ラムシュタイン『Zeit』レビュー:全世界11カ国で1位となった“ダークなポップさ”に満ちた怪作

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2022年4月29日に発売され、全世界11カ国1位を獲得、全世界40カ国のiTunes Storeで1位となり、今世紀での母国ドイツの初週売り上げで第3位を記録したラムシュタイン(Rammstein)の最新アルバム『Zeit』。

この新作について、音楽評論家の増田勇一さんによるレビューを掲載。

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“世界”でもの凄く売れているアルバム

4月末に世界同時発売されたラムシュタインの第8作にあたる新作アルバム『Zeit』が、当然のように快調な動きをみせている。無題の作品として登場した前作は世界14ヵ国のアルバム・チャートで首位を独占していたが、すでに今作もそれに匹敵する実績を重ねつつあり、もちろん彼らの母国であるドイツでは1位に輝き、なおかつ「今世紀における発売初週セールス第3位」を記録している。しかも同記録の1位は彼らの前作だというのだから、その支持の高さがいかに揺るぎないものであるかがうかがえようというものだ。参考までに2位に喰い込んでいるのは昨年発表されたABBAの復活作『Voyage』である。

全米チャートの動向が新たな世界的音楽トレンドを予見するものになっているとは言い難い状況になってからすでに久しいが、実際、米国ビルボードによるアルバム・チャートにおいてこの『Zeit』の最高ランクは現在のところ15位にとどまっている。しかし、同社によるワールド・チャートでは堂々首位を獲得しているという事実が、このバンドに寄せられている支持が文字通りグローバルなものであることを実証している。

実際、UKでは前作と同様に3位、オーストラリアでも同国での過去最高記録となる3位、前作が2位に終わったスウェーデンでは1位を記録している。ここ日本でも根強いファンを獲得している彼らではあるが、そうした欧州を中心とする世界的状況とはかなり大きな格差があると言わざるを得ない。

もちろん日本には日本なりの文化や価値観、需要といったものがあるわけで、ヒット・チャートにその国ならではの傾向があることについて否定的な捉え方をする必要はない。ただ、ラムシュタインの音楽に対して「なんだか厳めしい感じでとっつきにくそう」「歌詞がドイツ語だから何を言っているのかわからない」「もはや長い歴史のあるバンドだから、いまさら改めて聴き始めようという気が起きにくい」といった印象を持ち、それを理由に彼らとの間に距離を置いている音楽ファンが仮にいたりするのであれば、是非ともこの『Zeit』を入口としながらラムシュタインの世界に足を踏み入れてみて欲しい。というのも、それくらい親しみやすく、即効性があり、なおかつ愛着の湧く作品になっているからだ。

アルバムの内容

アルバムは不吉な気配を漂わせた「Armee Der Tristen(アルメー・デァ・トリステン/憂鬱の軍団)」で幕を開ける。ただ、大仰なオープニングSEめいたものが用意されているわけではなく、きわめてコンパクトなイントロダクションを経ると、すぐさまティル・リンデマンの豊かな倍音を伴ったディープな歌声が聴こえてくる。

実のところ僕にはドイツ語がまるでわからず、ごく簡単な挨拶や「ビールを一杯」という注文程度しか口にすることができないのだが、曲が淡々と、しかし力強く進んで行くにつれ、この曲が憂鬱に拍車をかけるものではなく、闇のアンセムとでもいうべき裏腹なポジティヴさを持っているのを感じるようになる。

実際、このアルバムの日本盤に封入されている歌詞の日本語訳を確認してみると、この曲の中で繰り返されているのは「一緒に来いよ」という呼びかけであり、大雑把にいえば「悲しみに沈んでいるのおまえだけじゃなく俺も同じ。希望を持てない者同士、手を取り足並みを揃えて進んで行こうじゃないか」といった内容になっている。

それに続く表題曲の「Zeit(ツァイト/時間)」、3曲目の「Schwarz(シュヴァルツ/闇)もテンポを落としたダークな楽曲だが、やはりイントロはごく完結で、聴いていると周囲の空気が重くよどんでくるかのような波動を伴ったこのバンドならではの音世界が聴き手を誘っていくのは、深刻で絶望的な暗黒世界ではなく、疲れ切った心と身体に安らぎをもたらすかのようなやさしい感触の闇だ。

