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サイケデリック・ロック特集:ビートルズの『Revolver』から始まった名曲とバンドたち

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UFO CLUB Photo of PINK FLOYD, L-R: Roger Waters, Syd Barrett (back), Nick Mason (front), Rick Wright - posed, group shot, psychedelic lighting (Photo by Andrew Whittuck/Redferns)

サイケデリック・ロックは概して単なる一時的な流行として退けられ、1968年半ばには終息したと考えられているが、その影響は長く深く、現在に至るまで続いている。

サイケデリック・ロックを「意識の拡大」という包括的な言葉で広く解釈するならば、サイケデリアは太古の時代から続いている重要な(ドラッグの力を借りた)文化的追及であり、宗教的な儀式や、真剣に悟りを開く行為、または単に快楽を求めて感覚を攪乱させる行為に付随してきた。

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ザ・ビートルズの『Revolver』とサイケデリック・ロックの誕生

一般のレコード購買者たちにサイケデリック・ミュージックとの出合いを提供したのは、ザ・ビートルズが1966年8月にリリースし、音楽シーンに革命をもたらした『Revolver』だ。このアルバムには、同ジャンルの特徴となるエキゾチックな要素が数多く含まれており、その斬新かつ型破りなテクスチャーでリスナーを欺き、惑わせ、時には動揺させた。現実を変化させるようなテープ逆回転のテクニックやテープのループ、シタールの演奏や不可解な歌詞などが印象的である。

もちろん、何もないところからいきなり何かが生まれることはない。『Revolver』でしきりに示されている意識の変革は、爆発的に開花することを運命づけられていた。クールに謎めいたザ・バーズや、それまではサーフィンにはまっていたビーチ・ボーイズなどが、音楽的な同胞として、互恵的な輪の中に身を置きながら、ザ・ビートルズの拡大した世界観に貢献していた。

また、音楽的にはザ・ビートルズのサイケデリック・サウンドとは程遠いが、ボブ・ディランも難解な歌詞を綴るリリシストとして、そして極めて重要なこととして1964年8月、ニューヨーのホテル・デルモニコでジョン、ポール、ジョージ、リンゴにマリファナを教えた人物として、ザ・ビートルズにも影響を与えている。

さらに1965年4月、ジョージ・ハリスンの歯科医がディナー・パーティで、無責任にもジョージ・ハリスンとその妻、そしてジョン・レノン夫妻のコーヒーにLSDを混入。この歯科医の無謀な行動が、のちに 深遠な意味を有することとなった。

よく知られているとおり、『Revolver』の最後に収録されている最も過激なトラックは、1966年4月に始まったセッションで最初にレコーディングされた曲「Tomorrow Never Knows」だ。

Tomorrow Never Knows (Remastered 2009)

「Tomorrow Never Knows」は、その奇妙な歌詞(「すべての考えを捨て去って、虚無に身を任せろ。そこは光り輝いている」)は、ティモシー・リアリーとリチャード・アルパートによる幻覚剤の使い方に関する著書『チベット死者の書サイケデリック・バージョン』にインスパイアされている。これは大きな話題となった学術書で、ジョン・レノンは同書をロンドンのメイソンズ・ヤードにあるインディカ・ブックショップで購入していた(なお、この書店はロンドンのアート・シーンの目印的な存在で、ポール・マッカートニーにも支援されていた)。

「最高峰の山の頂上から歌うダライ・ラマ」のような歌声を求めたジョン・レノンにインスパイアされたプロデューサーのジョージ・マーティンは、ヴォーカルを通常はハモンド・オルガンと一緒に使用されるレスリーのスピーカーに通した。

異世界に関するジョン・レノンの衝撃の熱弁は圧縮されたドラムの上に乗り、鳥のさえずりのような音を立てるテープのループはミックス中に別のフェーダー上に乗せられて、幻覚的なサウンド・コラージュを織りなしている。さらに、ハードかつ煌びやかに逆行するギター・ソロがトラックを稲妻のように二分する一方で、そのほかのパートは「I’m Only Sleeping」の感傷的なけだるさの周りで絡み合っている。

また、ザ・ビートルズは、『Revolver』の2か月前にリリースされたシングル「Paperback Writer」のB面に収録された「Rain」のヴォーカル・コーダで、テープを逆行させる試みを行っていた。ジョン・レノンは、自宅でブレネルのテープ・レコーダーを誤って逆再生したことから、このアイディアを思いついたと語っていたが、ジョージ・マーティンはこのテクニックを使おうと提案したのは自分だと主張していた。どちらも信ぴょう性のある主張である。

