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ミスフィッツのグレン・ダンジグはいかにしてハードコア・パンクからメタル界のアイコンになったか

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ミスフィッツのメンバーだったグレン・ダンジグが、ハード・ロック・クルーナーからメタル・アイコンへ昇格を果たした背景には、常にどこまでもクリエイティヴィティを追求したいと言う確固たる欲求があった。グレン・ダンジグは昔からどんな時でも絶えずがむしゃらに前を見続け、時にはそれが誰かを孤立させることになっても少しも厭わなかった。

すべての始まりは1977年、グレン・ダンジグがニュージャージー州ローディで、マリリン・モンローの遺作となった映画からその名を取ったミスフィッツを結成したことに端を発する(訳注:映画の邦題は『荒馬と女』、原題は『The Misfits』)。彼はドラマーのマニー・マルティネスをスカウトし、そのマニー・マルティネスが連れてきたのが、グレン・ダンジグ以外で唯一ミスフィッツのパーマネント・メンバーとして在籍しているジェリー・カイアファだった。バンドに加入した当時、ジェリー・カイアファはまだベースを始めて2か月しか経っておらず、更にバンドは結成から僅か6か月で、ギタリストもいないままレコーディング・スタジオに飛び込んだ。グレン・ダンジグ自ら起ち上げたレーベル、ブランク・レコードから出したミスフィッツのファースト・シングル「Cough/Cool」 とB面曲の 「She」で、グレン・ダンジグはエレクトリック・ピアノを弾いている。ジェリー・カイアファの苗字が誤表記されてしまったために、自分の名前のクレジットを「ジェリー、ジェリーだけでいいよ(Jerry, only Jerry)」と主張したのが元で、以来現在まで彼はずっと変名のジェリー・オンリーを使用している。

最初のレコーディングはお馴染みのミスフィッツのサウンドとは程遠いものだったが、それでもバンドの原材料は間違いなく既にそこにあった。バンドは最初の数本のショウを――この時点でもまだギター抜きで――こなし、ようやくギタリストを加えてからは、よりパンク・ロック寄りのサウンドを打ち出せるようになった。彼らに運が巡って来たのは、マーキュリー・レコードが同社傘下のレーベル、ブランク・レコードからペル・ウブのアルバムを出すことにした時だった。彼らはこのレーベル名の権利をグレン・ダンジグが所有していることを知らなかったのである。その権利譲渡の引き換えに、マーキュリーはミスフィッツに30時間分のスタジオ代を提供したのだった。

ミスフィッツはそこで本来デビュー・アルバムとなるはずだった『Static Age』をレコーディングしたが、リリースを買って出るレーベルは現れなかった。そこで彼らはそのセッションの音源を複数のEPやシングルのフォーマットに仕立て、新たに設立した自主レーベルのプラン9からリリースした。曲はどれもB級カルト・ホラー映画の『蝿男の逆襲(原題:Return Of The Fly)』や『Teenagers From Mars』、アメリカの60年代や70年代に起こった歴史的な大事件からインスピレーションを得て書かれたものだ。例えば 「She」 は悪名高きパティ・ハーストの物語[訳注:アメリカの新聞王ウィリアム・ハーストの娘。1974年2月に過激派組織に誘拐・洗脳されて強盗などの犯罪に手を染めたが、翌年逮捕され、服役して79年に出所]であり、また 「Bullet」はJFKの暗殺をテーマにしている。これはミスフィッツを起源とし、ミスフィッツによって完成した新しいパンクのサブジャンルすべての触媒となった。そう、ホラー・パンクだ。70年代メロディック・パンクのいいとこ取りに、よりハードコアなエレメントを加えて、ミスフィッツは更にパンクとメタルという本質的に異なるシーンの橋渡し役となった。

このレコーディングから間もなく、ミスフィッツは今や彼らのトレードマークとなったルックスを模索し始める。それまでの彼らはレザーで固めたジャージのチンピラ然とした出で立ち(その他大勢の初期パンクにかぶれた連中同様)だったが、“ガイコツペイント”メイクと象徴的なデヴィル・ロックのヘアスタイルはすぐに彼らのイメージとして定着し、ゴス系インフルエンサーとしての立場を確固たるものにした。現在では至るところで見られるクリムゾン・ゴーストのロゴが彼らのフライヤーにちょくちょく登場し始めたのもこの頃で、それから程なくして、彼らはグレン・ダンジグ在籍時唯一のアルバムとなる『Walk Among Us』をレコーディングした。

