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アイ・スリーズとは一体何者なのか:ボブ・マーリーの音楽を支えたヴォーカル・グループ

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Photo: Graham Wiltshire/Redferns

女性のバック・ヴォーカル・グループは決して珍しい存在ではない。フレンチ・ポップにおけるイエイエ・ガールズや、UKで幾多のセッションに参加していたレディバーズ (彼女たちは、姿こそ見えないが『Top Of The Pops』への出演で評価を上げた) 、レイ・チャールズのバックを務めたレイレッツ、スティーヴィー・ワンダー率いるワンダーラヴを構成していた才能溢れる女性シンガーたちなどはその好例である。

そうしたグループは50年代から70年代にかけての音楽界になくてはならない存在であり、現在でも活躍し続けている。だがボブ・マーリーのバックを務めた3人組グループ、アイ・スリー(I-Three)は、そんな中でも特に輝かしい実績を誇るシンガーたちで構成されていた。

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Bob Marley & The Wailers – I Shot The Sheriff (Live At The Rainbow Theatre, London / 1977)

 

脱退と結成

彼女たちが正式にボブ・マーリーのバックに加わったのは1974年のこと。そのきっかけとなったのは、マーリー、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーから成るヴォーカル・グループ、ザ・ウェイラーズの解散だった。トッシュとウェイラーの二人は、ボブが彼らを差し置いてスターへの階段を上り始めていたのを快く思わず、グループを脱退したのだ。

そこでボブは、過去10年近くに亘り、ザ・ウェイラーズの面々と活動を共にしていた妻のリタにジュディ・モワットとマーシャ・グリフィスの二人を加え、アイ・スリーズ(I-Threes)を結成。彼女たちに期待される役割は、楽曲に込められたメッセージを引き立たせ、飲み込みやすくすることだった。

実際、アイ・スリーズの面々が加わった当初から、マーリーの楽曲の印象はガラリと変化した。例えば、ボブが彼女たちを迎えて制作した最初のアルバム『Natty Dread』に収録されている「Talkin’ Blues」はその点を顕著に表す1曲である。

Talkin' Blues" (1991) – Bob Marley & The Wailers

 

リタ・マーリー

リタ・マーリーがレコード業界に入ったのは1964年のことで、もともとはリタ・アンダーソンの名で活動していた。彼女がキャリアをスタートさせたのはスタジオ・ワンというレコード会社だったが、ボブとウェイラーズの面々に最初の飛躍のチャンスを与えたのも、このスタジオ・ワンだった。

リタは”バニー&リタ” (あるいはボニー&リタ) 名義でバニー・ウェイラーと共演していたほか、ピーター・トッシュともデュエット曲を録音。60年代中盤にはソウレッツというグループのリード・ヴォーカルとしても、数々のレコードに参加した。その歌声は、ジャマイカのソウル・シンガーであるトニー・グレゴリーの作品や、リー・ペリーによる際どい歌詞のスカ・ナンバーなどでも聴くことができる。

リタはソロ・アーティストとしても、UKでシングルをヒットさせる一歩手前まで行っていた。そのチャンスが訪れたのは1966年のこと。彼女はその年、チェンジン・タイムズやクリスピアン・セント・ピータースがヒットさせていた「Pied Piper」にクールなスカ・アレンジを施したヴァージョンや、ナンシー・エイムスの「Friends And Lovers Forever」の優れたカヴァーを発表したのだ。

Pied Piper

また、ウェイラーズの面々は1968年ごろから、米人気シンガーのジョニー・ナッシュが興したJADレコードで楽曲制作を行ったが、リタもこの活動に参加。彼女が”ボブ、リタ&ピーター”名義でボブ作の「Bend Down Low」のロックステディ・ヴァージョンを録音したのも、この時期のことである。

