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クイーン『Queen II / クイーンII』制作秘話

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『Queen II  / クイーンII』

 

デビュー・アルバム『Queen(邦題:戦慄の王女)』のリリースから1ヵ月後、クイーンはトライデント・スタジオに戻り、『Over The Top』という仮題を付けた2作目の制作に着手した。その前にも『Dearie Me』という仮題が付いていたが、どちらの案もEMIには快く思われてはいなかった。「Keep Yourself Alive(邦題:炎のロックン・ロール)」が好意的な評価を得ていたにもかかわらず、個々のメンバーには依然としてクイーンの活動が軌道に乗るとの確信がなく、ブライアン・メイは物理学、ジョン・ディーコンは電子工学と、バンド以外の進路追求を継続。またアート学生だったフレディ・マーキュリーと、歯学生だったロジャー・テイラー(本人の好んだ名乗りでは、ロジャー・メドウズ=テイラー)の2人も、ケンジントン・マーケット内の洋服店という副業を維持していた。このバンドがいつまで持つのか、誰にも分からなかったからである。

それでも彼らは、ライヴ活動に戻ってモット・ザ・フープルとのツアーの準備をする前に、アルバムのレコーディング作業の再開を強く望んでいた。それで8月、トライデントの空いている時間帯を利用して、彼らは新たなアルバムの制作を開始。それは現在、数多くのファンが最も好きな作品に挙げる1枚となっている。確かに、彼らのトレードマークである重層的なオーヴァーダブや、豊かなハーモニー、既成概念への服従や限界に行く手を阻まれることを拒む青年達の“生きる喜び”が聴けるのは、このアルバムが初めてだ。他のロック・スター達が休暇を取っている間、クイーンは精力的に働いていたのだった……。

クイーンの4人は、ロイ・トーマス・ベイカー及びトライデント専属エンジニアだったロビン・ジェフリー・ケーブルから素晴らしい力添えを得て、極めて自然にこのレコーディング・プロセスに馴染んでいった。ロビン・ジェフリー・ケーブルは、フィル・スペクター /エリー・グレニッチ/ ジェフ・バリー風のサウンドを目指し、フレディがラリー・ルレックス名義で発表した、華やかな歌劇調の傑作シングル「I Can Hear Music」をプロデュースして以来の協力者である。また今作のセッションには、エンジニアのマイク・ストーンも参加。彼はアビイ・ロードで仕事を学び、ザ・ビートルズのアルバム『Beatles For Sale』や、より最近ではジェネシスの『Nursery Cryme(邦題:怪奇骨董音楽箱)』や、ジョー・ウォルシュのヘヴィなギターが鳴り響く珠玉作『The Smoker You Drink, The Player You Get(邦題:ジョー・ウォルシュ・セカンド)』に魔法の粉を振りかけていた、もう一人の才能豊かなサウンド・マンだ。言い換えれば、これは並外れたチームであり、それぞれ独自の様々なアイディアが、ブライアン・メイらにより制作の場にもたらされることとなる。

後に『Queen II』となるアルバムは、その暑い月に無事完成を見た。ソングライターとして、フレディ・マーキュリーとブライアン・メイが歌詞で取り上げているテーマは、根本的に全く異なっていることが判明 ——ギタリストのブライアン・メイが個人的かつ感情的な観点を好んでいた一方、ヴォーカリストのフレディ・マーキュリーは幻想的な領域を扱うのが好きだったことから、本作には緩やかなコンセプトを設け、それぞれの楽曲が帯びている光と影にマッチした“白”と“黒”の面に分けることにしたのである。見開きジャケットや盤面中央のラベル部分のデザインにも、そういった“白と黒”の雰囲気が反映されており、同アルバムのツアーを行った際には、ザンドラ・ローズがデザインしたモノクロのステージ衣装に大枚が投じられた。写真家ミック・ロックは、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ(ストゥージズ)、ルー・リードの魅力的な肖像を手掛けてきた腕を買われ、本作のジャケット写真の撮影を担当。彼は、映画『上海特急(原題:Shanghai Express)』のマレーネ・ディートリッヒを思わせる、憂いを帯びた妖しい雰囲気が漂うポーズをバンドに取らせた。もちろんフレディ・マーキュリーは、腕を交差してミック・ロックを見上げながら、微かな笑みを浮かべずにはいられなかった。

デビュー作のジャケットを飾っていたアートワークは、クイーンの友人ダグラス・パディフットが撮影した写真をもとに製作したもので、アリーナ会場とおぼしきステージ上でスポットライトを浴びているフレディ・マーキュリーが、やがてお馴染みとなる短いマイク・スタンドを掲げている姿が写し出されていた。当時クイーンがまだまだそのような地位からは程遠かったことを思えば、それは奇抜なアイディアで、アルバムの内容や意図が見る側に伝わり難かったと言える。ミック・ロックの写真は少しもったいぶっているのではないかと、当初メンバー達は考えていた。だがこれによって、彼らは何かの一団もしくは一味のように見え、そこから予測される作品の内容に今作の買い手となる可能性のある人々は興味を掻き立てられたのである。

