U2と映画『キス・ザ・フューチャー』:内戦直後のサラエボで実現したライヴとそれに至る背景
1997年9月23日、内戦の爪痕が色濃く残るサラエボで、U2が4万5千人を前に行った伝説的ライブの舞台裏を追ったドキュメンタリー映画『キス・ザ・フューチャー』が2025年9月26日(金)から、キノシネマ新宿 ほか全国順次ロードショーされる。
このサラエボでのライヴに至る経緯について、元ロッキング・オン編集長であり、バンドを追い続けてきた宮嵜広司さんに寄稿いただきました。
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想像してみてください。
現在最もポピュラリティーを得ているアーティストのひとりであるテイラー・スウィフトのコンサートの最中に、悲劇の続くガザ地区からの生中継がステージセットの巨大ヴィジョンから観客に向けて映し出されるような場面を。あるいは現在最もロック・シーンの話題をさらっているといっていいオアシスの再結成ツアーが、戦火の止まないウクライナの都市で開催されるような事件を。
おそらくほとんどの人がそんなことはありえないと思ったはずです。しかし、1993年にU2が「ZOO TV Tour」中に敢行したライブ内でのサラエボとの衛星生中継はそういうことでしたし、1997年に彼らがサラエボの地で夥しい墓標と沢山の兵士とあまたの観客が囲むスタジアムで行ったライブはそういうことだったと思います。
U2とサラエボ
あらためて整理すると、この一連のU2とサラエボとの関わりは、1993年7月3日イタリアはヴェローナ公演のバックステージに、一人のアメリカ人が取材と称して訪ねていくところから始まります。彼からサラエボの実態を聞かされたその晩には早くもバンドは現地での何らかのパフォーマンスの可能性を模索し始めていますが、7月6日には早々に断念。しかし、その代わりに現地から衛星を使って生中継するのはどうかというアイデアが浮上します。
U2が当時行っていた「ZOO TV Tour」はその演出でも画期的なものでした。ツアー・タイトルにもある通り、ステージ上に無数のスクリーンが並べられ、そこにニュース映像やメッセージが目まぐるしく映し出されるという、ベルリンの壁崩壊後の混沌とした世界そのものを丸ごと飲み込もうとしていた当時のバンドのテーマをダイレクトに反映した舞台となっていました。
そのスクリーンを利用して、衛星回線で繋いだ現地サラエボの人々の生の表情と声をそのまま生中継で観客に届けてしまうというのがそのアイデアでした。
回線を管理する欧州放送協会など関係各所との折衝の末(10万ドルの回線使用料はU2が支払っています)、なんとたった2週間足らずの7月17日にはイタリア、ボローニャ公演で初めての生中継が実現しています。2回目は8月7日グラスゴーのセルティックパーク公演、以降、8月12日のロンドンはウェンブリー・スタジアム公演まで断続的に続けられています。
映画で描かれたもの
実際のサラエボ公演が実現したのはそれから4年後、「POPMART Tour」のヨーロッパ・レグで1997年9月23日のことでした。
このドキュメンタリー映画『キス・ザ・フューチャー』は、そんなU2とサラエボとの4年間に起きていたリアルを当時の映像や当時を知る人々のインタビューを通して浮かび上がらせる作品です。
すでに詳細な日記や伝記といった書籍、文献でことの仔細は追うことが可能となっている現在ですが、それでも本作では知られざる事実がいろいろと明かされ、もちろん当時の現地の生々しい映像のインパクトも大きく(戦火の惨状もさることながら、ライブ中の衛星生中継では、サラエボ現地の若者からライブに詰めかけている観客に向けて「あなたたちは楽しい時間を過ごしているのね? でも私たちは違うわ。あなたたちは、私たちのために何をしてくれるの?」と言い放たれ、ライブ全体が冷え切ってしまうこともあったが、その様子もある)、あらためて発見と驚きが絶え間なく押し寄せるリアリティに満ちた104分でした。
ネナド・チチン=サイン監督が明かしていますが、本作はあえて政治的背景には踏み込まず、あくまで市井に生きる人々の目線や思いを主軸に綴られています。しかし、そのことで、かえってこの作品(とその問題)が善悪や加害者被害者の物語に押し込められることを拒み、今作が何を観客に届けようとしていたかを明確にしていたと思います。
それは当時を生き抜いた生存者たちのインタビューと当時の映像から浮かび上がってくる、凄まじい混乱というよりもむしろ何気ない毎日の暮らしぶりのほうでした。
突然襲ってきた極限状態にも関わらずたくましくも健気に、時にはユーモアを交えながら(もちろん地下のディスコで怒りを発散することも忘れずに)生きていた彼らが当時を振り返るコメントは、同様に本作に差し込まれていたこの戦火をもたらした統制者のもっともらしい虚言と比べて、常に揺るぎない強さを湛えていたことに、観ていた我々はいつのまにか気付かされます。
U2と世界
さてU2です。
U2にはそのキャリアの中でそれこそロック史に残る歴史的瞬間やキャリアを決定付けたシーンが多々ありました。それらは常に当時の世界状況と抜き差しがたく絡み合い、ある時は怒りとしてある時は悲しみとしてまたある時は正確な映し鏡として、忘れられない場面を形成してきました。
そんな特別なロック・バンドU2のキャリアにあっても、この一連のサラエボとの関わりは一際特筆すべきモーメントだったことをあらためて痛感しました。しかも、それは当時のU2にとってもとても大事な方向転換を促すものだったのではと今では思えます。
