(function(h,o,t,j,a,r){ h.hj=h.hj||function(){(h.hj.q=h.hj.q||[]).push(arguments)}; h._hjSettings={hjid:104204,hjsv:5}; a=o.getElementsByTagName('head')[0]; r=o.createElement('script');r.async=1; r.src=t+h._hjSettings.hjid+j+h._hjSettings.hjsv; a.appendChild(r); })(window,document,'//static.hotjar.com/c/hotjar-','.js?sv=');
Join us

Stories

1970年2月、ローリング・ストーン誌の表紙に登場した“ジョンとのプライヴェートな話”

Published on

今回の記事の見出し「Private Talk With John / ジョンとのプライヴェートな話」は、ローリング・ストーン誌の1970年2月7日号で、アネット・ヨークが撮影したジョン・レノンとオノ・ヨーコの写真の上に出ていた見出しだ。ローリング・ストーン誌がジョン・レノンを“Man of the Year / 今年最も輝いた男”に決定したことを発表した時のものだ。

あの記事が特別だったのは、当時、世界中がザ・ビートルズの行く末を見守っていたからだ。ジョン・レノンとオノ・ヨーコが数週間前の1969年12月に1週間行ったカナダ旅行について、ジャーナリストのリッチー・ヨークが詳しく語った内容も記事に含まれていた。その滞在中、ジョン・レノンとオノ・ヨーコはカナダ首相のピエール・トルドー、“コミュニケーション預言者”マーシャル・マックルーハン等の著名人と面会している。また、ローリング・ストーン誌の出版者、ジャン・ウェナーが書いた記事内では、“Man of the Year”をジョン・レノンに授与した経緯を語った。

ザ・ビートルズのレコーディングとしては、もうひとつのメジャーなヒット曲「Let It Be」があったが、ジョン・レノンはすでにオノ・ヨーコとの1969年のアルバムなどエクスペリメンタルな道をたどっていた。また、プラスティック・オノ・バンドとのヒットも2曲「Give Peace A Chance(邦題:平和を我等に)」、そして「Cold Turkey(邦題:冷たい七面鳥)」があり、間もなくもう1曲のヒット「Instant Karma」を生み出すところだった。
John-Lennon-The-Beatles-1970

ローリング・ストーン誌の表紙を飾った日、ジョン・レノンとオノ・ヨーコはイギリスの民放テレビ番組『The Simon Dee Show』に出演するため、ロンドン・ウィークエンド・テレヴィジョンのスタジオにいた。黒人の社会活動家であるマイケルXとともにスタジオに行き、翌日に放送された番組には俳優のジョージ・レーゼンビーも出演していた。

一方で、ジョージ・ハリスンは全英トップ20のヒット曲となったラダ・クリシュナ・テンプルの「Hare Krishna Mantra」の次作として、トライデント・スタジオで「Govinda」を制作していた。ザ・ビートルズは各々に独自のプロジェクトを追求しており、その後まもなく、グループは正式に解散することになる。

Written by Paul Sexton


 

Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

1 Comment

1 Comment

  1. Pingback: オノ・ヨーコ85歳の誕生日:世界に平和と相互理解を広めた‘世界で最も有名な無名アーティスト’ uDiscover

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Don't Miss