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テイラー・スウィフト、ソングライターの殿堂受賞スピーチ日本語訳

2026年度の「ソングライターの殿堂(The Songwriters Hall of Fame)」の授賞式が2026年6月11日に行われ、そこで受賞となったテイラー・スウィフト(Taylor Swift)がスピーチを行った。
その約20分にわたるスピーチを日本語訳でご紹介。
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こんにちは。
(歓声・拍手)
今の私の声がこんな感じなのは、理由が二つあります。そして、そのどちらについても謝るつもりはありません。
一つは、昨夜ありがたいことに(NBAのニューヨーク・)ニックスの試合を観に行くことができて、
(歓声)
試合中ずっと全力で叫んでいたことです。
(笑い)
家に帰ってから、「もう叫ぶのはやめないと。叫びすぎてる。話しているんじゃなくて、ずっと叫んでる」と思いました。
(笑い)
だから今夜は叫ばない、と決めていたんです。でも、今夜ここで素晴らしいパフォーマンスを目の当たりにしてしまって、結局また叫び続けてしまいました。止められませんでした。
(笑い)
ですので、今のこの声は、その結果です。
(笑い)
繰り返しますが、まったく謝るつもりはありません。本当に楽しかったですし、
(拍手)
今夜は本当に素晴らしい夜でした。
(歓声・拍手)
まず初めに、今夜私を紹介し、この場へ迎え入れてくださった方(*映画監督のスティーヴン・スピルバーグが紹介スピーチをした)に感謝したいと思います。彼は、私を何かに迎え入れるのは今回が初めてだと思っているかもしれません。
(笑い)
でも実は、そうではないのです。何十年にもわたる、人の心を奪うような物語づくりを通して、スティーヴン・スピルバーグは知らず知らずのうちに、私を、そして数えきれないほど多くの人たちを、彼の神聖な「広大な世界を創り上げる力」の中へ迎え入れてくれていました。彼は子どもの頃から、何かを思い描くたびに、それを人に見せるためなら、人間にできるあらゆることをしようとしてきた人です。
私は、彼の映画がアクション、SF、歴史大作、ドラマ、コメディ、ロマンス、ファンタジー、ミュージカルと、さまざまなジャンルを行き来するのを見てきました。そして彼は、そのすべてを見事にやってのけてきました。
(拍手)
そのような限りない創造力は、映画監督を目指す人たちだけを勇気づけるものではありません。スティーヴンのような存在がいたからこそ、私は自分の想像力を信じることができました。たとえその想像力が、まだ行ったことのない、未知の場所へ私を連れていこうとしていても。そして私も、何かを思い描くたびに、それを皆さんに聴いていただくためなら、人間にできるあらゆることをしたいと思うようになりました。
数か月前、Songwriters Hall of Fameの方々から、私にとってのヒーローは誰か、私の物語の作り方に影響を与えたクリエイターは誰か、そしてこの賞を誰に授与してほしいかと聞かれました。そこで私はスティーヴンの名前を挙げました。すると、信じられないほどうれしいことに、その約1時間後には、彼と、今夜ここにいらっしゃる、伝説的に明るく魅力的な奥様のケイト・キャプショーと電話でお話しすることになりました。
(拍手)
スティーヴンは、「もちろんです。喜んで伺います」と言ってくださいました。私は本当に驚きました。というのも、彼には今夜の深夜に公開されるご自身が監督した大作映画『ディスクロージャー・デイ』があったからです。
(歓声・拍手)
その公開の数時間前に、私のためにここへ来てくださるというのです。それは、あまりにも大変すぎるのではないでしょうか。スケジュール的に無理があるのではないでしょうか。私は彼が断りやすいように、逃げ道を用意しようとしていました。
(笑い)
そのとき、ケイトが、私が一生忘れない言葉を言ってくれました。
「善いこと、本物のことは、自然とうまくいくものよ」
自分の23年間の音楽人生を振り返ると、そこには本当にいろいろなことがありました。