そして実際そのアルバムは、驚異的な内容が盛り沢山であった。本作はまず、多重録音したギターでブライア・メイが奏でる葬送行進曲「Procession」で幕を開ける。ブライアン・メイの愛用ギター、レッド・スペシャルは、彼がミュージシャンの卵だったティーンエイジャーの頃、父ハロルドと手作りしたものだ。“オールド・レディ”もしくは“ファイアーブレイス(暖炉)”という異名でも知られているこの愛器は、熱烈なクイーン・ファンにとって象徴的な存在となった。

ブライアン・メイ作の「Father to Son(邦題:父より子へ)」は、父ハロルドを念頭に置いて書かれたもので、メタル・ギターのブリッジ部分と、作曲者本人が演奏する内省的なピアノ、ジョン・ディーコンのアコースティック・ギターに、鮮やかなハーモニーが組み合わせられている。

偶然にも「White Queen (As It Began)」と題された次の曲は、ブライアン・メイが物理学を学ぶため、インペリアル・カレッジに進学しようとしていた1968年に書かれたものだ。ロバート・グレーヴスの詩と神話に関する論文『The Golden Fleece』(※訳注:同時期に書かれた『The White Godess』だともブライアン・メイは説明)に着想を得つつ、ハンプトン・グラマー校時代、生物のAレベル取得クラスの同級生で、ブライアン・メイにとってのミューズ(=芸術的インスピレーションを与えてくれる女神)だった女子生徒を念頭に置いて書かれたこの曲では、騎士道的な愛の詞とフェミニズムの理想が融合。それはクイーンのリスナー達の琴線に触れ、このバンドがありふれた通常のグラム・ロック・グループではないことに、彼らはすぐに気づくことになる。

「Some Day One Day」では、ブライアン・メイが初のリード・ヴォーカルを担当。同時に、驚くべきギター・オーヴァーダブに寄与しており、アウトロ部分ではギター3本が同調し合うのではなく、それぞれ異なるパートを奏でている。トライデントの24トラックがここで本領を発揮。ブライアンは、自身がずっと求めていたサウンドを実現できたことに狂喜していた。

“白の面(ホワイト・サイド)”を締めくくっているのは、ドラムス担当のロジャー・テイラーが手掛けた「The Loser In The End」だ。親子という主題のバリエーションのひとつ、“母と息子”をテーマにしつつ、ヴァース部分にはやや皮肉めいた、もしくは多義的なユーモアがちりばめられており、マリンバの音色も美しい。

この時点までフレディ・マーキュリーの貢献は散発的であったが、“黒の面(ブラック・サイド)”を支配しているのは彼だ。「Ogre Battle」は前作から持ち越されていたナンバーで、今回、曲に相応しいアレンジが施された。つまり、恐ろしい叫び声を上げるヴォーカル、緊張感に満ちた激しく叩きつけるギターとドラムス、名高い銅鑼の音、ふんだんに取り入れられた効果音等、プログレッシヴの絶頂に達するクイーン組曲の先触れとなった、非常に重厚なアレンジである。フレディ・マーキュリーはギターでこれを作曲。味わい深いブライアン・メイのギターによってヘヴィ・メタル・リフは勇ましさを増し、その後4年にわたり、彼らのライヴ・セットの定番となった。

「The Fairy Feller’s Master-Stroke(邦題:フェアリー・フェラーの神技)」は、テイト・ギャラリーに足しげく通っていたフレディ・マーキュリーらが、リチャード・ダッド作の悪夢のような同名絵画に感銘を受けたことをきっかけに生まれた。 ダッドがキャンバス上で繰り広げていた奇妙な光景を再現するため、バンドはステレオ・パニングを多用。フレディ・マーキュリーのピアノとハープシコードのパート、ロイ・トーマス・ベイカーのカスタネット、複数のヴォーカル・オーヴァーダブとハーモニーを駆使し、閉所恐怖症的かつ錯乱をきたしたような中世の幻想的作品世界に、見事に命が吹き込まれた。歌詞中の“奇妙な奴(quaere fellow)”という言い回しは、一部の人々が想像するようなあからさまな意味というより、やはり文学的な引用で、ブレンダン・ビーアンの戯曲『奇妙な奴(原題:The Quare Fellow)』のタイトルを謎めいたスペルで表したものである。

「Feller」は、終盤の三部ハーモニーからフレディ・マーキュリーのピアノへと繋がり、流れるように切れ目なく「Nevermore」のイントロへ。この曲でフレディ・マーキュリーとロビン・ケーブルはピアノの内部奏法を用いており(やはりシンセサイザーは使っていない)、歌詞ではエドガー・アラン・ポーの詩『大鴉(原題:The Raven)』に通じる、人間関係の破綻について取り上げている。

