史上最高のグラミー・パフォーマンス18選【動画付き】

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60年間開催してきたグラミー賞は、依然として受賞シーズンの中でも最も感動的なイベントのままである。1959年、ビバリー・ヒルトンのグランド・ボールルームに音楽界の最も優秀で才能のある者が集まって以来、多くの変化があった。今ではアリーナ級となったイベントは、より多くのカテゴリー、より多くの賞、数々のパフォーマンスがあり、回を追うごとにその野心が増していく。

マイケル・ジャクソンの有名なムーンウォークから世代を超えたコラボレーションまで、そして忘れてはならないボブ・ディランの”Soy Bomb”乱入事件など、グラミーは歴史に残る場面で溢れている。さて、15年ぶりにニューヨークに戻るこの “音楽最大の夜” を控えた今、これまでの数々の素晴らしいグラミー賞でのパフォーマンスを振り返ってみよう。

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1. スティーヴィー・ワンダー「You Haven’t Done Nothin」(1974年)

グラミー賞の歴史上アルバム『Innervisions』でグラミー賞最優秀アルバム部門を受賞後の「Superstition(邦題: 迷信)」のパフォーマンスから、2014年にダフト・パンク、ファレル・ウィリアムス、ナイル・ロジャースらのスター勢ぞろいのアンサンブル演奏への参加まで、スティーヴィー・ワンダーの名声と歴史に残るグラミー賞でのパフォーマンスへの称賛の声は尽きることはない。しかし1974年、彼は政治的なアンセム「You Haven’t Done Nothin(邦題: 悪夢)」で会場の皆を沸き立たせ、お茶の間の観客も感動させるほど満場の大喝采を博した。

 

2. エラ・フィッツジェラルド&メル・トーメ (1976年)

ジャズの代表、エラ・フィッツジェラルドは一度もグラミー賞のオフィシャル・パフォーマーに選ばれなかったが、彼女と共同プレゼンテーターのメル・トーメは生放送中に即興のスキャット・セッションを見せつけ、番組を乗っ取ってしまうということがあった。彼女が受賞した最初のグラミー賞から17年経った後ですら、テレビ画面に映し出された彼女を見るのはめったにない素晴らしい機会だった。メル・トーメもまたなかなか素晴らしいスキャットを披露した。

 

3. リック・ジェームス「Give It To Me Baby」(1982年)

スパンコールでピカピカに輝いた純粋なセックス・アピール。これがリック・ジェームスのパフォーマンスの特徴だ。リック・ジェームスはクロスオーヴァーした彼の魅力の最高の例ともいえるベスト・ロック賞、ベストR&Bパフォーマンス賞と2部門にノミネートされた。リック・ジェームスがドラムを叩き、キーボードを鳴らし、観客に向かってステージ上で挑発的な動きをする前に、小綺麗な格好に身を包んだ司会のジョン・デンバーはこのように彼を紹介した。「最初にロックがありました。そしてハード・ロックが生まれました。そしてパンク・ロックが誕生しました。そして次に迎えるパフォーマーのおかげで、パンク・ファンクが登場しました」。

 

4. ハービー・ハンコック「Rockit」(1984年)

80年代はどんな時代だったのかと未来の世代に聞かれたら、ショルダーキーボードを肩からかけ、ブレイク・ダンサーや体がバラバラになったアンドロイドに囲まれ、背後でグランド・ミキサーDXTがスクラッチをするベテランのジャズ・ピアニスト、ハービー・ハンコックのこの映像を挙げればいい。その年はプリンス、そしてティナ・ターナーとそれぞれ突発的なグラミーでのパフォーマンスを見ることが出来たが、ハービー・ハンコックのエレクトロニックにクロスオーヴァーしたセットは、ヒップホップ・カルチャーとMTVにおける礎として残っている。

 

5. チャック・ベリー、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ジョージ・ソログッド「Maybellene」(1984年)

3人の偉大なギタリストが集まると火花が散るものだ。実際、特別功労賞を受賞することになっていたチャック・ベリーを称賛するために、ひとつのステージにレジェンドたちが登場した時、それはまさに起こった。チャック・ベリーは「Maybellene」を演奏し、共演する2人のブルースのギタリスト、スティーヴィー・レイ・ヴォーンとジョージ・ソログッドをステージに上げる前に完璧なダック・ウォークを披露し、チャック・ベリーのもうひとつの象徴的なヒット曲「Roll Over Beethoven」と続いた。パフォーマンス終了後に特別功労賞を授与したチャック・ベリーは、スピーチで「Long Live Rock ’n’ Roll!(ロックン・ロール、万歳)」と心を込めた。

 