浮き沈みもありました。音楽業界での闘いもありました。涙も、喜びの歓声もありました。疑いが積み重なっていく日々もありました。正当な批判も、不当な批判もありました。プライバシーを完全に失う経験もしました。ワールドツアーも、エゴのぶつかり合いも、運命のいたずらのような出来事もありました。
私がまだ幼すぎて、それが「選択」だったことすら覚えていない頃に選んだこの道は、魔法のようで、同時に混沌そのものでもありました。
でもその中で、ソングライティングだけは、私にとって一番自然なことでした。
(拍手)
もちろん、努力がいらなかったという意味ではありません。努力は間違いなく必要でした。ときどき苦しくなかったという意味でもありません。もちろん、苦しいこともありました。そして、曲づくりに取り憑かれるように考え続けて、2番のヴァースの3行目にぴったりくる内韻が見つかるまで頭から離れず、そのせいで授業中に先生から「ちゃんと聞いていない」と注意されたことがなかった、という意味でもありません。実際、それはありましたが。
(笑い)
でも、ソングライティングが私にとって一番簡単だったと言うとき、私が言いたいのは、それが本能的なものだったということです。誰かが私に教えてくれたわけではありません。観客を楽しませることは、学ばなければなりませんでした。振り付けも学ばなければなりませんでした。人にうるさがられないようにすることも、
(笑い)
音楽業界の中で進んでいくことも、自分の心を守ることも、すべて学ばなければなりませんでした。そうしたことは、時間をかけて、厳しい経験や、数えきれない試行錯誤、混乱や災難の中で身につけていきました。でも、ソングライティングだけは、私がほとんど唯一、最初から自然にやっていたことでした。両親は、私がディズニー映画を観に行った帰りの車の中での話をしてくれます。私は映画館で聴いた曲を帰り道に歌っていたそうです。
(笑い)
でも、そのまま歌うのではなく、歌詞やメロディを変えて、自分の人生についての歌にしていたのです。小さい頃から、歌うことが好きでした。子ども向けの劇に出ることも好きでした。でも、すべてが一つにつながったのは、12歳でギターを弾けるようになったときでした。
最初の3つのコードを覚えたあと、私は初めての曲を書きました。このためにものすごく努力することは、私にとって自然なことでした。大好きなものを育てていくことは、自然なことでした。
小さな指先にたこができていくのを見ながら、私はいつの間にか、人間というものをずっと観察する人になっていきました。人の感情、情熱、動機に、私はいつも強く惹かれていたからです。だから、人生のほかの何よりもソングライティングを選ぶことは、私にとっては自然なことでした。でも、両親と弟にとっては、決して簡単なことではなかったはずです。
(笑い)
家族全員でペンシルベニアを離れ、私が世界有数のソングライティングの街であるナッシュビルで自分の力を磨けるように、生活のすべてを移してくれたのですから。10代前半の娘が一時的に夢中になっているだけではないのだと明らかになると、彼らは自分たちの人生を大きく変えて、私をミュージック・シティへ連れて行ってくれました。
言葉を扱うことは、私の得意分野であるはずです。それでも、皆さんが私のためにしてくれたことへの感謝を、言葉で十分に表すことは一生できないと思います。
今夜、私がここにいるのは、皆さんのおかげです。
(歓声・拍手)
ナッシュビルでは、ミーティングを重ね、アコースティックのライブを続け、やがて出版契約を結ぶことができました。私は14歳で契約しました。
(歓声・拍手)
あ、ありがとうございます。
(笑い)
そして、信じられないほど賢く、経験豊かな共作者の方々と一緒に曲を書く機会を得ました。
リズ・ローズ、
(歓声)
トロイ・ヴァージス、ヒラリー・リンジー、
(歓声)
ロバート・エリス・オーラル、アンジェロ、ウォーレン・ブラザーズ、そして、今は亡き、けれど今も深く愛されているブレット・ジェイムスのような方々です。
(拍手)
その時点で、私はすでに一人で100曲以上書いていました。でも、誰かと一緒に曲を書くのは、それが初めての経験でした。
両親は私を、常に準備を怠らず、早めに到着し、世界が自分に何かを与えてくれるのが当然だと思わない人間に育ててくれました。私は14歳でしたが、仕事の場で子ども扱いされたくありませんでした。
