狂気のスラッシュ感染:発言から読み解くスラッシュ・メタル史

March 11, 2018


狂気のスラッシュ感染:発言から読み解くスラッシュ・メタル史

 

精密さとスピードに重点を置くスラッシュ・メタルが登場したのは、1980年代初頭のこと。その後80年代を通じ、スラッシュはヘヴィ・メタル界を支配していった。このムーヴメントの“四天王(Big 4)”として知られるようになったのが、メタリカ、スレイヤー、メガデス、そしてアンスラックスといった米国のバンドだ。一方、ドイツのクリーターや、ブラジルのセパルトゥラといったバンドもまた、スラッシュが世界的な足場を築く一助となった。

そんなスラッシュの先駆者達が、その影響源や黎明期から2010年代における世界的な復活までの歴史を彼ら自身の言葉で語るのが、この発言集である。

信じられないような話かもしれないが、アメリカのスラッシュ・メタルの起源は、英北東部ニューカッスルという、スラッシュとは全く縁のなさそうな地に遡る。そこで地道な活動を行っていたのが、ヴェノムという型破りなメタル3人組であった。

クロノスことコンラッド・ラント(ヴェノム:ベーシスト/ヴォーカリスト):俺が当初活動していたシーンでは、パンクだけではなく、ストーンズディープ・パープルといった定番のロックをやってる連中もいた。俺達の曲があまりに速かったもんだから、他のバンドに「お前らはマトモに楽器が弾けないんだろ」って、よくからかわれたよ。 「Angel Dust」は、モーターヘッドやUFOみたいなのをやってみようとして作った曲で、そこからもっと速く、もっと速くって、どんどん加速していった。で、そいつを次の段階に進めようじゃないかって考えたわけさ。苦もなくそのスピードに対応できると分かったから、「いいじゃねえか? 可能な限り高速でやってやろうぜ」って思ったんだよ。皆、この速度にあっけに取られるだろうな、ってね。

Jeff Mantas Photo

マンタスことジェフ・ダン(ヴェノム:ギタリスト):メタルのレコードを買う人達は、何かそれまでとは違うものを受け入れる準備が出来ていたんだと思う。で、そんなシーンに俺達は出て行き、そいつを叩きつけ、観客に気に入られたってことなんだ。俺達がやった最初のスラッシュ・メタル・ソングは、多分「Witching Hour」だと言っていいんじゃないかな。どうやってあれを作ったのかって? ポール・スタンレーが言ってたんだけど、KISSのメイクをどうやって思いついたのかって訊かれた時、彼はこう答えてたんだ。「誰かがミシシッピ川に落ち、7kgの金塊を拾って出て来たとしても、そいつは天才呼ばわりはされないだろ」ってね。俺達はただしたいようにしただけで、計画的なものじゃなかったんだよ。

トム・アラヤ(スレイヤー:ベーシスト/ヴォーカリスト):ヴェノムが存在してなかったら、スレイヤーが生まれなかった可能性は高いね。彼らのアルバム『Welcome To Hell』(1981年)と『Black Metal』(1982年)は、うちのギタリストのケリー・キング(故)とジェフ・ハンネマンに大きな影響を与えたんだ。

チャーリー・ベナンテ(アンスラックス:ドラマー):高速で叩きたいという俺の欲求は、特定の幾つかのバンドに触発されて生まれたんだけど、特に英国出身のバンド、例えばモーターヘッドや、もうひとつ俺の当時のお気に入りだったヴェノムから影響を受けたんだ。

スラッシュ・メタルの米国での足掛かりとなったのがカリフォルニアなら、その心の故郷となったのがサンフランシスコのベイエリアだった。ベイエリア最初かつ最大のスラッシュ・バンドはメタリカだが、彼らは元々ロサンゼルスの出身。ギタリストのデイヴ・ムステインは、初期のメンバーであった。そしてメタリカの発展においてもうひとつの重要な鍵となったミュージシャンが、クラシック音楽を学んだベーシストのクリフ・バートンだった。だが彼は1986年にツアー・バスの事故に遭い、悲劇的な若さで亡くなっている。