この頃のミスフィッツのライヴはもはや伝説だ。彼らが頻繁に出演したライヴ拠点、マクシズ・カンザス・シティは、彼らの出番前に必ずステージ近くのテーブルを撤去するのが常だった。そうしなければ徹底的に壊され、ギグが終わる頃にはただのガレキの山にされるばかりだったからだ。もうひとつのギグのお約束の儀式は、ステージ上の垂木(たるき)から、死んだ動物の解体済みの部位を吊るすという演出だった。

しかしながら、グレン・ダンジグは次第にミスフィッツに対して興味を失うようになっていた。彼は新しいバンドのために曲を書き始め、ミスフィッツとして最後のアルバム『Earth AD』が、バンドの解散宣言の2か月後にリリースされる段取りとなった。1983年のハロウィーンの夜にデトロイトで行なわれた荒れ模様のショウの終わりに、グレン・ダンジグは観客に向かい、これが自分のこのバンドでの最後のショウだと告げた。彼の次のステップはサムハインというグループだった。

サムハインは当初彼が、友人でミスフィッツのフォトグラファーであり記録係でもあったベーシストのイーリー・ヴォンと共に企画したサイドプロジェクトだった。ミスフィッツの『Earth AD』に収録されていた 「Bloodfeast」 や 「Death Comes Ripping」といった曲は、元はサムハインのファースト・アルバムに収録されるはずだったものであり、とりわけサムハインの最初の2枚のリリースには、ミスフィッツの作品と言われても違和感のないサウンドの曲が幾つも収められている。だが、真の意味でダンジグの進化へと繋がったのは『Samhain III: November-Coming-Fire』だ。スタイルやジャンルを自在に飛び移るこのアルバムの収録曲の多くは、彼のそれまでの作品とは違っている――そして何より重要なのは、どの曲もまるでミスフィッツとは違うサウンドになっていることだ。

図らずも1986年のある晩、デフ・ジャム/デフ・アメリカンの創設者、リック・ルービンが、メタリカのベーシスト、クリフ・バートンのアドバイスにより、ニューヨークのザ・リッツで行なわれたサムハインの最後のショウに足を運んでいた。このショウはニュー・ミュージック・セミナーという業界のイベントの一環で行なわれたもので、リック・ルービンは前年のこのイベントで彼のレーベルの第一号契約アーティスト、スレイヤーを発見したのだった。

1989年のインタヴューの中で、グレン・ダンジグはサムハインを始動させる前に、バンドに自分の名前を付けることを検討したものの、それでは「あまりにビリー・アイドルだ」と感じて考え直した、と語っている。だがリック・ルービンは、ダンジグという名前のバンドを始めることで、より大きなアーティストとしての自由度が約束されると彼を説得した。かくてダンジグは、イーリー・ヴォンを契約の一部に組み込む形で、リック・ルービンとサインを交わした。もっとも、サムハインを終わらせてから最初のリリースはダンジグ名義ではない。映画『レス・ザン・ゼロ』のサントラに収められた、エルヴィス・プレスリーのような甘い歌声を聴かせるバラード「You And Me (Less Than Zero)」のクレジットには、“Glenn Danzig And The Power And Fury Orchestra”という名義が記載されている。このサントラ盤では、グレン・ダンジグはロイ・オービソンのために似たようなスタイルの曲を書いたのだ。間もなくサムハインを解散させたグレン・ダンジグは、サムハインからベーシスト兼長年の友人であるイーリー・ヴォンだけを残し、大物パンク・ドラマーのチャック・ビスケッツ(ブラック・フラッグ、DOA)とギタリストのジョン・クライストを新たに雇い入れた。

イーリー・ヴォンは2017年の『The Void Report』でこう語っている。「俺たちは20人ぐらい色んなギタリストを試したんだけど、ジョンはその中の最後だったと思う。俺は彼は凄く良いと思ったし、レコード会社の連中も、リック・ルービンも同じ意見だった。ただグレンはずっと、『俺は気に入らねえな、だってあいつメタル野郎じゃんか』って言っててね。それでルービンが彼を晩飯に連れてったんだけど、ジョンがずっとグレンの留守電に、自分がプレイしたサムハインの曲を延々残し続けてたんだってさ。グレンがボヤいてたよ、『あいつマジで頭オカシイよ! メッセージ代わりに自分でギター弾いてるのをずっと入れてんだぜ』って。俺は言ったよ、『まあ、要するにそれくらいこの仕事をやりたいってことだろ』」。

