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ミニー・リパートンの生涯:31歳の若さで亡くなったソウルフルなシンガーによる素晴らしい音楽

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偉大なアーティストの多くが若くして他界しているが、ミニー・リパートン(Minnie Riperton)の31歳での死は、1970年代に輝きその後何十年も偉大な作品を残せたはずのキャリアを消してしまった。

とてもソウルフルなシンガーだったミニー・リパートンが、5枚目のスタジオ・アルバム『Minnie』発表の2ケ月後の1979年7月12日に乳がんで亡くなってから、40年が経過した。その高揚感のあるヴォーカルとジャズ風の作曲スタイルを披露して世界的にヒットした1975年の全米1位シングル「Lovin’ You」が、最も良く知られている彼女の曲だ。しかし、ミニー・リパートンにはこの大ヒット曲以上に、素晴らしい魅力が沢山ある。

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その生涯

シカゴのサウスサイドで生まれ育ったミニー・リパートンは、最初はダンサーとしての才能を見出されていたが、その非凡な声を磨くために、リンカーン・センターでオペラのヴォーカル・トレーニングを始めた。彼女が歌う曲では、ヴォイス・コントロール、呼吸法、発声法に集中している歌声が明らかに聞き取れる。

ミニー・リパートンはまだ15歳の時にザ・ジェムズと歌い始め、その2年後に、このグループのバック・ヴォーカルの一人として、1965年のフォンテラ・バスの代表的ヒット曲「Rescue Me」をレコーディングした。ミニー・リパートンは彼女自身のヒット曲を地元では持っていたが、1967年までは、チェス・レコードの秘書として働き、その後でサイケデリック・ソウル・グループのロータリー・コネクションに加入。ロータリー・コネクションはチェス・レコードの共同創始者、レナード・チェスの息子で、後にローリング・ストーンズ・レコーズの社長になったマーシャル・チェスのアイディアで生まれた。

実際、ロータリー・コネクションの1967年のセルフ・タイトル・デビュー・アルバムには、ザ・ローリング・ストーンズの「Lady Jane」と「Ruby Tuesday」と、ボブ・ディラン、ラヴィン・スプーンフル、サム&デイヴのカヴァー曲と、バンドのオリジナル曲が混ざって収録されていた。ロータリー・コネクションは5枚のアルバムを発表したが、1970年、ミニー・リパートンはソロ・デビュー作を発表する準備ができていた。

Ruby Tuesday

 

ソロ・デビュー

そのソロ・デビュー作は、1970年末にGRTからリリースされた『Come To My Garden』で、彼女はシカゴのロンドン・ハウスでコンサートを行なった。この時に彼女を観客に紹介したのが、ラムゼイ・ルイスだった。彼はコンサートでピアノを演奏し、モーリス・ホワイトがドラムを、フィル・アップチャーチがギターを演奏。このデビュー・アルバムは全米チャート入りしなかったが、遂にミニー・リパートンがデビューした後、特に高く評価された曲「Les Fleurs」と共に、名作とみなされている。

Les Fleurs

 

スティーヴィー・ワンダーとの出会いと「Lovin’ You」

『Come To My Garden』で幅広い認知を受けることができなかったミニー・リパートンは、音楽活動から一時退いて、ソングライターの夫、リチャード・ルドルフと家庭を築き始めた。しかし、1973年に、彼女のデモのひとつがエピックとの新しい契約を導き、彼女の曲のファンであるスティーヴィー・ワンダーが、1974年のアルバム『Perfect Angel』を共同プロデュースすることになった。

モータウン界のスーパースターであったスティーヴィー・ワンダーは、このアルバムに彼自身が書いた2曲、アルバムのタイトル曲と「Take A Little Trip」を提供している。

Minnie Riperton, Stevie Wonder – Take A Little Trip (Audio)

アルバム『Perfect Angel』は全米アルバム・チャートに即登場したが、人気が急上昇したのは1975年に「Lovin’ You」が発表されてからだった。この曲がアメリカで1位になり、イギリス、オランダ、オーストラリア等で大ヒットして、遂にミニー・リパートンは国内外でスターとなった。アルバムは全米チャートに47週間留まり、1975年の3月にゴールド・ディスクに認定され、その3週間後にヒット・シングルもゴールドになった。

Minnie Riperton – Lovin' You (Official Video)

それからミニー・リパートンは、『Adventures In Paradise 』と『Stay In Love』を発表したが、『Perfect Angel』での大成功を再び手にするのに苦労した。彼女は1979年にキャピトルと新しく契約を交わしたが、『Minnie』の制作を始めた時には、すでに深刻な病状だった。これは、神童的な才能を持つ彼女の最後の作品に相応しいアルバムとなった。

その翌年、彼女の夫リチャード・ルドルフが『Love Lives Forever』と題された未発表曲のコンピレーション・アルバムを監修。そこには、スティーヴィー・ワンダー、ロバータ・フラック、ジョージ・ベンソンらが参加した素晴らしい曲が収録された。

彼女が1975年、メロディー・メイカー誌に語ったことによると、ミニー・リパートンは様々な文化の影響を持つ稀有なアーティストだった。

「私の人生は本当に沢山の出来事に満ちていて、一種類の音楽に影響されただけではないの。私は想像出来る限りのあらゆる音楽を聞いてきた。日本、中国、バリ、アフリカ、南米、東インド、沢山の音楽をね。それが私をユニークにしてくれたの」

Written By Paul Sexton




 

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