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スティーヴィー・ワンダーの「Happy Birthday」は誰に対して歌われたのか?

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ほんの一握りのアーティストだけが、彼らの音楽的な安心領域を超え、私たちの人生に影響をもたらすほどの作品を作れる文化的な魅力を持っている。スティーヴィー・ワンダーが作曲して自身が歌った「Happy Birthday」はまさにそのような曲だった。この曲は1986年1月20日に初めて行われたキング牧師記念日に関係している。

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Happy Birthday

偉大な人権活動家マーティン・ルーサー・キング牧師の誕生日(1月15日)を祝日とする法案は、1968年に起こったキング牧師の衝撃的な暗殺のあとすぐに作られたものだった。イリノイ、コネチカット、マサチューセッツといった一部の州は、1970年代に彼の誕生日を祝日と制定したが、アメリカ連邦議会は記念日を成立させる手前で停止させた。1979年11月には、ジミー・カーター大統領の承認がおりたにも関わらず、法案可決に5票足りず牧師記念日は成立されなかった。

マーティン・ルーサー・キング牧師についての専門家である教授兼作家のジェイムス・ハニーは2016年にUSAトゥデイ紙にこうコメントしている。

「キング牧師記念日は、大統領ではない著名な人物、さらにアフリカ系アメリカ人による初めての祝日でした。全盛期にはトラブルメーカーであると考えられていたこのアフリカ系アメリカ人を議会の多くは認めたくありませんでした。しかし多くの妨げにも関わらず、祝日を設定する案は消えることなく、キング師の未亡人、コレッタ・キング・スコットによって断固支持されました」

前述の通り1979年に法案が否決されたあと、スティーヴィー・ワンダーは「Happy Birthday」を作曲、そして彼の1980年のアルバム『Hotter Than July』に収録した。モータウン所属のスーパースターはシングルとしてその曲を発売した1981年に、平和集会での記者会見を開催した。マーティン・ルーサー・キング牧師の祝日に関してのキャンペーンの先陣を切った曲にとっては皮肉な話だが、この曲はアメリカだけではなく世界的な大ヒットとなり、UKでは第2位にまで上昇した。

1983年の後半、スティーヴィー・ワンダーとマーティン・ルーサー・キング牧師の妻コレッタ・キング・スコットの希望は認められた。ロナルド・レーガン大統領が祝日を承認し、毎年1月の第3週目の月曜日を記念日とすることになった。初のキング牧師記念日となった1986年1月20日、アメリカ人は祝日となった偉大な人物の誕生日を祝い、スティーヴィー・ワンダーはこの大事な行事を記念して大規模なコンサートのトリを飾った。

この記念すべき初のキング牧師記念日は、タイム誌が報道したように“アメリカの歴史において最も悲痛で劇的な時代のひとつを思い出すための出来事” としてアメリカのあらゆる場所で、キャンドルライトの集会、コンサート、朗読、討論会、礼拝などと共に祝われた。

キング牧師記念日の制定までの長い道のりは、スティーヴィー・ワンダーが歌詞に書いたとおりだった。

I just never understood
How a man who died for good
Could not have a day that would
Be set aside for his recognition
僕には全く理解できないんだ
正しいことのために命をかけた人なのに
記念日が決められていなくて
彼のことを世の中が知らないなんて

Written by Paul Sexton


スティーヴィー・ワンダー『Hotter Than July』
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