パティ・ラベル:評論家から見下されるも41才でポップスターとなった“クイーン・オブ・ロック&ソウル”

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Photo: Ebet Roberts/Redferns

パティ・ラベル(Patti LaBelle)と言えば、ドラマテイックなソプラノ・ヴォイスの代名詞である。50年以上に渡るキャリアを通して、フィラデルフィア生まれの本名パトリシア・ルイーズ・ホルトは、ありえないほどの高さにまでツンツンに立てた「アールデコ」の髪型、歌っている最中の大振りで生き生きとした動き、隣のブロックからでも聴こえそうなほどの頭声で知られている。

オーディエンスに靴を蹴り入れ、ステージをのたうち回り、翼のように腕を上下させてどんな場所も目一杯に使い切るのだ。彼女が毛皮に身を包んで部屋に入り、笑顔を投げかけると一番遠い部屋の隅までが明るくなる。彼女は輝きと流麗さ、優雅さを代わる代わるまとったり、時にはこのすべてをいっぺんに出したりしながら、ステージを動き回る。パティの存在感は、すごい。

彼女はまた、型どおりに歌ったりもしない。彼女は前触れもなくキーやオクターブをよく変え、曲のリフに導かれるままに歌い、必要とあれば曲の元々の構成やメロディを無視した。キャリアを通してラベルは「パティらしさ」を抑えることを拒否したため、批評家に絶賛されることも、メインストリームの一画にいたアレサ(・フランクリン)やディオンヌ(・ワ−ウィック)、ダイアナ(・ロス)と同列に並ぶこともなかった。

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グループ時代からソロへ

パティはキャリア初期のザ・ブルーベルズ時代、1962年の「I Sold My Heart to the Junkman」ですでにトップ40のヒットを放っていた。その後、ヴォーカル・グループのラベルとしてフーチャリスティックなグラム・ファンクとロックの融合をひとしきり試み、ついに名曲「Lady Marmalade」で1位に輝いた。しかし、ノーナ・ヘンドリックスがラベルを脱退したのに続いてパティ・ラベルがソロになったが、その創作活動は長い間うまくかみ合わなかった。

だが、その停滞期も、パティの熱心なファンやレーベルは彼女を見捨てなかった。彼女は新しいやり方やソングライター達、プロデューサー達とともにサウンドを試行錯誤し続けたのだ。彼女自身も、柔軟に順応しようとした。80年代の半ば、それがとうとう実を結んだ。近い年代のシンガー達がオールディーズのコンサートを行うようになっていた中、41才のパティは「New Attitude」でとうとうポップ・スターの地位を得たのである。

41才でつかんだヒット

「New Attitude」(新しい態度)は、すでにベテランの域に入っていた彼女の宣誓でもあり、初めてのオフィシャル・ビデオで、ラベルはシックなブティックの試着室から、トレードマークのツンツン・ヘアーとスター然とした格好で現れたのだ。ソロになってから数年が経過していたが、まるでデビューした瞬間のようだったのだ。

そして1984年、エディ・マーフィーのアクション・コメディ『ビバリーヒルズ・コップ』のサウンドトラックのリード・シングルに、パティが抜擢された。この作品では、エディ・マーフィーが急激にスターになっただけではなく、このサウンドトラックでパティはMTV世代にも知られるようになり、全米シングルチャートの20位以内に入った。

「New Attitude」に続いて放った「Stir It Up」により、パティは新しいキャリアが拓け、MCAと新たに契約した。自分の知名度が上がった理由は、才能が開花したというより新しいオーディエンスから注目されたせいだと、彼女は驚くほどよく自覚していた。1985年、彼女はワシントン・ポスト紙の取材で語っている。

「“New Attitude”のおかげで、それまでよりもずっと多くの白人向けのラジオ局が私の曲をかけるようになったんです。ついにその時が来た。私は枠に嵌められるのは大嫌いだったからね」

「音楽は音楽、カテゴリーに入れられるべきではない。黒人というだけでR&Bシンガーと呼ばれてしまうと、たくさんの人が心を閉ざしてしまう。“彼女の歌はきっと場違いだろうし、耳を塞ぎたくなるだろう”とか言ってね。実際、R&Bシンガーであればおそらく、与えられた曲ならなんでも歌える。私はすべてのラジオ局、テレビ番組、ミュージック・ビデオ専門局に受け入れられたいんです」

1986年、パティは、MCAからの初めてのアルバム『Winner in You』をリリースし、それに先駆けてパワフルなバラード「On My Own」を出した。これは、ポップの巨匠バート・バカラックが、彼が頻繁にタッグを組み、ミューズとして崇めているディオンヌ・ワーウィックのために作ったものの、結局1985年のアルバム『Friends』に収録されなかった曲である。

もともと離婚について一人で振り返る内容のバラードだったが、パティ本人がいろいろ考えた末、ドゥービー・ブラザーズの元リードシンガー、マイケル・マクドナルドが加わることになった。レコーディングは東海岸と西海岸に分かれて別々に行われたが、魔法のようにすばらしい結果をもたらした。