ジェイムズ・ヘットフィールド(メタリカ:ギタリスト/ヴォーカリスト):スピードに関して言えば、昔はいつも競い合ってたし、お互いの向上のために張り合っていたりもした。速いリズムのやつはどれもすごく楽しいよ。そこに感情をたっぷり込めるんだ。俺の場合、ダウンピッキングとリズムに関する限りは、どんなスピードでも簡単にこなせる。どこまで速くやれるかなんて、自分でも分からないね。

デイヴ・ムステイン(メガデス:ギタリスト/ヴォーカリスト):俺は楽しくAC/DCみたいにやりたかったんだが、自分のギター奏法がそれに向いてなかったんだ。 よりアグレッシヴな演奏スタイルだったからね。心に抱いていた痛みや感情を、自分の内側から剥ぎ取るようにしてプレイしなくてはならなかった。あいにく俺の成長期には、感情面で色んなことがありすぎて、そこから逃避する唯一の方法が酒だったんだ。

ケリー・キング(スレイヤー:ギタリスト):デイヴ・ムステインがメタリカにいた頃、よくライヴを観に行っていたんだ。最高速度でソロをぶっと飛ばしてる時も、彼は全然手元なんか見ずに、素知らぬ顔で辺りを見回しながら弾き切っていて、俺とジェフ・ハンネマンは感動したもんだよ。

ジェイムズ・ヘットフィールド:クリフ・バートンは、今も俺達やファンの心の中に生きている。それは確かだ。何かしていても、俺達は常に心の奥で「すげえぞ! クリフがいたらきっと、めちゃくちゃ気に入るだろうな」って考えてる。あいつはジャムるのが好きで、サウンドの虫だった。サウンドスケープってものが大好きで、しかもヘヴィなやつに夢中だったんだ。ピンク・フロイドだとか、すごくヘヴィなものの大ファンだったんだよ。二人といないようなタイプの男だったね。

デイヴ・ムステインは酒に酔っては問題行動を起こしていたため、83年の早い時期にバンドは彼を解雇。彼がメガデスを結成した一方、メタリカには後任として、ベイエリアが輩出した次なるスラッシャー・バンド、エクソダスのカーク・ハメットが加入した。

デイヴ・ムステイン:彼らはやらねばならないことをやっただけだ、それは分かってる。実際、酒の量次第では、彼らは俺に2度目のチャンスを与えてくれたかもしれない。彼らは俺に20回チャンスを与えてくれていたのかもしれないな。だが、突然終わりが訪れて初めて、事態がどうしようもないほど行き詰まっていたことが分かる場合もあるんだ。

Megadeth Photo 1

ケリー・キング:俺はエクソダスが大好きだったよ。彼らの最初のアルバム(『Bonded By Blood』:1985年)は素晴らしいね。

トム・アラヤ:エクソダスには度肝を抜かれたんだ。俺達はサンフランシスコで彼らと3回一緒にライヴをやったんだけど、地元に帰った時には競争心が湧いていたよ。「俺達がすげえ音楽を作るのに必要なのは、正にあれなんだ!」って思ってね。

カーク・ハメット(メタリカ:ギタリスト):俺がティーンエイジャーの頃に聞いていたのは、UFOの昔の作品や、ウルリッヒ・ロートのソロ・アルバム、昔のスコーピオンズ、ヴァン・ヘイレンの最初から3、4作、それからロビン・トロワーやパット・トラバースみたいな、もっと抽象的なやつだった。それと、リッチー・ブラックモアも沢山ね。

スラッシュ・メタル・ムーヴメントはロサンゼルスにも根を下ろし、そこから数多くのバンドが輩出された。1982年にスレイヤーが結成されたのもLAだ。“スラッシュ・メタル”という新語が生み出されたのは、1983年か84年のある時点のこと。考案者は誰だったのか? 答えをハガキに書いて応募していただきたい……。

