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歌手で女優のドリス・デイが97歳で逝去。その半生を辿る

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ハリウッドが誇る最も偉大なスター、そして最も高い人気を博した世界的エンターテイナーの一人として輝かしいキャリアを築き上げ、“永遠なる隣のお嬢さん”として親しまれた歌手で女優のドリス・デイが97歳で逝去した。

ドリス・デイ アニマル・ファンデーションは、2019年5月13日に彼女がカリフォルニア州のカーメル・バレーにある自宅で亡くなったことを公表した。同ファンデーションからの公式文書には「彼女は近しい友人に囲まれ、その年齢としては非常に健康な生活を送っておりましたが、最新になって重度の肺炎を患っていました」と記されていた。

ドリス・デイはその甘い蜜のような歌声がもたらした音楽作品や、1950年代から60年代以降に出演した数々の映画、ドラマ、ミュージカル、そしてラヴ・コメディによってトップ・スターの座に昇り詰め、歴史上最も人気を博した女優として知られている。その快活な声、健全なブロンド・ビューティー、そして眩いばかりの笑顔が、最初は歌手として、後にハリウッド女優としてヒット作を連発する、世代を超えた大スターへと導いた。

彼女は歌手として多くの作品に関わってきたが、中でも最も有名な彼女の代表曲として知られているのが、彼女がジェームズ・ステュアートと共に主演を務めたアルフレッド・ヒッチコックによる1956年の映画『知りすぎていた男』の主題歌でアカデミー歌曲賞を受賞した「Que Sera Sera (Whatever Will Be, Will Be)」である。

Doris Day – Whatever Will Be, Will Be (Que Sera, Sera) (Audio)

NPRによる2012年のインタビューの中で、ドリス・デイは「Que Sera Sera (Whatever Will Be, Will Be)」を初めて聴いた時の印象について「あまりいい曲だとは思えませんでした」と認めていた。結果として曲が広くヒットを記録したことで、「私のお気に入りにはならなくても、人々はその曲を愛してくれました。子供達も愛してくれたし、映画にはぴったりの曲でした。私のお気に入りの1曲とは言えないまでも、作品自体は何かを成し遂げたってことですね」と語っていた。

1922年4月3日、オハイオ州シンシナティに生まれた本名ドリス・メアリー・アン・フォン・カッペルホフは、幼少期に興味を持ったダンスの道を追求していたが、足に怪我を負った後、彼女の興味の鉾先はヴォーカル・スタイリストとレコーディングへと移行していった。1939年にオーケストラ・リーダーのバーニー・ラップとの仕事で初めてドリス・デイと名乗り、1945年にヴォーカリストとして参加したレス・ブラウン&ヒズ・オーケストラの不朽の名曲「Sentimental Journey」や「My Dreams Are Getting Better All The Time」で初めて大きな成功を手にした。

Sentimental Journey (Bonus)

これらのヒット曲は後にソニーの子会社となるコロンビア・レコードからリリースされ、彼女の生涯を通してその関係性は続いた。1947年には、ブロードウェイ・ミュージカルの『High Button Shoes』から、ルー・ブリングス・オーケストラと録音したソロ名義の「Papa, Won’t You Dance With Me」が初めてポップ・チャートに登場した。

ロックンロール時代の到来前に、ドリス・デイは1948年の「Love Somebody」、1952年の「A Guy Is A Guy」、そして1954年にハワード・キールと共に主演を務めた映画『カラミティ・ジェーン』からもうひとつのアカデミー受賞曲「Secret Love」で全米1位を獲得。ハリウッド作品での彼女の共演者には、ロック・ハドソン、ケーリー・グラント、デヴィッド・ニーヴン、レックス・ハリスン、そしてジェームズ・ガーナーらがいる。彼女のキャリアにおける最後の全米TOP10ヒットは1958年の「Everybody Loves A Lover」で、最後に全米チャートに登場したのは1962年の「Lover Come Back」だった。1964年にはジェームズ・ガーナーと主演を務めた映画『女房は生きていた』から、同名の主題歌が全英TOP10入りを果たしている。

Everybody Loves a Lover

その絶え間なく明るくにこやかな外見とは裏腹に、ドリス・デイの人生は、唯一の子供の死、3度の離婚、そして、彼女の稼ぎを浪費し、巨額の借金を残した夫の死など、多くの悲劇に見舞われた。

晩年は、彼女が動物保護の活動に従事し、ドリス・デイ アニマル・ファンデーションを設立したカリフォルニア州の海沿いの街、カーメルで静かな生活を送った。一方で、歌手としての活動も継続し、2011年には87歳にしてリリースした29作目のスタジオ・アルバム『My Heart』が47年振りに全米アルバム・チャート入りした他、全英チャートには9位で初登場を果たし、同チャートにおける、新作でTOP10入りした最年長アーティストとなった。

アルバム『My Heart』のプロデューサーには、ビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストン、そして彼のグループでの共作者のひとりで、カリフォルニア・サウンドの創造を手助けしたドリス・デイの実の息子、テリー・メルチャーも含まれていた。ポール・マッカートニーの娘であるステラ・マッカートニーはこの訃報を受けてこうコメントしている。

「今の私の活動の大部分にインスピレーションを与えてくれた唯一無二の存在でした…ドリス・デイ、私のカラミティ・ジェーン、愛しています。あなたのようなアイコニックな女性にお会いできたことは大変光栄で、かけがえのない時間を過させていただきました」。

Written by Paul Sexton



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