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ガンズ・アンド・ローゼズ、伝説のマーキーとモンスターズ・オブ・ロックでのライブ

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ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第12回。今回は6月29日にガンズ・アンド・ローゼズのデビュー・アルバム『Appetite For Destruction』がリマスター、未発表音源などを収録して発売されるということでガンズについてのコラムです。彼らの初の海外公演となり、今や伝説となっているロンドンのマーキー・クラブでのライブや、モンスターズ・オブ・ロックのライブをご覧になった今泉さんが後悔していることとは?


 

ガンズ・アンド・ローゼズのデビュー・アルバム『Appetite For Destruction』(1987)が、未発表音源収録の豪華ボックス・セットになって発売になります。リリース30周年にあたる昨年は、「Not In This Life World Tour」で、アクセル、スラッシュ、ダフといったオリジナル・メンバー集結による日本ツアーが行われ話題になりました。彼らは80年代に登場し、さまざまな変化を遂げながら、今も音楽シーンの話題となる唯一無二のロック・バンドであることを証明しました。

『Appetite For Destruction』は、デビュー作にして彼らを世界の頂点にのし上げ、全米だけで1,800万枚以上、全世界で3,000万枚という驚異的なセールスを記録した作品です。3,000万枚って、今では考えられない数字ですよね。

ガンズが登場した1986年のアメリカのロック・シーンを振り返ってみると、新しい時代のシーンとして「L.A.メタル」が勢力をもち、東の正統派ボン・ジョヴィとは違った、どちらかというとワイルドなイメージをもつロックン・ローラーたちが中心となり、モトリー・クルー、クワイエット・ライオット、ラット、ドッケン、ポイズン、WASPといったバンドが席巻していました。当時インタビューしたことがあるバンドばかりですが、実際の彼らって、イメージとは違い、みんな明るくて、楽しい好青年でした。そういえば、L.A.のサンセットブルバードを歩いているポイズンのC.C.・デヴィルを見かけた時は、L.A.に来たな〜と思ったものです。

(C) Ross Halfin

ガンズはL.A.メタルブームの後期に登場したバンドだと言われています。L.A.メタルのバンドは、どちらかというとパンキッシュな要素をサウンドやアティテュードに感じさせていた印象があります。ガンズも『Appetite For Destruction』に収録されているデビュー・シングル「It’s So Easy」を聴くと、ハード・ロックというよりは、ロックンロール寄りな時代があったことがわかります。ガンズは、デビュー・アルバムをリリースする以前、すでにゲフィンと契約してはいたのですが、自主レーベルというスタンスをとってライヴEPを発売しました。1万枚限定のアルバムはすぐに完売して、大型新人バンドのデビューを匂わせました。すでに話題作りは出来上がり、デビュー直前の87年6月、彼らはロンドンのマーキー・クラブでショーケース・ライヴを行ったのです。

88年からロンドンで暮らすために、ちょこちょこ渡英していた私は、この時期にロンドンに滞在。ジャーナリストである友人が「L.A.のバンド、ガンズ・アンド・ローゼズにインタビューしたんだけど、インタビューにならなかったわ」とこぼし、今夜マーキーでライヴがあるから一緒に来て〜と誘われ出向きました。あまり気乗りがしなかったのですが、それでもライヴに行くことになったのは、今年レコード会社が猛プッシュで売るバンドだから、という理由もありました。一応自称ロック少女(もう少女じゃなかったけど、まだ少女という言葉が使えた時代)ですから、見に行かないと…です。マーキーはロンドンのSOHOにあるライヴハウス。ロック・バンドにとって、まずはマーキーのステージに立つことが最初の目標。歴代の伝説のロック・バンドもみんなこのステージを踏んで世界へと飛び出していきました。

マーキーには、顔なじみのイギリスのジャーナリストたちがかなり集まっていました。それだけでアメリカのバンドへの期待度が高いことがわかりました。まあ、イギリスのメディアですから、期待というよりも査定に近い感覚でしょうか? 私と友人は後ろの壁に這いつくばるようにして見ていたのですが、前述したように、ハード・ロックのイメージというよりは、パンクに影響を受けたバンドだな、という印象を持ちました。それはいいのですが、ステージ上でかなりFxxKを連発し、その言葉しか言ってないのじゃないかというぐらい。そしてステージに唾ぺっぺしていたのでブーイングもあり、そんな反応に煽られて、さらに彼らの言葉は汚くなる、といった典型的なワイルドなライヴでした。「私、ボン・ジョヴィ・ファンだから〜。汚いの苦手〜」とか言って、一人マーキーを後にし途中下車したことは、すぐに後悔しました。最後まで見ておけばよかった〜と。後年、伝説のライヴとなったわけですから。ライヴはどんなことがあっても最後まで見る!良い教訓になりました(時々守れませんが・・・)。