チャーリー・ベナンテ:“スラッシュ・メタル”という言葉を初めて知ったのは、雑誌だったと思う。恐らくケラング!誌だったんじゃないかな。ちょうど俺達のアルバム『Spreading The Disease』(1985)が出た頃だね。アンスラックスの他に、この手の音楽をやっていたバンドが4ついたんだ、サンフランシスコ出身のメタリカと、スレイヤー、エクソダス、それからメガデスはファースト・アルバムを出したばかりだったと思う。

エリック・ピーターソン(テスタメント:ギタリスト):“スラッシュ・メタル”っていう用語が出てくる前に、俺達は“スピード・メタル”という言葉を使ってたんだ。仲間内の多くがスピード(※覚醒系ドラッグ)を相当キメていてね。金曜日の夜に出かけては、日曜日に朝帰りしたもんさ! ずっと徹夜で一睡もしないまま、ヤバいものでトリップしてたってわけ。

ブライアン・スレイゲル(<メタル・ブレイド>レーベル創設者):その用語を思い付いたのが誰だったのか、ずっと考えているよ。サンフランシスコの誰かだったかもしれない。その(スラッシュ・メタルの)シーンは、あの街では喜んで受け入れられてたからね。

ジム・マーティン(フェイス・ノー・モア ギタリスト):スポーツ・ジャケットを着た太った連中が、密室のマーケティング会議で開発した言葉のように思えるね。俺自身がこの言葉を大声で口にしたことは、今までないと思う。

その後間もなくスラッシュは、いわゆる“四天王”、つまりメタリカ、スレイヤー、メガデス、そして新たに加わったニューヨーカーのアンスラックスが支配。そして海外でも、特にドイツやブラジルで、スラッシュのシーンが誕生した。

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ミレ・ペトロッツァ(クリーター:ギタリスト/ヴォーカリスト):俺達は熱意に溢れた単なるガキで、とにかく自分達の聴いているバンドみたいな音を出したいと思っていたんだ。俺達は“テープ・トレーダー”(※世界中のマニア同士で、非常にマイナーなメタル・バンドの音源テープを交換し合うファン)だったんだよ。アンダーグラウンドなメタル界のあらゆるものを聴いていた。ハイラックスや、セパルトゥラ、ポゼスト、デスなんかをね。それで、自分達もそのシーンに加わりいと思ったんだ。俺達のアルバム『Pleasure To Kill』を今聴いても、これだよこれって思うね。

アンドレアス・キッサー(セパルトゥラ:ギタリスト):所属レーベルの<ロードランナー>は、俺達みたいなブラジルのバンドと契約するってことで大きな賭けに出たんだ。当時のギター・プレイには、スレイヤーやメタリカ、クリーター、ヴァイオレンスからの影響が色濃く出ていた。どれも良い出来ではあったけど、ツアーでの経験を通じて、俺達はミュージシャンとしてすごく成長したし、他のタイプの奏法にも興味を持つようになったんだ。

ミレ・ペトロッツァ:イギリスの人達は俺達のことを“ヘイト・メタル”と呼んでいたものさ! その由来となったのは、アルバム『Endless Pain』と『Pleasure To Kill』の間にリリースしたEP『The Flag Of Hate』なんだが、同時に当時の俺の絶叫するような歌い方が元にもなってる。でもそれが音楽に合ってたんだ。

スラッシュ・シーンが国際的な注目を集める中、主要バンドは互いに覇権を求め、激しい競争を展開。その過程では、公開罵倒合戦が繰り広げられていた。

ラーズ・ウルリッヒ(メタリカ:ドラマー):ロックン・ロールやヘヴィ・メタルの世界には、太く短く生きるとか、常軌を逸した行動に出るとかいった要素が沢山あるけれど、やがては手元に今あるものに充足感を覚えるような境地にたどり着く。そこでは、確執だの何だのは重要じゃなくなるんだ。もちろん、そういうのは良い新聞ネタになるし、くだらないことを言った罪を問われるなら、俺達は皆、手を挙げて有罪を認めるよ。