さらに70年代前半には、彼女もボブ (二人は1966年に結婚) と同じくリー・ペリーのプロデュースで楽曲を制作。ペリーの下ではザ・ビートルズの「Let It Be」や、ファンキーな「Bring It Up」、「This World」などを録音した。彼女はこのほかにも、1965年からアイ・スリーズの結成時までに凄まじい数の作品を発表していたのである。

Rita marley – Let it be

 

マーシャ・グリフィス

マーシャ・グリフィス(Marcia Griffiths)も彼女と同じようなキャリアを歩んでいたが、彼女に楽曲提供していたのは別の”ボブ”であった。それに、アイ・スリーズ結成以前の彼女は、リタよりも世界的に知られた存在だった。マーシャはリタ以上に力のあるソロ・シンガーだったのだ。

そんな彼女は、60年代中期にスタジオ・ワンからいくつかのシングルを発表。バラード曲「Funny」もその一つだが、彼女が名を上げるきっかけとなったのは1967年にボブ・アンディ作の「Melody Life」をリリースしたことだった。

Melody Life

また、翌年の「Feel Like Jumping」もジャマイカ国内でヒットを記録。これらの2曲は現在も、レゲエ・ダンスの会場で近年の楽曲に劣らぬ人気を誇っている。なお、リタ・マーリーの「Come To Me」がコクソン・レーベルよりUKでリリースされた際、そのラベルには誤ってリタではなくマーシャ・グリフィスとクレジットされていた。これはある意味、レゲエ界における不思議な偶然の一つといえよう。

マーシャは1970年に、ボブ・アンディとのデュオ、”ボブ&マーシャ”として「Young, Gifted And Black」を発表。魅惑的なオーケストラ・アレンジを施したこのヴァージョンで、彼女の名は世界的に知られるようになった。そしてこれまた偶然にも、同曲に続いて二人がヒットさせたのは、リタ・マーリーも録音した「Pied Piper」だった。

Pied Piper (feat. Marcia Griffiths)

ほかにも彼女は「Band Of Gold」や「Put A Little Love In Your Heart」など、レゲエ・ファンにとって懐かしい思い出となっているレコードを次々に発表。アイ・スリーズが結成されたころ、彼女はレゲエ界で「Sweet Bitter Love」をヒットさせていたほか、プロデューサーのソニア・ポッティンジャーとの実りある協力関係をスタートさせようとしていた。このコラボレーションからはのちに、「Dreamland」のカヴァー・ヴァージョンなどが生まれることとなった。

Dreamland

 

ジュディ・モワット

3人目のメンバーであるジュディ・モワット(Judy Mowatt)は、ゲイレッツのリード・シンガーとして地元で有名な存在だった。ロックステディの全盛期に彼女たちがメリトーン・レーベルから発表した二つのシングルは、どちらもジャマイカ国内でヒットを記録した。その「I Like Your World」と「Silent River Runs Deep」はいずれも、モワットのリード・ヴォーカルが光る名曲だ。

I Like Your World

これらの楽曲における彼女の歌声は、クールでありながらソウルフルで、若々しく澄んでいるのだ。他方、彼女もリー・ペリーの下品なレコードにバック・ヴォーカルとして参加したことがあったが、のちの本人の話によると、これは恥ずかしくてたまらない経験だったという。

それでも1970年から翌年にかけては、自らの得意とするスタイルでいくつかのシングルを発表。ダスティ・スプリングフィールドの「Son Of A Preacher Man」のカヴァーや、ルーツに根ざした気骨のあるナンバー「The Gardener」などはその好例である。

中でも”ジュリアン (Jullian) “の名でクレジットされた後者のジャマイカ盤シングルは、レコード・コレクターのあいだでカルト的な人気を誇るアイテムとなっている。

The Gardener

さらに彼女は1973年にも、「Rescue Me」や「Emergency Call」といった楽曲でレゲエ界に爪痕を残した。そして彼女がボブ・マーリー作の「Mellow Mood」を、彼の興したタフ・ゴング・レーベルからリリースしたのもこの年のことである。

 

