ブルース、ロック、パンク、80sポップの架け橋となったUKモッズ・ムーヴメント

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Photo: Terry Fincher/Express/Hulton Archive/Getty Images

ジミー・リードによる軽快なブルース・シャッフル、ザ・フーの荒々しいほどの力強さ、ソウル・ミュージックにシンセを取り入れたスタイル・カウンシルのソフィスティ・ポップ、それらを結び付ける変幻自在で魔法のような一大ムーヴメントがある。それらを一括りにして“モッズ”の一言で言い表すこともできる。

モッズの系譜に連なるアーティストたちは、モータウン、スカ、パンク、パワー・ポップなどのジャンルをも取り入れていった。しかし話を整理するためにも、すべての始まりから説明することにしよう。

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多様なジャンルの音楽を吸収したモッズ

「モッド/mod」という言葉は1960年代後半から頻繁に使われていた。しかし、10代から20代の多くのイギリスの若者たちがこの名の下にムーヴメントを作り上げていくと、頭文字の”M”が大文字で表記されるようになった。モッズたち (“モダニスト/ modernist”という単語を短縮したMods) は、スーツや高級なセーター、ミニスカートといった洗練された服装に身を固め、男女共に短い髪を丁寧になでつけていた。

彼らは、1950年代のロカビリーに固執し、革のジャケットにデニムという懐古的な服装をしたUKの”ロッカーズ”に反感を抱いていたのである。ロッカーズがバイクのエンジン音を轟かすのに対し、モッズは道路の砂埃からスーツを守るためのミリタリー・パーカーを着て、改造したヴェスパのスクーターで道々を明るく照らした。その姿はまるで、ヌーヴェルヴァーグ映画の登場人物のようだった。

だが中でも最も重要なのは、エルヴィスやジェリー・リー・ルイスを崇拝していたロッカーズとは違い、モッズがより多様なジャンルの音楽を吸収していたことだ。マディ・ウォーターズやボ・ディドリー、そして前述のジミー・リードらによるエレクトリック・ブルース、スモーキー・ロビンソンやマーサ&ザ・ヴァンデラス、マーヴィン・ゲイをはじめとするモータウン勢 (及びその他のソウル・レーベルの数々) の都会的なR&B、デスモンド・デッカーやプリンス・バスター、スカタライツらによるシンコペーションを多用したジャマイカ生まれのスカ、そしてモーズ・アリソンやジョージィ・フェイムらのクールでジャジーな音楽。モッズはそうしたものすべてに影響を受けていたのである。

スタイリッシュに着飾ったモッズたちは、仲間が集うクラブでこうした音楽を聴きながら踊っていた。そして、そんなモッズの幾人かが気概を持って集まりバンドを結成すると、彼らは自分たちの音楽にその影響を反映したのだった。

 

UKのモッズ・バンド

クリーム結成以前のジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーが在籍したグラハム・ボンド・オーガニゼーションや、スペンサー・デイヴィス・グループ (このグループの10代の早熟なシンガー/オルガニストは、当時はリトル・スティーヴィー・ウィンウッドという名で知られていた) といったグループは、早い時期から活動していた。だが、そうしたバンドの最終目標は、アメリカのブルースやR&B、ジャズを活気のあるアレンジで演奏し、流行の先端を行く英国の若者たちへ紹介することにあった。

また、確固として独自の信念を持っていたようなバンドでさえ、海の向こうのサウンドに浸りきっていた。突き詰めれば、モッズ・ムーヴメントの草創期における最重要バンドはザ・フーであるといえよう。彼らはポップ・アートによる装飾や、やかましく過激なロック・サウンドを前面に押し出していた。

だがそうした作品においても、他の音楽からの影響を聞き分けることは容易かった。その証拠を挙げるなら、彼らが最初にヒットさせた三つのシングルのB面だけで十分だろう。「I Can’t Explain」のB面曲はアメリカの伝統的なフォーク/ブルース・ナンバー「Bald Headed Woman」で、「Anyway, Anyhow, Anywhere」のカップリング曲は狡猾な男について歌ったオーティス・ブラックウェルのブルース・ナンバー「Daddy Rolling Stone」だった。そして、時代を画した1曲「My Generation」のB面にはジェームス・ブラウンの「Shout And Shimmy」が収録されていたのである。

 

45回転レコードから飛び出したような楽曲

ザ・フーと志を同じくするアーティストたちも、それと同じようなことをしていた。彼らの初期のシングル盤にも、1960年代半ばのダンスフロアでモッズたちを熱狂させていた45回転レコードの山からそのまま飛び出してきたような楽曲が散りばめられていたのだ。

