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プロデューサーがその制作の苦労話と裏話を語るシン・リジィの名“ライヴ”盤『Live and Dangerous』

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1977年9月にリリースされたシン・リジィの『Bad Reputation』(邦題:悪名)は、彼らのアルバムとしては初めて英チャートのトップ10圏内にランクイン。最高位4位をマークし、その後も売り上げを伸ばすロング・セラーになった。そして彼らは『Bad Reputation』に続く作品の制作準備にとりかかったが、一つ問題が浮上した。必要なスタッフの一人に、デヴィッド・ボウイとの先約が入っていたのだった。『Bad Reputation』およびそこからのヒット・シングル「Dancing in the Moonlight (It’s Caught Me in Its Spotlight)」は、トニー・ヴィスコンティのプロデュースによるものだったが、フィル・ライノットは彼らの次回作のプロデュースもヴィスコンティにと考えていたのだ。

ヴィスコンティにプロデュースしてもらうためにライノットは二つの案を用意した。一つは、シン・リジィのスタジオ・アルバム制作をまず1ヶ月間ほど行なった後に一時中断、ボウイのアルバムを完成させた後にシン・リジィとの仕事を再開させるというもの。もう一方の案がライヴ・アルバムのリリースだ。結果、予想される制作期間が1ヶ月ということもあり、ライブ・アルバム『Live and Dangerous』の制作を選択するという結論に彼らは至った。

トニー・ヴィスコンティは自著『Bowie, Bolan and the Brooklyn Boy』の中で、これは取り組みがいのある作業だったと述べている。「テープが集まってきた時点で難儀なことになると気づくべきだった。バンドはアメリカやヨーロッパでのステージを録音していた。それ自体は何の問題もなかったが、テープのフォーマットがまちまちなのに気づいた辺りから雲行きは怪しくなった。一部が最新式の30インチ/秒のテープで、残りは全部15インチ/秒だった。ドルビーAタイプのもあればBタイプのもあるし、EQ曲線がAESのもあればCCIRのもあった。頭痛がするほどテクニカルな問題だった」。

ヨーロッパでのコンサートは、1976年11月に始まった『Johnny the Fox』ツアー時のロンドンにあるハマースミス・オデオンでのもので、それ以外は全て『Bad Reputation』ツアー時の、1977年10月のトロント、セネカ・カレッジ・フィールドハウスで録音されたものだった。

ヴィスコンティがこう回想する。「テープを聴いてみたら、とてもじゃないが当初考えていたようなダイレクトなミキシングは不可能なほどに音源がラフ過ぎだったんだ。フィルには全ての曲で、何ヶ所か歌い直させてくれとお願いされたよ。やってはみたものの、録り直した分の音質を上手く混ぜ合わすのはどの曲でもほぼ不可能だった。元のヴォーカル・トラックにはドラムやギターの音がかなり回り込んでいて、フィルが音響的にドライなスタジオで歌って録り直しても、それが抜けているのがはっきりとわかってしまうんだ。音を補正してなじませることに果てしない時間を費やすよりも、こうなった最初から全部フィルが歌い直した方が簡単じゃないかってなったよ!」。

Thin Lizzy – The Boys Are Back In Town

Thin Lizzy - The Boys Are Back In Town

 

「そうしたら事態はさらにややこしくなった。『厄介なのはさトニー、ライヴで弾きながら歌ってるとどうにもベースがとっ散らかっちゃうんだよ』ってフィルが言っていたけれど、その通りで、ミス・トーンがかなりあったんだ。別の町でやった同じ曲で差し替えるとしても、やっぱりサウンドの違いは直せない。それでスタジオに彼がステージで使っている機材一式を運び込んで、ベース・パートを全て改めて録り直したんだ。コントロール・ルームのフロアが3段になっているグッド・アース(ヴィスコンティが所有するロンドンのスタジオ)で、フィルは一番上の段、僕は2段目でベースを録音する形に陣取った。フィルがトランスミッターでベースの音を飛ばしながらまるでステージにいるみたいに動き回りながら弾いたのが面白かったな。そのパフォーマンスぶりを見ていたのもあって、全体的に楽しかった。ステージと同じように音が下半身に響くように、ボリューム全開にしてくれってフィルに頼まれたよ」。

ヴィスコンティのスタジオでの作業を終えた後、彼らはパリに向かいスタジオ・デ・ダマで1週間を過ごして最終作業を行った。ヴィスコンティが述べている。「こういう形の作品を“コンサート”と言うのはちょっとインチキだとは思うね。でもアルバム全体の55パーセントはライヴだし、ダビングのおかげでバラバラのクオリティだったパフォーマンスに一体感を与えることもできたんだ。予想していたよりもかなり多くの時間がかかったから、ボウイのアルバムもその分遅れてしまったわけだけれどね。良かったのは、『Live and Dangerous』が大ヒットしたということと、多くの若いロック・バンドに“ロック・バンドになる方法”を教えることになったことだね。U2の連中ですらシン・リジィに影響を受けたと語っていたんだよ」。

彼の言葉は正しい。1978年6月2日にリリースされた『Live and Dangerous』はイギリスのアルバム・チャートで2位を記録。アメリカではイギリスほどの成功は収められなかったが、それでも彼らに続くどんなバンドに尋ねてみても、きっとこのアルバムが画期的だったという意見に同意するはずだ。

Written By Richard Havers



  

 

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