The Beatles – Rain

サイケデリアの特徴的なサウンドを構成する要素が、ここでほぼすべて揃った(後述する“フェイジング”は除く)。サイケデリック・ミュージックにおいても、他の事柄と同様に、ザ・ビートルズの絶大な影響力は計り知れない。彼らの後を時代がついていったのだ。

ポップ・ミュージックも、あらゆるタイプのサウンドや形態を取り入れることができるとザ・ビートルズが示した見本は、極めて心強いものだった。ザ・ビートルズがきっかけとなり、ミュージシャンは狂乱状態で(悲しいことに、文字通り狂乱に陥った者もいるが)自由に音楽を作るようになった。

 

ザ・バーズ

それでは、サイケデリカを追求した同胞ミュージシャンの中で、誰が真っ先に罠から抜け出しただろうか? ザ・バーズは1966年3月、ジョン・コルトレーンに影響を受けた画期的なシングル「Eight Miles High」をリリースし、見事な指標を作った。

ロサンゼルスを本拠とする彼らが1965年8月にロンドンに行った時の思い出が、静かながらも不吉で重苦しい魔術的リアリズムのフィルターで語られる幻想的な1曲だ。「気づくだろう……思っていたよりもずっと不思議だと」と、12弦のリッケンバッカーが奏でる不協和音に乗せて歌いながら、彼らはため息をつく。

ここで、可能性の扉が大きく開いたことが分かるだろう。ここでいう「ハイ」とはもちろん、大麻や薬物で誘発された状態を示すあからさまな隠語であることが、すぐに理解できるはずだ。そして、アメリカで力を持つラジオ局のいくつかは、同曲を放送禁止とした(それから数年の間に、ドラッグについてほのめかしたレコードの多くは、同様の運命を辿った)。

The Byrds – Eight Miles High (Audio)

ビーチ・ボーイズ

ビーチ・ボーイズも、ハイな空気が渦巻いていることを敏感に察知していた。ブライアン・ウィルソンは1966年のインタヴューで興奮気味にこう話している。

「サイケデリック・ミュージックは、世界の表層を覆い、ポピュラー・ミュージック・シーン全体を染め上げるだろう。人気があるアーティストは、皆サイケデリックだ」

普遍的な愛、兄弟愛、精神的な向上の大使として、彼らはサイケデリアの初心者向け付属物である「フラワー・パワー」の信条で理論的にトレンドを語ったが、1966年10月にリリースされた「Good Vibrations」は大胆に構築した多層的な構造と印象派の輝きだけでテーブルの最上席に値する1曲だ。

アメリカーナを包括した『SMiLE』は、1966年初頭にブライアン・ウィルソンが博学なソングライター、ヴァン・ダイク・パークスと出会ってからスタートしたアルバム・プロジェクトは、果敢にも音楽的な新境地を約束していた。

Good Vibrations (Mono)

その後、同プロジェクトは頓挫したが、長い月日を経てハッピーエンドがやって来る。2004年、ブライアン・ウィルソンはコンサート・ツアーとスタジオ・アルバムで『SMiLE』を再訪した。

しかしその37年前に、『SMiLE』のレコーディング・セッションの一部は、1967年9月リリースの『Smiley Smile』に収録。中でも「Wind Chimes」と「Wonderful」は、うっとりと子どものように時間を止めて瞑想するようなサイケデリック・ムード全開で、ピンク・フロイドのシド・バレットが初期に作っていた楽曲のようである。

Wind Chimes

 

 

13thフロア・エレベーターズ

サイケデリックな要素を早くから取り入れたパイオニアの中には、テキサス州出身の13thフロア・エレベーターズもいる。彼らの本質は激しいガレージ・ロッカーだが、真剣かつ熱心にLSDを伝道していたリリシスト兼エレクトリック・ジャグ奏者のトミー・ホールによって、哲学的な神秘性を添えていた。

1966年11月にリリースされたデビュー・アルバム『The Psychedelic Sounds Of The 13th Floor Elevators』は、彼らのクレイジーな個性をこの上なく見事に表現している。また、LSDに精通していたトミー・ホールは、より高度な意識の‘探求’を支持する刺激的なライナーノートを匿名で書いている。

