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【独占インタビュー】ソフト・セル後のマーク・アーモンドのソロ・キャリアを振り返る

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確かに耳触りのいい作品を送り出していた時期もかなりあったとはいえ、マーク・アーモンドを”ポップスの王道”に位置付ける者はまずいないだろう。彼のキャリアは、ほとばしる怒りと並外れた好奇心、そして変りもの大好きという個性によって、芸術性と大衆性の両面が並立したものになっているのだ。

このことをアーモンド自身はリーズ・ポリテック (現リーズ・ベケット大学) での学生時代に培われた部分が大きいと語っている。そこで彼はクリエイティブな自分というものに気づくことができたと言う。「表現力のある、オープンな人間にならないとっていう気にさせられたんだ」。父親との関係に苦しんだ少年期が背景にある彼にとって、それはまさにカタルシスをもたらす経験だった。彼は言う。「父には悪魔がベッタリと棲みついていたんだと今では理解しているよ。その悪魔の一部が自分に棲みついているということもね」。

ソフトセルの人気が異様に高まったことで、マーク・アーモンドと彼のバンドメイトであるデイヴ・ボールは息苦しさを感じ始めた。彼らは、ヒットの連発によってBBCの音楽番組「Top Of The Pops」に頻繁に出演する一方で、彼らが拠点にしていたニューヨークのレコーディング・スタジオの刺激的で強烈なエネルギーが刺激ともなって、よりダークで複雑なテーマを扱うようになっていった。全キャリアを概括できる10枚組のCDボックス『Trials Of Eyeliner』の中でも、特に初期に顕著なハイライトの一つともなっている1983年のシングル「Numbers」は、不実で残忍なセックス依存というテーマを扱いながらUKチャート入りをも果たしている。

Numbers

 

アーモンドとボールは、やはりバンドを解消する以外にないという結論に至るが、そのことでマーク・アーモンドはより幅広い領域での実験に集中できる自由を手に入れることができた。実は彼は、ソフトセルがまだ活動中だった時に『Untitled』というマーク・アンド・ザ・マンバス名義による初のLPを発表している。彼に言わせればそれは「思いつきアイデアのEP」で、息抜きがてらのプロジェクトだったとのことだが、だが1983年にリリースした2作目の『Torment And Toreros』は、ファンや批評家からクラシックと評されるものになった。なかなか大変だったらしく、マークは「僕の人生は、怒りの感情がきっかけでものすごいクリエイティビティが生まれることがしょっちゅうだった。あのアルバムの時は特にそうだったよ」と述べている。

アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズのアノーニ (アントニー・へガティ) がこの2作目に影響を受けたことはよく知られていて、彼女は2012年にマークをロンドン・メルトダウン・フェスティバルに招いて全編を披露してもらってもいる。マークが述べている。「あのレコードはとてもオーガニックに作ったから、またもう一度っていうのは厳しいかと思ったよ。でもメンバーもある程度の数が戻ってきてくれたから、劇場作品にでも取りかかる気持ちで気合を入れたんだ」。マークは今、非常に高く評価されたこのリバイバル・ステージを超えるものはそうないだろうと感じている。

マークはソロ活動を続けていく中で、ヒット・チャートでの成果を上げつつも同時に彼のアーティスティックな側面に期待している人々に応える独特な作品を生み、彼の創造性はカメレオン的な指向性を示し始めた。80年代半ばの海外生活によって刺激を受けた彼が生み出したのが87年リリースの問題作『Mother Fist And Her Five Daughters』だった。マークが言った。「バルセロナに長期間いたんだ。アブサンがたんまり置いてあるバーを飲み歩いていたよ。 あのレコードはそういう場所で聞いたフラメンコからかなり影響を受けているんだ。そういう意味でのフォークっぽさがあるアルバムかなと今は思うな」。

大陸にはさらにマークの創作意欲をかき立てるものがあった。1989年には、彼が敬愛するジャック・ブレルの楽曲を採り上げてより多くの人々に紹介してみせ、彼の名を冠したアルバムをリリースした。1991年のシングル「Jacky」は大ヒットを遂げることになるが、この12曲入りのアルバムはイギリスでのチャートインは果たせていない。しかし、その直後にリリースされたジーン・ピットニーとの共演によるシングル「Something’s My Hearts of My Heart」は本国でチャート1位を獲得し、同時に再び実験的なスタイルで聞く者を驚かせ続けようというマークの確固とした姿勢を示すことになった。

 