ケリー・キング:お互い確かに張り合ってはいたが、少なくとも俺自身と俺のバンドに関して言うなら、大いに賞賛もしていたよ。メタリカの新作が出る時は、俺達はいつも発売前に手に入れるのを楽しみにしていたんだ、何が起きているのか確かめたかったからね。そして向こうも俺達に対して同じ気持ちだったはずだよ。

カーク・ハメット:俺は誠実で正直な人間だし、因果応報ってものを信じてる。そんなことでいちいち頭を悩ませたくはないんだよ。人生にはもっと重要なことがあるからね。それに、誰が何を言ったかとか、そういうことで腹を立てる気もない。俺は自分という人間をよく知っているから、その手のことを気に病んだりは全くしないんだ。そういうくだらない応酬をするつもりはないよ、気にしたこともないしね。そんなバカげたことに関わりあってる暇はないのさ。

Slayer Photo 1

スラッシュ・メタルの創造性が最初のピークを迎えたのは、1986年と87年。4作の驚異的なアルバムがリリースされた時のことだ。つまり、メタリカの『Master Of Puppets』、メガデスの『Peace Sells… But Who’s Buying』、アンスラックスの『Among The Living』、そしてスレイヤー『Reign In Blood』である。そのうち『Reign In Blood』のオープニング・トラック「Angel Of Death」は物議を醸し、バンドにとって問題を引き起こした。

ジェフ・ハンネマン(スレイヤーのギタリストで、「Angel Of Death」の作詞・作曲者):訳が分からなかったね。俺がその曲を書いた頃、バンドにはまだツアー・バスもなくて、自分達で車を運転してギグの会場を回っていたんだ。車に乗ってる間は読書くらいしかすることがなかったから、(ナチスで人体実験を行った悪名高い医師)ヨーゼフ・メンゲレに関する書籍を幾つか本屋で見かけて、それを買った。邪悪な題材として、彼のことを曲に書けると思ったんだ。その後、俺は人々からナチ呼ばわりされるようになって、それで言ったんだよ、「ふざけんな! このバンドにはチリ出身の男もキューバ出身の男もいる。そんな俺が一体どうしてナチになんかなれるってんだ?」とね。

ケリー・キング:俺もジェフもまだ22歳だったってことを覚えておいてもらわないとな。3作目のアルバムを出したにしては、まだ相当若い年齢だし、ましてやそれを残りのキャリアの基準にするには若過ぎるよ。あれは凄い時期だったね。俺達は皆、すごく若かった。あのアルバムはものすごく気に入ってるんだ。今、俺達はライヴの最後を「Raining Blood」で締めくくっている。だけどセットのどこでそれをプレイしようと、オーディエンスの顔がパッと輝くんだよ。今でも、この曲をやって皆がめちゃくちゃ大暴れすると、ものすごい快感を覚えるよ。

1990年代後半にリリースされた2つの重要なアルバム、つまりメガデスの『Rust In Peace』とスレイヤーの『Seasons In The Abyss』、そして90年後半から91年夏にかけて行われたツアー『Clash Of The Titans』で、スラッシュ・メタルは商業的なピークを迎えた。

ケリー・キング:スラッシュ・メタルの隆盛は間違いなく異質な出来事で、誰にも予見したり計画したりできるようなものじゃなかった。皆で積み上げていったものが高い頂となり、爆発したんだよ。そしてそのサウンドが、その後25年間生き続けていくことになった。俺逹は分かってなかったけど、そうやって成し遂げられたものだったんだ。

デイヴ・ムステイン:『Rust In Peace』は間違いなくひとつの頂点だったね。「これはいける」って、俺達自身も思った。そいつを(有名なスタジオ・ワークの第一人者)マックス・ノーマンとミックスしていた時に、自分達は重要なバンドなんだと自覚したことを憶えてるよ。

