U2奇跡のサラエボライヴを記録した映画『キス・ザ・フューチャー』の監督が問いかけるものとは

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Adam Clayton and Bono of U2 and Matt Damon - Photo: Adam Berry/Getty Images

1997年9月23日、内戦の爪痕が色濃く残るサラエボで、U2が4万5千人を前に行った伝説的ライブの舞台裏を追ったドキュメンタリー映画『キス・ザ・フューチャー』が2025年9月26日(金)から、キノシネマ新宿 ほか全国順次ロードショーされることが決定した。

かつてサラエボの人々は、民族や宗教の違いを超えて共に暮らしていた。しかし1990年代、ボスニア紛争はその共存を引き裂き、多くの命と街の風景を奪った。そんな荒廃の地に、音楽が再び人々を結びつける力となった夜があった。それが、U2が1997年にサラエボで果たした約束のコンサートである。その舞台裏と、人々が再び「ひとつ」になるまでの歩みを追ったドキュメンタリー『キス・ザ・フューチャー』は、ベン・アフレックとマット・デイモンのプロデュースにより完成した。

本作の日本公開を記念して、ネナド・チチン=サイン監督の最新インタビューを公開。音楽と芸術が、分断された世界にいかなる橋を架けることができるのか。サラエボの記憶を通して、いま世界に問いかける。

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なぜ今制作したのか?

Q. なぜ映画『キス・ザ・フューチャー』を制作することにしたのですか?ボスニア戦争から約30年経ってなぜ今なのでしょうか?

私はその地域、旧ユーゴスラビア出身です。ご存知のように、ボスニアはユーゴスラビアの一部でした。私はクロアチア人の父とセルビア人の母、アルバニア人の妻を持っています。クロアチアで戦争の一部を現地で経験しました。民族主義が私の国を分裂させ、社会がこれほど分断され極限状態に陥った際に何が起こるか、その危険性を目の当たりにしました。

2017年にライブの記念日が訪れた際(U2の1997年サラエボライブから20周年)、あの日のライブを思い出しました。1997年当時、現地にいなかったものの、その影響力と意味の深さを知っていました。サラエボやバルカン半島の人々は、困難な時代を乗り越えるために音楽とアートを用いていました。その当時、私はマット・デイモンとベン・アフレックの会社(彼らがプロデューサーを務める)のための脚本を書き終えたばかりでした。そして、彼らにドキュメンタリー『キス・ザ・フューチャー』のプロデュースを依頼しました。

この映画を作りたいと思った理由は、アメリカではニュースで見られるように、社会が極端に分極化され始めたからです。人々は非常に分断されています。危険な方向に行く可能性があると思います。私はバルカン半島で起こったことを単なる警告の物語として示すだけでなく、音楽とアートが困難な時代に人々を鼓舞し、希望を与えることができることを示したかったのです。

ネナド・チチン=サイン監督

 

マット・デイモンがプロデュースした経緯

Q. マット・デイモンに映画のアイデアを話し、プロデューサーになってほしいと頼んだ時、彼は最初にどう反応しましたか?

彼は即座に「はい」と答えました。議論も、考え込む時間も、長い話し合いもありませんでした。ただ「はい」と答えただけです。彼はこの物語に意味があると感じたのでしょう。この映画が伝えるメッセージが、世界に伝える価値があるものだと信じていたと思います。

また、彼はこの映画が私にとって非常に個人的なものであることも理解していたと思います。私は彼と脚本作業を終えた直後で、その時点で一定の信頼関係が築かれていたと思います。そして、物語が「暗闇の中の光を見つけること」「困難な時代の人間性」「ナショナリズムの危険性」について扱っている点に、彼は動機付けられていたと思います。

また、私が書いた脚本と同様に、彼はこれが単なる典型的なドキュメンタリーではなく、人々が「悪い状況」について話すだけの作品ではないことを理解していたと思います。私たちは、観客が旅のような体験ができる映画を作りたかったのです。単に説明されるのではなく、感じられるような作品です。これらの要素の総和が、プロデューサーとしての彼を「このリスクを負ってでもやる価値がある」と言わせたのだと思います。

Q. マットにこのアイデアを提案した時、ロシアとウクライナの戦争は既に始まっていましたか?

戦争の前でした。それが問題でした。資金調達を終えていざ撮影を開始しようとした時、ロシアがウクライナに侵攻しました。ボスニアでインタビューを行う決断は非常に困難でした。ボスニアの人々は、戦争が再びバルカン半島に広がる可能性に非常に懸念を抱えていたからです。また、彼らは過去に経験したことから、ウクライナで起こっていることを目撃することで、PTSDが再発する状況にありました。そして、冬だったため、暗くて寒く、非常に重い雰囲気でした。