6. エリック・クラプトン「Tears In Heaven」(1993年)

1993年にエリック・クラプトンが披露した「Tears In Heaven」の演奏は、グラミー賞史上、最も感情に訴えたパフォーマンスのひとつであり、演奏後、会場にいた全ての人の涙を誘わずにはいられなかった。その年の司会者ギャリー・シャンドリングは、きっと『Slowhand』がグラミー賞をかっさらっていくだろうと冗談を飛ばし、実際にエリック・クラプトンはその通りの成果を収めた。「Tears In Heaven」で最優秀レコード賞 (Record of the Year)、『Unplugged』で最優秀アルバム賞 (Album of the Year) を受賞するなど、一夜にして6部門の賞を受賞した初のイギリス人アーティストとなったのだ。

 

7. シャナイア・トゥエイン「Man I Feel Like A Woman」(1999年)

カントリー・ポップの垣根を超えたスターを装ったシャナイア・トゥエインは、第41回目のグラミー授賞式で、際どいコルセットのドレス、オーバーニーのブーツとチョーカーを合わせ、ロバート・パーマー風の彼女の新しいスタイルを披露した。サウンド的にもスタイル的にも、グランド・オール・オプリーとは懸け離れていたシャナイア・トゥエインは、このステージでも彼女のキャリア全体でも、ナッシュヴィルを超えた更なる目標を見据えていた。

 

8. エルトン・ジョン&エミネム「Stan」(2001年)

グラミー賞はいつもありそうもない縁を生み出してきたが、2001年のグラミー授賞式でエミネムエルトン・ジョン卿がヒット曲「Stan」を共演した時ほど驚かされたことはない。物議を醸してきたエミネムは、その頃、歌詞の内容が同性愛者を嫌悪していると問題視され、GLADD (同性愛者権利運動団体) がステイプル・センターの外でプラカードを掲げて抗議していたほどだった。そのため、ゲイであることを公然と認めていたエルトン・ジョンが「Stan」のダイドのパートを歌うためにステージに現れたとき、予期せぬ出来事に全員が不意をつかれたのだ。それが批評家を完全に黙らせることにはならなかったが、エミネムをより有利にさせたことは確かで、2人の長い友情へも繋がった。

 

9. U2「Beautiful Day」(2001年)

エミネムとの論争に惑わされることなく、U2は彼らの10枚目となるスタジオ・アルバム『All That You Can’t Leave Behind』からのヒット曲「Beautiful Day」でグラミー・パフォーマンスのデビューを飾った。その夜、スティーリー・ダンと互角になったU2は最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、そして最優秀ロック・パフォーマンス賞を獲得、いつもどおりのスタジアムを埋め尽くしてきたそのパフォーマンスを披露した。牧師のごとく観客席の中を練り歩き、両手を振り上げてカメラに向かって歌うボノの魔法が解けるのは、彼の特徴であるサングラスを取り、カメラのアングルが上に向けられた時だった。

 

10. ブルース・スプリングスティーン、エルヴィス・コステロ、スティーヴン・ヴァン・ザント、デイヴ・グロール「London Calling」(2003年)

新しいジャンルを評価することに関しては、残念ながらグラミーは優れた実績がない。しかしパンクの巨匠、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーが亡くなった時、グラミーは彼のトリビュートを行うために多数のロッカーたちを呼び集めた。ブルース・スプリングスティーンと彼のEストリートのバンド・メンバーであるリトル・スティーヴンはエルヴィス・コステロやデイヴ・グロールと一緒に協力し、ジョー・ストラマーの重要なポスト・パンク・ソングを激しく演奏した。

 

11. ジェームス・ブラウン&アッシャー「Caught Up 」「Sex Machine」(2005年)

グラミー受賞式にてとりわけ華やかにデビューを飾ったアッシャーは、まるでベテランのパフォーマーのごとくステージを右へ左へと移動し、複雑な振り付けをマスターしながら、大きなバックバンドと足並みをそろえていた。もしそれだけで満足できなかったとしても、ごった返した群衆に加わったジェームス・ブラウンとアッシャーはダンス・バトルで対決、ジェームス・ブラウンはその後 “ソウルの名付け子” とアッシャーに栄誉を与えた。

 

12. ジョン・フォガティ、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス「Coming Down The Road」「Great Balls Of Fire(邦題: 火の玉ロック)」「Good Golly Miss Molly(邦題: 悪魔とモーリー)」(2008年)

