ヒップホップ・サウンドトラックの名盤8枚+α:『ワイルド・スタイル』から『8 Mile』まで

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インターネットで音楽が消費される以前の時代、新人アーティストが注目されるきっかけを掴む媒体として、サウンドトラックは極めて重要な存在だった。知名度の低いアーティストは、有名アーティストと同じアルバムに楽曲を提供し、メジャー映画の後押しを受けることができたからだ。

80年代、ヒップホップ・カルチャーが映画にまで波及すると、ヒップホップ・サウンドトラックの中でも特に質の高い作品は、映画の雰囲気を作り出しただけでなく、アーティストのキャリアを軌道に乗せるという非常に貴重な役割を果たした。

トゥパックが初めて世に認知されたのは、ダン・エイクロイドのコメディ『絶叫屋敷へいらっしゃい』のサウンドトラックに収録されたデジタル・アンダーグラウンドの「Same Song」のヴァースだ。これは、サウンドトラックがどれほど重要だったかを物語る数多くの例のひとつである。

新人アーティストをメインストリームに広めたヒップホップ・サウンドトラックの名盤を以下に紹介しよう。

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1.『ワイルド・スタイル(原題:Wild Style)』 (1983)

ヒップホップ・カルチャーをテーマとした初の映画『ワイルド・スタイル』は、ブレイクビーツを回すDJに合わせてMCがラップするライヴ映像が使われている。

予算が非常に少なかったため、監督のチャーリー・エーハンは、先駆的グラフィティ・アーティスト、ファブ・ファイヴ・フレディとともにバンドを作った。既存の音楽に対してライセンス料を支払わなくてもいいよう、クリス・スタイン(ブロンディのギタリスト)、デイヴ・ハーパー(ベーシスト)、レニー・フェラーリ(ドラマー)という構成の同バンドで、全くオリジナルなブレイクビーツをレコーディングしたのだ。

こうしてレコーディングされたインストゥルメンタル曲は、最初はレコードとして100枚プレスされ、同映画に出演するDJたちに配布された。一般大衆に向けて発売された初のヒップホップ・サウンドトラックで、現在も屈指の名盤とされている同映画のサウンドトラックは、DJグランド・ウィザード・セオドアが回すミステリアスなブレイク・レコードに乗せてビジー・ビーとリル・ロドニー・シーがバトルする曲など、実際に映画で登場する楽曲で構成されている。

映画とサウンドトラックのハイライトは、コールド・クラッシュ・ブラザーズとファンタスティック・ファイヴ(「ファンタスティック・フリークズ」と記載されている)が入念に演出したバスケットボール・コートでのアカペラ・バトルだ。

「Basketball Throwdown」と、アンフィシアターでの最終シーンの楽曲からは、ヒップホップ第一世代の様子が伺える。まだヒップホップ楽曲の構成が固定されておらず、多くのアーティストが自分名義のレコードも出していない時代だ。

 

2.『クラッシュ・グルーヴ(原題:Krush Groove)』 (1985)

ヒップホップのゴールデン・エイジにリリースされた傑作ヒップホップ・サウンドトラック『クラッシュ・グルーヴ』は、デフ・ジャム・レーベルの伝記映画(ただしフィクション)だが、奇妙なことにデフ・ジャムがアルバムをリリースする以前に映画が撮影・公開された。

さらに奇妙なのが、同映画のサウンドトラックはデフ・ジャムからリリースされていないことだ。ラッセル・シモンズ役はブレア・アンダーウッドが演じ、リック・ルービン役はリック・ルービン本人が演じた。この1年前にハードコア・パンクからヒップホップに転身したビースティ・ボーイズが「She’s On It」をパフォーマンスしており、同曲は彼らのオリジナル・アルバムには収録されていない。

また、当時ティーンエイジャーだったLLクールJは、レーベル・オフィスでのオーディション・シーンに登場しており、「I Can’t Live Without My Radio」を口パクでラップしている。なお、このシーンでは、喧嘩腰になって「何か」を出そうとジャケットの中に手を入れ、周りからなだめられるジャム・マスター・ジェイの演技も見ることができる。