私たちはヨーロッパ最後の戦争の終結を描いた映画を制作するつもりでしたが、誰も起こり得ないと思っていたヨーロッパでの戦争が勃発しました。そして、本作がベルリン国際映画祭(2023年)で公開された際、多くのメディアや映画評論家が、ロシアとウクライナの間で起こっていることと、ボスニアで起こったこととの関連性について言及しました。そして、約半年後にローマ映画祭にいた時、ガザとイスラエル間の衝突が起きていました。再び、人々は映画とガザとイスラエルで起こっていることを関連付けていました。

私たちは、世界中のこれらの紛争を取り上げる映画を作るつもりはありませんでした。しかし、これらの恐ろしい状況下で生き延びた人々の物語を共有することが、他の問題にも関連付けられるようになったようです。

 

貴重なU2のライヴ映像

Q. 当時の映像をどのように入手したのですか?例えば、U2のZOOツアー中にビル・カーターがボノにインタビューした映像はどのように手に入れたのでしょうか?

ビル・カーターはプロジェクトの初期段階から参加していました。マットがプロジェクトに参加した少し後に、彼も加わりました。ストーリーを伝える最良の方法を探るため、彼の著書を見つけ読みました。その後、彼に「このプロジェクトに参加していただけますか?」と尋ねたところ、彼は「はい」と答えたんです。

その後、彼とも作品のアイデアを一緒に形作っていきました。彼に持っているアーカイブや映像について尋ねました。すると、U2のインタビューについて教えてくれ、ライブ映像の存在を知りました。

Q. これまで未公開だったライブ映像も使用できたそうですね?

はい。すべてU2の映像なんですが、世界で公開されたことはありませんでした。本作によって、初めての公開です。公開されていた唯一の映像は、1997年のライブで観客がカメラで撮影した動画でした。画質が非常に低く、ほとんど興味を引かないものでした。

このライブが特別なものだったと噂で聞いてはいましたが、映像を見たことがなかったので、大きな賭けでした。U2から提供された映像をようやく見ることができたのは、映画制作のかなり後の段階でした。

 

Q. 『キス・ザ・フューチャー』はいくつかの映画祭で上映され、米国でも公開されました。これまでの反応はいかがですか?

信じられないほど素晴らしい反応です。ベルリン国際映画祭での上映時は、ボノとエッジが参加し、マット・デイモンもおり、映画制作に携わった全員が揃った非常に美しい瞬間でした。映画に出演した人々、特に映画で重要な役割を果たした人々がいました。

観客は映画を大変気に入ってくれました。少なくとも10分間続くスタンディングオベーションをいただきました。本当に特別な瞬間でした。また、トライベッカ映画祭のオープニング作品に選出されたことも特別でした。さらに、サラエボ映画祭では観客賞を受賞しました。人々に意味のある作品として評価されたことは、本当に報われたと感じています。

 

現地での反応

Q. クロアチアから移住した時の年齢は?

10歳までクロアチアにいて、1980年にアメリカに移住しました。しかし、父は私が思春期にクロアチアに戻りました。彼は戦争中にクロアチアにいました。1992年からは、父と過ごすためにアメリカとクロアチアを行き来していました。数ヶ月滞在して帰るという生活です。母と私たち兄弟以外は全員クロアチアに住んでいました。

Q. 1997年のU2のライブは当時、知っていましたか?

はい、知っていましたし、行きたかったのですが、その時はサンフランシスコで働いていて、クロアチアには住んでいませんでした。そのため、仕事を離れるのは非常に困難でした。当時、私は広告代理店で若いクリエイティブ・エグゼクティブとして働いていましたので、仕事をほったらかしてライブに行くことはできませんでした。本当に参加したかったです。行った人は知っています。

Q.ライブに参加した人々の反応はどのようなものでしたか?

このライブが、非常に力強いものだったことを聞きました。それが、私がこの映画を作る動機の一つです。1997年、U2は世界最大のバンドでした。最も多くの観客を動員し、最も多くのアルバムを売り上げていました。極めて影響力のあるバンドだったんです。彼らは、自らが築いた関係から、サラエボでライブを行うことを決意しました。

ボスニア人が「そのコンサートにセルビア人を招待したい」と言ったことは、歴史的に非常に強いメッセージ性を持った瞬間でした。例えば、テイラー・スウィフトがガザでコンサートを行うと仮定し、誰かが「イスラエル人をコンサートに招待しよう」と言ったとしたら、それは非常に力強いメッセージですよね。当初、コンサートはボスニア人だけを対象としたものでしたが、ボスニアの国連大使だったムハメド・サツィツベイがセルビア人をコンサートに招待しました。

これが映画の重要なポイントです。しかし、私は本作で詳細をあまり語らせませんでした。なぜなら観客には説明されるのではなく、体験してほしいと思ったからです。しかし、これが実際に起こったことで、歴史における重要な出来事だった理由です。

そして、彼らはセルビア人をライブに招待しただけでなく、クロアチア、コソボ、アルバニア、ポーランド、スロベニアからもバスを派遣しました。人々が癒される唯一の方法は、敵と見なす存在を受け入れることだという視点がありました。最も美しいことは、戦争を経験したばかりの人々が、多様な背景を持ちながらライブ会場に集まったことです。

 

戦争が起きている現在

Q. 世界の状況を見渡すと、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの間で紛争が続いています。平和な世界に住むためにはどうすればいいでしょうか?音楽や映画は平和に貢献できるでしょうか?