そして、 興奮と攪乱が渦巻く「Fire Engine」では、語呂あわせをしながら、非常に強い幻覚剤DMT(ジメチルトリプタミン)を賛美している。

Let me take you to the empty place in my fire engine
俺の消防車で空っぽの場所へと君を連れていきたい

とヴォーカリストのロッキー・エリクソンは歌っているが、ベン・グレアム自著『A Gathering Of Promises』の中で、「彼の歌い方から判断して、実際は『君をDMTの場所へと連れていきたい』と言っていることは明らかだ」と記している。

エレヴェーターズはLSDを惜しみなく使用し、ハイな状態でステージに上がることを信条としていたが、これが大きな原因となりロッキー・エリクソンの精神は即座に衰退した。また、エレヴェーターズは1967年8月、9月、サンフランシスコでギグを行った際、同士のサイケデリック・シーンの重要バンド、グレイトフル・デッドにまで衝撃を与えた。

Fire Engine

グレイトフル・デッド

グレイトフル・デッドも立派なLSD使用者で(ギタリストのジェリー・ガルシアは、キャプテン・トリップスという愛称まで有していた)、フェスティヴァルに足を運び、タイダイ染めの服を着たデッドヘッズ(グレイトフル・デッドのファン)にとって、宇宙的な自由の象徴となり、それが21世紀の現在まで続いている。

彼らが1968年7月にリリースしたセカンド・アルバム『Anthem Of The Sun』収録の「That’s It For The Other One」は探求心の絶頂といえる楽曲で、楽器パートは眩暈を誘うほどにステレオのスペクトルを行きつ戻りつ動きまわり、荒々しいエレクトロニックなエレメントは、精神の奥底から浮上するモンスターのようにミックスに現れる。

That's It for the Other One: Cryptical Envelopment / Quadlibet for Tender Feet / The Faster We…

 

ジェファーソン・エアプレイン

グレイトフル・デッドが気まぐれにオルタナティヴなライフスタイルに耽る象徴的存在だったとしたならば、ジェファーソン・エアプレインはカウンターカルチャーの影響力という点で、彼らに最も近い存在だっただろう。

ジェファーソン・エアプレインが1967年11月にリリースしたサード・アルバム『After Bathing At Baxter’s』は、サイケデリアの象徴をこの上なく明確に表現している(ミュージック・コンクレート「A Small Package Of Value Will Come To You, Shortly」がその例だ)。

タイトルは、「アシッド(LSD)でトリップした後で」という意味だ。しかし今でも、1967年6月にリリースされ、全米トップテン入りを果たしたシングル「White Rabbit」が、サイケの殿堂入りに最も貢献した楽曲であることに変わりはない。

緊張感のあるボレロのリズムに乗せて、グレイス・スリックは『不思議の国のアリス』の不安なイメージを想起させ、まだ知らぬ快楽の探求を示唆する。そしてその過程で、ピル、水たばこ、「マッシュルームのようなもの」を歌詞に滑り込ませ、検閲をすり抜けた。

Jefferson Airplane – White Rabbit (Official Lyric Video)

クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス

特別賞は、エアプレインほど有名ではないが、彼らに近いクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとカントリー・ジョー&ザ・フィッシュに授与しよう。サンフランシスコのアシッド・ロック・ギター・サウンドの模範ともいえるクイックシルヴァーのジョン・シポリーナとゲイリー・ダンカンは、見事に磨き上げた精密さで演奏をした。

彼らの演奏は、グレイトフル・デッドのオーガニックで制約のないインプロヴィゼーションとは対照的だった。彼らの規律ある掛け合いは、「The Fool」の中で、ドラマティックかつ、ずば抜けた効果をあげている。同曲は12分の大作で、コントロールされたフィードバックが入っている。1968年5月にリリースされたセルフ・タイトルのデビュー・アルバムに収録されている。

The Fool

 

カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ

一方、ベイ・ブリッジを隔てたバークリーを本拠としていたカントリー・ジョー&ザ・フィッシュの原動力は、ソングライターのカントリー・ジョー・マクドナルドの政治的な意識の高さだった。

統制の取れたロック・バンドというよりは、破壊的で粗暴なプロテスト・グループという趣だったが、それでも彼らは、1967年にリリースされた『Electric Music For The Kind And Body』に収録されている「Bass Strings」で、シンプルなオルガンのみを使い、霧の深いサイケデリアの最奥部を照らしている。

Bass Strings

上述のバンドは西海岸の大きな氷山のほんの一角にすぎない。もちろん、モビー・グレープ、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、サンズ・オブ・チャンプリンは特にさらに調査されてしかるべきバンドだ。そしてベイ・エリアを去る前に、フィフティ・フット・ホースには五つ星をあげよう。1967年のアルバム『Cauldron』収録のタイトル・トラックは不安を掻き立てるまでに前衛的で、暗闇の中ひとりでは聴けないような楽曲だ。

