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エルトン・ジョンやバリー・ホワイトと契約したレコード・エクゼクティブ、ラス・リーガンが89歳で死去

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音楽業界で名前が知られているラス・リーガンは、エルトン・ジョンからバリー・ホワイト、ニール・ダイアモンドまで音楽界の大御所たちを支えた人物である。レコード会社のエグゼクティブ兼A&Rだったラス・リーガンは、ビルボード誌によると、2018年5月29日、癌とその他の健康問題との闘いの末に89歳で亡くなった。

業界歴30年のベテラン、本名ハロルド・ラスティガンがこの業界に足を踏み入れたのは、1950年後半のこと、音楽プロデューサー、そしてシンガー・ソングライターとしてだった。さらに、モータウンとエラ・レコーズのプロモーションの仕事に転向する前には、ソニー・ボノと共にチェックメイツという短命に終わったグループでも活動していた。

ラス・リーガンは1967年にMCAレコードが所有するUniレコードのリーダーの座を引き継ぎ、レーベルはニール・ダイアモンドとエルトン・ジョンと契約した後に一変した。ラス・リーガンは、ニール・ダイアモンドの「Sweet Caroline」を成功へと導いただけでなく、1970年に行った最初の全米プロモーション・キャンペーンにて、アメリカのリスナーにエルトン・ジョンを紹介するという重要な役割を果たした。

エルトン・ジョンはツイッターでこのように心情を述べた。

僕のことを信じ、僕のキャリアをスタートする手助けをしてくれてありがとう。エルトン

 

リーガンからの助言やビジョンについて、ニール・ダイアモンドもこのようにバラエティ誌に述べていた。

「ラスは常にアーティスト側に立ってくれて、僕がレコーディングしている最中にスタジオに来てくれるんだ。そしてヒット・ソングになりそうなものを耳にしたときには顔が明るくなるんだ。僕や、僕のあとに契約した当時のもう一人の新人だったエルトン・ジョンを世界的スーパースターに育ててくれた。ラスはすべてにおいて、素晴らしい男だった。音楽業界にとって惜しい人を亡くしたよ。彼の家族と友人へ心からのお悔やみを申し上げます」。

ラス・リーガンは歌の可能性に気付く才能も持ち合わせていた。ロマ・レコード時代には「That’s Life」という曲に出会い、1966年にフランク・シナトラがレコーディングするためにこの曲を提供した。

20世紀フォックス・レコードを立ち上げるためにUniレコードを去ったラスは、プロデューサーとしてバリー・ホワイトを迎え、そしてホワイトの最初のソロ・シングル「I’m Gonna Love You Just a Little More Baby」ですぐさまナンバー・ワンのヒット曲を生んだ。

業界に精通したラス・リーガンは、常に、広告マンのように物事を考え、さらに、カリフォルニア州のホーソーン出身の無名サーフ・バンドに “ザ・ビーチ・ボーイズ” という名前を与えたとも言われている。

1975年に、ビルボード誌はリーガンを “素晴らしい耳を持ったA&Rであり、根気強く効果的なプロモーションを行うレジェンド、そして気さくだけども幅広い才能を持ったレコード会社の重役という他に類をみない組み合わせ” と評している。

2年後、リーガンは20世紀フォックス・レコードを去り、KISSドナ・サマーパーラメントが所属する伝説的なディスコ・レーベル、ニール・ボーガートによるカサブランカ・レコードと協力し、パラシュート・レコードを立ち上げた。1980年に彼は同レーベルを飛び出し、ポリグラム・レコード西海岸のジェネラル・マネージャーに就任、そしてスモーキー・ロビンソンの成功した復帰を見るためにもう一度モータウンに舞い戻った。

Russ Regan discusses the Music Business

Russ Regan discusses the Music Business

 

ラス・リーガンの訃報が広まるにつれ、彼の指導で恩恵をうけてきた他の影響力のあるアーティストたちが、ソーシャル・メディアにて、彼らの個人的な心情を述べている。

エルトン・ジョンの作詞作曲のパートナー、バーニー・トーピンはこうコメントしている。「彼はいつも堂々とした人だった。心の広い一匹オオカミで、エルトンと僕たちを信じてくれたことはアメリカでの私たちの成功の鍵となったんだ」。

オリヴィア・ニュートン・ジョンもまた、ラス・リーガンがどのように彼女の音楽活動の方向性を変えてくれたかを語った。「彼はアメリカに行くよう私に勧めてくれたんです。それで私のキャリアが始まったの。彼は本当に良い人でした!」。

ラス・リーガンの家族は、花を贈る代わりに、ラスの名義で彼のお気に入りの慈善団体のレコーディング・アカデミーのMusiCaresに寄付を行うよう呼びかけている。

Written By uDiscover Team


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