ジェイ・エレクトロニカ『A Written Testimony』:43歳の新人による異例の新作は何が凄いのか?

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2020年3月13日に発売となったジェイ・エレクトロニカ(Jay Electronica)のデビュー・アルバム『A Written Testimony』。発売されるや否や、ヒップホップ界だけではなく大きな話題となったこのアルバムの何が凄いのか、なぜ絶賛されているのか、について、ヒップホップジャーナリストの塚田 桂子さんに解説していただきました。


 

2007年に話題を呼んだミックステープ『Act I: Eternal Sunshine (The Pledge)』から実に13年ぶりに、そしてこのコロナウィルスが全世界をパニックに陥れている渦中の2020年3月13日の金曜日に、ラッパー/プロデューサーのジェイ・エレクトロニカがついに待望のデビュー・アルバム『A Written Testimony』をリリースした。43歳の新人による異例の新作となる。ドクター・ドレーの『Detox』並みにリリースがなかなか実現せず、期待されながらも延期され続けきたジェイ・エレクトロニカの新作に、ほぼ諦めていたファンは驚喜に沸いた。そんな中であらためてジェイ・エレクトロニカとは誰なのか、本作の反響、各曲のリリックをたどりながら、このアルバムの魅力に迫ってみたい。

 

ジェイ・Zとの関係とその生い立ち

本作を語る上で欠かせない重要人物が、ヒップホップ界初の億万長者であり、リリース元のロック・ネーションの創始者、ジェイ・エレクトロニカの長年の指導者、10年前に彼と契約を交わしたジェイ・Zだ。エレクトロニカの才能に惚れ込み、彼のデビュー作のほぼ全曲に、しかも自分のクレジットを入れずに出演する徹底したサポート振りを見せるばかりか、イスラム教徒ではないと思われるジェイ・Zが、本作の中で尊敬の念を持って幾度もアッラーの名を挙げているのだ。史上最高のMCのひとりであるジェイ・Zがジェイ・エレクトロニカの個性を食ってしまっていると感じる面も正直あるが、他のMCにはないエレクトロニカの独自の世界観と研ぎ澄まされたリリシズムには、天下のジェイ・Zが惚れたのも納得がいく。奇しくもふたりとも同じ名前なので、ここからは混乱を防ぐために、ジェイ・エレクトロニカをジェイ・Eと呼ぶことにしよう。

南部ルイジアナ州ニューオリンズで生まれ育ったジェイ・エレクトロニカ(以下ジェイ・E)、本名ティモシー・エルパダロ・セドフォードは、20歳を目前に全米を旅しながらラッパーになるべくスキルを磨く。この間にアメリカ黒人のイスラム組織、ネーション・オブ・イスラムの創始者イライジャ・ムハンマド、現最高幹部であるルイス・ファラカン師、マルコム・X師の教えを学び、後に同組織の著名なメンバーとなる。

ミックステープ『Act I: Eternal Sunshine (The Pledge)』が、SNS時代初期に流行っていたMyspaceから2007年にリリースされて話題を呼んだ後、『Act II: Patents of Nobility (The Turn)』、『Act III: The Last Will & Testament of Timothy Elpadaro Thedford (The Prestige)』が3部作としてリリースされることが発表され、大いに期待された。2009年にリリースされたジャスト・ブレイズ制作のヒットシングル「Exhibit A」と「Exhibit C」で、その期待はさらに高まった。しかし数々の客演を果たしたり、2018年にジェイ・Zを迎えたシングル「Shiny Suit Theory」をリリースしたものの、アルバムはなかなか実現しなかった。

それが今年2月に入って、ついにアルバム『A Written Testimony』が3月18日にリリースされることが発表された。しかしL.A.とN.Y.、彼の故郷ニューオリンズでのリスニングパーティが計画され、トラックリストが明かされた後に、コロナウィルスの現状からリスニングパーティは中止となり、ジェイ・Z所有のストリーミングサイトTidalでビヨンセが製作したという本作のアルバム・カヴァーが公開され、3月13日に繰り上げてリリースされた。

 

何年前だったか、ジェイ・エレクトロニカのライヴに行ったことがある。ライヴでの圧倒的な存在感はもちろんのこと、何よりも印象に残っているのが、盛り上がった彼が熱狂する観客の群集のど真ん中に下りてきて、かなり長い間その中でパフォーマンスする姿だった。ジェイ・Eは、まるで自分はステージの上よりも市井の人びとに属していると言わんばかりの一体感で、非常に特別なライヴとなった。そのときの印象が強かったこともあり、このアルバムのリリースには筆者も大いに期待していた。

 

アーティストからの絶賛の声

その突出したリリシズムとカリスマ性から、あまりに長らく期待されていたアルバムだけに、ヒップホップ界でもかなりの反響を呼んでいる。以下に大御所のSNSでの絶賛を挙げてみよう。

 

「うわあ……ジェイのすごいタイミングときたら……最後に繰り返し1枚のアルバムを聴き続けたのはこの前のパンデミックがあった2001年の9.11だ。これは第6試合目の残り3秒的な狂気だよ。うわあ」
– クエストラヴ