Cauldron

 

ライヴ会場と都市ごとのカルチャー

エキサイティングな新しい音楽が次々に誕生したのは、アヴァロン・ボールルーム、フィルモア・ウェスト、メイトリックス等、こうした音楽に適したヒップなコンサート会場が増えたことにも関係がある。また、1966年1月には、ケン・キージー率いるヒッピー集団、メリー・プランクスターズがトリップス・フェスティヴァルを開催。

カウンターカルチャーの「部族集会」が開かれた(ケン・キージーの偉業は、1968年に出版されて大きな影響力を誇ったトム・ウルフの『クール・クール LSD交感テスト (The Electric Kool-Aid Acid Test)』に記されている)。

また、KMPX、KSAN-FM、KPPCといった、革新的なFMラジオ局も極めて重要な役割を果たした。こうしたラジオ局は、プレイリストに長尺の曲を入れることを恐れず、1968年頃に訪れた時代の転換期を反映していた。アルバムが初めてシングルのセールスを超えはじめた時代である。

サンフランシスコから400マイルほど南にあるロサンゼルスでも、音楽シーンが発展しはじめていた。同シーンは、チェンバース・ブラザーズのサイケデリック・ソウル(同バンドの「Time Has Come Today」は1967年12月、全米トップテンに入る寸前までヒットした)をはじめ、ちぐはぐで気まぐれな才気が光ったウェスト・コースト・ポップ・アート・エクスペリメンタル・バンド(アルバム『Part One』収録の「I Won’t Hurt You」は、薄気味悪くひっそりと輝く1曲だ)、サイケ・ブームに便乗してペイズリー柄で派手に飾り立てたストロベリー・アラーム・クロック(「Incense And Peppermints」は1967年5月、全米ナンバー・ワンを獲得)などを擁していた。

ラヴ

しかし、ロサンゼルスで特に独創的だったアーティスト2人は、初期の段階にサイケデリアを齧っただけだ。ラヴ(奇才アーサー・リーがフロントマンを務め、時代を先取りしていた多人種グループ)は、1968年の傑作『Forever Changes』のカヴァー・アートで、流行を追ったサイケ調のロゴを使っていたかもしれないが、穏やかに不安を内観した同アルバムは、既にサイケの先を見渡していた。

ただ、少なくとも「The Good Humor Man He Sees Everything Like This」は、経験的な不思議(「ハミングバードはハミングするが、なぜハミングするのだろう?」)を語り、トラックの最後には、テープに細工をしている。

The Good Humor Man He Sees Everything Like This (2015 Remaster)

 

キャプテン・ビーフハート

一方、キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンドは、既にジャズのスタイルの一つであるガットバケットなR&Bの心理地理学を書き換えはじめると、境界を破壊するダダイストの領域まで説得力たっぷりに引き上げていた。プロデューサーのボブ・クラスノウは、当時最先端だったスタジオ・エフェクトをキャプテン・ビーフハートのセカンド・アルバム『Strictly Personal』(1968年10月リリース)に応用した。

当初はおとなしく従っていたキャプテン・ビーフハートだが、すぐにこれを非難するレコーディングを行った。先端的な音楽をわざわざ不必要なギミックで飾り立てるという行為を批判したのだった。(とはいえ、多くのリスナーはそうしたギミックを問題視していなかったが)。

Ah Feel Like Ahcid – Captain Beefheart & His Magic Band

こうしたエフェクトのひとつがフェイジングで、これはサイケデリア最大の特徴とされている。これについては、ザ・ビートルズは間接的な役割を果たしたにすぎない。

1967年6月、ロンドンのオリンピック・スタジオにこもり、「All You Need Is Love」のバッキング・トラックをレコーディングしていた時、プロデューサーのジョージ・マーティンは、ジョン・レノンのヴォーカルに「ADT」(オートマティック/アーティフィシャル・ダブル・トラッキング。EMIのアビイ・ロード・スタジオで考案された技術)をかけるよう求めた。

オリンピック・スタジオのテープ・マシーンはEMIとは違うため、要求に応えられなかったテープ・オペレーターのジョージ・チキアンツは、自分なりの奇抜なテープ・エフェクトを考案しようと誓い、感覚を歪ませるようなハーモニーの変調エフェクトを生み出すと、これがフェイジング/フランジングとして知られるようになった。