同映画では、ジャム・マスター・ジェイのグループ、RUN DMCの登場時間が長い。しかしサウンドトラックの中で彼らはポッセ・カット(マイク・リレー)「Krush Groovin’」にしか参加していない。ちなみに同曲には、カーティス・ブロウ、シーラ・E、ファット・ボーイズが参加しているが、ブルックリン出身の三人組、ファット・ボーイズは映画の中でも人気をさらった。

「All You Can Eat」は映画の中でミュージック・ビデオとなり、3人はマンハッタンのスバロで食べ物についてラップしながら、食べ物を貪っている。

また、余談だが、サウンドトラックに参加する予定だったニュー・エディションがドタキャンしたため、ラップ・グループからヴォーカル・グループとなったトミー・ボーイ所属のフォースM.D.ズが緊急で呼ばれ、「Tender Love」をレコーディングした。同曲はヒットし、このヒットをきっかけにワーナー・ブラザーズはトミー・ボーイと契約した。

 

3.『カラーズ 天使の消えた街(原題:Colors)』 (1988)

1988年、デニス・ホッパーが監督として、ロサンゼルスのギャング問題について大いに脚色された映画『カラーズ 天使の消えた街』の制作を始めた時、LAラップのヴェテラン、アイス・Tは同映画のサウンドトラックに「Squeeze The Trigger」を収録したいとアプローチされた。しかし、一枚上手のアイス・Tは映画と同じタイトルを使い、ほとんど知られていなかったキング・サンのB面曲「Mythological Rapper」のリズムをサンプリングし、全くの新曲をレコーディングした。

アイス・Tの「Colors」は、ギャング・メンバーの視点を鮮やかに描いていたため、ギャングのライフスタイルを推奨してしまうかもしれないとラジオ局は懸念したほどだった。しかしまもなく、コーラス中でアイス・Tがギャングスタ的思想を非難するヴァージョンがラジオで放送されるようになった。

この頃、ワーナー・ブラザーズはニューヨークのラップ・レーベル、コールド・チリンと配給契約を交わしたばかりで、ジュース・クルーの総称で知られていた同レーベルのアーティストとプロデューサーのマーリー・マールを宣伝しようと、同サウンドトラックを利用した。

ロクサーヌ・シャンテの「Go On Girl」、MCシャンの「A Mind Is A Terrible Thing To Waste」、クール・G・ラップの「Butcher Shop」、ビッグ・ダディ・ケインの「Raw」と、ジュース・クルーのMCによる楽曲が同サウンドトラックに収録された。1988年当時、LAのヒップホップ・シーンも本領を発揮しはじめていた頃だ。

ヒップホップ・サウンドトラックでも秀作とされた『Colors』だが、参加アーティストはニューヨーク出身者で占められており、映画の舞台となった地元LAの才能を紹介しそこねた。クイーンからLAに移住した7A3が、伝説的プロデューサー、DJマグスを世界に紹介したことが唯一の慰めだ。

 

4.『ボーイ’ズ・ン・ザ・フッド(原題:Boyz N The Hood)』 (1991)

『ボーイ’ズ・ン・ザ・フッド』は、アイス・キューブがリリックを書き、ドクター・ドレーがプロデュースし、NWA誕生の布石となったイージー・Eの同名曲にちなんで名づけられた映画だ。ソロに転向してまもないアイス・キューブも出演している。

ロサンゼルスのサウス・セントラルを舞台にしたジョン・シングルトンの監督初作品が公開されると、ギャング問題を真摯に扱った映画が続々と制作された。「How To Survive In South Central」では、全盛期のアイス・キューブを聴くことができる。この曲で、同映画のサウンドトラックはヒップホップ・サウンドトラックの名盤の一枚となった。というのも、同曲はアイス・キューブのオリジナル・アルバムには収録されていなかったのだ(ただし2003年、『Death Certificate』のリイシュー盤にボーナス・トラックとして収録されている)。

アイス・キューブの秘蔵っ子だった女性ラッパー、ヨーヨーも「Mama Don’t Take No Mess」で参加しているほか、ウェスト・コースト・ギャングスタ・ラッパーの同胞、コンプトンズ・モスト・ウォンテッドとキャムも楽曲を提供している。

メイン・ソースの「Just A Friendly Game Of Baseball」は、アメリカの娯楽である野球をメタファーとして使いながら、警察による暴力を見事に表現している。同サウンドトラックに収録のヴァージョンはリミックスで、オリジナル・ヴァージョンは同グループの革新的なデビュー・アルバム『Breaking Atoms』に収録されている。