「このアルバムが出るのをずっと待っていた。実に勇敢で美しい作品を作ったマイブラザー、ジェイ・エレクトロニカを誇りに思う。待った甲斐があった!!!ホヴにシャウトアウト!あらゆるフォーマットで『A Written Testimony』をストリームするんだ。ア・マスト・リッスン!クラシック」
– ディディ

「ジェイとジェイから楽しい時間をもらった」
– ルーペ・フィアスコ

「ジェイ・エレクトロニカ、おめでとう、愛しい人。あなたがすべてを手に入れますように。わたしたちはあなたを愛しているわ。このアルバムは最高よ……“そして水。立ち上がるのだ、若き神々よ”(“Fruits of The Spirit”より)」
– エリカ・バドゥ(ジェイ・Eとの5年間の恋愛関係でふたりの愛娘マーズを授かっている)

「この威厳あるプロジェクトに関わることができて真に光栄だ。ジェイ・エレクトロニカは最高に集中している」
– スウィズ・ビーツ

「“時に俺はペンの重力に抑えられ、時に罪の重さに抑えられる/時にサンチャゴ(小説『アルケミスト – 夢を旅した少年』の主人公)のように、俺の小説の正念場で、必然的な選択肢は風に姿を変えること”(”Ezekiel’s Wheel”より)あなたがいなくて寂しかったけど、戻ってきてくれて嬉しいよ」
– チャンス・ザ・ラッパー

そして、ミーク・ミルの「頭のどこかで俺は選ばれし者って気がするんだよな!!」というツイートに対してジェイ・Eはこう返信して話題を呼んだ。「君は確かに選ばれし者だ。全能の神はまだ君とやることがある。君はまだ始まったばかりだ、美しいブラック・キングよ! 引き続き君にアッラーのご加護がありますように」

 

新作アルバム楽曲解説

気になる新作の内容を見てみよう。タイミングといい、内容といい、このアルバムはこの混沌とした時代のこの社会状況でのこの瞬間に、独特の哲学的なアプローチで何らかの啓示をもたらすために作られたのではないかと思えてくるような作品だ。このアルバムを聴いた筆者の第一印象は、彼のイスラム教に関する言及が非常に多く、コーラン、聖書に関する引用が本作全体に散りばめられていることだ。

次に音楽界での師匠であるジェイ・Zの存在だ。NYで最長のヒップホップラジオ番組『Underground Railroad』の司会ジェイ・スムーズが、「ジェイ・エレクトロニカのアルバムは上出来のジェイ・Zのアルバムだ」と、ユーモアと皮肉が交じった表現をしていたほど、ジェイ・Zはほぼ全曲に出演して重要な役割を果たしている。ジェイ・Eのソロ作というよりは、ふたりのジェイの共作という印象だ。

序幕となる「The Overwhelming Event」では、マルコム・Xも育てたアメリカ黒人のイスラム組織、ネーション・オブ・イスラムの元最高幹部であるルイス・ファラカン師が、同組織の創始者イライジャ・ ムハンマド が語った、「全能の神アッラーはアメリカの黒人こそが本当の(聖書に書かれている)イスラエルの子供たちであり、彼らこそが神の選択であり、約束を守ると明らかにされた」という教えを諭す。カリスマ性に溢れたファラカン師のスピーチは、広くアメリカ社会からは過激とみなされて物議も醸すことも多いが、核心を突いていると思える発言も非常に多い。

弱者たちを奮い立たせるファラカン師の煽動的なスピーチで始まる「Ghost of Soulja Slim」は、ジェイ・Eと同じニュー・オリンズのマグノリア・プロジェクト出身で、2003年に銃殺されたラッパー、ソングライターのソルジャ・スリムに触れた曲であり、ふたりのジェイが聖書やコーランに言及しながらストーリーが展開していく。

スウィズ・ビーツ、アラブミュージック、ヒットボーイらを迎えたベースへヴィなビートの「The Blinding」は、トラヴィス・スコットのコーラスをはさみ、ふたりのジェイが次々と巧妙なバー合戦を披露する。ジェイ・Eは2010年11月にロック・ネーションと契約を交わしたが、それ以来度々締め切りを逃したり、数々の曲がリリースされないまま終わったと言われている。

長年の間に話題となるシングルを何枚かリリースはしてきたが、アルバムのリリースはずっと避けていた。ヴァース2では本作を40日間と40晩かけて仕上げたことに触れるが(40日で出来るならなぜ13年かかった?という疑問はさておき)、それまでの年月の間にジェイ・Zがジェイ・Eに制作を即したり、ジェイ・Zがジェイ・Eの家族の面倒を見たり、ジェイ・Eが自分の欠点を意識しながらも、夜な夜な自分のバーを搾り出す生みの苦しみに触れる。

