パブリック・エネミー「Fight the Power」の背景:『ドゥ・ザ・ライト・シング』の要だったアンセム

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Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

スパイク・リー監督作品『ドゥ・ザ・ライト・シング』の要となったサウンドトラックは、いまでもパブリック・エネミー(Public Enemy)のもっとも熱いアンセムの一つである。ここでは、制作過程の話をしよう。

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ある猛暑の夏の日にブルックリンで起きた人種対立を描いたスパイク・リーの第2作目の映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』。この作品と堅く結びついているパブリック・エネミーの「Fight The Power」は、音楽史においてもっとも素晴らしい改案の一つだろう。というのも当初は、パブリック・エネミーを中心に、黒人の国歌ともいえる「Lift Every Voice and Sing」をジャズにアレンジしたものを映画で使用する予定だったのだ。

リーの依頼により作曲家のテレンス・ブランチャードがすでに楽曲に取り組んでいたが、ボム・スクワッドのプロデューサーであるハンク・ショックリーが、その曲では「Bring The Noise」や「Night Of The Living Baseheads」といった曲のファンが納得しないだろうと反対した。その代わり、パブリック・エネミーのリードMCであったチャックDは、1970年代、彼が若い頃に聴いていたアイズレー・ブラザーズの曲「Fight The Power」を引用することにした。

抗議運動が激しかった時代にアイズレー・ブラザーズがリリースした「Fight The Power」は、チャックDが初めて歌詞にカースワードがあるのを耳にした曲であったのだ。1986年のマイケル・グリフィスの殺人事件(*1)といった残虐な出来事が、圧力鍋のようにニューヨークの乾いた空気に重くのしかかっており、チャックは「すべての茶番を終わらせるべきだ」と主張するべき時期は、とっくに過ぎていたと感じていた。

1987年のデビュー・アルバム『Yo! Bum Rush The Show』とセカンド・アルバム『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』の痛烈な内容のおかげで、パブリック・エネミーはすでにラップがもっとも反抗的で革命的であった時代の兄貴分であり、政治的なリーダーとしての地位を確立していた(グループを始めたのが26才だったのもあり、チャックとフレイヴは実際、年嵩だった)。

チャックのラジオ番組のDJとして訓練したバリトンの声と、フレーバー・フレイヴの多彩で甲高いアドリブをもって、パブリック・エネミーはラップにおける政治的なやり取りを音楽へと昇華させ、さらにボム・スクワッドの音を重ねる型破りなプロダクションが、そのメッセージの重さに見合う緊迫感をサウンドに加えていた。

曲の内容とは

「Fight The Power」は、シカゴの弁護士で活動家でもあるトーマス”TNT”トッドによる、「戦わず転向する」という選択をしたベトナム戦争の脱走兵についての煽情的な意見の引用から始まる。これは、過去と現在の黒人音楽の大物達が参加した音の抗議運動とも言える曲の幕開けとしては、ふさわしいやり方であった。ジャームス・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、ガイのアーロン・ホールからも音楽的なDNAを受け継ぎ、ボム・スクワッドのトレードマークでもあるプロダクション・スタイルで縫い合わされた曲は、聴く人を喚起し、鼓舞するような音楽のコラージュに仕上がった。

時代の道標となっただけでなく「Fight The Power」はレーガンとブッシュに人質にされたた80年代育ちの子供達へメッセージを届ける音楽の先駆けともなった。

As the rhythm designed to bounce/ What counts/ is that the rhymes designed to fill your mind…
飛び跳ねるために書いたこのライムだけど/大事なことは/お前の頭に叩き込むために書いたライムだってこと

実は、チャックはイタリア行きの機内でランDMCのメンバーの隣に座ってこのリリックを書いている。インスピレーションの源だったニューヨークから何千キロも離れていても、一言一句、生まれ故郷の緊張感と反骨心に波動を合わせて書きあげたのだ。セントラル・パークの5人組の逮捕と投獄(*2)といった出来事も、法のシステムやそれを支える構造的な人種差別に対する彼の辛辣な批判に油を注いだ。

