ザ・ローリング・ストーンズ『Sticky Fingers』解説:録音から発売までに500日もかかった理由と自身のレーベル設立

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ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のイギリスで9作目 (アメリカでは11作目) となるアルバム『Sticky Fingers(スティッキー・フィンガーズ)』がリリースされた1971年4月23日当時をよく覚えている人は、なかなかの年齢になっているはずだ。だが年齢にかかわらず、ストーンズのファンにとって同作は名作中の名作だ。発表以来、多様な年齢層のファンが同作の収録曲のライヴ演奏を聴いて育ったのだ。

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『Sticky Fingers』のレコーディングからリリースまでに要した日数は500日、当時では驚くほど長い日程がかかっている。この間には、ロンドンの伝説的なクラブ、マーキーでの模様の撮影や、ザ・ローリング・ストーンズがイギリスを離れてフランスへ移住するという発表もあった。それらのあとに、ファン待望となっていた新作アルバムとして本作は登場したのである。

新作はメディアとファンの双方から好評をもって迎えられ、米ローリング・ストーン誌は「今なお続く世界最高のロック・グループの物語のすばらしい新たな1ページ」と称賛した。1971年5月22日にクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのライヴ・アルバム『4 Way Street』を全米アルバム・チャート1位の座から引きずり下ろし、その後1ヶ月間に渡って首位の座を独占した。

素晴らしい音楽、象徴的なアルバム・カヴァー、そしてこのアルバムを伝説的な作品にした一連のエピソード。『Sticky Fingers』はまったくもって非の打ち所のないアルバムである。ザ・ローリング・ストーンズの名盤の大半はアメリカ産であり、レコーディングはハリウッドのRCAスタジオとシカゴのチェス・スタジオで行われている。しかし、この『Sticky Fingers』はそれらのスタジオに比較すればぐっと地味なマッスル・ショールズ・サウンドで制作された。当時は音楽業界の関係者にしか知られていなかったようなアメリカ南部はアラバマ州シェフィールドのスタジオである。

1969年12月にUSツアーを終えた後にザ・ローリング・ストーンズはマッスル・ショールズに赴き、アルバムの核となる「Brown Sugar」「Wild Horses」、そして「You Gotta Move」の3曲をレコーディング。バンドはその後12月5日にマッスル・ショールズからサン・フランシスコへ向かうが、その24時間後に行われたのが、悪名高きオルタモントでのフリー・コンサートである(演奏中に観客が殺害されるという事件が起こった)。

そしてその翌年、バンドはロンドンのオリンピック・スタジオとミックが所有するカントリー・ハウス、スターグローヴスに持ち込んだストーンズ・モービルを使い、残りのアルバム収録用の楽曲のさらなるレコーディングに取り組んだ。

だからといって1970年は、レコーディングだけに専念していたということではない。アルバム制作の傍らヨーロッパ・ツアーを行なっただけでなく、舞台裏では実に様々なことが起こっていたのである。デッカ・レコードとの契約期間の終了を前に、別のレコード会社から出資を受け、自分たちのレーベルの発足に乗り出したこともそのひとつだった。幾多の交渉の末、ザ・ローリング・ストーンズがビジネス・パートナーに選んだのはアーメット・ハーティガンのアトランティック・レコードだった。

自身のレーベルを立ち上げるからには、その名称と独自性が必要になる。前者はシンプルに”ローリング・ストーンズ・レコード”に決まったが、レーベル・カラーやロゴの決定には若干時間が必要だった。かくして選ばれたのが、今や知らない者はないであろう、あの”ベロと唇”のロゴだった。

過去にレコード・ジャケットに関して幾度も納得しかねる経験を強いられていた彼らは、このとき、今度こそ自分たちが望む通りのヴィジュアルに仕上げたいと考えていた。そして、バンドが求めるコンセプトを実現するためにミック・ジャがーとチャーリー・ワッツが選んだ相手がアンディ・ウォーホルだった。オリジナル・リリースの、本物のジッパーを使用したアルバム・カヴァーは、この分野において、おそらく世界で最も有名なもののひとつだろう。英国音楽雑誌のNMEは、このジャケットに関して「リップ(唇)からジップ(ジッパー)まで絶好調のミック・ジャガー」と韻を踏んで面白おかしくコメントしたが、それもまた、自分たちの理想に違わないアルバムに仕上げたいというバンドの強い意志の表れだった。

アルバムのミックス・ダウンが終了した1971年初頭、バンドは短い国内ツアーを行い、その後、フランスに移住するという計画を固めていた。長年に亘って彼らを苦しめていた税制や契約上の問題によって、彼らは破産しかねない状況に置かれていた。海外への移住はそれを避けるための苦肉の策であり、イギリス・ツアーは故国のファンに別れを告げるためのものだった。

そして1971年4月16日、バンドのニュー・シングル「Brown Sugar」がリリースされ、その1週間後には世界各国でアルバム『Sticky Fingers』がリリースされたのである。

Written By Richard Havers


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