そしておそらく、サウンドトラックの中で歴史的に最も重要な楽曲は、ハイ・ファイヴによる「Too Young」だろう。同曲は、当時ティーンエイジャーだったあるMCをフィーチャーしているのだ。そのMCとは、後にニューヨークのデュオ、モブ・ディープのメンバーとして活躍したプロディジーである。

 

5.『ジュース(原題:Juice)』 (1991)

「ジュースをすすれ、みんなに行きわたるだけの量はある」。

サウンドトラックには参加していないが、トゥパック・シャクールは同映画で精神を病んだビショップ役を演じ、圧倒的な存在感を示した。同映画は、ヒップホップを愛するニューヨークのティーンたちが犯罪に手を染めてしまう様を描いたラフな物語だ。

エリック・B&ラキムの「Juice (Know The Ledge)」が傑出した出来だが、かつてラキムのライヴァルだったビッグ・ダディ・ケインの「Nuff’ Respect」も素晴らしい。これはボム・スクワッド(パブリック・エネミーのプロダクション・チーム)の一員で、短命に終わったSOULレーベルの共同所有者だったハンク・ショックリーが共同プロデューサーを務めた曲だ。

ビッグ・ダディ・ケインは同曲の中で超高速のライミングを披露しながら、『The Yogi Bear Show』でスナグルプスが使った「Heavens to Murgatroyed」(驚いた時などに使う表現「Heavens to Betsy」をあえて誤使用したもの)というフレーズなど、ポップ・カルチャーのネタをいくつか引き合いに出している。

ニューヨークのラップ・デュオ、EPMDは「It’s Going Down」で参加し、2人ともそれぞれ曲中でマイケル・ジャクソンの名前を出している。同曲は翌年リリースされた彼らのヒット・アルバム『Business Never Personal』にも収録された。1991年にブレイクを果たしたノーティ・バイ・ネイチャー(ニュー・スタイルから改名して間もない頃だ)は、「Uptown Anthem」でサウンドトラックの冒頭に登場。

このほか、サイプレス・ヒル(「サイプレス・ヒル・クルー」と記載されている)とオークランドのOGピンプ・ラッパー、トゥ・ショートも参加した『ジュース』のサウンドトラックは、ウェスト・コーストとイースト・コーストのヒップホップをバランスよく見事に融合するという、非常に珍しいヒップホップ・サウンドトラックの傑作だ。

 

6.『Who’s The Man?』 (1993)

『Yo! MTV Raps』の共同制作者テッド・デミが監督を務め、同番組のホスト、ドクター・ドレーとエド・ラヴァーが主演を務めた『Who’s The Man?』は、できるだけ多くのラップ・アーティスト(少なくとも40人)をカメオ出演させるための映画だったと言ってもおかしくないほどだ。また、素晴らしいサウンドトラックを作るという名目の映画とも言えたかもしれない。

同映画のサウンドトラックは、少なくとも2つの理由から重要な意義を持っている。第一に、「Hittin’ Stiwtchs」は、物議をかもしたEPMD解散後、エリック・サーモンがソロ・アーティストとして初めて発表したトラックであるという点だ。

第二に、「Party & Bullshit」はブルックリン出身のBIGというMCを世界が初めて耳にした曲(ゲスト参加を除く)という点だ。これからまもなくして、BIGのMC名はノトーリアスB.I.G.となった。

 

7.『ジャッジメント・ナイト(原題:Judgment Night)』(1993)

ヒップホップ・サウンドトラックの名盤に入れずにはいられない楽しい1枚だ。1986年、RUN DMCとエアロスミスがコラボした「Walk This Way」が大ヒットし、ヒップホップが白人が大半を占めるロック・オーディエンスにまで波及した。

『ジャッジメント・ナイト』のサウンドトラックはこのフォーミュラを用い、ヒップホップ・アーティストとロック・バンドをコラボさせている。タイトル・トラックは、オニクスとバイオハザードというブルックリンのタフガイ・グループ2組によるコラボだ。