いずれの歌詞でも“死”がキーワードのひとつになっていて、あからさまに希望的なメロディや表現が顔を出すこともない。しかし誰もがいつか迎えることになるその“完璧な時間”に向けられた「Zeit」の歌詞世界の主人公は、時間経過に抗うことが無駄だと知りながら「頼むから止まってくれ」と請いつつも、限りある時間のかけがえのなさを伝えているように感じられる。

また「Schwarz」の歌詞は、よくある「暗闇の中でも微かな希望の光の射すほうへと進んで行こう」といった背中押し系ソングとは真逆のものだが、闇の中で生きることを肯定的に捉えたそのメッセージには、視点の置き方ひとつでネガがポジへと逆転し得るという気付きをもたらす力がある

アルバムの最後には、人間が結局は最後にひとりで終わりを迎えることになるという現実を恐れるのではなく、それまでの経過を愛おしもうとするかのような心境を描いた別れの歌、「Adieu(アデュー)」が配置されているが、この曲にもそうした匂いが感じられる。

“闇の包容力”と“ダークなポップさ”

繰り返しになるが、僕自身、実際に彼らの楽曲を聴きながらそうした歌詞の意味深長さを把握できるわけではない。が、聴こえてくる音像や歌唱から感じられる“闇の包容力”とでもいうべきものは、そこで何が歌われているのを知りたいという好奇心を刺激せずにはおかないし、具体的には翻訳の力を借りることになるものの歌詞の概要を把握したうえで改めて向き合い直してみると、いっそう彼らの音楽が深いところまで浸透してくることが実感できる。

洋楽に興味を持ち始めた十代の頃に味わった、歌詞対訳を読みながら聴くことでお気に入りの楽曲が自分にとって特別なものになっていくような感覚を追体験しているかのような気分でもある。実際、聴いているだけでは理解できない内容だからこそのミステリアスさも、ドイツ語を母国語としない音楽リスナーにとってはラムシュタインの魅力のひとつに数えられるはずだし、そうした神秘性をまとった音楽だからこそ、いっそう創造力や妄想欲を掻き立てられる部分もある。また、聴き慣れない言葉の響きであるがゆえの、ある種の違和感が独特のフックに繋がっているのも間違いない。

フックの強い音楽は、聴く者の耳を捕らえて離さない。つまりラムシュタインの音楽は、真の意味で非常にキャッチーなものだといえる。この言葉には抵抗をおぼえる向きもあるかもしれないが、キャッチーとポップは同義ではない。ただ、実際、彼らの音楽には「ダークなポップさ」「ヘヴィな軽快さ」といった言葉的には矛盾する特性もある。アルバム中盤に並ぶ「Giftig(ギフティヒ/毒女)」、「Zick Zack(ツィック・ツァック/ジグザグ)」、「OK」、「Dicke Titten(ディッケ・ティッテン/大きいおっぱい)」などは、まさしくそうした楽曲だといえる。ラムシュタインなりのパーティ・チューンともいえるこうした楽曲に、大人たちがビールでも飲みながら馬鹿みたいに大声で合唱し、憂さ晴らしをするにはもってこいの歌詞が伴う傾向が強いことも付け加えておきたい。

ちなみに「Zeit」に続きこのアルバムからの第2弾シングルとなった「Zick Zack」の歌詞の題材になっているのは、完璧な容姿を求めて医学の力を借りる人たち。ミュージック・ビデオもその内容と完全にリンクし、このバンドならではの歪んだユーモアが存分に活かされたものになっている。だいぶ皮肉というか毒強めの映像ではあるが、実は彼ら自身が美容整形クリニックに出資しているとの話もあり、宣伝なのか悪趣味な冗談なのかわからないところも彼ららしい。

「OK」という楽曲において求められている許可が何についてのものであるかはこの場には記さずにおくが、ほとんどの人にとって大きな声では言いにくいこと、思っていても口には出さずにいることを、決して明るく抜けきることのない曲調とサウンドに載せてあっけらかんと歌ってしまう痛快さ、検閲突破スレスレのような危ない匂いといったものも、人々をラムシュタインの世界に深入りさせ、中毒症状へと導いていく材料のひとつになっている。スタジアムを埋め尽くした大観衆が、そうした歌詞を大合唱するさまを想像しただけでも痛快だ。

