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ジェイムス・ブレイク『Trying Times』解説:新たな高みに辿り着いたキャリア屈指の傑作と本人の言葉

『Playing Robots into Heaven』から3年、ジェイムス・ブレイク(James Blake)が7枚目のスタジオアルバム『Trying Times』を2026年3月13日に発売した。
このアルバムについて本人のインタビューを交えた小林祥晴さんによる解説を掲載します。
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新たなる高み
約3年ぶりとなる新作『Trying Times』で、ジェイムス・ブレイクは新たな高みに辿り着いた。エクスペリメンタルなトラックメイカーとして生み出す刺激的なサウンドと、成熟したシンガーソングライターとしての卓越したメロディ――その両方がこれほど高い次元で結びついた作品は、彼のディスコグラフィの中でも他に見当たらない。間違いなく『Trying Times』は、彼のキャリア屈指の傑作である。
もともとUKベースミュージックのカルチャーに出自を持つジェイムスだが、アルバム単位ではずっと自身のシンガーソングライターとしての側面に磨きをかけてきた。そしてそのひとつの到達点が5作目『Friends That Break Your Heart』(2021)。
ただ以前に本人も語っていたように、「ヴォーカル作品ではぶっ飛んだ音作りを意図的に抑えてきた」ところがある。そこで6作目に当たる前作『Playing Robots Into Heaven』(2023)では、一度ソングライティングの挑戦はやり切ったという意識の下、前衛的なサウンドを再び解放した。
こうしたキャリアの流れを踏まえると、前作から継承したエクストリームなサウンドと、5作目までの挑戦の成果である良質な歌が理想的なバランスで溶け合った今作は、生まれるべくして生まれた作品だとも言えるだろう。
ジェイムスは『Trying Times』で目指したサウンドについて、筆者との日本独占インタビューでこのように語っている。
「自分がこれまで発表した作品の中で、もっとも“脂(冗長さ)”が少なく、“肉(聴き手の注意を引く要素)”が多い作品だと思う。僕にとっての“肉”とは、ときに奇抜な何かをすることだったりする。自分の声を思いきり加工したりね。そこが音楽を作る上での醍醐味でもあるから。それに、昨年の大半を退屈に感じる瞬間、つまり“脂”を削る作業に費やしたんだ。とにかく聴き手を魅了し続けるものにしたくて。正しく構築された音楽っていうのは、思い切り奇抜でありながら、非常に美しくもある。それは説得力があって、聞き手の注意を引きつけるんだよ」
奇抜でありながら美しくもあるという今作の特性は、アルバムを聴けばすぐに理解できるだろう。初期の作風を彷彿とさせる強烈なサブベース、レナード・コーエン晩年の傑作「You Want It Darker」をサンプリングした凍てつくようなコーラス、そして弾き語りでも映える美しいメロディが融合した「Death Of Love」。
ディジー・ラスカル「I Luv U」の大々的なサンプリングを背景に、ドラムンベースに肉薄したビートとポップな歌が絡む「Days Go By」。弾き語りに近いミニマムな音像に、大胆なヴォーカル・サンプルが投入される「I Had a Dream She Took My Hand」(この曲は米TV番組『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』でも披露された)。どれも刺激的であると同時に耳馴染みが良い。
そしてジェイムス自身が今作を象徴するサウンドの曲として挙げるのが、「Through The High Wire」だ。
「僕にとってこの曲は、痛みと喜びのバランスがちょうどいい。美しく、優しい曲ではあるけど、痛いほどの切望もある。この曲では、僕の声かどうかもわからないくらいヴォーカルのピッチを変えているんだ。それを、合唱のサンプル、僕のピアノ、温かい音色のシンセのサンプルといったオーガニックなサウンドと一緒にすることで、とても有機的なものの変異種みたいにしているんだよ」
レコーディングで初めて弾いたギター
『Trying Times』には、ジェイムスにとって初めての挑戦もある。生ドラム、ギター、ピアノ、オルガンなど、トラディショナルなバンド編成に近い形で録音されたタイトル曲「Trying Times」も彼にしては珍しい(ちなみにこの曲は、2024年のフジロックでライブ初披露された)。だが何よりの新しい試みは、ジェイムス自身が弾くギターがアレンジの中心に据えられた「Make Something Up」だろう。
「その通りだよ。レコーディングでギターを弾くのは初めてだったんだ。僕はもともとギターを弾くわけじゃない。単にギターで何か曲を書いてみたくて。というのも、新しい楽器を弾くときって、どう弾いていいかわからないから、ものすごく基本的なコードしか弾けない。それがいろんなメロディの土台になって、普段だったら思いつかないようなアイデアが生まれたりする。だから今回ギターで曲を書いてみて、楽しかったよ。今まであまり出していなかった自分の側面を解放した感覚だね。実はギター主体の音楽もかなり聴いてきているんだ」
そう語るジェイムスに、具体的にどんなギター・ミュージックを聴いてきたか尋ねてみると、その答えは彼のパブリック・イメージをいい意味で裏切る幅広いものだった。
「ギターに関して言えば、ジミ・ヘンドリックスをたくさん聴くし、クロスビー・スティルス&ナッシュやジョニ・ミッチェルも影響を受けた。あと、ジェフ・バックリーもたくさん聴いたね。UKだと、正直な話、オアシスはかなり聴いたし、パルプからも影響を受けたよ。モリッシーとかザ・スミスとかが大好きな自分もいる。最近だとギースをよく聴いているし、キャメロン・ウィンターのソロ作品も好き。あれはピアノをかなり取り入れた作品ではあるけどね。つまり何が言いたいかというと、僕はみんなが思っているよりもずっと幅広い音楽から影響を受けているっていうこと。インタビューではよくスティーヴィー・ワンダーやジョニ・ミッチェルの話をしてきたけど、ギター主体の音楽も実はたくさん聴いているんだ。特にこの10年はそうだし、今作ではその影響が出ているんだと思う」