デ・ラ・ソウルはスコットランドのパワーポップ・グループ、ティーンエイジ・ファンクラブと「Fallin’」を制作した。それでは、サー・ミックス・ア・ロットに相当するロック・アーティストは? マッドハニーだ。(どちらもシアトルの出身)彼らは「Freak Momma」を生み出した。

既にこの頃には自身のグループ、ボディ・カウントでメタル業界に深く関わっていたアイス・Tは 、スレイヤーと手を組むと、ハードコア・パンク・バンド、エクスプロイテッドの「War」をカヴァーした。奇妙にも、「Disorder」とクレジットされているが、これはエクスプロイテッドのアルバム『Exploited』に収録されている別の曲のタイトルである(これに関しては、必ず逸話があるはずだ)。90年代後半、ラップロック・バンドが続々と台頭ししたが、『ジャッジメント・ナイト』はそのトレンドを先取りしていた。

 

8.『8 Mile』(2002)

エミネムが苦闘するラッパーを演じた半自伝的なこの映画が公開されるとすぐに、プリンスの『パープル・レイン』と比較された。リード・シングルの「Lose Yourself」では、緊張しながらフリースタイル・バトルに向けて準備をする彼の心情が臨場感たっぷりにラップされている。また、リリックの中で共演者のメカイ・ファイファーの名前を出すなど、エミネムと劇中のジミー・‘Bラビット’・スミス・ジュニアの境界が曖昧になっている。

同映画のサンドラをすぐさま歴史に残るヒップホップ・サウンドトラックの名盤にした「Lose Yourself」は、アカデミー賞のベスト・オリジナル・ソングを受賞し、人気コメディ番組『Chappelle’s Show』のネタとしても使われた。ラキム、ギャング・スター、NAS、ジェイ・Z、エグジビットといったヴェテラン勢も同サウンドトラックに参加しており、エグジビットは端役で同映画にも出演している。

当時、成長株だった50セントも、エミネムと並んで『8 Mile』のサウンドトラック楽曲に多数登場している。映画とサウンドトラック(リリース2週間で100万枚のセールスを記録)の大ヒットによって、50セントにも演技の道が開いた。

エミネム同様に半自伝的なフォーマットを使った2005年の『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』の映画と併せてGユニット/インタースコープからリリースされたサウンドトラックも、数百万枚のセールスを記録する大ヒットとなった。

2003年にリリースされた彼の出世作も『Get Rich Or Die Tryin’』と同名だが、サウンドトラックにはロイド・バンクス、ヤング・バック、トニー・イエイヨーといったGユニットのメンバーに加えて、同じくニューヨークのハードコア・グループ、モブ・ディープとMOPが参加している。

ヒップホップのゴールデン・エイジ、80年代後半から90年代前半にリリースされたその他の傑作ヒップホップ・サウンドトラックも簡単に紹介しよう。

『黒豹のバラード(原題:Posse)』(1993)

アフリカン・アメリカンのカウボーイに関する歴史的ガイド。

重要トラック:インテリジェント・フードラムの「Posse (Shoot ‘Em Up)」

 

『Rappin’』(1985)

スタテン・アイランドのR&Bグループは、ラップ・グループのフォースMCズとしてキャリアをスタートした――これは、彼らのヒップホップ時代を辿る数少ない1曲だ。

重要トラック:フォースMDズの「Itchin’ For A Scratch」

 

『ブレイクダンス(原題:Breakin’)』 (1984)

ロサンゼルスで大人気だったレディオトロン・クラブの様子が伺える。ギャングスタ・ラップのパイオニア、アイス・Tが映画初出演。

重要曲:クリス・ザ・グローヴ・テイラー&デヴィッド・ストーズ「Reckless」(アイスTのラップをフィーチャー)

 

『ビート・オブ・ダンク(原題:Above The Rim)』 (1994)

Gファンク・ラッパー/プロデューサーをスーパースターダムにのし上げた大ヒット曲。

重要曲:ウォーレンG feat. ネイト・ドッグの「Regulate」

 

『ドゥ・ザ・ライト・シング(原題:Do The Right Thing)』 (1989)

ロングアイランド出身の同グループのキャリアにとって決定的な1曲となった同曲は、21世紀の今でも政治的スローガンとして役立っている。

重要曲:パブリック・エネミーの「Fight The Power」

Written By Ben Merlis



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