最高のヒップホップ・ラブ・ソング・ベスト25【動画付】

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「愛」はこれまでも何世紀にもわたってポピュラー音楽の特別な原動力となってきた。そうして、R&Bの失恋ソングからパワー・バラードに至るまで、ありとあらゆる曲が生まれてきた。とはいえ、ヒップホップではどうだろうか。

ラップ・ミュージックは自分の優しい面を表現したい人たちに対して喧嘩腰の態度をとることが多かったが、それでもヒップホップのラブ・ソングの中には大ヒットしたものがある。今回リストアップした25曲のヒップホップ・ラブ・ソングは、そのヒットの理由を証明してくれるだろう。

今回のリストから漏れているラブ・ソングの傑作はないだろうか? あなたに何か思い当たる曲があるのなら、記事の下部にあるコメント欄を通じて、私たちに教えていただきたい。

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25位 2パック「Can U Get Away」(1995年)

強面だという評判はつきまとっているが、2パックはアルバム『Me Against The World』で自らの優しげな側面を表現することができた。メイズ&フランキー・ビバリーの「Happy Feelings」をサンプリングしたこの曲で、2パックは恋する相手にDV男との関係から離れるように説得しようとしている。2パックは繊細ではあったが、決して感傷に溺れることはなかったのだ。

 

24位 モス・デフ「Ms. Fat Booty」(1999年)

ヤシーン・ベイ (以前のアーティスト名は「モス・デフ」) は、ヒップホップがメインストリームの商業主義に陥ろうとしていた20世紀の末頃、その内省的な歌詞の内容で大きな注目を集めた。とはいえ1999年のアルバム『Black On Both Sides』は、すべてが社会意識の高いラップで構成されていたわけではない。その例として「Ms Fat Booty」を挙げよう。

この曲は、シャリースという信じられないほど魅力的な女性と出会い、しばらく付き合ったあと、彼女からの連絡が途絶えて悲しみにくれるというシンプルなストーリーになっている。このモス・デフのストーリーは微妙なかたちで結末を迎える。シャリースがストリップ・クラブで他の女性と踊っているところを彼の友人が目撃するのである。

 

23位 MC・ライト「Poor Georgie」(1991年)

MC・ライトは、女性ソロ・ラッパーとして初めてアルバムをリリースしたという栄誉の持ち主だ。イースト・フラットブッシュ出身の彼女は、3枚目のアルバムでヒップホップ界の大物となった。

「Poor Georgie」では、付き合っている相手が浮気男だとわかっているのに、見て見ぬふりをして済ませている。やがてその男は自分が癌であることを知り、飲酒運転をして早死してしまう。このストーリーの教訓はこうだ。

「誰かを愛しているなら、愛していると何度も口に出すこと/相手がいつ棺桶の中に入るのかわからないのだから」

 

22位 ジェイ・Z「Excuse Me Miss feat. Pharrell」(2002年)

ファレルのファルセット・ボーカルをフックで起用し、ネプチューンズがプロデュースを担当した「Excuse Me Miss」は、ジェイ・Zが単なるラッパーから巨匠へと変身したことを象徴している曲だ。

ここでの彼はアルマーニのスーツを着てヘリコプターで飛び回り、愛する人と食事をしている。「これはセクシーな大人のための曲」と彼はラップし、官能的なグルーヴの王様、ルーサー・ヴァンドロスの「Take You Out」のサビを引用している。

 

21位 メソッド・マン「I’ll Be There For You / You’re All I Need To Get By」(feat. Mary J Blige)(1995年)

メソッド・マンは、1994年にリリースしたアルバム『Tical』で成功を収めた。これはウータン・クランのメンバーがグループでのデビュー後に作った最初のソロ作品で、これ以後ウータンのメンバーのソロは数多く発表されることになる。

とはいえ彼をポップ・チャートに押し上げるには「All I Need」のリミックスである「I’ll Be There for You/You’re All I Need to Get By」に女性アーティストが参加することが必要だった。メアリー・J・ブライジはヒップホップにルーツを持つ最初のR&Bスーパースターの一人で、ファーザー・MC、グラン・プバ、プリンス・マーキー・ディーのレコードにゲスト参加するとともに、自分のアルバムでもラッパーを何度もフィーチャーしていた。