ボブ・マーリーと3人が組むことの利点

このように3人のメンバーは全員、アイ・スリーズの結成前からボブ・マーリーと深い繋がりのあるシンガーたちだった。だがそれぞれに活躍していた彼女たちにとっても、ボブのバックにつくことにはそれ相応の利点があった。というのも1974年の時点で、国際的な成功を手にしているジャマイカ人アーティストは彼のほかにいなかったのだ。

当時、ジャマイカ国外でレゲエの人気があるのはクラブ界隈くらいのものだったが、その一方で、ボブ・マーリーが世界中で大規模なツアーを行えるようになるのは時間の問題だった。というのもボブは、強固なプロモーション力を持つアイランド・レコードのサポートを得て、ロック・ファンからの評価を高めつつあったのだ。

それに、このころはジャマイカ国内で曲を大ヒットさせていたとしても、印税を受け取れる保証はなかった。しかしマーリーのツアーに参加すれば、安定した高収入が見込める。これは、70年代のレゲエ界ではあり得ないほどの好条件だったのである。

加えて、アイ・スリーズはクレジットに載らない匿名のバック・シンガーたちとは違っていた。彼女たちがボブとともに制作した最初の二つのシングル「Belly Full」と「Knotty Dread」には、ウェイラーズとともにアイ・スリーズの名前も併記されていたのである。それにボブは、彼女たちにソロ活動をやめさせるようなことも決してしなかった。

例えばマーシャ・グリフィスは、ソニア・ポッティンジャーのプロデュースの下でルーツに根ざした楽曲をリリースし続け、人気を高めていった。また、ジュディ・モワットもタフ・ゴングからアルバム『Mellow Mood』を発表。その収録曲の一つは、EMIより世界各国でシングルとしてリリースされた。そして、彼女たちはグループとしても、ピーター・トッシュ、ビッグ・ユース、ボブ・アンディらの作品に次々と参加した。

この協力関係は、ボブとアイ・スリーズの両者にとって等しく実りの多いものだった。彼女たちのソウルフルな歌声は、単なる甘ったるいバック・ヴォーカルなどではなかったのだ。「No Woman, No Cry」や「Rebel Music (3 O’clock Roadblock)」に彼女たちの歌声が入っていなかったら、と想像してみればその貢献度がよく分かるだろう。

Bob Marley & The Wailers – No Woman, No Cry (Live At The Rainbow 4th June 1977)

確かに、それまでのボブの楽曲には男性のヴォーカル・ハーモニーが入ることが多かった。ただウェイラーズは、スカを演奏していた初期のころから女性のシンガー、チェリー・スミス、ビヴァリー・ケルソ、マーリーン・ギフォード、そしてリタなどをしばしばバックに迎えていたのである。

アイ・スリーズの面々は、1986年にグループ単独での初めてのアルバム『Beginning』をリリース。そしてその9年後にも完成度の高いアルバム『Songs Of Bob Marley』を制作したが、そのころには3人の結束の証として、グループ名(I-Threes)から複数形の”s”を外していた。彼女たちは3人で一つの”アイ・スリー”となったのである。

Bob Marley Medley

Written By Reggie Mint


ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
『One Love: Original Motion Picture Soundtrack』
2024年2月9日配信
日本のみフィジカル(CD、LP)発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music


映画情報

『ボブ・マーリー:ONE LOVE』

2024年5月17日日本劇場公開決定
公式サイト / X

■監督:レイナルド・マーカス・グリーン(『ドリームプラン』)
■出演:キングズリー・ベン=アディル(『あの夜、マイアミで』)、ラシャーナ・リンチ(『キャプテン・マーベル』)
■脚本:テレンス・ウィンター(『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』)、フランク・E ・フラワーズ、ザック・ベイリン(『グランツーリスモ』)、レイナルド・マーカス・グリーン
■全米公開:2024年2月14日
■日本公開:2024年
■原題:Bob Marley: One Love
■配給:東和ピクチャーズ
■コピーライト:© 2024 PARAMOUNT PICTURE



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