独立独歩の自由=クリエイティヴィティの広がり
今回のアルバムで、ジェイムスはその創造性をいつになく伸び伸びと発揮しているように感じられる。その背景には、長年契約していたメジャー・レーベルを前作を最後に離れ、完全にDIYで活動することになったという事情もあるだろう。無論どのような契約や活動形態がベストかはアーティストによって異なる。ただジェイムスの場合は、リリース、ライブ、資金調達など、あらゆる面で独立独歩の自由を手にしたことは、そのクリエイティヴィティの翼を大きく広げる後押しとなった。
「外部に委託することもあるから全て自分で背負い込んでるわけじゃないけど、自分で主導権を取れている部分はかなりある。何より自分でちゃんと把握できているっていう明瞭さは、創造性に大きなプラスの影響をもたらすんだ。例えば作品をリリースしたいとき、他のリリースがあるからとか、自分の優先順位が低いからという理由で、6ヶ月リリースを待つなんてことはもうない。資金調達も自分で決められる。自分の音楽の価値もわからない、顔もわからない相手に支援してもらうのとは違ってね。これって自分の人生に関わる問題だし、どのレベルのアーティストだろうと関係ない。人が決めた計画によって自分がやりたいことが制限されてしまうのは、雇われの身であるのと変わらないんだ。
その手のこと(ビジネス周りのこと)は、一見、創造性とは関係ないように思われるかもしれない。でも気分が落ち込むと、創造性を発揮するのが難しいと思う。僕は、憂鬱や不安と音楽は相入れないものだとずっと信じている。『憂鬱であればあるほど、不安が募れば募るほど、いい音楽が作れる』っていう社会的通念があるけど、僕は違うと思うね。だからこそ自立が重要なんだ。音楽だけじゃなくて、全ての面において自分に権限があると実感できて、初めて自分らしさを100%発揮することができるからね」
歌詞の変化:社会と個人
もうひとつ、今作の重要なポイントとして、歌詞の変化が挙げられる。これまで彼が歌ってきたのは、失恋の痛みや内面的な葛藤など、内省的なテーマが多かった。このアルバムではそうした私小説的なモチーフを扱いつつも、その背景にある社会情勢にまで視野を広げている。この変化は大きい。「試練の時」を意味するアルバム・タイトルが、パーソナルな意味合いでも、社会的な意味合いでも解釈できることも示唆的だろう。
「今作は、広い社会の中で生きる僕たちの個人的な困難を描いている。つまり、今世界が直面していることを考えたときに、個人的な困難をどうやって乗り越えるのか、どう向き合うべきなのかがわからなくなっているっていうこと。多くの人が、自分の個人的な気持ちや人間関係と、毎日テレビから流れてくる膨大な情報とを、どう折り合いをつければいいのかわからないでいる。ちょっとしたパニック状態が蔓延しているっていうか、みんながこのままだと僕たちが向かっている先は決していい方向ではないと察していて、それが具体的にどういう形になって現れるのかを心配しているんだ。そんな気持ちを抱えながら、自分が能動的に動くことでこの流れを食い止めたい、自分にできる範囲で状況を変えたいとも考えている。それでも、世界は動き続けるわけだし、僕たちには個人個人の生活がある。一言で言うなら、今作のテーマは『混乱の時代における愛(Love at a time of chaos)』だね」
アルバム本編のラストを飾る荘厳なバラード「Just A Little Higher」は、そんな時代の混乱にジェイムスが正面から向き合った曲だ。
「その曲は、イギリスで(移民排斥の)大きなデモが起ころうとしている最中に書いたんだ。僕のインド人やパキスタン人、つまりは褐色肌の友達はみんな怖がっていたし、張り詰めた雰囲気があった。(デモは)彼らを怖がらせるのが狙いだったわけで、外出して、果たして自分が出歩いて安全か、街がどんな様子になっているのか確かめるのさえ怖いと思う人たちが大勢いた。国全体に不穏な空気が流れていたんだ。
この曲の歌詞を通して言いたかったのは、『もう少し上を狙え(aim just a little higher)』。つまり、『移民を受け入れたら国が潰れる、国のアイデンティティを失う』というプロパガンダを信じ込んでいる人たちに対して、『もっと上の方に目を向ければ、この分断を焚き付けている人たちがいるとわかるはずで、彼らこそが怒りをぶつけるべきターゲットだ』と言ってるんだ。『君たちが貧しいのも、安定した仕事にありつけないのも、将来が不透明なのも、原因を作っているのは彼らなんだ』って。それがこの曲の核心だね。国としてそんな当たり前のことがわからないのかって、イギリス人として恥ずかしいとも思ったよ」
改めて言うまでもなく、今の世の中は混迷を極めている。それに対して、私たちが冷静かつ適切なアクションを取ることも重要だ。ただそれと同時に、自分たちのささやかな幸せや生活を大切にすることも忘れてはいけない――それがジェイムスが言うところの「混乱の時代における愛」ということだろう。『Trying Times』は、歪さと美しさが奇妙に絡み合うサウンドを通して、そんな現代の困難とそれに立ち向かう勇気を同時に鳴らしている。
Written by 小林 祥晴

2026年3月13日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
- ジェイムス・ブレイク アーティスト・ページ
- 『Assume Form』解説:過去の自分自身を越えた作品
- ジェイムス・ブレイク、原点回帰となる『Playing Robots Into Heaven』
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