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60〜70年代のドイツ音楽シーンを切り拓いた11組の革新者たち

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Photo: Michael Putland/Getty Images

クラフトワークがシンセ・ポップ、ヒップホップ、そして後のダンス・ミュージックに与えた多大な影響を考えても、ドイツ音楽は、かつて向けられていた偏見や先入観をすでに大きく覆している。それにもかかわらず、いまだに一部では、ドイツの音楽を何もかもひと括りにしてしまう、不可解な傾向が残っている。

たとえば、スコーピオンズとファウストの間に共通点を見いだすのは、ほとんど不可能だ。それにもかかわらず、もともとは蔑称として生まれた“クラウトロック(Krautrock)”という言葉は、ドイツ音楽の多様性を理解するうえで、決して適切なものではなかった。もっともファウストは、1973年の『Faust IV』に収録した「Krautrock」によって、このジャンル名そのものを痛烈に皮肉っている。

Krautrock (2006 Digital Remaster)

1967年から1976年という過渡期に、最も実験的なドイツ音楽を生み出したミュージシャンたちは、共通する目的意識を持っていたと考えるのが妥当だろう。彼らは主流から離れ、互いにほとんど孤立した状態で活動していたが、それでも前進し、新たな表現方法や手段を試みながら、それまでになかった音楽的環境を生み出そうとする衝動によって結ばれていた。そうすることで彼らは、それまで支配的だったアメリカやイギリスのロック、ポップ、ソウルが築き上げてきた既成の音楽的な枠組みから、暗黙のうちに決別していったのである。

もちろん、ドイツの新たな音楽の発展に直接影響を与えたイギリスやアメリカの重要な存在もいた。ピンク・フロイドが奏でる厳かで銀河的な電子音は、無限の音楽的宇宙に響き渡った。ジミ・ヘンドリックスの大胆なサウンドは革命の到来を告げたが、その燃え上がるように華やかな演奏スタイルは、無駄を極限まで削ぎ落としたドローンを基盤とするミニマリズムの文脈にはあまり根付かなかった。そしてフランク・ザッパの反体制的な皮肉は、当時広がっていた学生運動の雰囲気と奇妙に共鳴したが、それはザッパ本人にとっては甚だ迷惑な話だったかもしれない。

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1. アモン・デュール(Amon Düül)

1968年9月、エッセンで開催されたフェスティバル<Internationale Essener Songtage>に、フランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションとともに出演したのが、ドイツ音楽の未来を指し示す3つの重要な新興バンド、アモン・デュール、タンジェリン・ドリーム、グル・グルだった。

最初に挙げたアモン・デュールは、ミュンヘンの一軒家で共同生活を送りながら、それぞれ思い思いに楽器を手に演奏していた緩やかな集団だった。流動的で気まぐれなメンバー構成には、比較的熟練した演奏者もいれば、明らかに技量の劣る伴奏者もいた。後者の存在は、政治的あるいは芸術的な意思表示としての意味合いも持っていた。その結果、グループは必然的にいくつかの派閥へと分裂していくことになる。

エッセンでの分裂状態の出演は、ギタリストのクリス・カラーを中心とする、より音楽的な方向を目指したとされるアモン・デュールIIの誕生につながった。オリジナルのアモン・デュールが1968年のセッションから生み出した『Psychedelic Underground』(1969年)、『Collapsing Singvögel Rückwärts & Co』(1969年)、『Disaster』(1972年)は、陽気ながらも型破りで、そのひたすらパーカッシヴなジャムには、意図的なアナーキーさが感じられる。

1971年の『Paradieswarts Düül』は対照的に、比較的穏やかで陶酔感のあるアシッド・フォークの小休止ともいえる作品だ。なかでも17分に及ぶ「Love Is Peace」は、その性格を象徴している。

Love Is Peace (Remastered)

一方、アモン・デュールIIの初期3作『Phallus Dei』(1969年)、『Yeti』(1970年)、『Tanz Der Lemminge』(1971年)は、いずれも鮮烈で攻撃的な存在感を放っている。なかでも『Yeti』は、この手の音楽を代表する騒々しくも傑出した作品で、「Eye Shaking King」「Archangel Thunderbird」「Soap Shop Rock」では、荒々しく奇妙で、どこか陶酔したような魅力が炸裂している。

Eye Shaking King

 

2. グル・グル(Guru Guru)

アモン・デュールIIと同じく、グル・グルもまた、かろうじてロックと呼べる程度の輪郭を残しながら、解放感に満ちたサウンドを生み出した。そこには、ノイズの深い陥穽へと陶酔するように突っ込んでいくような危うさもあった。

ドラマーのマニ・ノイマイヤーを中心人物とするグル・グルは、共同生活を送りながら、当時の急進的な思想や論争にも真正面から向き合っていた。明確に政治的な姿勢を打ち出し、ときにはドラッグの影響下にもあった彼らは、1971年のデビュー・アルバム『UFO』と、1972年の『Känguru』で、歓喜に満ちた無秩序の本質を強烈に表現している。

Oxymoron

 

3. タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)