サムハイン後期の曲でも証明されている通り、グレン・ダンジグはソングライターとして幅を広げつつあったが、そこにどんなものでもこなせる多才なギタリストが加わったというわけだ。イーリー・ヴォンは続ける。「リハーサルで、グレンが何かアイディアを思いついてリフを口ずさむだけで、ジョンは『分かった』って言って、その場で5つぐらい選択肢を提示しちゃうんだからね」。

こうして彼らは定番となるダンジグ・サウンドを築いていった。サムハインのデス・ロックはブルーズを基調にしたハード・ロックに塗り替えられ、ダンジグはジム・モリスンやロイ・オービソン、エルヴィス・プレスリーを彷彿とさせる甘いテナー・ヴォイスを武器として駆使するようになった。バンド名をそのまま冠したダンジグのアルバムのほぼ全曲が、とりわけカーステレオで鳴らすと最高だったが、それと彼らの最も重要な持ち味である、AC/DCにも通じる身体を疼かせるような低音のリズムでクラブにはうってつけのサウンドになっていた。骸骨のカヴァー・アートワークから聖書のエッセンスがちりばめられた歌詞、そしてダンジグの真似しやすいがなり声まで、『Danzig』には元ミスフィッツをメタル・アイコンとして受け容れさせるに十分な条件が揃っていた。

メタルヘッズもロック・ファンも、ダンジグの検閲反対のアンセム 「Mother」には大いに奮い立った。ティッパー・ゴアとPMRC(Parents Music Resource Center)による、ロックをクリーンなものにしようという試みを阻止するために書かれたナンバーである。この曲がFMラジオで絶えずかかり続け存在感を示していたことが、ダンジグをメインストリームへと押し上げ、そこら中にいるロック・ファンが彼らの聴いている“悪魔の音楽”に対して小言ばかり言う親たちに対する格好の手っ取り早い切り返しを手に入れることになったのだった。

ダンジグ・サウンドの成功はセカンド・アルバムの『Danzig II: Lucifuge』、続く『Danzig III: How The Gods Kill』でも途切れることはなかった。ダンジグのファースト・アルバムはヴォーカルを前面に押し出したミックスで、ドライなサウンドに仕上がっていたが、その後はアルバム毎に先進的で鮮烈なプロダクションが打ち出され、ジョン・クライストのソロが重要度を増す一方、メンバー全員のミュージシャンシップも確実に成長を見せていた。メタルヘッズはダンジグに飛びついたが、彼らにはこの先に更なる成功が待っていた。

1993年、彼らはEP『Thrall: Demonsweatlive』をリリースする。半分は新曲、半分はライヴ音源という構成のこの盤には、「Mother」もライヴ・ヴァージョンで収められていた。ミュージック・ビデオはMTVでヘヴィ・ローテーションとなり、人々はダンジグの初期の作品の魅力を再発見すると共に、昔のミスフィッツの曲にも触れることになったのだ。また、当時人気絶頂だったメタリカやガンズ・アンド・ローゼスが、自分たちのライヴセットの中でミスフィッツのナンバーをカヴァーするという現象もこの頃から始まった(ガンズのお気に入りは 「Attitude」で、一方メタリカは「Green Hell」や 「Last Caress」を取り上げていた)。

相変わらず守りに入ることを嫌うダンジグは、『Danzig IV』のリリース前に、バンド・サウンドではなくホラー映画のサントラのようなクラシック楽曲を収録したアルバム『Black Aria』をリリースし、インダストリアル・ミュージックへの挑戦を開始した。「そりゃあその気になれば、‘Mother’みたいな曲を 20回ぐらい書いて、たんまり金を儲けたり、バカでかいアリーナでプレイすることも出来るだろうけど、それは俺が本当にやりたいことじゃないんだよ」グレン・ダンジグは語る。「それよりもう違うことを始めて、これまで踏み込んだことのない領域を探るべき時なんだ。願わくば今出て来てる他のバンドの中にも、俺たちと同じような考え方に基づいて、このジャンルを拡張していくようになってくれたらいいんだけどな」。

常に限界を押し広げながら、ダンジグは同時に過去にも目を向けている。2012年、彼は1968年のエルヴィスのカムバック・スペシャルにオマージュを捧げた『Legacy』をレコーディングし、ダンジグとして作品をリリースする傍ら、ここ数年何度となく行なわれているミスフィッツの再結成ライヴにも参加している。自らの名前を冠したバンドでデビュー・アルバムをリリースし、ダンジグというペルソナを解放してから30年を経た今も、グレン・ダンジグは変わらずパンクとメタル両方のパイオニアであり続けているのだ。

Written By Joe Dana


ダンジグ『Danzig


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