 

スモール・フェイセス

オリンピック・スタジオは、フェイジングをすぐさま 取り入れると、スモール・フェイセスが1967年8月にリリースしたシングル「Itchycoo Park」に使用した。盛夏にぴったりの明るい同曲は、全英トップ3に入るヒットとなった。

Itchycoo Park (Stereo Version) (2013 Remaster)

また、LSDの味を知ったフラワー・モッズの彼らが1968年にリリースした丸型ジャケットのアルバム『Ogdens’ Nut Gone Flake』でも、タイトル・トラック(インストゥルメンタル)にフェイジングしたドラムが入っている。

Ogdens’ Nut Gone Flake (Stereo)

 

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス

オリンピック・スタジオではその後、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスもレコーディングを行った。ジミ・ヘンドリックスは、サウンド的にもヴィジュアル的にも煌びやかで、サイケデリアを象徴するアーティストとなった。

同バンドのセカンド・アルバムで1967年12月にリリースされた『Axis: Bold As Love』収録の「Bold As Love」には、激しくねじれたフェイジングがアウトロに挿入されている。

また、1968年リリースのダブル・アルバム『Electric Ladyland』に収録された「1983… (A Merman I Should Turn To Be)」は、ミキシング・デッキを絵具箱に見立てたかのような、色彩溢れる見事な楽曲である。

Bold As Love

 

サイケなビートルズ

奇妙な話だが、ザ・ビートルズ自身は『Magical Mystery Tour』の「Blue Jay Way」でしかフェイジングを使っていない(ただし、1963年の「From Me To You」には、6秒間のドラム・フィルでプレエコー・エフェクトが偶然入っている)。

ザ・ビートルズのサイケ期間は短かったが「Strawberry Fields Forever」「Lucy In The Sky With Diamonds」「It’s All Too Much」といった名曲が生まれ、彼らは議論の余地のない大きな存在感を示した。

Lucy In The Sky With Diamonds

『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』とプロコル・ハルムの名曲「A Whiter Shade Of Pale」が1967年の“サマー・オブ・ラヴ”の二本柱となるならば、ビートルズと長年競り合ってきたライバル、ザ・ローリング・ストーンズはこの頃、ザ・ビートルズに押され気味だったようだ。

 

ザ・ローリング・ストーンズ

1967年12月にリリースされた『Their Satanic Majesties Request』について、ドラマーのチャーリー・ワッツの母親は「少なくとも時代の2週間先を行っているわね」と手厳しい発言をしたとされている。それでも、同アルバムの陰鬱で退廃的な雰囲気は、長年の間、立派に残り続けた。

同作に収録の「Citadel」は、渦巻くようなセクシーな毒気に包まれている。また、1967年8月にリリースされたシングル「We Love You」は、同年にミック・ジャガーとキース・リチャーズが麻薬容疑で逮捕されたことを受けて、警察権力に対し、流し目で皮肉なキスを投げている曲だ。

Citadel (Remastered 2017 / Stereo)

 

クリーム

短期間ではあったが、ファッション的にも文化的にもサイケデリックなイメージチェンジを図ることが必須とされたこの時期、ブルース・ロックのスーパーグループ、クリームは  『Disraeli Gears』でマーティン・シャープによる蛍光色のアルバム・カヴァーを採用。

そして同バンドのギタリスト、エリック・クラプトンは「Dance The Night Away」でラーガ色の入ったギター・ソロを演奏した。

Dance The Night Away

 

ブロッサム・トゥーズ

一方インゴーズは、マネージャーのジョルジオ・ゴメルスキーの指示を受けてブロッサム・トゥーズに改名。ペイズリー柄の衣装を着せられた彼らは、流行の曲が書けるようになるまでフラムの家で曲作りに励んだ。デビュー・アルバム『We Are Ever So Clean』収録の「Look At Me I’m You」は、この時代の名曲のひとつに数えられる。

Look At Me, I'm You (2022 Remaster)

英国のシングルには、サイケ・ポップの名曲が多い。ティンターン・アビーの唯一のシングル「Beeside」は、プリティ・シングスによる奇想天外な「Defecting Grey」と肩を並べる楽曲だ。

また、ジェフ・リン率いるアイドル・レースの「Imposters Of Life’s Magazine」や、トゥモロウ(後にイエスのギタリストとなるスティーヴ・ハウをフィーチャー)の「My White Bicycle」も素晴らしい。さらに、トラフィックの「Hole In My Shoe」は、1967年8月に全英第2位を記録した。