スコット・イアン(アンスラックス:ギタリスト):『The Clash Of The Titans』のツアーで俺達は、持てる限りの全力を出し切らなきゃならなかったんだ。でないと毎晩、スレイヤーに完膚なきまでに打ち負かされてしまうからね。あのツアーでは、彼らのドラムキットの後ろに、俺専用の一人分の小さなモッシュピットを用意してたんだよ。彼らには最高に熱いファンがついているし、彼らは自分達が一番得意なことをやってる。だから俺達は最大限の力を出し尽くさなくてはならなかった。あのツアーが面白かったのは、出番を公演毎に入れ替えていた所だね。そしてメガデスは、絶対にスレイヤーの後には出演しないと言って聞かなかった。出演の順番は、メガデス、スレイヤー、アンスラックス、もしくはアンスラックス、メガデス、スレイヤーのどちらかで、メガデスがスレイヤーの後にプレイしたことは一度もなかった。俺達はこう即答したよ、「アンスラックスはどんな出演順でも構わないぜ」とね。

デイヴ・ムステイン:あのツアーはすごく懐かしいな。バンド間の意見の相違だとか性格の不一致だとかはあったけどさ。振り返ってみて、あれは大成功だったと思う。

Anthrax Photo 1

メタリカは1991年8月、スラッシュから脱却したアルバム『Metallica』(別名『The Black Album』)をリリースし、それが大ヒットとなった。そしてグランジ・バンドのニルヴァーナが『Nevermind』を発表したのは、その1ヶ月後のことである。スラッシュ・メタルは一気に過去の音楽となり、数作の重要なアルバムを除き、このジャンルはほぼ10年近く、世の中に忘れ去られてしまうことになった。

チャーリー・ベナンテ:スラッシュのブーム全体がピークに達したのは、1989年から1990年の間だったと思う。メタリカが『The Black Album』をリリースしてメインストリームに食い込んだ頃、あれがピークだったと思うね。その後、グランジがシーンに登場し、オルタナティヴ・ミュージックが台頭した。それで終わったのさ。

ミレ・ペトロッツァ(クリーター):90年代には、メタルのジャンル全体がアイデンティティの危機に晒されていたし、俺達自身もそうでなかったとは言えない。だけど実験的なアルバムを作ることは、俺達にとって重要だったんだよ。俺達も自分達なりの道を模索しなければならなかったからね。いずれにしろ、そういったアルバムでも、俺達のスラッシュ・メタルのルーツが完全に消えて無くなったことは一度もなかった。実験的なものにのめり込み過ぎて、自分のルーツだとか、自分が本当は何を体現しているのかを忘れてしまわないよう、バランスを保つのが難しい時もあるけどね。

アンドレアス・キッサー:クリーターやデストラクション的な曲からは脱却したんだ。俺達にはグルーヴがあって、それを気に入ってくれた人が大勢いた。そいつは単に、俺達がツアーを通じて色んなことを見てきた結果だったんだけどね。俺達は他のバンドより成熟していたから、演奏もそこまでアグレッシヴじゃなかったしさ。

ケリー・キング:90年代後半には、本当にうんざりしてしまったんだ。なんでリンプ・ビズキットが売れてたのか、俺には理解できなかった。あれは響いたよ、音楽をやりたくなくなった。もしこれが音楽の進むべき道だというなら、もういい、こんなの嫌だって思ったのさ。1998年のアルバム『Diabolus In Musica』の大部分をジェフ・ハンネマンが書いたのは、それが理由なんだ。あれは俺にはファンキー過ぎるからね。

デイヴ・ムステイン:(1999年のアルバム)『Risk』を出した後、バンドをやる気が失せたんだ。当時の音楽シーンはオルタナティヴ・ミュージックが全てで、AC/DCやアイアン・メイデンのように、自分達の信念を守る強きメガデスであり続ける代わりに、誰もが皆、俺と他の3人にプレッシャーをかけてきた。そして俺にも限界ってものはある。

2001年8月、当時ガンで療養中だったテスタメントのヴォーカル、チャック・ビリーの治療費を募るチャリティ公演として、コンサート『スラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ(Thrash Of The Titans)』がサンフランシスコで開催され、多数のスラッシュ・メタル・バンドが再集結。これがアメリカでのスラッシュ復活の引き金となり、それに続いてヨーロッパやイギリスでも、若手バンド達による00年代の新たな波が起きた。