そして、共作者の方々に「この子は自分では何もせず、曲を書いてもらって、そこに自分の名前を載せたいだけなのだ」と思われることだけは、絶対に避けたかったのです。
だから私は、その頃からソングライティングを、フルタイムの仕事のように考えるようになりました。それは、ただ約束の時間に行って、アイデアも自然にやって来てくれるのを待つ、ということではありませんでした。ライティング・セッションに備えて、自由時間のほとんどすべてをアイデアづくりに使うということでした。そして、ある程度まで書いたところであえて止め、あとで共作者が加われる余地を残しておきました。
アイデアの中には、半分ほどできているものもありました。75%くらい完成しているものもありました。フックだけ、歌詞とメロディだけ、コーラスだけのものもありました。私はそれらをたくさんストックしておきました。
そして共作者とのセッションに行くと、まるでプレゼンをするように、その中からいくつかを弾き語りしました。相手が一番気に入ってくれたアイデアを、二人で完成させていったのです。
私は好きな言葉のリストを作っていました。新しい言葉を思いつくたびに、そこへ書き足していきました。頭韻や、対照的な言葉を並べる表現に強く惹かれるようになりました。まだぴったりのメロディがないときには、詩を書きました。
自分の人生から、世界への好奇心から、あるいは学校で一度も話しかけてくれたことのない男の子たちへの、ドラマチックで、本人にとっては本当に切実な片思いからインスピレーションを受けたとき、
(笑い)
私はそれを曲にしました。もし自分の人生からインスピレーションが湧かないときは、想像力を動かすために別の方法を使いました。アイデアがこちらに来てくれないなら、自分自身が捜索隊になって、それを探しに行かなければならない。そう思っていました。
よく映画をつけて、ある場面で一時停止しました。そして、それぞれの登場人物の視点から曲を書こうとしました。悪役の視点からもです。
(笑い)
その人物が何を感じ、何を経験しているのかを考え、その人物なら使いそうな言葉で表現しようとしました。その中で私は、すべての人が、自分なりの「自分を正当化する仕組み」を持って生きているのだと学びました。
私たちはそれぞれ、自分の中でどんな選択を許すのかを決めています。何を善いものとするのか。何を本物とするのか。何を公平で、何を正しいとするのか。それを自分で決めているのです。
そうして私は、比喩としての、フックやコーラスやブリッジでいっぱいのメリー・ポピンズのバッグと、比喩ではない高校2年生のときのバックパックを持って、ミュージック・ロウのライティング・セッションへ向かっていました。
この頃の思い出の中で、特に好きな話があります。
私は、昔から大好きだったソングライターの一人、クレイグ・ワイズマンと一緒に曲を書く機会を得ました。
(歓声・拍手)
クレイグは本当に天才的なソングライターです。そして同時に、私が出会った中で最も面白い人の一人でもあります。だから、この話をしても大丈夫だと思っています。
私は、自分ではかなり良いと思っていた、まだ完成途中の曲を5曲ほど持っていきました。相手がクレイグ・ワイズマンだったので、私は一番特別だと思っていた曲から聴かせることにしました。その曲は、ブリッジの数行を除けば、ほとんど完成していました。
緊張と期待でいっぱいになりながら、私はギターを弾き、その曲を彼に歌って聴かせました。歌い終わると、彼はとても優しく、「良い曲だと思う」と言ってくれました。でも同時に、「ただ、あまりピンと来ていない」とも言いました。そして、ほかに持ってきたアイデアも聴かせてほしいと言ってくれました。
そのあと何曲か聴いてもらったところで、彼にもっと響くアイデアが見つかり、私たちは素晴らしいライティング・セッションをすることができました。憧れの人には、実際に会ってみるべきだと、本当に思います。
(拍手)
でも何年も経った今でも、私たちはあのセッションを振り返って、私が最初に聴かせたあの曲のことを笑い合っています。その曲のタイトルは、「Love Story」でした。
(歓声・拍手)
その夜、あの曲を完成させたことは、私が作曲家としての自分の直感を信じた瞬間でした。ほかの人がどう受け止めるか、どんな反応を示すか。そうした情報があったとしても、それとは別に、自分の感覚を信じたのです。