例えば、スモール・フェイセスのシングルにはサム・クックやティミー・ユーローの有名な楽曲が収録されていた。また、ジ・アクションは初期にクリス・ケナーの「Land Of A Thousand Dances (ダンス天国)」やマーヴェレッツの「I’ll Keep Holding On」をカヴァーしており、クリエイションはキャピトルズの「Cool Jerk」をレコーディングしている。

もちろん、ザ・フー、スモール・フェイセスを筆頭とする一連のモッズのバンドたちは、アメリカのソウルやブルースのサウンドをそのまま届けるだけの存在ではなかった。ザ・フーによる熱狂的な1曲「My Generation」や、スモール・フェイセスによる陽気なサイケ・ポップの名曲「Itchycoo Park」はその好例である。彼らはそうした楽曲を通して、60年代のロック/ポップ界の様相をほかの誰よりも大きく変えたのである。

そしてそれからおよそ10年の後、新世代の目新しいグループが登場し始めた。そうしたバンドは”My Generation世代”の革新性と、その影響源となった音楽をどちらも重要視しながら、全く新たな価値観を創造していったのである。

 

ネオモッズ・ムーヴメント:ザ・ジャム

1977年、 (特に) 初期のザ・フーが持っていた原始的なパワーを基盤とするブリティッシュ・パンクのパイオニアたちに少し遅れる形で、ネオモッズ・ムーヴメントが巻き起こった。その先頭に立っていたのが、ザ・ジャムである。

彼らのデビュー・シングル「In the City」は、「I Can’t Explain」のころのザ・フーを想起させる親しみやすいメロディーや怒りの感情に、パンクの挑戦的な反骨精神を加えた楽曲。その仕上がりは、パワー・ポップ寄りのニュー・ウェイヴ勢のサウンドに近いものだった。当時はまだパンクが勢いを増している最中だったが、同曲の下降していくキャッチーなリフが、その半年後にリリースされたセックス・ピストルズの「Holidays in the Sun (さらばベルリンの陽)」のリフと酷似しているのは有名な話だ。

モッズ・リバイバルのバンドたちは、かつての流行を再興するムーヴメントにありがちな皮肉に悩まされることなく、モッズの原点に回帰してみせた。ザ・ジャムのデビュー・アルバムを例に取ろう。実に口ずさみやすい同作の収録曲「Away From The Numbers (気ままに)」には、「The Kids Are Alright」をはじめとするザ・フーのメロディアスな楽曲の神髄が感じられる。

また、凄まじいスピードにアレンジされたラリー・ウィリアムズの「Slow Down」のカヴァーで彼らは、R&Bにモッズ流の敬意を表している。そんな同アルバムは全体を通して、60年代半ばのフーのヒット曲に見られる呑気さに、パンク風のエッジを加えたような作風に仕上がっているのだ。

 

ザ・ジャム以降のネオモッズ

やがて、10代の若者三人から成るザ・ジャムと同じ志を持った若手バンドが多数登場し始めた。そうしたグループは、洒落たスーツと細いネクタイで着飾り、初期のモッズ・バンドや、そうした先達に影響を与えたアーティストたちへの情熱をありのままに表現した。

それから70年代のあいだは、モッズ・コート姿でロンドンのストリートを歩けば必ずと言っていいほどネオモッズたちの誰か、パープル・ハーツ、ランブレッタズ、マートン・パーカス、スクワイヤ、ロング・トール・ショーティなどに出くわしたことだろう。

ザ・コーズとシークレット・アフェアーは、ジャムが成し遂げようとしていたこと、つまり、ありがちな表現方法を真に超越することに最も近づいたバンドだった。1979年、シークレット・アフェアーでヴォーカルを務めるイアン・ペイジは、Sounds紙のガリー・ブッシェルにこう語っている。

「俺たちがしていることに決まったやり方があるとすれば、それはこんな感じだろう。まず、タムラ・モータウンの古い楽曲からベースとドラムのノリを拝借する。そこに怒りのこもったパワフルなギターを加えて、現代に通じる歌詞を加える。くだらないラヴ・ソングみたいな歌詞じゃなくてね。そうすれば、俺たちのサウンドの出来上がりだ。だが”モッズであること”に時代や状況、音楽性は関係ない。重要なのは一つの考え方であって、その時代に起こっている他のこととは違ったアプローチをすることだ。それこそ過去のモッズたちがしてきたことだし、いまの俺たちがやっていることだ。パーカーを着ていないだけで、俺たちもモッズなんだ」

デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズもこうしたシーンから生まれたバンドの一つで、その名前は第一世代のモッズが好んで使用していた覚せい剤 (デキセドリン) に由来している。だが、彼らが世界的な名声を得たのは1982年のこと。「薬物でハイになったヴァン・モリソン」といった風なアコースティック・サウンドを持ち味とするグループに生まれ変わった彼らは、同年に「Come On Eileen」を大ヒットさせたのだ。

スタイル・カウンシルとそのフォロワーたち

一方そのころ、ザ・ジャムのフロントマンであるポール・ウェラーは昔からの仲間たちとスリー・ピースのロックンロールを演奏することに疲れ始めていた。そして彼らの作品の中でも最も音楽性の幅が広いアルバムだった1982年の『The Gift』を最後に、彼はザ・ジャムの解散を宣言して世界中のネオモッズたちにショックを与えた。

だが、ポール・ウェラーはすぐに次なる計画を始動させ、また大勢のモッズたちの支持を集めた。しかも彼はそれと同時に、未知なる領域へと足を踏み入れていったのである。

ポール・ウェラーは、元マートン・パーカスのキーボーディスト、ミック・タルボットと共にスタイル・カウンシルを結成。ロック・バンドという枠組みから解き放たれた彼は、これまで以上に古典的なR&Bに傾倒していった。

そうした影響に前衛的な姿勢と多彩な音色のシンセサイザーを組み合わせた彼らの音楽は、60年代風でありながら完全に現代的で上品なポップに仕上がっていた。ソウルフルで聴き心地のよい「You’re The Best Thing」や「Long Hot Summer」はUK国内でヒットを記録。そのサウンドは、その後のスタンダードとなっていった。ウェラーは1983年、The Face誌のインタビューでレスリー・ホワイトにこう語っている。

「”1963年のあのころみたいに、ブライトン・ビーチで喧嘩をしよう”というようなリバイバル運動は総じてくだらない。俺は今でも自分のことをモダニストだと考えている (その気持ちを忘れず、向上心を持ち続けないといけない!) 。だが、みんな大事なポイントを見落としている。モッズ文化が生んだ真の遺産、それは、アメリカからやって来たソウル・バンドを観るために繁華街を歩いていたような、ソウル好きの若者たちの存在だったはずだ」

ウェラーが新たな段階へと進化を遂げたことで、またしても他のアーティストたちが彼の後を追っていった。その中にはウェラー自身によって発掘された者たちもいた。というのも、彼は自身のレーベル”レスポンド”を設立。そこからクエスチョンズやトレイシー・ヤングといったアーティストの作品(それらは、シンセを使用した優しくファンキーな作風だった)をリリースしていったのだ。

だがスタイル・カウンシルが人気を得て1年も経たないうちに、ポップ・スターを夢見る英国人ミュージシャンたちが国内で大勢現れ始めた。そうしたアーティストはみな、華やかでソウルフルなグルーヴを武器に台頭していった。

その中には大ブレイクを果たしたバンドもいる。パンク上がりのミュージシャンたちから成るジョーボクサーズもその一つだ。アメリカ人のシンガーを擁する彼らは、「Just Got Lucky」を世界的にヒットさせた。

他方、スタイル・カウンシルを越えるほどのビッグ・ネームとなったのがシンプリー・レッドだ。彼らはポスト・パンク・バンド、フランティック・エレヴェイターズとドゥルッティ・コラムの元メンバーから成るグループで、様々なジャンルの要素を取り入れたポップ・ソウル・ナンバーを生み出した。

中でも「Holding Back The Years」と「Money’s Too Tight  (To Mention)」はスマッシュ・ヒットを記録。後者はオハイオ出身のR&Bデュオ、ヴァレンタイン・ブラザーズの楽曲をカヴァーしたものだった。

その他のバンド ―― 例えばトゥルースやエルヴィス・コステロがプロデュースしたが短命に終わったビッグ・ヒートやグラスゴー出身のラヴ・アンド・マネーなどは現在ではほとんど忘れ去られているものの、同じカルチャーから生まれたグループであることに変わりはない。

このようにモッズ・ムーヴメントが辿ってきた複雑な道のりは、その他の様々なカルチャーの歴史と同様、一括りに捉えることは難しい。それは時代、場所や人種、そして時には動機さえも超えて波及していくからだ。だがそのようなムーヴメントは、アーティストとファンの両方を自分たちだけでは絶対に辿り着けなかったであろう地点へと誘ってくれるのである。

Written By Richard Havers


ザ・フー『Live At Shea Stadium 1982』
2024年3月1日発売
日本盤のみSHM-CD仕様/英文ライナー翻訳・歌詞・対訳付
予約:https://umj.lnk.to/TheWho_lass



ポール・ウェラー『Fat Pop Extra』

2024年1月19日発売
CD


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