デニス・ペパ(デス・エンジェル:元ベーシスト):2001年にチャック・ビリーのためのチャリティ公演に出演するよう依頼された時、俺達は「くそっ、やったろうぜ!」って言ったんだ。あのライヴがなかったら、俺達がまた一緒にやることはなかった。あれがなかったら、俺達のケツを叩くものは何もなかっただろう。

ミレ・ペトロッツァ:今の新しいバンドは、俺達が過去にやってきたことから明らかに影響を受けているが、どれも素晴らしいね! 俺達が20年前にやったことを、彼らが今発見しているんだとしたら、それこそ正に、このシーン全体を言い表す宣言みたいなものだよ。だってメタルってのは、「お前も他の連中も、皆クソ喰らえだ。俺は俺のやりたいことをやってやる!」って言い放つことであるべきだから。

チャーリー・ベナンテ:スラッシュは予期せず生まれ、その後出現することになる多くの音楽に影響を与えたものであり、かつて素晴らしい輝きを放っていた。そして今、そいつが再燃してるってわけさ。

Big Four Tour Photo

スラッシュ・メタルの復活が立証されたのは、2010年から2011年にかけ、メタリカ、スレイヤー、メガデス、アンスラックスが、共にヨーロッパとアメリカで一連のアリーナ公演を行った時のことだ。万国のスラッシャー達よ、団結せよ——まるで再び1986年が訪れたかのようではないか!

カーク・ハメット:1988年だったら、どんな理由であれ、こんなライヴは絶対に実現しなかっただろうね。1998年だったら誰も関心を持たなかっただろうし。それが2010年にはビッグ・ニュースになったんだ。全く驚きだよ! 最初はジェイムズ(・ヘットフィールド)の発案だったんだ。“四天王”が一緒にツアーしたらきっと素晴らしいだろうなって、ある日彼が言ってね。それで俺達は皆、頭を掻きながら、「ああ、そりゃきっと最高だろうな」ってことで意見が一致したのさ。めちゃくちゃ面白かったよ。まるで1985年に戻ったかのようだったから。髪は大分少なくなったけど、経験の方は大分積んだからな!

スコット・イアン:他の皆と同じく、俺達もその噂は耳にしていた——しばらく前からそういう噂が飛び交っていたんだよ。面白かったね。街を歩いてると、人々が文字通り俺に近づいてきて、「なあ、あれって本当か? 本当に? 例の『四天王ツアー』は本当にやるつもりなのか?」って尋ねてくるんだから。他の3バンドとの共演という公式オファーが俺達の所に来た時は、本当に興奮したよ。お互いに電話やメールをやり取りしながら「何てこった! マジかよ!  こんなの信じられるか?」って言い合ってたんだ。

ラーズ・ウルリッヒ:こういったことの実現を拒むには、人生は短すぎるのさ。俺はメタリカが懐メロ・アクトになることを望んじゃいないが、それと同時に、俺達は自分達の過去を愛してるし、尊重してるし、自分達の過去に感謝している。新たに芽生えた人生観や、人間関係に対する感謝の気持ちを胸に、思い出の旅路をたどりながら過去の瞬間を追体験するのは、すごく楽しいよ。

ケリー・キング:どうやらスラッシュは好調のようだね。90年代初めのように、自滅するようなことになるとは思わない。

ジェイムズ・ヘットフィールド:サウンドと演奏に関して言えば、俺達が相当数の人々に影響を与えたことを誇りに思ってるよ。ちょうど聖火リレーみたいなものなんだ。俺達はダイアモンド・ヘッドや、モーターヘッド、シン・リジィを始めとする様々なバンドに触発され、それを消化し、自分達なりの表現を生み出した。そしてそれがまた次の世代へと伝えられていくわけで——そいつを別の段階へと持っていくかどうかは、彼ら次第なのさ!

Written By Joel McIver


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