ディアンジェロが膵臓がんとの闘病の末に51歳で逝去。その功績を辿る

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Photo: Paul Natkin/Getty Images

米バージニア州リッチモンド出身のシンガー、ソングライター、プロデューサーであり、その世代でもっとも才能に恵まれ、敬愛されたミュージシャンのひとり、ディアンジェロ(D’Angelo)が膵臓がんとの闘病の末、2025年10月14日に51歳で逝去した。

家族は次のような声明と共にこの訃報を伝えている。

「家族の輝く星が、この世でその光を静かに閉じました。深い悲しみとともに、(世界中のファンには“ディアンジェロ”として知られています)マイケル・ディアンジェロ・アーチャーが癌との長く勇敢な闘病の末、本日、2025年10月14日に天に召されたことをお知らせします。彼が私たち家族に愛しい思い出だけを残して旅立ってしまったことを深く悲しんでいます。しかし同時に、彼が遺してくれた心揺さぶる感動的な音楽の遺産に、永遠の感謝を捧げます。この困難な時期、どうか私たちのプライバシーを尊重していただきつつ、彼の死を悼み、そして彼が世界に残した“歌”という贈り物をともに讃えていただければ幸いです」

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その生涯

1990年代半ば、ネオ・ソウル・ムーブメントの旗手のひとりとして音楽シーンに登場したディアンジェロは、R&Bがよりポップで洗練された方向へ移行していた当時、クラシックでオーガニックな感触を取り戻しつつ、ヒップホップとも融合させた独自のスタイルを築いた。

1994年にブライアン・マックナイトらR&B界のスターたちと“ブラック・メン・ユナイテッド”を結成し、映画『ジェイソンズ・リリック(原題:Jason’s Lyric)』のサウンドトラックに収録された「U Will Know」でヒットを記録した後、翌1995年にデビュー・アルバム『Brown Sugar』を発表。

全米TOP10入りした「Lady」をはじめ、「Brown Sugar」「Cruisin’」「Me and Those Dreamin’ Eyes of Mine」などのヒット曲を生み出した本作は、ネオ・ソウルの金字塔として高く評価された。

その後も映画サウンドトラックからのヒット曲や、エリカ・バドゥ、ローリン・ヒル、アンジー・ストーンらとの注目すべきコラボレーションを経て、2000年に2作目のスタジオ・アルバム『Voodoo』をリリース。

象徴的なミュージック・ビデオとともにR&B史に残る名曲「Untitled (How Does It Feel)」や、「Devil’s Pie」、メソッド・マン&レッドマンとの「Left & Right」などのヒット曲を収録した『Voodoo』は、ディアンジェロをはじめ、クエストラヴ、エリカ・バドゥ、Qティップ、タリブ・クウェリ、ジェイムズ・ポイザー、モス・デフら同時代のヒップホップ/R&Bアーティストによる音楽集団“ソウルクエリアンズ”がプロデュースを手掛けた最高傑作のひとつとして知られており、2001年のグラミー賞では最優秀R&Bアルバム賞、そして「Untitled (How Does It Feel)」で最優秀男性R&Bボーカル・パフォーマンス賞を受賞した。

ディアンジェロは『Voodoo』のリリース以降、長年にわたり表舞台から姿を消していたが、、2014年末、突如として3作目にして最後のアルバム『Black Messiah』を発表。

再び世界を驚かせたこの作品は、「Really Love」のような甘美なスロウ・ジャムから、当時台頭しつつあった“ブラック・ライヴズ・マター運動”の背景にある激動を訴えかけた「1000 Deaths」「The Charade」まで、時代の混沌を映し出した傑作として称賛された。『Black Messiah』はグラミー賞で最優秀R&Bアルバム賞と最優秀R&Bソング賞(「Really Love」)を受賞し、ディアンジェロは“帰還した英雄”として迎えられた。

ディアンジェロが残した音楽は、今後も永遠にその輝きを放ち続けるだろう。

Written By Sam Armstrong




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