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スティーヴ・マリオットを偲んで:イギリスが生んだ最も個性的でカリスマ性に富んだフロントマン

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Photo: Andrew Maclear/Redferns

スモール・フェイセス、ハンブル・パイで活躍した、イギリスが生んだ最も個性的でカリスマ性に富んだフロントマンの一人、スティーヴ・マリオット(Steve Marriott)は1991年4月20日に自宅の火事で亡くなっている。まだ44歳だった。

幸いなことにスティーヴが、特に1960年代から1970年代にかけて、ロック/ポップ・ミュージックの分野に残したこの上なく大きな功績は今でも広く認知されている。

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The Small Faces – Itchykoo Park (1967)

イースト・ロンドンのマナー・パーク出身のスティーヴ・マリオットは生まれながらのパフォーマーだった。スティーヴが最初にバンドを組んだのは12歳のころで、13歳でライオネル・バート制作のヒット・ミュージカル『Oliver!』のキャストとしてウェスト・エンドで舞台を務めている。その後も彼は、子役としてまずまずのキャリアを重ねることになったが、スティーヴの気持ちは常に音楽に向けられていた。

彼の夢が現実になったのは1965年のこと。この年、結成したスモール・フェイセスは大きな成功を収め、数年に亘ってコンスタントにヒット・シングルを発表。活動も後期に至ると、それまでにも増して実験的で影響力に富んだアルバムを制作するようになっていった。しかしながら、音楽業界のありかたに幻滅したことに加え、一つところに留まることのできないたちだった彼は、1968年にスモール・フェイセスを脱退。ハンブル・パイを結成する。

ピーター・フランプトンら同じ志を持つミュージシャンが集まったハンブル・パイで、彼はメンバーと手を携え、創造力漲る活動を続けた。フランプトンはこう語る。

「ハンブル・パイはまさに理想のバンドだ。ミュージシャンなら誰だってあのグループに加わりたいと思うはずだよ。少なくとも僕はそう思った。なぜって、ずっと憧れていたミュージシャンと一緒にやれるんだからね。その人が歌うだけでどんな音楽もずば抜けたものになってしまう、それがスティーヴだった」

Humble Pie – Natural Born Bugie (aka Natural Born Boogie) (1969)

スティーヴ・マリオットは1969年以降の数年間、ハンブル・パイの看板シンガーとして活躍。このバンドは1975年に解散したが、彼は80年代初頭にグループを再編。短期間ながら再びハンブル・パイのリーダーとして活動している。

これと前後して、彼はソロ・アーティストとしても注目すべきアルバムを残している。1976年にリリースされた初のソロ・アルバム『Marriotts』はその一例だ。1990年代に入っても、マリオットは自身のバンドを率いて活動。スモール・フェイセス時代の重要なレパートリー「All Or Nothing」と「What’cha Gonna Do About It」の再演も試みている。

亡くなる少し前に、筆者はマリオットにインタビューを行う機会に恵まれた。そのとき彼は、彼は満足げな様子で自身のキャリアを振り返り、以下のように語ってくれた。

「18歳の年に口説き落とされて、スモール・フェイセスでデビューした。最高の気分だったけれども、それはごく初めのうちだけだった。自分たちのやっていた音楽が評価されていたわけじゃなく、外見でもてはやされていただけだってことに気付いてしまったんだ……だけどそれもこれも今はもう過去のことだ。あのころのことも今では誇りに思っているよ」

「今はお金を含めて欲しいものも手に入っている。といってもわずかな金額だけだけど、食べていくのに不自由しなければ十分だからね。ぜいたくな暮らしができるわけじゃないけれども、悪くない毎日を過ごしている。僕に敬意を払ってくれるミュージシャンもいるし、みんなの前で演奏することだってできる。昔と同じように本物の音楽を感じられるパブやクラブみたいな場所でね」

Written By Paul Sexton




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