タンジェリン・ドリームについて言えば、トランス・ミュージック、そしてその副次的な影響としてのニューエイジ・ムーヴメントに与えた彼らの多大な影響力は、もはや疑いようがない。しかし、初期のアルバムには、しばしば語られる以上に、より深く、よりダークなドイツ音楽の系譜が息づいている。

1967年にエドガー・フローゼによって結成されたタンジェリン・ドリームの初期ラインナップには、エドガーのほか、ドラマーのクラウス・シュルツェ、そしてチェロとタイプライターを手にした異色の“アンチ・ミュージシャン”、コンラート・シュニッツラーが名を連ねていた。

彼らはベルリンのZodiak Free Arts Labという刺激的な環境の中で、徹底してフリー・フォームな音楽を追求していった。しかし、クラウスとコンラートが脱退し、ピーター・バウマンとクリストファー・フランケが加入してから、タンジェリン・ドリームは、いわゆる“クラシック”なシンセサイザー・トリオの時代へと移行していく。

1974年、新たに契約を結んだVirgin Recordsからリリースされた『Phaedra』は音楽史を大きく変えた。一方、バンドの究極の傑作の座を『Phaedra』と争うのが、1972年の『Zeit』だ。後者は、時空連続体を、ただ畏怖を覚えるほど壮大なものとしてではなく、孤独で、恐ろしく、そして静止したものとして、緻密かつ徹底的に描き出している。

Phaedra (Remastered 2018)

 

4. クラウス・シュルツェ(Klaus Schulze)

タンジェリン・ドリームを離れたクラウス・シュルツェとコンラート・シュニッツラーもまた、音楽の境界を押し広げ続けた。クラウスは一時的にアシュ・ラ・テンペルに活動の場を移した後、長く多作なソロ・キャリアへと乗り出す。その幕開けを飾ったのが、1972年の『Irrlicht』だ。原始的で、極めて歪んだ電子音の操作によって、従来の音楽の枠組みを大きく逸脱した作品だった。

Klaus Schulze — Irrlicht

 

5. コンラッド・シュニッツラー(Conrad Schnitzler)

一方のコンラートも、アヴァンギャルドの原則を貫き続け、その後数年間にわたって、混沌と対峙するような刺激的な限定盤を次々と発表していった。なかでも1973年の『Rot』には、『Faust IV』と同じく、音響そのものが聴き手に挑みかかるような20分間の楽曲「Krautrock」が収められている。

コンラート・シュニッツラーまた、Zodiak Free Arts Labの創設者仲間であるハンス=ヨアヒム・レデリウス、同所に通っていたディーター・メビウスとともに、クラスターの前身となるグループ、クルスターを結成した。3人は、完全即興による抽象的なアルバム『Zwei-Osterei』『Klopfzeichen』『Eruption』の3作を発表。しかも最初の2作が、キリスト教系レーベルのSchwannからリリースされたというのだから、なんともシュールな話だ。

Krautrock

 

6. クラスター(Cluster)

その後、ハンスとディーターはコンラートと袂を分かち、クラスターを結成する。これは、1970年代初頭のドイツ音楽シーンから時に耳を刺すようなノイズが次々と生まれていたなかで、やがてより穏やかなサウンドへと移行していく彼らにふさわしい、柔らかな名前でもあった。

1971年の『Cluster』と翌1972年の『Cluster II』では、電子音をスリリングなまでに荒々しい音の荒野へと押し広げていったかと思えば、1974年の『Zuckerzeit』では一転して、メロディアスでユーモラス、そしてプロト・シンセポップ的な安らぎに満ちたサウンドを響かせている。それは、ニーダーザクセン州フォルスト村のコミューンで暮らしていた2人の穏やかな生活そのものを映し出したものでもあった。

Hollywood

 

7. ノイ!(NEU!)

1973年、このコミューンを訪れた重要人物のひとり、ドラマーであり激情家でもあるクラウス・ディンガーとともにノイ!(NEU!)の一員として活動していたギタリストのミヒャエル・ローターだった。当時、この場所は1970年代初頭のドイツ音楽シーンで最も先鋭的な音楽の中心地ともいえる存在になっていた。

ともにクラフトワークの元メンバーだったミヒャエルとクラウスは、性格的には極端なほど対照的だった。穏やかで冷静なミヒャエルに対し、クラウスは衝動的で、外向的な人物。しかし、その組み合わせが生み出したのは、3作のアルバム『NEU!』『NEU! II』『NEU! ’75』にわたって展開される、どこか決着のつかない魅力を持った、恍惚の反復音楽だった。

クラウスが生み出した絶え間なく刻まれる“モータリック”ビートは、彼自身の言葉では「endlose gerade(果てしない直線)」――「長い道路や小道をひたすら走っていくような感覚」だった。

NEU! – Hallogallo

 

8. ハルモニア(Harmonia)

フォルスト村に辿り着いたミヒャエルは、ハンス=ヨアヒム・レーデリウスとディーター・メビウスとともにハルモニア(Harmonia)名義でのコラボレーションを開始した。1974年の『Musik Von Harmonia』が、ギターとエレクトロニカを組み合わせた、偶発性に満ちた魅惑的な音のスナップショットだったとすれば、翌年の『Deluxe』では一転して、威厳と風格を備えたシンセ・ポップの感覚が放たれている。