今の音楽業界は、これまで以上に、数字、データ、分析に強く影響されているように感じます。みんなが、何が流行るのかを予測しようとしています。だからこそ、作曲家は自分の人間としての直感を信じる必要があるのだと思います。
(拍手)
私は、この技術に愛情を注ぎながら、何千時間も向き合ってきました。その時間が、私に教えてくれたことがあります。自分の中で飛び出してきて、輝いていて、心に残り続けるアイデア。自分にとって本当に大切なアイデア。それを見分ける力です。
ソンバー(Sombr)、完璧なパフォーマンスをありがとうございました(*この日、パフォーマンスを行っていた)。
(拍手)
彼のソングライティングは本当に素晴らしくて、正直、嫉妬してしまうほどです。そして私は、その感覚が大好きです。彼は今年、私のSpotify Wrappedのトップになると思います。もう確定です。間違いありません。
音楽業界の現状について、友人たちと深夜に話し合うとき、私はよく大きな声でこう言っています。
「ソンバーこそ未来だよ。彼は全部自分でやっているし、AIなんて必要としていない。若い世代は大丈夫ね」って。
(歓声・笑い)
もちろん、彼は人としてもアーティストとしてもとても自立しているので、私からの助言などまったく必要ないと思います。
最近は本当に素晴らしい若い作曲家たちが、自分らしさを確立してきています。もし若いアーティストの方々が、私の助言に少しでも興味を持ってくれるなら、私はこう言いたいです。
「自分が心の底から愛しているものを、何よりも大切にしてください」
それが必要になるからです。
いつかあなたの曲が、世間から傷つけられるかもしれません。批評家から、あるいは批評家のふりをしたヘイターから、いつもオンラインにいる人たちから、あるいはいつもオンラインにいる人間のふりをしたロボットたちから、傷つけられるかもしれません。
(笑い)
ソングライターは、毎日とても難しいバランスを取らなければなりません。私たちは本質的に、すべてを受け止め、深く感じ、ほとんど妄想に近いほど敏感でいることを求められます。
そしてその感情や妄想を、3分半の音の風景として、ポップソングとして、民話として、戦いの叫びとして、あるいはスカーフについての10分間の成長物語として、世界へ返していくのです。
(笑い)
ですから、この世界の残酷な部分に対して、自分を強く保つのは簡単ではありません。
ここで急に話を変えて、私の好きなドラマ『イエローストーン』のセリフを引用させてください。
父親が息子にこう言います。
「人生で変わらないことが一つある。価値あるものを築けば、誰かがそれを奪おうとする」
(拍手)
ありがとうございます。本当にありがとうございます。
(拍手)
(主人公の)ジョン・ダットンは牧場について話していました。でも私はこの言葉を、皆さんの自己価値、心の平穏、そしてクリエイターとしての自分だけのビジョンについて語るために使いたいと思います。
自分が書いたものに対して肯定的な反応をもらうこと、人々がそれを愛してくれることは、本当に素晴らしいことです。皆さんがそうした反応をたくさん受け取れることを、心から願っています。
でも同時に、否定的な反応を受け取る準備もしておかなければなりません。自分から求めたものであっても、そうでなくてもです。今では、それがこの世界の仕組みなのだと知っていても、もう驚くことではありません。
それでも私は、なぜか2週間に一度くらい、若い作曲家とこの話をしている気がします。
もしあなたが素晴らしいものを作ったなら、どこかの誰かが、それについてひどいことを言うでしょう。あるいは、あなたが込めた意味を、あなた自身にはまったく見覚えのないものにねじ曲げるでしょう。
私が皆さんに見つけてほしいのは、こういうことです。敏感でありながら、同時に強くあることはできます。フィードバックや疑い、批判が避けられないものだと受け入れることもできます。
その中から役に立つもの、建設的なものだけを受け取り、ただ自分の創造性を傷つけるだけのものは、そこに置いていくことができます。
誰にでも、どこでも、いつでも受け入れられるアートを作る人はいません。そして、そうするべきでもありません。私が好きなアートは、細部まで具体的で、その声がはっきりと唯一無二です。