Beeside (7" Version)

 

それではタイミング的にチャンスを逃したアーティストも、ここで称賛しておきたい。

 

ジュライ

まずはジュライ。1968年にセルフ・タイトルでリリースしたアルバムには、「Dandelion Seeds」が収録されている。また、ストーンズのベーシスト、ビル・ワイマンがプロデュースしたジ・エンドがリリースした穏やかな名盤『Introspection』は1968年初頭にレコーディングされたが、1969年11月までリリースされなかった。

Dandelion Seeds

 

ピンク・フロイド

ロンドンのサイケデリックなアンダーグラウンドで花形だったのは、ピンク・フロイドだ。意図的な実験主義者だった彼らは、野心的なオーディオ/ヴィジュアルと、その不調和の芸術は、通常のコンサートとは一線を画すと、70年代にはフェスティヴァルや単独コンサートで大きな人気を博した。

早熟なシド・バレットが率いるピンク・フロイドは、サイケデリアで屈指のヒットとなった「See Emily Play」(全英6位)を送り出す一方、ミステリアスな1967年8月のデビュー・アルバム『The Piper At The Gates Of Dawn』では、シド・バレットのユニークで純真な魅力を伝えている。

Pink Floyd – See Emily Play

しかし残念ながら、シド・バレットの精神状態は急速に悪化していった。これだけが要因ではないがLSDの摂取量が並外れていたことが、一番の要因だ。そして1968年4月までには、デヴィッド・ギルモアがシド・バレットの後釜となった。

その後、ピンク・フロイドは長尺の作品を好んで発表し、ライヴでも長時間のパフォーマンスを行うと、プログレッシヴ・ロックの先導的役割を目に見える形で果たした。

しかし、サイケデリアの炎を70年代以降も燃やし続けていたのは、ピンク・フロイドがロンドンのアンダーグラウンド・クラブでいつも一緒にギグをやっていたカンタベリー・シーンの重鎮、ソフト・マシーンだった。

 

ゴング

ソフト・マシーンのオリジナル・ギタリストだったデヴィッド・アレンは、次のバンド、ゴングをフランスで結成すると、バンドにまつわるユーモラスで複雑な神話を作り、スピリチュアルな探求心旺盛な楽曲を発表した。

『The Radio Gnome Invisible(見えない電波の妖精の物語)』三部作、1973年の『Flying Teapot』と『Angels Egg』、1974年の『You』はタイトルの通り、お茶目で扇動的な歌詞が踊り、遊び心のある作品となった。『You』収録の「Master Builder」は、惑星の間でピンボールする第三の目を描写しているかのような、激しく熱烈なゴングらしい楽曲だ。

Master Builder (Remastered 2018)

その後もさまざまな集団が、80年代90年代を通じて、サイケの滑稽なスピリットを生かし続けてきた。例えば、主にロサンゼルスで人気のサブジャンル、「ペイズリー・アンダーグラウンド」では、レイン・パレード、スリー・オクロック、グリーン・オン・レッドといったバンドがサイケデリックなトーンとテクスチャーを多用していた。

英国では、XTCがデュークス・オブ・ストラトスフィアというサイケなスピンオフ・バンドを結成。サイケのヒーローを讃えようと彼らが作った楽曲は素晴らしく、本家を凌駕するほどだった(コンピレーション盤『Chips From The Chocolate Fireball』に収録されている)。

25 O'Clock (2001 Mix)

これと似た文脈では、ゴッドファーザーズが1988年、「When Am I Coming Down」でクリエイションの「How Does It Feel To Feel」(アメリカ盤ミックス)に敬意を表している。1988年といえば、アシッド・ハウスや新たに芽生えたレイヴ・カルチャーに後押しされ、英国でセカンド・サマー・オブ・ラヴが始まった年である。

現在、サイケデリアは極めて安全な状態にある。オクラホマ州のザ・フレーミング・リップスは、人間主義かつ実存主義を掲げ、ストロボライトが光るサイケな畑を耕し続けている。

また、オーストラリアのテーム・インパラは、「I Am The Walrus」の残像で永遠に輝く、サイケの美しい地平線に座っている。そしてタイ・セガールは、サイケの暗い底部にとりつくアシッドの恐怖をひるむことなく見つめている。さらに、ザ・コーラルやジェーン・ウィーヴァーといったアーティストも、サイケデリアとポップという幸運な融合には、いまだ無限の可能性があることを繰り返し証明している。これがずっと続くことを願おう。

Written By Oregano Rathbone




 

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