Join us

Stories

キース・ジャレットのベスト20曲とその経歴:ソロ、トリオ、カルテットから選んだピアノの名演

Published on

Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

アート・テイタムの衝撃的な鍵盤演奏から、セロニアス・モンクのパーカッシブなミニマリズム、ビル・エヴァンスのメランコリックな情熱まで、ジャズは多くの傑出した個性的なピアニストを輩出してきた。そして20世紀後半から21世紀初頭にかけて最も影響力のあるピアノ奏者の一人、キース・ジャレット(Keith Jarrett)は、即興で作曲された長尺のソロ・リサイタルで有名な多才な音楽家だ。

完ぺきな音程を持つ神童だったピアノの天才キース・ジャレットは1945年、ペンシルバニア州アレンタウン生まれた。3歳でピアノを始め、1年後にはテレビのタレント番組に出演し、7歳で初めてコンサートを開く。10代後半にはボストンの名門バークリー音楽院に通い、1965年にニューヨークに移り住み、そこでドラマーのアート・ブレイキーがかの有名なハードバップ・グループ、ジャズ・メッセンジャーズの空席だったピアニストとして彼を採用した。

その1年後の1966年、彼は初のソロ・アルバムを発表し、サックス奏者チャールス・ロイドの画期的なカルテットにも参加。1970年にはマイルス・デイヴィスの境界線を越えたアヴァンギャルド・ジャズ・ロック・バンドでエレクトリック・オルガンを演奏している。

そして1971年、キース・ジャレットはミュンヘンを拠点とするプロデューサーのマンフレート・アイヒャーのレーベル、ECMとの長いキャリアをスタートさせた。その4年後には、ソロ・ジャズ・アルバムとしては史上最高のセールスを記録したアルバム『The Köln Concert』をリリースし、ジャズ界のスーパースターとなった。

彼はソロ・コンサートを続ける一方で、70年代には、前衛的な「アメリカン・カルテット」と、スカンジナビアのミュージシャンから成るそれほど奇抜ではないグループ「ヨーロピアン・カルテット」の2つのカルテットを同時に率いている。

キース・ジャレットは、その才能と音楽的関心の広さから、クラシック音楽の世界にも足を踏み入れ、オーケストラ作品を書き、様々な舞台で演奏してきた。1983年には、グレート・アメリカン・ソングブックのレパートリーを再解釈するためのスタンダード・トリオを結成。このグループは多産で長続きし、26年間の生涯でジャレットの最も満足のいく作品のいくつかを生み出した。

ジャレットのようなアーティストにとって、彼の最高傑作を20曲選ぶのは簡単なことではない。彼は優れたマルチ・インストゥルメンタリストだが、彼の代表的な楽器はピアノだ。この後の紹介では、彼の卓越した鍵盤作品のみに焦点を当てている。

<関連記事>
キース・ジャレット『サンベア・コンサート』限定盤復刻エディションが発売
酷いピアノと体調不良で中止寸前のなか録音された『The Köln Concert』


ソロ・コンサート / The Solo Concerts

この旅路を始めるのに最もふさわしい場所は、彼の有名なソロ・リサイタルである1975年の『The Köln Concert』、最も重要で影響力のあるライヴ録音から始めまよう。

この66分間の演奏は逆境を乗り越えた勝利だった。旅行と睡眠不足で疲れていたジャレットは、このコンサート・ホールの完璧ではないピアノの音が嫌いで、背中の装具をつけながら演奏した。最終的には、この二枚組のLPは、ピアニストが最もメロウな状態で演奏しているところを捉えたものとなった。演奏は最初から最後までスリル満点だが、冒頭の最も長い即興曲「Part 1」は、始まりは緊張感がありながらも徐々に展開していき、豊かに刺繍された音のタペストリーを作り上げるという魔法のような演奏となっている。