“ロックの礎” として紹介された生きた伝説の3人は、全員合わせると200年分に相当するロックン・ロールの歴史を誇り、一緒に立ったこのステージは、ロックというジャンルへの彼らの最も優れた貢献を示した。クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルのフロントマン、ジョン・フォガティから勢いよく始まり、ジェリー・リー・ルイスが象徴的なメロディでそれに続き、2人合わせたよりもエネルギー溢れるリトル・リチャードが加わり、「Good Golly Miss Molly」の高音奏でた。

 

13. ティナ・ターナー、ビヨンセ「Proud Mary」(2008年)

ジョン・フォガティと言えば、2005年にビヨンセはケネディ・センター名誉賞にて印象的だった「Proud Mary」のカヴァーを披露してティナ・ターナーの心をつかんだが、2008年、ビヨンセは自身のアイドルと崇めるティナ・ターナーと共演し、見るだけでムチウチになってしまいそうな2人のエネルギッシュなパフォーマンスでステージを沸かせた。

 

14. エイミー・ワインハウス「You Know That I’m No Good」「Rehab」(2008年)

ビザの問題でイギリスで身動きが取れなくなり、衛星中継で繋がったライヴ・パフォーマンスだったにもかかわらず、エイミー・ワインハウスの感情をかき立てるパフォーマンスは大西洋の向こうでさえも感じられた。絶頂期を迎えていた彼女は、その夜「Rehab」で最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞、そして最優秀新人賞など5部門を受賞したが、その前に披露したパフォーマンスでもセクシーで優雅なスタイルを取り入れ、海外の観客をとりこにした。

 

15. ミック・ジャガー、ラファエル・サディーク「Everybody Needs Somebody To Love」(2011年)

最初にノミネートされたのは1978年だったが、その後ミック・ジャガーはソングライターのソロモン・バークの追悼パフォーマンスを行うまで33年もの間、グラミー授賞式で歌わなかった。光り輝やくグリーンのスーツと彼を代表するあの歩き方で、まるでデビューを飾った新人のようなエネルギーと活力でステージをこなし、失われた時間以上の埋め合わせをした。

 

16. テイラー・スウィフト「Mean」(2012年)

グラミー受賞ステージの常連、テイラー・スウィフトは素晴らしいグラミー・パフォーマンスを行った(2016年の「Out Of The Woods」)かと思えば、そこまで素晴らしくはなかったパフォーマンス(スティーヴィー・ニックスと彼女のバランスの悪いデュエット)もある。しかし例え彼女がつまずいても、その先には希望があるのだ。音程が外れた彼女のデュエットを批評家が非難したあと、テイラー・スウィフトは尖ったペンと自信に満ちたパフォーマンスで、堂々とグラミーのステージに戻ってきた。バンジョーで彩られたリベンジ・ソング「Mean」を披露し、「But someday I’ll be living in a big old city(いつか私は大きな古い街に住むのよ)」という歌詞を「But someday I’ll be singing this at the Grammys/ and all you’ll be is mean(いつか私はグラミーでこの曲を歌うのよ / そしてあなたは意地悪になるだけ)」と歌詞すら変更したのだ。

 

17. メタリカ「One」(2014年)

25年前、メタリカは1989年グラミー授賞式でパフォーマンスを披露して自身を世界に紹介したが、周知のとおり、最優秀ハード・ロック/ヘヴィメタル・レコーディング賞でスラッシュの巨匠であるメタリカは、ジェスロ・タルに敗北を帰した。そのため、再びグラミーでパフォーマンスを行った時にはさらに大胆な賭けに出て、その役目を快く引き受けたクラシックのピアニスト、ラン・ランはすさまじい勢いの不協和音のコードで彼らのフライングVと激しく協奏した。一言で言えば、最高にメタルなパフォーマンスだった。

 

18. ケンドリック・ラマー「The Blacker The Berry」(2016年)

洗練されているのか? イエス。魅力的なのか? イエス。政治的なのか? いや、ケンドリック・ラマーがグラミーのパフォーマンスの常識をひっくり返すまでは、グラミーの歴史において最も政治色が濃いセットが披露されることはなかった。ミュージカル「ハミルトン」のパフォーマンスさえも圧倒したケンドリック・ラマーは、記念のアメリカの社会が負っている傷を表現した。黒人の大量投獄を象徴するために鎖につながれた状態でパフォーマンスを始め、次にその鎖から解き放ち、蛍光色をまとったダンサーとアフリカの図像を表現した集団を迎える。トレイボン・マーティン射殺事件についてフリー・スタイルでラップし、ブラック・ライヴズ・マター運動のためのスローガン・ソング「Alright」のイントロへと繋げた。ヒップホップに詳しくない者でさえも、このステージの照明が消えるころには、ケンドリック・ラマーが何者かを知ることが出来たのだ。

Written by Laura Stavropoulos



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