というのも、当時の彼らは『Achtung Baby』以降、それまでの勢力図が一変した世界の混沌にこそ飛び込んでいき、むしろカオスを焚き付け嗤い暴き惑わせることを(もちろんあえて)厭わない方法論を採用していました。
その戦略は続く『Zooropa』でも継続され、(ツアーファイナルで訪れたバブル崩壊後のトーキョーをひとつのイメージに引用した)パッセンジャーズ『Original Soundtracks 1』をブライアン・イーノと制作、そしてアルバム『Pop』とそれに連なるツアーでは巨大なレモン型宇宙船をステージに登場させるなど、あえて表層と戯れるポスト・モダンな振る舞いを演じていたと思います。
今作の後半、いよいよ実現したサラエボでのU2の公演は、まさにそんな当時のバンドのモードがピークにあったタイミングだったかと思います(なにしろバンドが宇宙船から登場する演出まで施していたわけですから)。
しかしそこで我々が目撃するのは、1990年代を通じて(あえて意図的に)道化を演じてきたボノが声を失い、曲が宙を彷徨うやいなや、詰めかけたサラエボの観客たちが大合唱でそれをサポートする美しい光景です。
それは道化を演じていた彼が普通のひとりの人間としてそこに立たされた瞬間でした。凶々しい衣装もロック・スターの虚勢も何もかも剥ぎ取られて、まさにサラエボの人々があの戦火の下ですら普通であったように、その普通のサポートのかけがえのない強さを全身で感じ打ち震えている姿でした。
このライブに溢れている多幸感は、作品内で取り上げられた、あるカップルの戦時下での結婚式が伝えていた多幸感とシンクロしていました。
そこにはもちろん非日常ではあったでしょう。コンサートも結婚式もそれは日常ではなく、やはり非日常なイベントです。しかしその非日常は、あくまで日常が大切に守られることで成り立つものです。人々がそれを慈しみ大切にしている毎日の上に、ちょこんと乗っけられたショートケーキの上のイチゴのようなものだと思います。
しかしそれがいかに大事か、それ以上に守るべきものは無いというのは言うまでもないでしょう。そんな確信を伝えながら、今作はエンドロールを迎えていきます。
その後、U2は1990年代を通じて実験してきたこれらのポップな方法論を終わらせ、2000年になると等身大の人間であることこそを前面に打ち出した温かいアルバム『All That You Can’t Leave Behind』をリリースします。
今作を観終えた今、サラエボ公演で感じたものが、彼らが進むべき次の道筋を照らしたのでは?とすら思います。
U2がサラエボで公演を行った日の翌朝、ホテルで現地新聞を見たボノは「今日という日がサラエボ包囲が終わった日だ」とのヘッドラインを見つけています。この夜はサラエボの人々にとってとても大きな出来事だったことを伝える見出しですが、U2にとってもやはり大事な瞬間だったと思います。
今作は、日本人である我々があまり知ることのなかったひとつの悲しい現代史を市井の人々の目線を通じて発見的に学ぶことのできる貴重なドキュメンタリーであると同時に、U2という今なお敢然と世界と関わり続けている稀有なロック・バンドがそのキャリアの中で体験した強烈なカルチャーショックを彼らと同じ目線で我々も体感できるという特別なロック・ドキュメンタリーでもありました。
ライブで演奏される「One」。それはバンドがことあるたびに主張するように、単純な和解を意味する歌では実はありません。そんな「One」があの夜のサラエボで歌われる光景の強度と美しさは、今こそ観ておくべきだと思います。
Written by 宮嵜広司
映画『キス・ザ・フューチャー』
2025年9月26日(金)キノシネマ新宿 ほか
全国順次ロードショー
4.5万人が感涙した伝説のサラエボ・ライブの舞台裏が初めて明らかに!
<「戦争中のサラエボにU2を呼びたい」一人のクレイジーなアイデアが不可能を現実に>
「過去を忘れて、未来にキスを、サラエボ万歳!」。U2が1997年9月23日、4万5千人を前にサラエボで行ったライブは、今も語り継がれている。かつてサラエボの人々は民族・宗教に関係なく共存していたが、紛争は人々を引き裂いていた。このライブは、そんな人々を音楽の力で再び一つにするものだった。本作は、U2がボスニア紛争終結後にサラエボでライブをする約束を果たすまでを追ったベン・アフレックとマット・デイモンがプロデュースしたドキュメンタリーだ。
<4.5万人が感涙した伝説のサラエボ・ライブの舞台裏が初めて明らかに!>
銃弾が飛び交う危険なボスニア紛争中、若者たちは解放を求め夜な夜な地下で行われていたパンクロックライブに熱狂していた。そんな彼らにとって世界的アーティストで戦争や人権など社会的なメッセージを発信していたU2は憧れの存在だった。ある日、アメリカの援助活動家のビル・カーターはU2をサラエボに招くことを思いつく。U2はサラエボ行きを決意するが、安全面の観点から断念。であればと、ビルは衛星中継で戦火のサラエボからの様子をU2のZOO TVツアーに届けることに成功する。そして約束通り、戦後しばらくしてU2がボスニアで行った平和と民族の融和のためのライブは、人々に強烈な印象を残すことになる。世界各地で戦争が絶えない今、U2のメッセージは時代を超えて私たちの心を震わせる。
マット・デイモン、ベン・アフレック プロデュース
監督:ネナド・チチン=サイン
登場人物:クリスティアン・アマンプール、ボノ、ビル・カーター、アダム・クレイトン、ビル・クリントン、ジ・エッジ他
制作:Fifth Season 配給:ユナイテッドピープル
2023年/ドキュメンタリー/アメリカ・アイルランド/103分
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