メソッドとメアリーは実に自然な組み合わせで、かつてマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルが披露したすばらしいソウル・デュエットを彷彿とさせる。この1995年のヒット曲に挿入されている「You’re All I Need To Get By」のオリジナル・ヴァージョンは、マーヴィン&タミーがレコーディングしたヴァージョンだった。

 

20位 パフ・ダディ「I’ll Be Missing You (feat. Faith Evans and 112)」(1997年)

ヒップホップのラブ・ソングは、ロマンチックなものばかりではない。これは、パフ・ダディがわずか2ヶ月前に殺害された仲間であるノトーリアスBIGに捧げた曲で、ノトーリアスの未亡人であるフェイス・エヴァンスとR&Bスターの112の協力を得ることで生まれた。

1983年にリリースされたザ・ ポリスのヒット曲「Every Breath You Take」のヴァース、コーラス、構成をかなり参考にしたこの曲は大ヒットした。

 

19位  UTFO「Ya Cold Wanna Be With Me」(1987年)

ニューヨークのヒップホップ・グループであるUTFO (アンタッチャブル・フォース・ オーガニゼーション) は、ブルックリンのバンドからプロデューサー・チームに転じたフル・フォースと組んで、1980年代に数枚のアルバムを制作した。その中の一枚『Lethal』(1987年) には、「Ya Cold Wanna Be With Me」という曲が収録されている。

ドクター・アイス、エデュケイテッド・ラッパー、カンゴール・キッドの3人はスターの座にのし上がっていたが、そうした境遇にまつわる問題に直面していた。そして、女たちが自分たちと一緒にいたいのはステータスのためなのか、それとも純粋な愛からなのか、公の場で考えようとしていた。

 

18位 レイクウォン「Ice Cream (feat. Ghostface Killah, Method Man, and Cappadonna)」(1995年)

ウータン・クランのファースト・アルバムの成功を受けて、グループ・メンバーのソロ・レコードが大量にリリースされた。これは、プロデューサーであるRZAのマスタープランの一環だった。レイクウォンが1995年に発表したアルバム『Only Built 4 Cuban Linx…』は厳密にはソロ作品ではあるが、非常にたくさんのゲストが参加しており、この「Ice Cream」も例外ではない。

バンド・メンバーのゴーストフェイス・キラとメソッド・マンをフィーチャーし、さらにはウータン人脈の一人であるカパドンナがレコーディング・デビューを飾ったこの曲は、女性をアイスクリームのフレーバーになぞらえながら口説いている。あまりにもクレイジーなアイデアではあるが、ことによるとそれが吉と出たのかもしれない。

 

17位 ギャング・スター「Lovesick」(1990年)

ギャング・スターは、ボストン育ちのMCであるグールーとヒューストン育ちのプロデューサー、DJ・プレミアがブルックリンで結成したグループだ。彼らは1980年代後半から00年代前半にかけて成功を収めた。

彼らの2枚目のアルバム『Step In The Arena』に収録されている「Lovesick」では、グールーが大切な恋人の嫉妬心や軽んじられて無視されているという心境を悲しげに語っている。

 

16位 ファット・ボーイズ「Don’t You Dog Me」(1984年)

1983年にもなると、イースト・ニューヨークのティーンエイジャー、プリンス・マーキー・ディー、クール・ロック・スキー、バッファ・ラブの3人から成るファット・ボーイズは、当時の世界2大ヒップホップ・グループの1つとなっていた (もう1つはランDMC) 。

そしてヒップホップ界の伝説的存在であるカーティス・ブローがプロデュースしたデビュー・アルバムは、1985年5月にゴールド・ディスクに認定された。そこに収録された「Don’t You Dog Me」は、サンプリングが主流になる前、つまりヒップホップの「ドラムマシン時代」の曲だ。

ファット・ボーイズは1985年に公開された映画『クラッシュ・グルーヴ』に出演し、高校の科学の授業から追い出された後の場面でこの曲を口パクで歌っていた。

 

