ソウルとファンクの1974年:50年前の時代を定義した7つの作品

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ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第46回。

今回は、今から50年前となる1974年のチャートで話題となったソウルとファンクの名盤について。

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1970年代は米ブラック・ミュージックが最も熱かったディケイドの一つ。というわけで今から50年前にあたる1974年のブラック・ミュージック界を見てみよう。

取り上げる7作品とは、ビルボードの「Hot Soul LPs」チャート(現在のTop R&B/Hip-Hop Albumsに相当)で首位まで上り詰めたアルバム(20枚ほどのうち)5枚、そしてHot Soul Singlesチャート首位となったシングル2枚。この二つの要素を組み合わせることで、時代の雰囲気に迫りたいわけである。
最終的な選出には丸屋九兵衛個人の独断と偏見が左右するところも大きいが、ご了承いただきたい。

 

1. MFSB『Love Is the Message』

※3月16日〜4月20日:アルバム・チャート首位

そのバンド名は”Mother Father Sister Brother”の略である……公式には。しかし実際のところは、ミュージシャンが同僚の腕前を誉めて「ものすごいやっちゃなあ」くらいのニュアンスで発する”Mother Fucking Son of a Bitch!”に由来する……という説が根強い。

複数形にしてMother Fucking Sons of Bitchesとも言われるし、UKのノーザン・ソウル界隈ではMusic For Soul Brothersとブレイクダウンされているという。そんなMFSBは、スタジオ・ミュージシャンの集団である。

1970年代を定義づけた音楽性の一つとして避けて通れないのが、フィリー・ソウルというもの。本家本元レーベルがPhiladelphia Internationalであり、本拠地たるスタジオはSigma Sound Studiosであり、そのレーベルとスタジオを支え続けたバックボーンであるミュージシャンたちがMFSBだ。

バックボーンとはいえスタジオ・ミュージシャン集団だから、普通なら裏方のまま終わりそうなものだが、彼らは違った。ほぼインストゥルメンタルのセカンド・アルバムが、Hot Soul LPsチャートで首位を獲得するという快挙! それがこの『Love Is the Message』である。

フレッド・ウェズリーは彼らの音楽性を「蝶ネクタイをつけたファンク」と形容したが、TV番組『Soul Train』のテーマ曲でもある「TSOP (The Sound of Philadelphia)」を聴けばわかるように、かなりバリー・ホワイト寄りの音楽性と言おうか。ストリングスとホーンを重視したインスト曲集だ。

 

2. ジェームス・ブラウン『The Payback』

※5月4日〜5月11日 アルバム・チャート首位

長年の根城だったキング・レコーズを離れポリドールに移籍したのが1971年夏。「その時期からジェームス・ブラウンは黒人音楽界のイノヴェイターではなくなった」……というのは、わたしが音楽雑誌を読み始めた頃によく見かけた意見である。だが、それでも70年代前半のJBは、まだまだ輝いていた。この1974年だけをとっても、Hot Soul Singlesで1位まで上昇した曲が3つもあるのだ! そして、この『The Payback』もHot Soul LPsチャートで首位獲得!

ただし、本作は曰くつきのアルバムだ。JBが音楽面を担ったブラックスプロイテーション映画『ブラック・シーザー』と『スローター2/哀しみの銃弾』に続いて、やはり『ハーレム街の首領(ドン)』のサウンドトラックとなるはずだったのだ、本来は。しかし、そもそも前2作のJB作サウンドトラックを快く思っていなかった映画会社の重役たちが拒絶! 彼らはモータウンと組むことを選んだのだった。

取り残されたJBだが、めげずに映画とは無関係のオリジナル・アルバムとしてリリース、結果としてHot Soul LPsチャートでのヒットはもちろん、総合チャート「Billboard 200」でも34位まで上昇することなった。それ以上に「JBファンクの最高到達点の一つ」とも考えられている本作、なんとJBのキャリアを通じてゴールドディスクを獲得した唯一のスタジオ・アルバムだという。ビックリ!

 

3. ジャクソン5「Dancing Machine」

※5月11日:シングル・チャート首位

これはアルバムではなくHot Black Singlesチャートで1位となった例だが、低迷の感があったジャクソン5を救った曲だ。彼らにとって、1971年の「Sugar Daddy」以来のビルボードHot 100(シングルの総合チャート)トップ10ヒットとなったのである。この年の秋には同タイトルのアルバムも出て当然そこに収められることになるが、この曲はもともと前作『G.I.T.: Get It Together』に収録されていたもの(3分半ほど)を短縮リミックスしたバージョン(2分43秒)だ。

なんにしても、このヒットがなければ、その後のジャクソン家が歩む道も違っていたかもしれない。マイケルのソロ・キャリアも含めて。

しかし。1974年当時、曲を書かせてもらえず、音楽性に関するコントロールも与えられなかったジャクソン5がモータウンに対して感じていたフラストレーションは爆発寸前だった。そして1975年のアルバム『Moving Violation』を最後にモータウンを去っていくわけだ。ジャーメインを除いて。

 