ジャレットのファンの中には、1973年にドイツとスイスで録音された3枚組のLPセット『Solo Concerts: Bremen/Lausanne』が、彼の即興演奏の頂点だという方もいるだろう。オープニングの「Bremen, July 12, 1973 – Pt. 1」では、ビル・エヴァンスのほろ苦いロマンチシズムとアーマッド・ジャマル(両ピアニストともジャレットに多大な影響を与えた)の正確なメロディックな明快さが融合している。

より美しいかもしれないのは、43分間の即興曲で、光り輝くノクターンとして始まる1975年の日本ツアーを収録した10枚組LPボックス・セット『Sun Bear Concerts』オープニング曲である、「Kyoto Part 1 / 京都1976年11月5日(京都会館ホール) パート 1」だ。

ライヴでは、観客の存在がジャレットを恍惚としたオルガズム状態へと駆り立てるようだった。彼の演奏には、しばしば恍惚とした叫び声やうめき声が添えられていた。しかし、1977年のスタジオ・ソロ作品『Staircase』が示すように、ジャレットのインスピレーションを掻き立てるためには、必ずしも観客が触媒として必要というわけではなかった。この2枚組のアルバムには、4つのマルチ・パートをテーマにした即興曲が収録されており、その中の「Sand: Part 2」では、ジャレットの軽快な右手のラインがオスティナートのようなベース・ラインの上をカスケードしていき、創造的な衝動が音楽的な現実となっていく様子を表現している。

ジャレットのライヴ・インプロヴィゼイションのすべてが大作というわけではない、1981年のLP 『Concerts / ブレゲンツ・コンサート』に収録されている「Heartland」のように、ゴスペル音楽の高揚したカデンツが流れるような、堂々とした、そして心のこもった賛美歌で簡素なものもある。

後年のジャレットのソロ・コンサートは、しばしば複数のパートからなるスイート・コンサートとして構成され、彼の音楽には、より暗く、しかしクラシックの影響を受けた説得力のある側面が見られた。2006年にヴェネツィアで録音された『La Fenice』に収録されている「Part 1」では、複雑な対位法が渦巻いており、不穏な不協和音を散りばめた緻密なマトリックスとなっています。

アメリカン・カルテット / The American Quartet

70年代初頭、ソロ・ピアニストとしての名声が花開いていた頃、ジャレットはサックス奏者のデューイ・レッドマン、ベーシストのチャーリー・ヘイデン、ドラマーのポール・モチアンという先輩ミュージシャンで構成されたバンドを率いていた。ジャレットが同時期にECMから録音したヨーロッパのカルテットと区別するために「アメリカン・カルテット」と名付けられたこのグループは、1972年にリリースされた輝かしいダブル・アルバム『Expectations』でグループとして勢いを増し、中でもファンキーでパーカッションを多用した「Common Mama」という楽曲が目立っていた。

この後、カルテットはアメリカのジャズ・レーベルであるインパルスと契約し、1973年から1976年にかけて、ジャレットのキャリアの中で最も冒険的な音楽を生み出した8枚のアルバムを発表した。1974年の『Treasure Island / 宝島』に収録されている 「The Rich (And The Poor)」は、ジャレットのゴスペルを取り入れたピアノと、中毒性のあるミッド・テンポのグルーヴが特徴の、より親しみやすい曲の一つです。また、『Treasure Island / 宝島』のタイトル曲では、ギタリストのサム・ブラウンがデューイ・レッドマンの代わりにジャズとロックの融合を軽快に奏でている。

The Rich (And The Poor)

アメリカン・カルテットの最高の演奏の一つが、1973年のライヴ・アルバム『Fort Yawuh』に収録されている「De Drums」だ。この曲は、そのDNAの中にゴスペル音楽のヒントを含んだ、陽気でシンプルなモーダル・グルーヴ。それとは対照的に、「Everything That Lives, Laments」のオープニングの荘厳さは、より深い激しさを感じさせる。ここではレッドマンのテナー・サックスに導かれて、雄弁なヘイデンのベース・ソロに続き、ジャレットのソロが光り輝くような崇高な即興演奏を聴かせてくれる。