「On My Own」はビルボード・ホット100、R&Bチャート、アダルト・コンテンポラリーのチャートの1位に輝き、どのチャートでも数週間君臨し、1986年のグラミー賞では最優秀ポップ・ヴォーカル・バイ・デュオ・オア・グループ部門にノミネートされた。この曲は、今日までラベル、マクドナルド両者最大のヒットとなり、とくにパティは、派手に歌いすぎると彼女を見下していた音楽評論家からついに認められるようになった。

「クイーン・オブ・ロック&ソウル」の称号

「On My Own」のヒットで『Winner in You』は全米アルバムチャートでも初登場1位を果たし、パティ・ラベルに「クイーン・オブ・ロック&ソウル」の称号を与える批評家さえ出てきた。これは、アレサ・フランクリンとティナ・ターナーのど真ん中に入る肩書きであり、ディオンヌ・ワーウィックを含め、この4人はキャリアの終盤だと思われがちな40代に入ってからポップ・スターにまで昇り詰めるという勝利を収めた。ワシントン・ポスト紙のインタビューに彼女はこう率直に答えている。

「私もまだまだだな、と思わされる事柄はたくさんあります。でも、みんなから十分成功していると思ってもらえるだけで、とてもいい気分になれる。それでまた、がんばれるのね。みなさんが私の歌の愛してくれて、私をスーパースターだと思ってくれるから。とても嬉しいことだけれど、自分でわかっていることもあって」

「これから、私の時代が来る。まだ来てないの。そう、まだね。いま、建築中の家の外階段を上っているところで、もう少しで玄関に入れるんです」

1989年、パティは9枚目のアルバム『Be Yourself』をリリースし、その中にダイアン・ウォーレンが作詞した「If You Asked Me To」が収録されていた。この失恋を歌ったバラードは、ジェームズ・ボンド・シリーズ『007 消されたライセンス』の主題歌としてサウンドトラックに収録され、同年にリリースされた。大人気のボンド映画の関連作品だったにもかかわらず、この曲はR&Bチャートのトップ10に入っただけに終わり、クロス・オーバー・ヒットにはならなかった。しかし、数年後、セリーヌ・ディオンがカバーした時は全米シングルチャートの4位になり、アダルト・コンテンポラリー・チャートの1位となった。

数年後、ディオンのグレーテスト・ヒッツにこの曲が収録された際、評論家のゲオフ・エドガーズはこう書いた。

「ヒット曲(If You Asked Me To)のヴォーカルでディオンは嘆き、すがり、私をまた受け入れて、と叫ぶ。ホィットニー・ヒューストンやマライア・キャリーが吹き込んだ歌と同等の、すばらしいモダン・ソウルとして再評価されるべきである」と書いている。ここでパティによる原曲の嘆き、すがり、叫ぶヴォーカルを引き合いに出さなかったのは不思議でなる。いや、そう不思議でないかもしれない。2007年にカナダのメディアにセリーヌ・ディオンのカバーの方が売れた理由を聞かれた際、ラベルは率直に「だって、彼女は白人女性だから」と答えているのだ。そして、「人々は黒人女性が歌うより、白人のアーティストが上手に歌う方を評価するの。45年間歌ってきたけれど、それが私がまだ乗り越えようとしている障害ですね」

パティのポップ・チャートにおける頂点は「If You Asked Me To」のヒットと『Winner in You』となり、90年代を通してR&Bチャートでヒットを飛ばし続けることになる。ブラック・ミュージック愛好者の間では彼女は祝福され、愛されているが、ほかの同格のアーティストほどはメインストリームからいまだに評価されていない。2008年、ディヴィッド・ネイサンはロサンゼルス・タイムス紙にこう書いている。

「パティ・ラベルの名前は誰でも知っている。アメリカ人なら、彼女が何者かわかっている。だが、音楽の購買者にパティ・ラベルのヒット曲を尋ねても、ほとんどが答えられない。答えられるのは黒人のオーディエンスだけだ。アメリカとは、そういう国なのである」

長年、パティはより広いファン層を渇望してきたが(テレビや料理本、熱狂的な売り込みをしたパティ・パイ、テレビ番組『ダンシング・ウィズ・スター』に出演までして、名前を広げてきたのだ)、彼女はあることを熟知していた。彼女のスーパースターとしての地位は−−もしくは、その欠如は−−、彼女の才能とは関係ない、という点である。セリーヌ・ディオンが「If You Ask Me To」をヒットさせ、その現実が明らかになったのは、彼女のキャリアでもっとも厳しい出来事であった。そして、ラベルは偏見に満ちた音楽業界にいつもの呪文を繰り返したのだ。

「私を打ちのめすことはできない。本来の私より小さい存在だと感じさせることも。だって、マイクさえ握れば、私が誰か思い知らせてあげられるから」

Written By Naima Cochrane

uDiscovermusicで連載している「ブラック・ミュージック・リフレイムド(ブラック・ミュージックの再編成)」は、黒人音楽をいままでとは違うレンズ、もっと広く新しいレンズ−−ジャンルやレーベルではなく、クリエイターからの目線で振り返ってみよう、という企画だ。売り上げやチャート、初出や希少性はもちろん大切だ。だが、その文化を形作るアーティストや音楽、大事な瞬間は、必ずしもベストセラーやチャートの1位、即席の大成功から生まれているとは限らない。このシリーズでは、いままで見過ごされたか正しい文脈で語られてこなかったブラック・ミュージックに、黒人の書き手が焦点を当てる。




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