だからこそ、それを受け取るすべての人が、同じように理解し、同じように感じることはできません。私はよく、人々から私の音楽についての感想を聞きます。失恋するまで、私の音楽が本当にはわからなかったという人もいます。毎日娘を学校へ送るようになるまで、わからなかったという人もいます。
パンデミック中に『folklore』というオルタナティブ・アルバムを作るまで、わからなかったという人もいます。
(歓声)
ヒット曲だけが好きだという人もいれば、ヒットしなかった曲だけが好きだという人もいます。あるいは、どの曲も好きではないという人もいます。
でも、そうしたあらゆる反応を聞くことに、私は居心地の悪さを感じません。なぜなら、自分が作ってきた作品に対して、自分自身がどこに立っているのかをわかっているからです。
作曲家として私たちにできるのは、人々がそれぞれの人生の中でいる場所に、作品が届くことを願うことだけです。でも、その出会いを演出したり、無理やり起こしたりすることはできません。
ただ願うしかありません。
ある美しい偶然の中で、同じ道の上、同じ時間に、その人たちと出会えることを。
人生の雑音の中で、私たちが書いた一行や、作ったメロディがすっと届き、彼らがそれを聴いて、何かを感じてくれることを。鳥肌が立ったり、少し心が軽くなったり、愛する誰かを思い出したりしてくれることを。
私たちの目標は、ほかの誰かの心の中に、「これはわかる」と感じる小さな光を生み出すことです。自分にとって善く、本物だと感じたものが、同じ瞬間に、その人にとっても善く、本物だと感じられる。
そしてその瞬間、誰かが思わず「この曲、大好き」と口にしたとき。そのとき、それは自然に起きたことなのです。
(拍手)
最後に、この壇上にたどり着くまで、私を助けてくれた本当に多くの人たちがいます。
まだ誰も私の名前に注目していなかった頃から、私の書く力を信じ、私の視点を大切にしてくれた人たちです。
そして、ファンの皆さんが現れました。
彼らは、私の物語を、私の文章を、私のフックを、私の心の痛みを、聴きたいと思ってくれました。
私の最初の曲が世に出てから20年が経った今も、彼らがまだ次の章を読みたいと思ってくれていることほど、私を喜ばせ、驚かせるものはありません。
(歓声・拍手)
「昔は親と一緒にあなたの音楽を聴いていました。そして何十年も経った今、自分の子どもと一緒に聴いています」と言ってもらえることほど、幸せなことはありません。
親友と一緒に聴いていると言ってくれること。
カップルが「Love Story」は自分たちの曲だと言ってくれること。
(歓声)
誰かが「The Fate of Ophelia」に合わせてかわいらしいダンスをしてくれること。
いろいろな国の人たちが、それぞれのアクセントで「Ophelia」を歌っているのを耳にすること。
あるいは、「Enchanted」を聴かせると赤ちゃんが泣き止むんです、と言ってくれること。
(笑い)
ファンの皆さんが、それぞれのやり方で私の曲を永遠のものにしてくれていることに、私は心から恐縮しています。皆さんは、私の曲を、この地球上でのご自身の本当の旅のBGMにしてくれているのです。壮大な瞬間も、一見なんでもない日常の瞬間も、私にとっては同じくらい大切です。
最後になりますが、レガシーというものについて考えるとき、私より前に本当に素晴らしいキャリアを築いてきたソングライターの方々がたくさんいることを、私はよくわかっています。
Songwriters Hall of Fameは、今年この栄誉を受けるにふさわしい、素晴らしく才能ある作曲家たちの中から、誰を選ぶこともできたはずです。
それでも今夜、皆さんは私を、模範となるソングライターたちの一員として、2026年のHall of Fameのクラスに迎え入れることを選んでくださいました。
私の人生の中で最も善く、最も本物である部分を称え、祝福してくださった投票者の皆さんに、心から感謝します。
私は永遠に感謝します。
皆さん、良い夜をお過ごしください。
ありがとうございました。
(歓声・拍手)
Written By uDiscover Team

テイラー・スウィフト「I Knew It, I Knew You」
2026年6月5日配信
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