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サイケ・ブルースの『The Howlin’ Wolf Album』が単なる異色作ではない理由

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腕利きベーシストのフィル・アップチャーチと言えば、これまでにジャズ界の偉人ディジー・ガレスピーやジミー・スミス、B.B.キングやジョン・リー・フッカーといったブルース界のレジェンドと共演を果たした上、マイケル・ジャクソンの『Off The Wall』にまでフィーチャーされたことがある経歴の持ち主だ。その彼が歴代参加した中で最も奇妙だった2大セッションとして挙げるのは、60年代末のマディ・ウォーターズ(『Electric Mud』) と、チェス・レコード傘下のカデット・レコードのために行なわれた『The Howlin’ Wolf Album』である。

1968年、レーベル・オーナーだったレナード・チェスを父に持つ進取の気性の息子マーシャル・チェスは、ウォーターズに次いでハウリン・ウルフをサイケデリック・サウンドに挑戦させた。フィル・アップチャーチによれば、チェスJr.が望んでいたのは「彼らをヒッピーの連中に受け容れさせること」で、そのために彼はシカゴのサイケデリック・ソウル・グループ、ロータリー・コネクションをバッキング・バンドに起用したのである。結果として生まれた作品は、どちらのアーティストのケースでも賛否両論だった。マディ・ウォーターズは彼のアルバムを「犬のクソ」と呼んで憚らず、ハウリン・ウルフはピート・コージーやローランド・フォークナーら昔馴染みの同業者たちと疎遠になってしまった。

ブルース界のレジェンドであるハウリン・ウルフ、本名チェスター・アーサー・バーネットは、ワウワウとファズ・エフェクターがギンギンに利いたバックドロップの前で、精いっぱいデルタ・ブルースを歌おうと努めた。1910年6月10日生まれのハウリン・ウルフが、少年時代に故郷ミシシッピーの街を走って行く汽車を眺めながら歌った「Smokestack Lightning」 の新録ヴァージョンで、シンガーとバンドは確かに同期した。このトラックには彼の古くからの音楽パートナーで、1959年にチェスからリリースされた珠玉のアルバム『Moanin’ In The Moonlight』でもプレイしていたヒューバート・サムリンも参加しており、ドン・マイリックによる優雅なフルートと共に、1968年11月にレコーディングが行なわれている。

もうひとつの成功はハウリン・ウルフ自身のペンによる 「Evil」で、この曲でブルースマンは未来のトム・ウェイツの幽霊の如く、パワフルな歌詞を耳障りな調子でがなっている。ちなみにトム・ウェイツは、ハウリン・ウルフの「この世のものとは思われない歌い方」に大いに触発されたそうで、「俺は昔からいつもウルフを手本にしてたし、きっとこれからもそうだろうな」と発言している。

ピート・コージーはシカゴのテル・マー・スタジオのピリピリした空気をよく憶えていると言う。チェスではチャック・ベリーの数々のシングルでプレイし、後にマイルス・デイヴィスのバンドにも加入することになったロータリー・コネクションのギタリストは証言する:「俺の当時のヘアスタイルはアフロだったんだけど、彼は俺に向かって言ったんだ、『おう坊主、その髪は切って来なくちゃだな。それと床屋に行く時に、そのバウワウ・ペダル[訳注:本来はwah-wah pedalであるところを嫌味でbow-wow pedalと呼んだという意味]を持って、湖に投げ込んできちまえ』」。

ハウリン・ウルフのバンドのメンバーたちはハウリン・ウルフの地位を心得ており、 「Spoonful」、 「Red Rooster」、 「Moanin’ At Midnight」 そして 「Built For Comfort」といった彼の最も印象深いナンバーの新ヴァージョンを意義あるものにしようと、ベストを尽くしてレコーディングに臨んだ。このアルバムでエレクトリック・サクソフォンを吹いているのは、音楽界でダディ・Gの名でつとに知られるジーン・バージ――フォンテラ・バスの「Rescue Me」でもプレイしており、チェスを説得して若きバディ・ガイとの契約を取り付けた男――である。彼はこう振り返る:「ハウリン・ウルフは気に入ってなかったね、全然気乗りしてなかった。ずっと不機嫌で、やたらに毒づいてたよ。彼の従来の路線からどうして外れたことをさせるのかって不審に思ってたんだ。彼はトラディショナルな音楽と絆を持ったトラディショナルなブルース少年だったわけで、自分ができるかどうかも分からないことをやらされるのは不安だったんだね。俺たちは彼に言ったよ、『こんな風に色んな要素があっても、あんたは一切自分のスタイルを変える必要はないからね。俺たちはただあんたの周囲に色んなものを爆弾みたいに落として行くだけだ』」。

ハウリン・ウルフのプロジェクトに対する困惑を逆手に取り、マーシャル・チェスは大胆なギャンブルとも言えるマーケティングに打って出る。アルバムのスリーヴで、この問題をそのままぶちまけたのだ。白地に黒いテキストで書かれたデザイン文字にはハッキリとこうある:「これはハウリン・ウルフのニュー・アルバムです。彼はこれを気に入っていません。ただ、彼はエレクトリック・ギターも最初は好きではありませんでした」。

このアルバムが作られたのは、シカゴ・ブルースがもはやアート・フォームとして死に体だと思われていた時代だった。ハウリン・ウルフはそれに懸命に抗った。アルバム最後のトラックのイントロ部分の語りで、ハウリン・ウルフはこう言っている:「なあ聞いてくれよ、皆さん。みんな世の中の人たちはブルースなんか好きじゃないって言うんだ……だけどそいつは間違ってるぜ。いいか、ブルースは遥か昔からずっと続いてきたもんなんだ。もうひとつ言っとくと、今の巷で流行ってるもんはブルースじゃねえ、単なるイカしたビートだけだ。ことブルースに限って言えば、俺ならあんたらにどうやってプレイすればいいのか教えてやれるぜ。あんたはただそこに座って、俺がプレイするのを眺めてりゃいいんだ」。

そして彼はおもむろにスライド・ギターで、その昔、1962年に彼が初めてレコーディングに参加したウィリー・ディクソンの「Back Door Man」の傑出したヴァージョンを繰り出すのである。

このアルバムはカルト的な支持や評価を集めており、Billboard誌のチャートでも49位まで上昇した。『The Howlin’ Wolf Album』は間違いなく、単なる物珍しさ以上の価値ある作品である。

By Martin Chilton


♪ チェス・レコード代表作のプレイリスト『Chess Records Essential


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