15位 スプーニー・ジー「Love Rap (feat. The Treacherous Three)」(1980年)

ヒップホップのラブ・ソングのゴッドファーザーがいるとすれば、それはスプーニー・ジーである。「Love Rap」のイントロは、ザ・トレチャラス・スリーも彼に力を貸している。1980年の時点ではヒップホップはまだ産声をあげたばかりだったが、スプーニー・ジーはその前の年にこのジャンルの最初期のシングルの1つである「Spoonin’ Rap」をリリースしている。

当時のヒップホップはライブ・パフォーマンスが主で、はっきりとしたヴァースやコーラス、あるいは一貫したテーマがなかった。「Love Rap」にもそうした性格が反映されている。パンプキンとプーチ・コステロによるドラムとコンガの生演奏に乗せて、スプーニーは約6分間にわたって自分の恋愛についてライミングし続ける。

 

14位 ビズ・マーキー「Just A Friend」(1989年)

ビズ・マーキーは、MC・シャンやロクサーヌ・シャンテのビートボックスを担当していたことから、ジュース・クルー・グループの重要なアーティストとなった。彼はリー・ドーシーの「Get Out Of My Life, Woman」のドラムにフレディ・スコットの1968年の曲「 (You) Got What I Need」のコーラスを組み合わせて、このバラードを作り上げた。

ビズのヘタウマ・ヴォーカルと、恋する相手の男友達が「ただの友達」以上の存在であることを知ったというストーリーを織り交ぜたこの曲は魅力的な仕上がりになっている。マーキーのセカンド・アルバム『The Biz Never Sleeps』はゴールド・ディスクとなり、シングル「Just A Friend」は全米シングルチャートで最高9位に到達してプラチナ・ディスクとなった。こうしてコールド・チリン・レコードは大ヒットを手にしたのである。

 

13位 MC・シャン「Left Me Lonely (feat. TJ Swan)」(1987年)

ラリー・スミスがプロデュースしたフーディーニの「One Love」にインスパイアされ、プロデューサーのマーリー・マールは長年友人だったキーボード奏者のアンドレ・ブースと組んでこのバラードを作った。

そして近所のクイーンズ・ブリッジに住んでいたMC・シャンが失恋をテーマとしたラップを披露し、元祖ヒップホップ歌手のT.J.ショーンがフックを歌った。やがて1987年、シャンとスワンはもっと有名なR&Bグループのオープニングを務め、主役のお株を奪うことになる。

 

12位 ザ・ルーツ「You Got Me (feat. Erykah Badu and Eve)」(1999年)

スコット・ストーチのすばらしいビートに乗せて、ザ・ルーツは究極のヒップホップ・ラブ・ソングのひとつを世に送り出した。この「You Got Me」は、彼らのキャリアを変えることになったアルバム『Things Fall Apart』に収録されている。

当初フィーチャーされていたのはジル・スコットだったが、最終的に発表されたヴァージョンではエリカ・バドゥがフックを担当し、同じくフィリー出身のMCであるイヴがゲスト・ヴァースを担当した。ここでブラック・ソートは、ストリート感覚にあふれたラブ・ストーリーを巧みな形で表現している。

 

11位 ア・トライブ・コールド・クエスト「Bonita Applebum」(1990年)

Q・ティップは、まるで砂時計のような極端な体型の女性に夢中になる。もし運に恵まれているのなら、相手も好意を持っているのかもしれない。しかし聴く側には、実際どうなのかはわからない。

彼は「他の奴がしないようなところに」キスすることも厭わないし、必要によっては手持ちの「いかれた予防薬」を使ってもかまわない。

この当時ア・トライブ・コールド・クエストは大人気のヒップホップ・グループのひとつになりつつあったが、育った場所はLL・クール・Jがいたクイーンズのセイント・オールバンズからほんの数ブロックという近さだった。この地域の水道には何かが入っていたに違いない。

 

10位 フーディーニ「One Love」(1986年)

ヒップホップがメインストリームにのし上がる前、ブルックリンのフーディーニはゴールド・ディスクやプラチナ・ディスクを獲得した最初のグループの一つとなった。

クイーンズ出身の強面のラン-DMCとは異なり、ジャリル、エクスタシー、グランドマスター・ディーには女性にモテる雰囲気があった。3枚目のアルバム『Back In Black』に収録されている「One Love」は、恋人がいることを当たり前だと思ってはいけないという教訓を盛り込んだ曲だ。これは、その後1994年にナズが発表した同名の曲の土台になっている。

 

9位 エリック・B&ラキム「Mahogany」(1990年)

ヒップホップのラブ・ソングの歌い手としてラキム・アラーの名前が真っ先に浮かぶことはほとんどないだろう。とはいえ彼は、ダッパー・ダンのジャケットの袖にいくつかのラブ・ソングを隠し持っていた。

エリック・B&ラキムの3枚目のアルバム『Let The Rhythm Hit ‘Em』に収録されている「Mahogany」は、ラッパーがニューヨークでのパフォーマンスの前に女の子と出会い、自分の性的な知識で彼女の脳をマッサージし、マイクを揺らし、彼女を家に連れて帰るというストーリーだ。まさになんのひねりもないストレートな展開だろう。

 

8位 ビースティ・ボーイズ「Netty’s Girl」(1992年)

ビースティ・ボーイズが1992年にリリースしたシングル「Pass The Mic」のB面に収録された「Netty’s Girl」は、エディ・ホルマンが1969年にヒットさせた曲「Hey There Lonely Girl」のパロディだ。

予算ゼロで制作された愉快なミュージック・ビデオでは、マイク・Dがロサンゼルスのエコーパーク湖でペダルボートに一人で乗りながら、女の子についての歌詞を凄まじいファルセットで歌っている。この歌詞に出てくる「Netty」とは近所の廃業したレストランのことを指しており、そこはマイク・Dが恋する相手を見つける場所だった。皮肉なことに、このビデオでカメラを持っていたのはマイクの妻だった。

 

7位 ヘヴィ・D & ザ・ボーイズ「Nuttin’ But Love」(1994年)

ヒップホップのラブ・ソングというカテゴリーにおいて他のMCよりも頭一つ抜け出ているMCがいるとすれば、それはニューヨークのヘヴィ・Dになるだろう。「Nuttin’ But Love」は、女性が金銭的な利益のために男性を利用することを歌った数多くのヒップホップ・ソングのひとつだ。とはいえこの曲の場合では、ヘヴィ・Dの反応は次のようなものになる。「認めざるを得ないけれど、君の作戦は本当にすごい」。

この曲のタイトルそのものがダブル・ミーニングになっている。彼は金を全然持っていない……実のところ、彼に提供できるものといえば、愛しかないのである。

 

6位 ザ・ファーサイド「Passin’ Me By」(1992年)

1990年代初頭のロサンゼルスのサウス・セントラルに存在していたのは、ガッツやギャングスタ、Gファンクばかりではなかった。ザ・ファーサイドの遊び心のあるラップ・スタイルは、すぐ近くで活動していたアイス・キューブやドクター・ドレーよりも、東海岸のネイティヴ・タングズ一派を彷彿とさせるものだった。

彼らのデビュー・アルバム『Bizarre Ride II the Pharcyde』に収録されている「Passin’ Me By」では、MCのブーティ・ブラウン、スリムキッド3、イマニ、ファットリップが付き会ってもらえそうもない女性達のご機嫌をとっている (例えば、ダットサンを運転するチンピラのボーイフレンドを持つ学校の先生など) 。哀れなブーティ・ブラウンがチャンスをつかむ見込みはほとんどなさそうだ。

 

5位 ピート・ロック&CL・スムース「Lots Of Lovin’」(1992年)

1989年、ピート・ロックと名乗る無名の10代のDJが年上のいとこであるヘヴィ・Dのレコードにスクラッチを加えたとき、その後の彼が史上最高のヒップホップ・プロデューサーの一人として認められる日が来るとは誰も考えてなかった。

ピート・ロックと彼のライミング・パートナーであるCL・スムースは1992年にデビュー・アルバムをリリースし、高い評価を得た。その中に収録されていたのが「Lots Of Lovin’」である。

ここでは、オハイオ・プレイヤーズがカバーしたマーヴィン・ゲイの「What’s Going On」をベースに、スムース自身がなめらかなラップを披露している。その歌詞は、疑いようもなくラヴ・ソングのカテゴリーに入るものだ。

 

4位 スリック・リック「Teenage Love」(1988年)

この「Teenage Love」は、10代の恋愛がうまくいかなくなるというストーリーを描いている。スリック・リックはこれを当初ミドルテンポのダンス・トラックに仕立てていたが、前の年にレーベルメイトのLL・クール・Jが発表した「I Need Love」がヒットしたため、ザ・ボム・スクワッドのエリック・”ベトナム”・サドラーとハンク・ショックリーがバラード調に仕立て直すことになった。

歌詞の面では、カップルの片方が相手に対する愛情を失った結果、徐々にふたりの関係が悪化していく様子を完璧なかたちでまとめあげている。

 

3位 ザ・ルーツ「Act Too (The Love Of My Life) (feat. Common)」(1999年)

これはコモンの「I Used To Love H.E.R.」の続編で、ザ・ルーツのブラック・ソートがコモンとヴァースを交わしている。一方コモンはアイス・キューブとの確執に触れるとともに、パフ・ダディを非難している (「Her Daddy beat HER, eyes all Puff-ed」) 。

どうやらここでコモンとザ・ルーツが披露している共通の見解は、「I Used To Love H.E.R.」が出てからの5年間にヒップホップが堕落し続けていた……というもののように思える。とはいえ、ヒップホップが「俺の人生の愛」であることには変わりがないようだ。

 

2位 コモン「I Used To Love H.E.R.」(1994年)

シカゴのラッパー、コモン (当時のアーティスト名はコモン・センス) が恋する相手をめぐる苦悩を描いたこの歌詞を見ていくと、主人公が実はヒップホップそのものを擬人化であることに気付く。ここでの「H.E.R.」は、実のところ「ヒップホップの真髄はリアルさにある (Hip-Hop in its Essence is Real) 」を意味する略語だった。

その結果コモンは、ロサンゼルスのラッパー、アイス・キューブから「西海岸の連中がヒップホップを堕落させている」と非難された。こうして両者の間に確執が生まれ、数々のディス・トラックが生まれた。その様子は、まるで女性をめぐって争っているかのようだった。

 

1位 LL・クール・J「I Need Love」

LL・クール・Jは死ぬほどハードなアーティストだ。そうした性質がこの1987年のバラードを際立たせている。クイーンズのMCであるLL・クール・Jは19歳にしてセカンド・アルバム『Bigger And Deffer』を出し、それがダブル・プラチナ・ディスクに認定された。そんな大ヒット作になった理由は、この曲にある。

「I Need Love」がきっかけとなり、そのあと数年間に渡って数え切れないほどのラッパーが数え切れないほどのヒップホップ・ラブ・ソングを生み出した (出来不出来に差はあったが) 。LL・クール・Jは、その名の通り、レディーズ・ラヴ・クール・ジェームズだった。

ラブ・ソングの名曲はまだまだこれだけではない。以下はその一例である。

ケンドリック・ラマー feat. ザカーリー「LOVE」
カニエ・ウェスト feat. チャーリー・ ウィルソン「Bound 2」
デ・ラ・ソウル「Eye Know」
ニッキー・ミナージュ「Your Love」
スヌープ・ドッグ feat. ファレル「Beautiful」
ブラック・スター「Brown Skin Lady」
ビッグ・ダディ・ケイン「Smooth Operator」
DMX「How It’s Goin’ Down」
LL・クール・J「Luv U Better」
ビヨンセ feat. ジェイ・Z「Bonnie And Clyde 03」
ウェール feat. ミゲル「Lotus Flower Bomb」
ジャー・ルール feat. アシャンティ「Always On Time」
ジャー・ルール feat. ヴィタ「Put It On Me」
タイラー、ザ・クリエイター feat. ヤングボーイ・ネヴァー・ブローク・アゲイン&タイ・ダラー・サイン「WUSYANAME」

Written By Ben Merlis



 

 

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