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コロシアムの創設者ジョン・ハイズマン死去:彼の幅広い音楽遍歴を振り返る

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脳腫瘍により、2018年6月12日に73歳でこの世を去ったジョン・ハイズマン(上記写真の一番左)はロックとジャズに特化したドラマー、バンドリーダー、レコーディング・エンジニア、音楽プロデューサー、そして音楽出版社としての顔を持っていた。

ジョン・ハイズマン率いるバンドとして注目される事が多かったコロシアムは、UKトップ20アルバム・チャートにランクインした2枚のアルバム『Those Who Are About to Die Salute You』と『Valentyne Suite』を1969年にリリースしている。エネルギーに満ちたジョン・ハイズマンは様々なプロジェクトに参加し、バンドリーダーだけでなく、優秀なオーガナイザーとしても活躍していた。彼はこれら役割を見事にこなしつつ、作曲家、サクソフォーン奏者、フルート奏者である妻のバーバラ・トンプソンと共に輝かしいキャリアを長年の間築き上げ、多才なスキルを磨き上げてきた。

ジョン・ハイズマン(芸名は ’Jon’ だが、本名は ‘John’ と綴る)は1944年6月21日にロンドンのウールリッチで、イングランド銀行の音楽図書館に務めていたリリーとキャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツ・アンド・クラフツのプリント専科の講師であったフィリップ・ハイズマンの間に生まれた。ジョン・ハイズマンの母方はフルートとピアノ奏者が、父方の家族の中にはミュージック・ホール芸人やダンス・バンドのミュージシャンがいた。

ジョン・ハイズマンはニュー・クロスにあるアディ・アンド・スタンホープという学校でヴァイオリンとピアノを習得したが、ドラムへの関心が強まっていった。彼は学生時代にシャレの聞いた名前のウェス・ミンスター・ファイヴ(訳注:ロンドンのウェストミンスターをもじっている)というスリーピース・バンドを結成し、その後ニール・アードレイ・アンド・ザ・ニュー・ジャズ・オーケストラを結成した。

1966年には、ジョン・ハイズマンはザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンのシングル「Devil’s Grip」で演奏し、ザ・グレアム・ボンド・オーガニゼーションの当時のドラマーであるジンジャー・ベイカーの後任に認定され、ユニリーバのマーケティング・マネジメントの研修員としての日雇い勤務を辞めるきっかけとなった。

コロシアムは1968年にスカボローのディスコで初めて姿を現した。当初、バンドはジョン・ハイズマン、ディック・ヘクストール・スミス、ジョン・ハイズマンが通っていた学校の友達のトニー・リーヴスとデイヴ・グリーンスレイド、そしてギター・ヴォーカルのジェイムズ・リザーランドで形成されていた。

1969年にジェイムズ・リザーランドに代わってデイヴ・クレムソンがバンドに加入し、プロコル・ハルムの「A Whiter Shade Of Pale(邦題:青い影)」から影響を受けたタイトル曲が収録されているバンドのファースト・アルバム『Valentyne Suite』がヴァーティゴからリリースされた。3枚目のアルバム(その前に『Grass Is Greener』がアメリカ限定でリリースされているが、これは前作のアルバムとほとんど変わらない内容になっている)『Daughter of Time』(1970年)ではクリス・ファーロウをヴォーカルに迎え入れている。バンドのパフォーマンスを音源に残した『Colosseum Live』(1971年)は高く評価された2枚組アルバムだ。

RARE Colosseum Live 1969 – Valentyne Suite Part-1/2

 

1971年にコロシアムが解散した後、ジョン・ハイズマンはよりロックをベースとし、ディープ・パープルに影響を受けたバンドのテンペストを結成。ファースト・アルバムの『Tempest』(1973年)の時のメンバーは、アラン・ホールズワース、マーク・クラーク、ポール・ウィリアムス、そして後にポール・ウィリアムスの代わりとなるオリー・ハルザールで形成されていた。2枚目のアルバム『Living in Fear』(1974年)にはヘヴィ・メタル調に編曲したザ・ビートルズの「Paperback Writer」が収録されている。

1975年にジョン・ハイズマンはギタリストのゲイリー・ムーアに出会い「Peter And The Wolf」のロック・バージョンをレコーディングし、ゲイリー・ムーアはその後2年間コロシアムIIのツアーとレコーディングに参加した。1978年にアンドリュー・ロイド・ウェバーはコロシアムIIを雇い、彼の兄弟でチェロ奏者のジュリアン・ロイド・ウェバーも参加させ、ITVのアート番組の『The South Bank Show』のテーマ曲が収録されているコロシアムIIの2枚目となるアルバム『Variations』をリリース。ジュリアン・ロイド・ウェバーは当時を振り返って「普段コンサートで演奏しているチェロ奏者に合わせて、すぐにニュアンスを捉えるのは多くのドラマーにとって難しい事だが、ジョンにはそれが可能であり、形にできていた」とコメントしている。

ジョン・ハイズマンは、有名なドイツ人の音楽家も参加していたユナイテッド・ジャズ・アンド・リック・アンサンブルの一員にもなった。彼のドラム・ソロが収録されたバンドのアルバム『About Time Too!』は、1991年にリリースされている。

また、1982年から、ジョン・ハインズマンは自身の家の中にスタジオを設け、奥さんとテレビや映画音楽のレコーディングを行っており、彼らはITVの犯罪ドラマ・シリーズ『フロスト警部』の幾つかのエピソードで使用された楽曲を手掛け、ジョン・ハイズマンはレコーディング機材の貸し出しも行うレコード・レーベル、TMを設立している。

1994年にコロシアムは再結成し定期的にツアーを行い、新しく2枚のアルバム『Bread and Circuses』(1997年)と『Tomorrow’s Blues』(2003年)をリリース。2004年にディック・ヘクストール・スミスが死去し、バーバラ・トンプソンが代わりに加入。コロシアムは、2015年にロンドンのO2・シェパーズ・ブッシュで最終公演を行っている。

By Tim Peacock


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