さらに1976年には、彼らに魅了されていたブライアン・イーノと『Tracks & Traces』を録音。この作品は1997年に『Harmonia 76』名義で発表された。一方のクラウス・ディンガーは前面に立ち、1975年に弟トーマスをドラム、ハンス・ランペをエレクトロニクスに迎えてラ・デュッセルドルフを結成した。

Welcome

 

9. クラフトワーク(Kraftwerk)

現在では誰もが知りるクラフトワークの、完成されたブランド・イメージを思えば、ミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーが短期間在籍していた頃の、メンバーが入れ替わり続ける気まぐれなバンドの姿を想像するのは難しい。

しかし、『Kraftwerk』(1970年)、『Kraftwerk 2』(1972年)、『Ralf Und Florian』(1973年)で聴ける、エコープレックスを通したフルートのうねりや、比較的原始的なエレクトロニクスからは、1974年の『Autobahn』で確立されることになる、あの様式美を極めたサウンドはほとんど想像できない。

その『Autobahn』の穏やかで無駄のないタイトル曲は、全米でトップ30入りを果たし、イギリスでもトップ10目前まで迫るヒットとなったことで、ドイツの音楽を世界へと広く知らしめることになった。

Autobahn (2009 Remaster)

当時のクラフトワークが放ったサウンドとルックスが、いかに衝撃的だったかは、後の世代には完全には理解できないかもしれない。創設メンバーのラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーに、新たに加入したカール・バルトスとヴォルフガング・フリューアが加わった4人は、ギターもドラムも完全に排し、全面的にエレクトロニックな編成を打ち出した。

短く刈り込んだ髪に、まるで仕事に向かうかのような服装。その姿は、ロックの常識に対する痛快な挑戦だった。一方で、テクノロジーをロマンティックに受け入れる彼らの姿勢は、鋼のように強固な現実主義と、言葉では捉えきれない憧憬によって、ひそかに支えられていた。

『Radio-Activity』(1975年)、『Trans-Europe Express』(1977年)、『The Man Machine』(1978年)と作品を重ねるにつれ、彼らの立ち居振る舞いとサウンドはさらに研ぎ澄まされていった。なかでも『Trans-Europe Express』は、彼らの思想的な頂点ともいえる作品だ。

「Europe Endless」は、夢見るように穏やかな、存在そのものへのラヴレターともいえる楽曲だが、現在では、レコーディング当時にはほとんど想像もできなかった新たな意味を帯びている。

Europe Endless (2009 Remaster)

 

10. カン(Can)

クラフトワークは、ドイツの実験音楽を最も先鋭的に切り拓き、その影響を最も広く及ぼした存在として、常にカンと肩を並べることになるだろう。1968年にケルンで結成されたカンは、極めてリズミカルな音楽性を基盤としており、ジェームス・ブラウンのハード・ファンクとの親和性も感じさせる。しかし、直感的で型破りな演奏と、独創的なミキシングによって、彼らは他者にはない異質な存在感を確立した。

2枚組アルバム『Tago Mago』(1971年)は、そんな彼らが最も深く音楽に没入し、別世界へとトリップしていた時期を捉えた作品だ。なかでもA面の「Paperhouse」「Mushroom」「Oh Yeah」は、いまだ到達できない未来へと石を投げ込むような音楽を聴かせる。

一方、ささやくように静かで、浮遊するような『Ege Bamyasi』(1972年)や『Future Days』(1973年)もまた、奇妙なほど時代を超越し、唯一無二の魅力を放ち続けている。ポスト・ロックという音楽の精神そのものに彼らの影響が深く刻み込まれていることを考えれば、その先見性がいかに大きなものだったかが分かる。

Paperhouse

 

11. ファウスト(Faust)

冒頭でも触れたファウストだが、この記事をこの唯一無二の破壊的なアンサンブルへの賛辞で締めくくるのは、まさにふさわしいだろう。ポリドールは、彼らの徹底して非商業的な「レパートリー」の本質が明らかになるまで、この唯一無二の破壊的集団を寛大に支えた。

1971年のセルフタイトルによるデビュー・アルバムは、透明なヴァイナルにプレスされ、透明な“X線写真”仕様のスリーヴに収められるという印象的なパッケージで登場。内容もまた、加工したサウンド、薄汚れたジャム・セッション、陰鬱なユーモア、そして鮮烈な電子音が入り混じる、不穏なコラージュ作品だった。

続く1972年の『So Far』では、「It’s A Rainy Day, Sunshine Girl」や「… In The Spirit」といった楽曲を通して、既存の楽曲形式という考えに極めてアイロニカルな敬意を示している。しかし、それでもなおそこにあるのは、何ものにも制御されない力が生み出した音楽であり、その本質に従うかのように、常に音楽の最果てへと向かっていく作品だった。

It's A Rainy Day Sunshine Girl

Written By Oregano Rathbone



タンジェリン・ドリーム『Phaedra』
1974年2月20日発売
iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



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