イギリス人音楽プロデューサーでエンジニアのマーティン・バーチが71歳で逝去。その半生を辿る

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Photo: Fin Costello/Redferns

世界を股にかけて活動し、広く高い評価を受けたイギリス人音楽プロデューサーでエンジニアのマーティン・バーチ(Martin Birch)が2020年8月9日に71歳で逝去した。ロック・ミュージック界で最も著名かつ多作なレコード・プロデューサーの一人として知られていた彼は、ディープ・パープル(Deep Purple)、ホワイトスネイク(Whitesnake)、アイアン・メイデン(Iron Maiden)、ブラック・サバス(Black Sabbath)などの大ヒット・アルバムを手掛けてきた。

 

マーティン・バーチは誰もが知っている人物ではなかったかもしれないが、この訃報を受けて過去の共作者たちから続々と寄せられている追悼のコメントには、彼への敬意で溢れている。ホワイトスネイクのデイヴィッド・カヴァデールはこう綴っている。

「私の親愛なる友人で、プロデューサーでもあったマーティン・バーチが亡くなったことを知り、悲しみに打ちひしがれています。マーティンは私の人生にとって大きな存在でした…初めて会った時から(1984年の)“Slide It In”までずっと私を支えてくれました。彼のご家族、ご友人、ファンに皆さまに心よりお悔やみ申し上げます。素晴らしい才能に溢れた愛すべき人物でした…あなたがいなくなって寂しくなります」

ブラック・サバスのギーザー・バトラーは次のように述べている。

「マーティン・バーチの訃報を聞いて本当に悲しいです。素晴らしいプロデューサーでした。ブラック・サバスのアルバム“Heaven and Hell”や“Mob Rules”で彼と一緒に仕事をできたのは光栄でした。ヴェラとご家族にお悔やみ申し上げます。#RIPMartin」

 

マーティン・バーチは、これまでアルバム制作に関わってきた著名バンドの台頭における中心人物だった。彼はピーター・グリーン時代のフリートウッド・マックの『Then Play On』(1969年)に始まり、1970年代初頭の過渡期にリリースされた『Penguin』や『Mystery To Me』など、過小評価されている同グループ初期の5作のアルバムのエンジニアを務めた。

ミック・フリートウッドは、1990年のQ誌の取材に、ピーター・グリーンが脱退したことで、当時のマーティン・バーチが後押ししていたグループの音楽的発展が完全には実現できなかったことに落胆していたと明かしている。「ピーターはプロデューサーのマーティン・バーチと一緒に“Then Play On”で実験を始めていました。あのアルバムは今尚愛され続けていますし、残念だったのはあの1作だけで終わってしまったことです」

マーティン・バーチはその後、1981年の『Killers』から1992年の『Fear of the Dark』までの11年間に亘って、アイアン・メイデンのアルバムをプロデュースし、12作のディープ・パープル作品や、『Heaven and Hell』を含む、ニー・ジェイムス・ディオ時代のブラック・サバスのアルバムを手掛けてきた。また、1980年代初期のブルー・オイスター・カルトの2作のアルバムでもエンジニアとプロデュースを務めている。

1948年12月27日にサリー州ウォキングで生まれたマーティン・バーチは、20代前半までは多忙なスタジオ・エンジニアとして、前述の『Then Play On』や、同年のディープ・パープルによるロックとクラシックを融合させた先駆け的アルバム『Concerto For Group and Orchestra』などの制作に関わった。

彼とディープ・パープルとの関係性は、1970年代にかけての『Deep Purple In Rock』『Fireball』『Machine Head』『Made In Japan』『Who Do We Think We Are』という一連のアルバム、そしてデイヴィッド・カヴァデール/グレン・ヒューズ時代の『Burn』『Stormbringer』『Come Taste The Band』まで続いた。また、彼はしばしばジョン・ロード、ホワイトスネイク、レインボーなど、ディープ・パープルのメンバーによるその後のプロジェクトのプロデュースも任されている。

マーティン・バーチはウィッシュボーン・アッシュの最初の3作のアルバムをはじめ、ジェフ・ベック1969年の代表作『Beck-ola』やピーター・グリーンのフリートウッド・マック脱退後の初のソロ・アルバム『The End of the Game』、フェイセズの『Long Player』、スタックリッジやグラウンドホッグスといったイギリスの主力バンドによる作品など、多くの重要ロック作品でもエンジニアを務めており、アイアン・メイデンの1982年のアルバム『Fear of the Dark』を最後に現役から引退したが、同年には、マイケル・シェンカー・グループのアルバム『Assault Attack』のプロデュースも手掛けていた。

ジャーナリストのスティーヴン・ローゼンは、1982年の『The Number of the Beast』リリース当時に、アイアン・メイデンのエイドリアン・スミスにマーティン・バーチと仕事をするのはどんな感じだったのかと質問し、彼が次のように答えていたと証言している。

「素晴らしかった。彼は“マーティン・バーチのアルバム”にしようとはしないんです。彼が僕たちに最初に言ったは“これは君たちのアルバムだ。僕はそこにあるものを引き出そうとするだけだよ”ということでした」

Written By Paul Sexton



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