ジャック・ブレルの楽曲との関わりはその3年前から始まっていたのだが、それがテーマとして繰り返されるようになると、当時マークが在籍していたレーベルであるEMIはそれらの作品との関わりを拒んだ。こうしたクリエイティブな面での四苦八苦はマークのキャリアを語る上で欠かせないものではあるが、彼と財布の紐を握る者との不安定な関係は必ずしも居心地の良いものではない。マークが述べている。「A&R担当者の話には僕はきちんと耳を貸すタイプだし、年齢を重ねるにつれて対処も上手くなっているよ。新しいレーベルで始めた時は、しっかりやらなきゃと思ってはいてももっと良いアドバイスを聞いておいたらとか、もっときちんと話を聞いておけばとか、そう思ったことが時々あった。例えば『Vermine In Ermine』(1984年のソロ・デビュー時) は余りにも出すのを急ぎ過ぎた。ソフトセルの延長的な、ケバくて安っぽいLPにしたかったというのはあった。ただしギターとストリングスはもっと入れるべきだったと思うんだ。あのレコードは大好きなんだけれど、ちょっと考えが足りていなかったよ」。

1991年の『Tenement Symphony』のヒットによって復活した後、マーク・アーモンドは再び回れ右をしてみせる。そしてリリースされたのが、彼が多くを自費で賄いパリで完成させた『Absinthe』で、フランス語の楽曲に新たに英詞をつけた楽曲を集めたものだ。現在のマークは『Jacques』よりも納得度は高いと述べている。

1993年に彼はとある国を訪れるが、それは後に彼が現地で絶大な人気を集めるきっかけになった。その年にマークが行なったシベリアを含むロシアでのツアーは、何十年にも及んだソヴィエト時代の圧政の傷に依然として苦しんでいた国の難しさに翻弄された。しかしマークは、彼がそこで目にした困難の中に人間の暖かさやクリエイティブなエネルギーがあるのに気づき、そして魅了された。彼は、「最高に素晴らしいアドベンチャーの一つだった。僕のことをロシアの養子だと呼んだ人達もいたな。ロシア人の心を理解できるからだね。とても複雑で、深く傷が刻まれた場所だよ」と語っている。

その後数年間、マークはソヴィエトの様々なジャンルのスター達と仕事をし始め、ロシア以外の場所では知られていないような楽曲を多数発掘していった。「サウスポート出身の若造があっちに行ってそういうことをするっていうのは、ちょっと聞かない話だよね」と彼は言う。「見つけたそれらの楽曲にすごく親近感を覚えたよ」中でも特別な意味を持つに至ったのが、マークがロシア・オーケストラとレコーディングした「The Sun Will Arise」だ。国内的によく知られている曲だが、国境を超えた場所ではめったに耳にすることはない。

 

「2、3年前にロシアのテレビ番組で歌ったんだけど、それが今じゃ地元のゲイの間でのアンセムみたいな扱いになっているんだ。今はほぼ僕自身の歌という気持ちもあるね。歌詞の翻訳や新しい歌詞で関わっているんだ」そしてもちろん、その曲は『Trials Of Eyeliner』に収録の3枚のうちの1枚に収められている。2004年のオートバイによる事故から回復し、20世紀締めくくりの年の耽溺性の問題を克服して以来、トラディショナルなポップスと自己表現に徹し切った音楽とのバランスを取りながら、マークの仕事量はかなりのペースで増加していった。

2011年リリースの『Feasting With Panthers』では、マイケル・カッシュモアとのコラボレーションによってジャン・ジュネをはじめとする詩人の作品を用いて音楽を制作してみせた。2014年のジョン・ハールとともに制作した『Tyburn Tree (Dark London) 』では、イギリスの首都の過去の暗い地下を探索するという相変わらず実験的なテーマに取り組んでいる。マークが語る。「マーク・アーモンドは2人いると言われるのもはわからないでもない。でも僕自身にとってはそんな感じじゃないよ。今自分が夢中になっていることに本気で夢中になって、自分の作っているものが常にみんなにとっての刺激になるように専念しているんだ。いつでも自分にひらめきを与えてくれる何か新しいものを探しているね」。

マーク・アーモンドのキャリアの幅広さを思えば、厳密で明快極まりないポップ・チャートに頼ることなく自らを代表する楽曲を一つだけ選べというのはいかにも無茶な話だが、マークが結局挙げたのは2010年のアルバム『Variete』に収録されていた、アルバム『Trials Of Eyeliner』のタイトル・トラックだった。彼は言う。「僕の数十年間に渡るセクシャリティの変化を語っているからさ」。それは、この曲の内容が彼の実体験に基づいたものだということも一つにはあるだろう。だが、それにしても現在の彼が自身の過去をいかに大局的に正しく捉えているかがわかる、見事な見識だ。マークはこのパワフルなバラードで、”They didn’t care enough(連中は軽く考えている)”と歌う。その非難の矛先は我々に向けられているわけではないだろう。

Written By Mark Elliott


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