ピッチを1オクターブ上げた、ポリリズム的な「The March Of The Black Queen」は、フレディ・マーキュリーがピアノで書いた曲で、豪華なエレキ&アコースティック・ギターによる狂想的音楽劇として発展。そこへ更にブライアン・メイが交響楽のようなチューブラー・ベルを加えている。そのためライヴでの再現は事実上不可能であったものの、今も尚、本作のハイライトであり続けている。

そして再びリスナーは、途切れなしに次の「Funny How Love Is」へ。フレディ・マーキュリー作のこの曲には、彼の筆による最も鋭く愉快な歌詞の一つ(「不思議なことに、愛は夕飯時に間に合うように家に帰って来るものだ」)が備わっている。この曲に取り組む頃にはフレディ・マーキュリーもケーブルとの仕事に一層慣れており、2人は「I Can Hear Music」で用いていた“ウォール・オブ・サウンド(音の壁)”のテクニックを再び採用。フレディ・マーキュリーらしさが簡潔に表現されている。

そしてフィナーレを飾るのが「The Seven Seas Of Rhye(邦題:輝ける7つの海)」だ。 多くの人がこの曲を初めて聴いたのは、BBCの音楽チャート番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』で、「Rebel Rebel」を初披露する予定だったデヴィッド・ボウイが出演をキャンセルした際、クイーンが急遽その代わりを務めた時のことである。番組プロデューサーが、マイク・ストーンに代役の推薦を依頼した結果、1974年2月21日、クイーンはメジャーなテレビ番組への初出演を果たし、新たに完成形となったこの曲をカメラの前で披露。堂々たる雄姿をお茶の間に届け、問い合わせで回線がパンクする程となった。その2日後、この曲はシングルとしてリリースされている。

パンニングとアルペジオ、そして最後にクロスフェードで「I Do Like To Be Beside The Seaside」(注:1900年代に書かれたイギリスのホール・ミュージック)へと繋がっていく(ロイ・トーマス・ベイカーがここでスタイロフォンを弾いているが、やはりまだ本当のシンセではない!)ことで名高いこの曲は、あらゆるレベルにおいて壮麗なナンバーだ。この時代における最高水準のグラム・ロックの傑作であり、ザ・ムーブの容赦ない激しさをも思い起こさせる。この曲は全英チャート最高位10位を記録。アルバム『Queen II』を全英5位に導いただけでなく、デビュー作のセールスも後押しし、あらゆる点で優れた成果を上げた。

現在ではこのバンドの進化における画期的作品として高い評価を受け、よく知られたアルバムである一方、アメリカでは、ビリー・コーガン(スマッシング・パンプキンズ)や、スティーヴ・ヴァイ、アクセル・ローズ(ガンズ・アンド・ローゼズ)らが崇めるカルト作品だと捉えられているこの『Queen II』は、 U2からミューズに至るまで、あらゆる人々に影響を与え続けている。あのデヴィッド・ボウイですら強い興味を示し、自身の番組出演キャンセルがクイーンの台頭を招いたことに苦笑を浮かべながらも、彼らが脚光を浴びたことには恐らく喜びを感じていたに違いない。ようやく競争相手が現れた、と。

アルバムはミックスを終え、9月には完全にリリース準備が整っていたものの、デビュー作の発表からまだあまり時が経っていなかったため、EMIは発売を延期。加えて1973年の第一次オイル・ショックにより、英国ではインフレが加速し、政治的・社会的不安が高まっていた上、“3デイ・ウィーク”(※電力不足に対応するため、産業用の電力供給を週3日に制限する政策)が実行され、塩化ビニール不足にも陥っていた。それでも1974年3月8日にリリースされた本作は、聴いた人々の胸を突き動かし、その心を奮い立たせた。華々しくシーンに登場したクイーン。フレディ・マーキュリーは週末の副業を辞め、その先で待ち受けている素晴らしい未来に集中することが可能となったのである。さらば、ケンジントン・マーケット、こんにちは、世界。

 

あとがき

2011年、ユニバーサルのクイーン復刻プログラムの一環として、もう1枚のディスクが追加された。 そこには、シングル「Seven Seas Of Rhye」のB面だったブライアン・メイ作のブルージーな「See What A Fool I’ve Benn」を収録。これはスマイル時代に遡る曲で、ブライアン・メイがソニー・テリーやブラウニー・マギーの音楽をよく聴いていた頃の作品だ。ここではそれをフレディがバーレスク風に歌っており、バンドのレパートリーの中でも最も直球のブルースに近いものとなっている。同曲のBBCセッション版も収められている他、1975年のクリスマスにロンドンで行われたハマースミス・オデオン公演での「White ‘Queen (As It Began)」ライヴ・ヴァージョン、「The Seven Seas Of Rhye」の魅惑的なインストゥルメンタル・ミックスと続き、1974年4月にBBC用に録音された「Nevermore」が、胸に迫るこのバラードを完璧な形に仕上げている。

 

– Max Bell

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