4. アース・ウインド & ファイアー『Open Our Eyes』

※5月25日:アルバム・チャート首位

アース・ウィンド&ファイアーと聞いて皆さんが思い浮かべるのは、もう少し後の彼らだろう。こう書いているわたしだって『太陽神』『黙示録』『天空の女神』といった70年代後半からの諸作をイメージする。しかし、「長岡秀星のイラスト・ジャケットになる前の方が良かった」……というのは、わたしが音楽雑誌を読み始めた頃によく見かけた意見だが、実際に本作は原石の輝きを放つ逸品だ。

ここからシングルカットされたのは「Mighty Mighty」と「Kalimba Story」と「Devotion」……というわけで、その後の派手さを知る我々が振り返ると確かに地味である。それでも本作は、EW&Fが初めてHot Soul LPsチャートで1位を獲得したアルバムであり、チャールズ・ステップニーが——まだ「アソシエイト・プロデューサー」扱いだが——関わった(おそらく)初のアルバムでもあるのだ。

 

5. ウィリアム・デヴォーン「Be Thankful for What You Got」

※6月1日:シングル・チャート首位

先に取り上げたジャクソン5の「Dancing Machine」同様に、Hot Black Singlesチャートで1位となった例。1970年代半ばを代表するソウル・ヒットであり、その後も様々な形で(誤解・誤読も含めて)引用されてきた。これほどの超クラシックでありながら、それを生んだウィリアム・デヴォーンは程なく音楽業界からフェイドアウトした珍しい人だ。

ワシントンDCで生まれ育ち、製図を担当する公務員として働いていたデヴォーンは、900ドルを払ってデモテープを作る「費用自己負担の業務研修」のようなトライアウトに挑んだ。録音場所はSigma Sound Studios、演奏陣は先に挙げたMFSBの面々だから、そうとう豪華な研修である。

こうして出来上がった「Be Thankful for What You Got」はビルボードのHot 100(シングル総合チャート)でも4位まで上昇。これほどの大ヒットを放っておきながら——信心深さゆえ?——音楽ビジネスに見切りをつけたデヴォーンは、やがて製図業に戻ってしまう(そのあとで何度かカムバックするが)。この不在もあってか、近年は本作を「カーティス・メイフィールドの”Diamond in the Back”という曲」として紹介するトンデモ現象がYouTubeを中心に展開されている……。

 

6. オハイオ・プレイヤーズ『Skin Tight』

※7月20日〜8月24日:アルバム・チャート首位

先に取り上げたアース・ウィンド&ファイアーは黒人音楽史が生んだ最もフェイマスなバンドの一つ。それに比べてオハイオ・プレイヤーズはどうだろう? 70年代黒人音楽界の裏街道を歩んできたように思えるのではないか? しかし! 実際にはHot Soul LPsでは4作連続で1位獲得、「Billboard 200」でもトップに上り詰めたことまであるのだ! そんな快進撃が始まったのは本作からである。

SMとボンデージが匂い立つジャケットの諸作を出したウェストバウンドを離れ、マーキュリーに移籍しての第1弾だ。6曲で計41分強、最短曲が4分56秒、最長は7分58秒。アイザック・ヘイズほど極端ではない「程よく長尺」とでも形容すべきアルバム構成が70年代〜80年代のファンク界で定着するにあたっては、オハイオ・プレイヤーズの力が大きかったのかもしれない。そんな本作からは「Jive Turkey」と「Skin Tight」がシングルとしてもヒットした。

 

7. スティーヴィー・ワンダー『Fulfillingness’ First Finale』

※10月5日〜11月2日&12月7日〜12月21日:アルバム・チャート首位

もちろん1970年代はスティーヴィーの時代だった。その絶頂期を「1972年の『Music of My Mind』からの5作」と数える人(バラク・オバマ)もいるし、「1980年の『Hotter than July』まで」と言う人もいる。なんにせよ、どんな場合でも必ず含まれるのが、いわゆる「三部作」。つまり72年の『Talking Book』、73年の『Innervisions』、そして74年の本作『Fulfillingness’ First Finale』だ。

「A面の1曲目はバラード的な曲、A面最後はジャズの風味があり、B面1曲目は激烈なファンク。B面最後はバラードだが曲の終盤でファンキーに盛り上がる」という構成が共通する三部作ではあるが、ヴァラエティ豊かで実験的な曲も目立つ『Talking Book』とファンクの突進力と完成度を極めた『Innervisions』に対して、この『Fulfillingness’ First Finale』はよりスロウ重視と思える。

それでもシングルとなったのは、リズムボックス(ドラムマシン)使用のトラックにジャクソン5をフィーチャーした反ニクソンなファンク「You Haven’t Done Nothin’」と、曲名に反してブギーでもレゲエでもないことで知られる準カリビアン系アップ「Boogie On Reggae Woman」なのだ。

タイトル通り、この三部作の終焉をもってスティーヴィーのキャリアにおける一つの時代が終わり、彼は——先に挙げたウィリアム・デヴォーンよろしく——音楽ビジネスからの引退を真剣に検討するようになる……。

Written By 丸屋九兵衛


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