968年にフロリダ州のジャクソンビルでレーナード・スキナードのオープニングとして出演した際に、バンドへの加入を申し出たが、実際に参加するようになったのは、1972年に一時的にベーシストのレオン・ウィルクソンの代理として入った時のことで、その後正式なメンバーになったことでバンドのトリプル・ギター・サウンドが生まれた。

バンドのクラシック・ヒットの共作に加え、彼は初期の3作品、『Pronounced Leh-nerd Skin-nerd』 (1973年)、『Second Helping』 (1974年)、『Nuthin’ Fancy』 (1975年)に参加している。

1975年にヴォーカルのロニー・バン・ザントと口論になった後、彼はバンドを脱退した。この騒動に関しては、2018年3月に公開されたドキュメンタリー映画『If I Leave Here Tomorrow: A Film About Lynyrd Skynyrd』で詳しく描かれている。

エド・キングは2006年にレーナード・スキナードのメンバーらと共にロックの殿堂入りを果たした。

Written by uDiscover Team



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