私は、芸術がまずできることは、人々を人間として認識させることだと思います。美しい曲を聴くと、良い気分になります。その人がパレスチナ人、イスラエル人、ロシア人、ウクライナ人かどうかは考えません。それより、音楽や絵画が与える感情の方が重要です。『キス・ザ・フューチャー』で最も重要なメッセージは、私たちは皆同じであり、戦争は無意味だったというアイデアです。アートにできることは、人々の間に橋を架けることだと信じています。

私たちを分断しようとする独裁者や民族主義者たちは、誰かを敵にすることでそれを実現します。彼らは自分のやりたいことを実行する力を持っています。そのためには、彼らに従う人々の集団が必要です。最も簡単な方法は、他者を「あなたを破壊する敵」だと主張することです。そんな“敵”とされる側の人が、あなたを感動させるようなアート作品を生み出せるという事実は、信じがたいかもしれません。アートは、私たちが同じ人間だと感じさせてくれるのです。

私たちに違いはありませんよね?アートには、ステレオタイプを打破し、魂のつながりを見いだす強力な力があります。これがアートの最も高い意味での役割であり、私たちの間に橋を架け、世界に命を吹き込む方法だと考えています。

Q.最後の質問です。日本へのメッセージをお願いします。

歴史をここまで遡ることは適切かどうか分かりませんが、戦争終結時に日本が被った原爆投下(広島と長崎)による並外れたトラウマと恐怖は、日本の皆さんにとって生存するための道を模索せざるを得なかったでしょう。彼らはどこで生きる意味と目的、そして人間性を取り戻したのでしょうか?初期にはコミュニティが重要視され、その後アートが重視されたと読みました。自分自身を表現し、心の安定を取り戻し、人間らしさを感じる必要があったのです。この驚くべき恐怖とトラウマを乗り越えて繁栄した社会の人々と、このレジリエンスの物語を共有する能力が求められたのです。

映画『キス・ザ・フューチャー』の特別な点は、戦争そのものについてではないことです。
この映画は、人々が戦争という恐ろしい状況下でどう生き延びたのかを描いています。そして、それは簡単に失われ忘れ去られがちですが、非常に重要なことです。何らかの形で『キス・ザ・フューチャー』が、日本の皆さんが再び正常な生活を取り戻すために乗り越えた苦難を思い出させ、そのような恐ろしい状況下で生き延びたことを再認識するきっかけとなることを願っています。

Photo © 2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED


映画『キス・ザ・フューチャー』

2025年9月26日(金)キノシネマ新宿 ほか
全国順次ロードショー

4.5万人が感涙した伝説のサラエボ・ライブの舞台裏が初めて明らかに!

<「戦争中のサラエボにU2を呼びたい」一人のクレイジーなアイデアが不可能を現実に>
「過去を忘れて、未来にキスを、サラエボ万歳!」。U2が1997年9月23日、4万5千人を前にサラエボで行ったライブは、今も語り継がれている。かつてサラエボの人々は民族・宗教に関係なく共存していたが、紛争は人々を引き裂いていた。このライブは、そんな人々を音楽の力で再び一つにするものだった。本作は、U2がボスニア紛争終結後にサラエボでライブをする約束を果たすまでを追ったベン・アフレックとマット・デイモンがプロデュースしたドキュメンタリーだ。

<4.5万人が感涙した伝説のサラエボ・ライブの舞台裏が初めて明らかに!>
銃弾が飛び交う危険なボスニア紛争中、若者たちは解放を求め夜な夜な地下で行われていたパンクロックライブに熱狂していた。そんな彼らにとって世界的アーティストで戦争や人権など社会的なメッセージを発信していたU2は憧れの存在だった。ある日、アメリカの援助活動家のビル・カーターはU2をサラエボに招くことを思いつく。U2はサラエボ行きを決意するが、安全面の観点から断念。であればと、ビルは衛星中継で戦火のサラエボからの様子をU2のZOO TVツアーに届けることに成功する。そして約束通り、戦後しばらくしてU2がボスニアで行った平和と民族の融和のためのライブは、人々に強烈な印象を残すことになる。世界各地で戦争が絶えない今、U2のメッセージは時代を超えて私たちの心を震わせる。

マット・デイモン、ベン・アフレック プロデュース
監督:ネナド・チチン=サイン
登場人物:クリスティアン・アマンプール、ボノ、ビル・カーター、アダム・クレイトン、ビル・クリントン、ジ・エッジ他
制作:Fifth Season 配給:ユナイテッドピープル
2023年/ドキュメンタリー/アメリカ・アイルランド/103分

映画日本公式サイト



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