L.A.のバンドが、いきなりロンドンのロック・ファンやジャーナリストから厳しい洗礼を受け、ナニくそと思った日から1ヶ月後、アルバム『Appetite For Destruction』が全米でリリース。しかしジャケット変更、メンバーのアルコール/ドラッグ問題などで当初セールスは足踏みだったものの、MTV時代にうまく乗り、「Welcome To The Jungle」のMVから火がつき、発売50週間後にアルバムは全米1位。そして5週間首位をキープしました。そして3枚目のシングル「Sweet Child O Mine」も1位となり、デビューにしてシングル、アルバムが全米のトップを飾ったのです。

Guns N' Roses – Sweet Child O' Mine (Official Music Video)

 

イギリスでは、アメリカよりも少し遅れてのブレイクでしたが、88年ロンドン生活を始めた私は、「Sweet Child O Mine」の12インチのピカピカ光るジャケットを手に入れ、部屋に飾り、自分を戒めていたものです。マーキーでの出来事の反省の意味も込めて! その年の8月、全米1位に輝いてから2週間後にガンズは再びイギリスにやってきました。これまたロック・バンドなら一度は出演したいフェス、「モンスターズ・オブ・ロック」に参戦するためです。この年のラインナップは、アイアン・メイデンがトリで、キッス、デヴィッド・リー・ロス、メガデス、ガンズ・アンド・ローゼズ、ハロウィンでした。豪華なラインナップでしたよね。全米ナンバー・ワンのガンズは2番手に登場。私はマーキーの汚名を晴らすために、普通フェスは最初から行くのは体力消耗もあり、ヘッドライナーぐらいにするのですが、(日本ほど設備が整ってないのです。海外は・・・言い訳)頭から参加しました。

会場はパンパンといよりは、屋外で広いエリアを解放しているので余裕があり、なぜか前の方にもいけました。ガンズは前で見るぞっ、とひょろひょろと小さいアジア人は前に滑り込み見ていたのですが、いきなり1曲目の「It’s So Easy」で、さらに前方の異様な状態を目の当たりにし、後方に下がりました。何が起こっているのか後方には伝わらなかったのですが、何度か中断もされ、けが人が出たのだなと感じました。それが2名の少年の命が絶たれ、30人の重軽傷者がでたことは、しばらくしてから知ったのです。ライヴとライヴの合間にホスピタリティーエリアに行ったものの、騒然とした様子はなく、正確な情報が伝えられていないといったバックヤードでした。その日は、トリのアイアン・メイデンまで、コンサートは続けられ、アイアン・メイデンで大雨が降り、会場内に焚き火がたかれ、夏なのに寒さを感じた1日でした。のちにガンズは、この日がトラウマとなり、メンバーの心にさまざまな思いを残すことになりました。あの日自分たちが演奏しなければ…と。

90年代になると、ガンズはさらにトップへと上りつめていきました。しかし、96年スラッシュが脱退してからは、商業的に成功したロック・バンドの難しい時代に突入し、訴訟問題を始め、アクセルの奇行など、音楽に期待するとともに、ゴシップも多くなっていき、レジェンドの域に近づくと同時に、セレブとしての見方もされるようになりました。アクセルだけかもしれませんが・・・。過去ガンズとしては取材することはなかったのですが、ヴェルヴェット・リボルバーとしてのスラッシュ、ダフ、そしてソロとしてのスラッシュ、さらに90年代から加入したマット・ソーラム(カルトの時だった記憶が…横にイアン・アストベリーがいたような…)にインタビューしたことがあります。特にスラッシュは、浮き足立った様子がまったくないミュージシャンで、相手の言葉に気遣いをみせる穏やかな性格、と良い人丸出しで、87年のマーキーのライヴのことをますます後悔したものです。ダフとマットはデュラン・デュランのジョン・テイラーが結成したニューロティック・アウトサイダースでセックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズを迎えてパンクな音を聴かせてくれていたこともあり、ガンズのイメージというよりは、ガンズ以外のサイド・プロジェクトのミュージシャンのイメージが私には強い人たちでした。

手元にある彼らの写真を見ると、年齢を重ね、穏やかな表情のダフやスラッシュの写真ではあるけれど、今の時代にはなかなかいない、ロック・ミュージシャン然としたカリスマに溢れているのが伝わってきます。あらためて『Appetite For Destruction』を聴きながら、この作品のもつエネルギーを感じ、あの頃の音楽シーンを築き上げてきたロック・ミュージシャンの奔放な生き様に興奮するのです。アクセル・ローズにはいまだ遭遇したことはありませんが、彼が30年間以上音楽を通し、ロッカーとしてのファッションから、神秘な生活、そして何よりもワン・アンド・オンリーの歌声でガンズ・アンド・ローゼズを背負い、多くのミュージシャンに影響を与えてきたことは、時代を超えて、称えられるべきロック・スターであると確信するのです。


ガンズ・アンド・ローゼズ『Appetite For Destruction』6/29発売

国内盤・輸入盤、限定超豪華BOXなど、全形態はこちら

Guns N' Roses – Super Deluxe Edition (Unboxing Video)

連載『今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー


今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)

ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。

HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」

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