怒りに満ち満ちたこの曲でもっとも有名なのはおそらく3つめのバースだ。そこで彼はエルヴィスやジョン・ウェインといった白人のアイコンを、世代を越えて標的にしてみせた。めくるめくようなグルーヴの中で、彼らはX世代として、自分達と同じ肌色の英雄達を壁に飾るか、さもなくば場所ごと焼き落とすというメッセージを発したのだった。

曲が遺したもの

ニューヨークのグリーン・ストリート・スタジオでレコーディングされた「Fight The Power」は、妥協案として付け足されたブランフォード・マルサリスによるサックスの音色とともに『ドゥ・ザ・ライト・シング』のサウンドトラックとしてリリースされ、映画の中でくり返し(実に15回も)流され、パブリック・エネミーの3作目のアルバム『Fear Of A Black Planet』にも収録された。

スパイク・リーは、映画と同じくベッドスタイのストリートでミュージック・ビデオを撮影した。パブリック・エネミーは、1991年にフォックス・チャンネルのドラマ「イン・リビング・カラー」でも生演奏し、偉大なプリンス(・ロジャーズ・ネルソン)は1999年の夏、このアンセムをライブでカバーしている。

「Fight The Power」が親しまれ、共感され続けている証左として、2020年のBETアワーズにおいて、チャックDとフレーバー・フレイヴにNas、ラプソディ、ブラック・ソートが加わった最新ヴァージョンが披露されたことがあげられる。それは、刑事司法制度の改革を求め、何カ月も街で声を挙げたアメリカの群衆への音楽的に通じた連帯の表明であった。ジェームズ・ウェルドン・ジョンソン(*3)の感謝を捧げる祈りは、「Fight The Power」に音楽的なインスピレーションこそ与えなかったものの、「Lift Every Voice and Sing」に宿る精神は規則正しいビートを通じて生き続け、疲れ切った我々の足取りのためにペースを刻み、新しい世代のアンセムとして生まれ変わったのである。

Written by Jerry Barrow

(*1)マイケル・グリフィスの殺人事件
1986年、ニューヨークのクィーンズにあるハワード・ビーチで23才だったマイケル・グリフィスほか黒人男性二人が白人の高校生達に襲われた事件。人種差別が発端のヘイトクライムとして広く知られる。

(*2)セントラル・パークの5人組の逮捕と投獄
1989年に起きた、28才の白人女性が暴行を受けて重症となったセントラル・ジョガー事件では、黒人とヒスパニックの少年5人が強要された自白で有罪となった。被害者女性が記憶を失っていたことからも、信ぴょう性が疑われたが、そのまま投獄されてのちに冤罪となる。彼らは「セントラル・パーク・ファイブ」と呼ばれ、ドキュメンタリーが制作され、ネットフリックスの「ボクらを見る目」の下敷きにもなっている。

(*3)ジェームズ・ウェルドン・ジョンソン
1920年代に活躍した公民権運動の活動家および作家。「Lift Every Voice and Sing」を作詞している。

uDiscoverミュージックで連載ている「ブラック・ミュージック・リフレイムド(ブラック・ミュージックの再編成)」は、黒人音楽をいままでとは違うレンズ、もっと広く新しいレンズ−−ジャンルやレーベルではなく、クリエイターからの目線で振り返ってみよう、という企画だ。売り上げやチャート、初出や希少性はもちろん大切だ。だが、その文化を形作るアーティストや音楽、大事な瞬間は、必ずしもベストセラーやチャートの1位、即席の大成功から生まれているとは限らない。このシリーズでは、いままで見過ごされたか正しい文脈で語られてこなかったブラック・ミュージックに、黒人の書き手が焦点を当てる。



パブリック・エネミー『Fear of a Black Planet』
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