 

批判されることを屁とも思わないユーモアや批評精神

アルバムに収録されている全11曲を通じ、聴く者を闇から救ったかと思えば、下劣だとか教育上好ましくないなどと批判されることを屁とも思わないようなセンスで笑いを誘い、死生観にまつわる表現を軸としながらもユーモアや批評精神を忘れることのない彼ら。

しかもアルバム終盤に収められている「Lugen(リューゲン/嘘)」において、ティル・リンデマンは自らの人生を語るかのような流れの中で「みんな嘘をつくが/俺はもっと嘘をつく/俺は自分にも嘘をつく」などと口にしている。どこまでが本気で、どこからが嘘もしくはジョークなのかがわからいところも彼らの面白さのひとつだ。ティルが俳優だったならば、闇社会の親玉から厄介な好色おやじまでを演じ分けられることだろう。

そうした興味深さに満ちたこのアルバムが、前作からわずか3年で登場している事実も見逃すわけにはいかない。その時間経過を長いと感じる向きもあることだろうが、なにしろ前々作にあたる『Liebe Ist Für Alle Da』から前作までの間には9年半もの隔たりがある。実のところ、前作に伴うツアーが計画通り実施されていたならば、彼らが今作の制作にこんなにも早く着手することはなかったはずなのだ。つまり2022年にこの『Zeit』が世に放たれることになった最大の理由がパンデミックだったわけである。

終わりの見えないコロナ禍によって創作意欲を殺がれたというアーティストも少なくないはずだが、彼らの場合は逆に拍車がかかり、しかもスポンテニアスさが重視される形になった。復活作として注目が集まることがあらかじめ運命づけられていた前作の重厚さとは一線を画する各曲のコンパクトさ、楽曲のドラマ性演出よりもメロディやリフ自体をストレートに活かすことを重んじたかのような今回の作風は、いわばここのところのご時世の賜物でもあったのだ。そうした意味においても『Zeit』は2022年だからこそ生まれ得たものだといえる。

ブライアン・アダムスが撮影したジャケット写真

楽曲とは関係のないところでひとつ注目したいのは、今作のアートワークに用いられている写真についてだ。アルバム・カヴァーには、どこか不気味で不思議な空気をまとった建造物の外階段にメンバーたちが並ぶ写真が用いられているが、これをはじめブックレット内などの写真を撮影しているのは、何を隠そうあのブライアン・アダムスである。

カナダ出身のスーパースター、ロック界屈指のソングライターとして名声を得てきた彼には、実はフォトグラファーとしての活動歴と実績もあり、『VOGUE』や『GQ』をはじめとする雑誌の撮影や、さまざまなファッション・ブランドの広告写真なども手掛けてきた。

その彼による写真の数々は、ラムシュタインの地元であるベルリンのアドラースホーフにあるフンボルト大学構内の空力公園にあるモニュメントを背景に撮られている。ちなみにそこは、ドイツ初の飛行場として1909年に開所したヨハニスタール飛行場の跡地にあたる場所で、ナチス時代には航空研究所の施設が設けられていた。この象徴的なモニュメントもその時代の記憶を語り継いでいくものということになるだろう。

そして2022年は、パンデミックの記憶とともにラムシュタインが『Zeit』を発表した年として語り継がれていくことになるに違いない。というか、そうなっていくべき価値のある作品なのだと筆者は疑わずにいる。世界のファンが待ち焦がれてきたスタジアム・ツアーはようやく今月から実施されたが、その際にはティルの「一緒に来いよ」という呼びかけに、大群衆がすさまじい歓声と合唱で同調していることだろう。

今や世界有数の怪物バンドとなった彼らのライヴをここ日本でふたたび観られる可能性がどの程度残されているのかについては、正直なところ何とも言いようがない。が、それが完全にゼロではないかぎり、望みを捨てることなく再会の機会到来を信じ、それを求める声をあげ続けたいものである。

Written By 増田勇一


ラムシュタイン最新アルバム

ラムシュタイン『Zeit』
2022年4月29日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music



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