アルケミストの幻想的な制作に誘われ、映画『ネバーエンディング・ストーリー』にちなんだ「The Neverending Story」というタイトルが示唆するように、この曲ではページをめくらずにはいられない本のストーリーが繰り広げられる。ジェイ・Eはホームレスとして貧困の根底から這い上がり、彼の師であるルイス・ファラカンの教えに従うことで自らも達人となり、また自身を眠れる巨人と表現しながら人生のストーリーを語り、まるで世紀末かのような現在の世界状況に触れる。そこへきてジェイ・Zが自らを「聖人ホヴ」と呼びながら、青い目と肌の白いイエスという白人世界に刷り込まれたイメージではなく、黒人本来の宗教の歴史を振り返りながら、黒人としての美を受け入れる重要さを示唆するなど、そのストーリー展開には思わず吸い寄せられる。

元々は『Act II: Patents of Nobility (The Turn)』に収録される予定だったが、2010年11月にリリースされた「Shiny Suit Theory」は、ジェイ・Eと契約するつもりだったディディが与えた数々のアドバイスについて語るヴァース1と、同じくジェイ・Eとの契約を目論んでヴァースを送ったというジェイ・Zのヴァース2が織り成す、ヒップホップ界のドンふたりが繰り広げる期待の新人獲得戦の背景をうかがわせた、ふたりのジェイの初のコラボ曲でもある。

第二時世界大戦で広島に原爆を落とした様子を語るニュースのサンプリングから始まるという、日本人にとっては非常に不吉なサンプリングから始まる「Universal Soldier」は、ジェイ・Eがイスラム教との出会いを通して社会の根底から這い上がった闘志である自身のストーリーを語っていく。続くジェイ・Zはドイツの哲学者ニーチェの「すべての経験は人を強くする」という言葉にも触れながら、ドラッグディーラーとしての過去から、ヒップホップやビジネスを通して今や億万長者にまで上り詰めた闘志としてのストーリーを振り返る。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の次元転移装置を意味する「Flux Capacitor」では、ジェイ・Zがあらゆる分野で手に入れた桁外れの成功を築くまでのストーリーを語り、続くジェイ・Eがネーション・オブ・イスラムへの傾倒やジェイ・Zが所有するロック・ネーションへの賞賛に触れながら、ニューオリーンズのプロジェクトからついにここまでたどりついた想いを語っていく。

アルバム内で唯一のジェイ・Eのソロ曲となる「Fruits of the Spirit」が際立つのは、アメリカ黒人がいまだに抱えている社会問題や、ミシガン州フリントの貧困地区でいまだに解決されない汚染水問題、アメリカ政府が移民の家族を引き離している悲劇的な現実、パレスチナに爆撃を続けるイスラエルへの批判などの様々な問題を指摘し、同胞たちへの想いを語っている点だろう。そして長年命の危険を冒して奴隷たちをアメリカ南部から北部へ逃亡させた奴隷解放運動家ハリエット・タブマンに、2010年にロック・ネーションと契約してから長年の歳月をかけてこのデビュー作をリリースした自分を重ね合わせる。

旧約聖書のひとつであるエゼキエル書に登場し、UFOを示唆しているとも言われている「エゼキエルの輪」を意味するのが、「Ezekiel’s Wheel」だ。本作の中ではおそらくこの曲が、デビュー・アルバムのリリースが13年間なかった理由(言い訳)を最も分かりやすく説明している。「なぜそんなに長い間世間の目から免れてきたのか?」という問いにジェイ・Eは、「出すぎてもきちんと評価してもらず軽視されるだけだし、正気を保つ代価は高すぎる、時に創作の壁に突き当たったり、自らの完璧主義ゆえにペンが進まないこともあれば、自らの罪(誘惑)に負けてしまったり、時にサンチャゴ(小説『アルケミスト – 夢を旅した少年』の主人公)のように、自分の小説の正念場で、必然的な唯一の選択肢は風に姿を変えること」だと語る。

コービー・ブライアントが不慮の事故で他界した2020年1月26日にレコーディングされたと言われる、“All Praise Is Due To Allah”(あらゆる称賛と栄光はアッラーのもの)の頭文字である”A.P.I.D.T.A.”は、ふたりのジェイが愛する人たちを失った哀しみを綴った、非常に切ない曲だ。ジェイ・Zが2度と鳴らない電話番号や携帯メッセージの受信音について触れ、アッラーが彼らをホーム(天国/墓場)に送ったからだと語る。哀しみに泣きくれるジェイ・Eは、母を亡くした日に彼女の携帯メッセージを1日中スクロールしていたこと、肉体は不在になっても魂は残ることに触れながら、この世に肉体を授かることは約束されたことではなく、神の恵みなのだと語る。

 

「この世で起こることはすべて必然であり、偶然はひとつもない」と言うが、世界中がコロナウィルスの脅威に怯える世紀末感満載の日々のなか、このタイミングでこのアルバムがリリースされたことも、偶然ではないのでは?と思えてくる。こんな混沌としたご時勢だからこそ、まさに時代が生んだ『A Written Testimony』に織り込まれた賢者ジェイ・エレクトロニカの啓示的メッセージに、心を奪われずにはいられないのである。

Written By 塚田桂子



ジェイ・エレクトロニカ『A Written Testimony』
2020年3月13日発売
iTunes / Apple Music / Spotify



 

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