Everything That Lives Laments

1977年の『Byablue』に収録されている「Rainbow」と1978年のLPのタイトル曲「Bop-Be」は、このグループのより親しみやすい側面と直感的なインタープレイにスポットライトを当てている。両曲とも、デューイ・レッドマンが不在のため、ジャレットがヘイデンとモチアンの微妙なスウィングの上に絶妙に流れるようなメロディックなラインを作り出すトリオ作品となっている。

Bop-Be (Take 2)

 

ヨーロピアン・カルテット / The European Quartet

ジャレットは、サックス奏者のヤン・ガルバレクとドラマーのヨン・クリステンセンという2人のノルウェー人ミュージシャン、そしてスウェーデン人ベーシストのパレ・ダニエルソンと自身のピアノを組み合わせ、「ヨーロピアン・カルテット」としてECMのためにカットした2枚のスタジオ・アルバム、1974年の『Belonging』と1978年の『My Song』で、忘れがたい印象を残した。

前者のアルバムにはジャレットの最も有名な曲の一つである「Long As You Know You’re Living Yours」が収録されている。この曲は、ブルースとゴスペルの要素をミックスしたもので、ガルバレクの清らかなサックスの叫び声がバックビートに乗ったものだ(この曲は後にジャズロック・グループ、スティーリー・ダンの1980年のトラック「Gaucho」のインスピレーションになっている)。ジャレットの熱を帯びたピアノに乗せた「The Wind Up 」では、このノルウェー人のサックスの歌声がより緊急性の高いトラックを演出している。

ジャレットのもう一つの代表曲は、1978年の同名アルバムからの「My Song」だ。この曲では、このピアニストのほろ苦い牧歌的なバラードと記憶に残るメロディが印象的で、エピソード形式の 「The Journey Home」では、音楽家としてのジャレットのユニークなストーリーテリング能力が発揮されている。ヨーロピアン・カルテットはライヴでも魅力的なパフォーマンスを披露しており、イン・コンサート・アルバム『Nude Ants / サンシャイン・ソング』に収録されている多幸感に満ちたカーニバル風の「New Dance」に代表されるように、ステージ上でのグループの相乗効果を体現していた。

 

スタンダード・トリオ / The Standards Trio

70年代の終わりには、アメリカとヨーロッパのカルテットは解散してしまった。しかし1983年、ジャレットは、チャールス・ロイドやマイルス・デイヴィスのバンドで共演していたドラマーのジャック・ディジョネット、ベーシストのゲイリー・ピーコックとチームを組み、新しいバンドを結成。「スタンダード・トリオ」と名付けられたこのグループは1983年から2009年まで活動し、グレート・アメリカン・ソングブックに捧げられた21枚のアルバムをリリースした。

ステージでもスタジオでも、3人のミュージシャンは音楽のテレパシーを持っているように見えた。それは、ビリー・ホリデイの 「God Bless The Child」(1983年のグループの名を冠したデビュー・アルバムに収録)の急進的な解釈や、2000年のライヴ・アルバム『Whisper Not』に収録されたディジー・ガレスピーのビバップ・クラシック 「Groovin’ High」の驚くべき再編成で明らかになっている。

ジャズの歴史を彩ってきた伝説のピアノ演奏家たちと同様に、キース・ジャレットも熟練したテクニシャンであるというだけではない。それはすべての偉大なミュージシャンの特徴であり、これらの作品にはそれが深く感じられる。

Written By Charles Waring



キース・ジャレット『Sun Bear Concerts』
2021年2月19日発売
限定直輸入盤

※全世界:2,000ボックス限定。シリアル・ナンバー付き。
※オリジナル・マスターテープからのオール・アナログ・マスタリング。
※1978年に初版発行されたオリジナル版の復刻。16ページのオリジナル冊子の復刻版を含む
※ドイツの歴史ある製紙工場の紙のみを使用した手づくりパッケージ
※深緑の印刷の上にオリジナルECMクラシック・シルヴァー・ロゴを載せたレーベル面




Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

Click to comment

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss