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インダストリアル・ミュージック創世記と必聴アルバム9枚

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不協和音のループ、難解な歌詞、耳障りなヴォーカル。こうした特徴的要素を持ちアート・ロックに攻撃性とディストーションのかかったシンセ、そして疾風怒濤の混沌を結びつけることで反体制ジャンルとして確立された音楽ジャンル、インダストリアル・ミュージックである。近親相姦的な交雑が頻繁に繰り返され、90年代に全盛期を迎えたこのシーンは、夥しい数のサイド・プロジェクト(主にミニストリー周辺)とリアルな第二の自我(ホワイト・ゾンビとマリリン・マンソン参照)、そしてメインストリームでブレイクを果たし、永続的なポジションを確立したひとりの人物(ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナー)を生んだ。

“インダストリアル”というのはこのジャンルのシンセ偏重型のサウンドを言い表すにはいかにも安易で便利な省略表現である。しかしながら、実はこの言葉が元々示していたのは、70年代半ばにインダストリアル・レコードのアヴァンギャルドな秘蔵っ子、スロッビング・グリッスルが作り出したレーベルの象徴的なサウンドのことだった。レーベルの所属アーティストのひとり、モンテ・カザッツァが「Industrial music for industrial people / 工業労働者のための工業労働的音楽」というスローガンを採用していると公言し、それが新たなジャンル誕生のきっかけとなったのである。

今では激情と結び付けられることの多い音楽だが、インダストリアル・ミュージックのルーツはそれより遥かに頭脳的だった。アンチ・メロディックなアンビエント・サウンドに根差したカウンター・カルチャー・ムーヴメントだったインダストリアル・ミュージックは、ともすればディスコと関連づけられがちなキラキラしたビートを脱ぎ捨て、ニュー・ウェイヴのひらひら飾りも取っ払ってしまった。当時、英国のスロッビング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテール、あるいはアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(後にニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズに加入するブリクサ・バーゲルトをフィーチャーしていた)のようなバンドは、非常に興味深いサウンドを生み出していた。もっとも、彼らのループや無調の創作物が、楽曲という概念に沿ったものだったかという点については、いささか議論の余地があるところだが。

しかしながら、彼らは音楽に欠けているフックをパフォーマンスによって見事に補っていた。とりわけスロッビング・グリッスルは、ハードコア・ポルノや使用済みタンポンといった煽情的なヴィジュアル装置を音楽に併用したため、某国会議員から「文明の破壊者」という形容詞で悪しざまに罵られる事態となった。

スロビッング・グリッスルが意図せずインダストリアル・ミュージックを生み出したとするなら、それを80年代に一気に広めたのが、スロビッング・グリッスルの出来の良い弟分とも言うべき存在で、デビュー・ライヴは文字通りのアート・ショウだったスキニー・パピーである。スキニー・パピーの前身時代、ヘル・オ・デス・デイ(Hell ‘O’ Death Day)と名乗っていた彼らは、元スロビッング・グリッスルのメンバー、クリス&コージーのデュオのオープニング・アクトも務めたことがあった。バンクーバー出身のバンドはこうした美意識を、とりとめのない即興演奏により、大いに刺激的なゴス系エレクトロ・インダストリアル・サウンドへと昇華させたのである。

 

マルチ・イントゥルメンタリストのケヴィン・キーと、故ドゥウェイン・ゴッテル(後にフロント・ライン・アッセンブリーを結成したビル・リーブの脱退を受けて加入)の書くダークな音楽をサウンドトラックに、フロントマンのケヴィン・“ニヴェック・オーガ”オギルヴィーは一度聴いたら忘れられない個性的な唸り声で歌い、血糊まみれのパフォーマンスを展開した。ホラー映画や動物保護活動等にインスパイアされた彼らのライヴやビデオは、後にスキニー・パピーのヴォーカル・スタイルやシアトリカルな演出を踏襲したマリリン・マンソンの登場より遥か前から放送禁止の処分を受けていた。

とは言え、いわゆる実質的なインダストリアル革命が始まったのは1987年頃、それまで自分がやっていたニュー・ウェイヴのサウンドに対して懐疑的になりつつあったミニストリーのアル・ジュールゲンセンが、ケヴィン・オーガに出逢ったことに端を発する。PTPというユニット名の下、2人は機械系統の故障を思わせるような暗黒郷的ダンス・トラック「Show Me Your Spine」をレコーディングし、この曲は映画『ロボコップ』のサントラ盤に収録されることになった。

ベーシスト兼ソングライターのポール・バーカーをクリエイティヴ面でのパートナーに迎えた新生ミニストリーでは、かつては明瞭だったアル・ジュールゲンセンのヴォーカルがどんどんしゃがれたノド声になっていった。彼はツアーにデイヴ・オギルヴィーを招き、1989年の『The Mind Is A Terrible Thing To Taste』でもヴォーカルで参加を依頼したが、当然のことながらその声はメタル・リフをフィーチュアしたインダストリアル・サウンドで殆ど濾過されてしまった。スキニー・パピーのニヴェック・オーガはアルバムの中でも出色のナンバー「Thieves」を共作した上、1989年によりハード路線のサウンドを打ち出した自分のバンドのアルバム『Rabies』制作のプロデュースをアル・ジュールゲンセンに依頼して、他のメンバーたちの不興を買っている。

彼らに熱を上げるファンが増えるにつれ、それまで見過ごされがちだったインダストリアル・ミュージックのパイオニア的存在、すなわちカルト系のゴッドフレッシュ、ミリタリー・ルックで固めたスロヴェニア出身のライバッハ、ギター偏重型のKMFDMといった面々が次第に注目されるようになる。こうして興ったシーンでは更に、ニッツァー・エブやミート・ビート・マニフェスト、フロント242、そしてマイ・ライフ・ウィズ・スリル・キル・カルト――フロントマンのフランキー・ “Groovie Man” ・ナルディエロはかつてニュー・ウェイヴに手を染めていた時代にアル・ジュールゲンセンとコラボ経験あり――等、よりクラブ・フレンドリーなグループにも支持が集まるようになっていった。

アル・ジュールゲンセンはこのジャンルの人脈における要のような存在となっていった。ミニストリーのツアー・ラインナップに、彼はキリング・ジョークのポール・レイヴンからリゴー・モーティスのマイク・スカッチア、プロングのトミー・ヴィクターまで、多彩なメンツを引き入れた。一方、彼の作り出したインダストリアル・メタル・スタイルは、コラボレーションの範囲が広がるにつれ、90年代のラムシュタインやホワイト・ゾンビらの作品でも聴かれるようになってきた。こうした課外活動にはラード(デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラをフィーチュア)、ペイルヘッド(フガジのイアン・マッケイと共に)、リヴォルティング・コックス(フロント242のリチャード23が参加)、アシッド・ハウス(キャバレー・ヴォルテールと合体)、そしてトレント・レズナーがクレジットなしでヴォーカルを務めた別プロジェクト、1000ホモDJsも含まれる。

トレント・レズナーはアル・ジュールゲンセンとケヴィン・オーガから絶大なる影響を受けたアーティストだ。かつてミニストリーのローディとして働いていた彼は、1988年にスキニー・パピーの前座を務めた直後、ナイン・インチ・ネイルズ(以下NIN)としてのデビュー作『Pretty Hate Machine』をリリース。トレント・レズナーは後に、自らのナンバー 「Down In It」は、スキニー・パピーのファースト・シングル 「Dig It」抜きには生まれ得なかったとその影響を認めている。

 

ミニストリーとスキニー・パピーは揺るぐことなきシーンの両巨頭だが、ナイン・インチ・ネイルズはもっとグローバルな野心を体現していた。彼が後年プロデューサーとして発揮する強みを理解するには、NINの1992年のインダストリアル・スラッシュ作品『Broken EP』収録の「Suck」で展開される過激な主張を聴く必要がある。メンバーが激しく入れ替わるインダストリアル・スーパーグループでミニストリーのドラマーのマーティン・アトキンスとビル・リーフリンが率いていたピッグフェイスの楽曲として共作されたドラムを前面に出したミニマリスト的なトラックを、トレント・レズナーは苦悩に満ちたアンセムへと昇華してみせた。

トレント・レズナーはやがてこの歯切れのいい一触即発的な感覚をマリリン・マンソンにも応用した(最も効果的だったのは1996年のマルチ・プラチナム・アルバム『Antichrist Superstar』)。これがしばしば語り草となり、元NINのギタリスト、リチャード・パトリックをフィーチャーしたフィルターやスタッビング・ウェストワードのような他のメインストリームのインダストリアル・グループの作品でも聴かれるようになったプロダクション・スタイルへと発展していったのである。

 

では、この破壊活動分子のアートが一体どのようにして音楽チャートを席巻するようになったのだろう? 以下に挙げるのは、誰のコレクションにも必ず入るであろう、インダストリアル・メタル・アルバム必聴セレクションである。

ナイン・インチ・ネイルズ『The Downward Spiral』 (1994)
気まぐれでまとまりのない創意工夫が我が物顔で横行するジャンルの只中にあって、トレント・レズナーの作品群は明確に一線を画す完璧主義者的な洗練さを誇っている。エネルギッシュなパフォーマーの顔と抜け目のない敏腕プロデューサーの顔も併せ持ち、グラミー賞とアカデミー賞両方の受賞歴を持つトレント・レズナーが、メインストリームで最初にブレイクを果たしたのは、独創性に富んだマルチ・プラチナム・アルバム『The Downward Spiral』だった。以来彼は『ドラゴン・タトゥーの女』『ソーシャル・ネットワーク』といった映画、『The Vietnam War』といったドキュメンタリー、ビデオゲームの「クエイク」や「コール・オブ・デューティー」といったメディアに提供した作品を通し、ポップ・カルチャーで権勢を振るっている。

■スロッビング・グリッスル『20 Jazz Funk Greats』 (1979)
後にサイキックTVで活躍したジェネシス・P・オリッジをリーダーに、インダストリアル・グループの第一波となった彼らの活動は、クーム・トランスミッションという煽情的で世間を騒がせる芸術集団から始まった。彼らはサンプリング・テープやスポークン・ワードのパフォーマンスを併用し、セックスや限りある生命といったテーマでヴィジュアル作品を次々に発表する。この進化形が『20 Jazz Funk Greats』に収録されているような、ブルータルなビートを合わせたむき出しのノイズによる楽曲であり、ジャジーでもなければファンキーでもない、新たなジャンルとしか言いようのないものだった。

■ニッツァー・エブ『Belief』 (1989)
ニュー・ウェイヴからインダストリアル・ミュージックへの聴覚的ゲートウェイ・ドラッグ(訳注:マリファナやアルコール等、それ自体の危険性は高くないが、更に強いクスリや常用癖に陥る導入役となる依存物質のこと)とも呼ぶべきこの英国のグループは、友人であるデペッシュ・モードのオープニング・アクトを務めたことでファン層を拡大した。それから2年後、彼らはハッキリと脈打つビートに反体制のチャントを掛け合わせたオリジナリティ溢れるテクノ・インダストリアル・アルバム『Belief 』(プロデュースはミニストリー/NIN一派のフラッド)をリリースしている。

■スキニー・パピー『VIVIsectVI』 (1988)
クランチーなシンセと鋭角的なギターに悪鬼の如きヴォーカルというスタイルの先駆者であるこのバンドは、アルバム『VIVIsectVI』でサウンドに合わせてアート・ホラー的シアトリカル要素を使用し、ジャンルを一気に変貌させた。とりあえず、彼らの音楽がどれほど不快かと言えば、2014年に彼らがアメリカ国防総省を相手に66万6000ドルを要求した損害賠償裁判のエピソードが分かりやすいだろう。裁判のきっかけは、グアンタナモ海軍基地の捕虜収容所で、元警備員を務めていた人物が、彼らの音楽が囚人の拷問に使用されていた事実を彼らに伝えたことだった。

マリリン・マンソン『Antichrist Superstar』 (1996)
フロリダ(他にどこがあろうか?)で結成された雨あられと降り注ぐ火と硫黄の究極の遣い手は、トレント・レズナーの設立したナッシング・レーベルから世に出た圧倒的破壊王である。フロントマンのマリリン・マンソンは、アリス・クーパーのショック・ロックとスキニー・パピーの薄汚いゴスの両方からありったけを拝借してきた(バンドの最も邪悪な作品として名高い1996年の『Antichrist Superstar』はBillboard誌のアルバム・チャートで第3位を記録するヒット作となったが、共同プロデューサーの一人は長年スキニー・パピーのメンバーであるデイヴ・オギルヴィである)。彼らが展開するタガの外れたホラー・ショウは単に人々の反感を買うだけに留まらなかった。コロンバイン高校の大量虐殺事件を受け、音楽とそれに向かう動機とは全米挙げての大きな議論を巻き起こすことになったのである。

ロブ・ゾンビ『Hellbilly Deluxe』 (1998)
スキニー・パピーやマリリン・マンソン同様、ホワイト・ゾンビのフロントマンもホラーに大いなるインスピレーションを見出したアーティストである。彼のソロ・デビュー作『Hellbilly Deluxe』はこのジャンルに捧げられた大音響で浮かれ騒ぐインダストリアル・メタルの ラヴ・レターだ(代表曲のシングル「Dragula」は『マンスターズ』を題材にしている)。アルバム自体もロブ・ゾンビにとっては非常に重要な転換点としての意味を持っている。単にホワイト・ゾンビ時代のどの作品をもしのぐトリプル・プラチナムを獲得しただけではなく、恐怖映画の監督としてのキャリアへの布石となったからだ。

KMFDM『Angst』 (1993)
全編心躍るリフとビートを駆るドイツ出身のバンド(アルバムとしての最高傑作は『Angst』)が支持を集めるようになったのは1990年、アメリカに拠点を移しミニストリーとのツアーを行なったのがきっかけである(彼らはその7年後、明らかに彼らの影響を受けているラムシュタインに前座を務めさせ、その返礼を遂げた)。ファンの間では彼らのバンド名が、「Kill Motherf__king Depeche Mode / クソッタレのデペッシュ・モードを殺っちまえ」の頭文字を取ったものだと言う憶測が長年流れていたが、実のところこれはドイツ語のKein Mehrheit Für Die Mitleid(多数派に情け容赦は無用)の省略形で、これはエイダン・ヒューズによる彼らの特徴的な、旧ロシアのプロパガンダに インスパイアされたアートワークにも直接的に反映されている。

 

■フロント242:『 Front By Front』 (1988)
インダストリアルは往々にして暗さを破壊的なサウンドで表現しようとするが、ベルギーのフロント242は圧倒的な説得力でそこにダンスの要素を加えたグループである。とりわけ1988年の『Front By Front』では、 彼らはインダストリアルに初期のテクノ・ビートを掛け合わせた“エレクトロニック・ボディ・ミュージック”という表現を打ち出し、当時芽生えたばかりだったシカゴのインダストリアル・シーンと強く結びついた。彼らの名声に対するポップ・カルチャー的希求「Rhythm Of Time」は、映画『ルームメイト』の身の毛もよだつシーンで最高に効果的に使用されている。

 

■ミニストリー『Psalm 69: The Way To Succeed And The Way To Suck Eggs』 (1992)
誰がインダストリアル・メタルを発明したのかというのは諸説あるが、その広め手として最も大きな音を出していたのがミニストリーだということは間違いのない事実である。彼らのエスカレートしていくポテンシャルは、この『Psalm 69』でひとつの集大成をなした。所属レーベルから、アルバム制作のアドヴァンス(前金)の76万ドルをどのように遣ったのかと訊かれた彼らは、完全に酔っぱらって前後不覚状態のバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズが得意げにヴォーカルを務める「Jesus Built My Hotrod」を提出した。レーベル側は全く喜ばなかったが、ミニストリーはこの曲でバンド史上最大のヒットを記録したのだった。

By Nisha Gopalan

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