アイルランドが生んだ偉大なるギタリスト、ロリー・ギャラガーを偲んで

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1995年6月14日、アイルランドが誇る唯一無二のブルース・ロック・ギターの名手、ロリー・ギャラガーが肝臓移植の合併症により47歳の若さで亡くなった。

本名ウィリアム・ロリー・ギャラガーはアイルランドのドニゴール州バリーシャノンに生まれ、アイルランド南部の州コークで育った。1966年、若干18歳で3人組バンド、テイストを結成した頃から、ギターの魔術の虜になっていった。数年後にテイストが海外進出してからは、クリームのロイヤル・アルバート・ホールでの解散コンサートのオープニングを飾り、同じく短命のスーパーバンド、ブラインド・フェイスの北米ツアーのオープニングを務めたことによりって両バンドのファン達から熱い注目を集めていた。(2015年にはテイストの4枚組BOXセット『I’ll Remember』がリリースされている)。

テイストは1970年にはワイト島ミュージック・フェスティバルに出演し、2枚のスタジオ・アルバムをリリースしたが、同年末までには解散した。セカンド・アルバムの『On The Boards』はイギリスでTOP20入りするほどの成功を収め、ロリー・ギャラガーはそれからすぐに、アトランティック・レコーズと契約を結んだソロ作品のレコーディングに取り掛かり、1971年にセルフ・タイトルのデビュー作とセカンド・アルバム『Deuce』の2作を立て続けにリリースした。

この2作が彼の長い作品リストの中で、初めてシルバーとゴールドに認定された作品だ。そしてロリー・ギャラガー作品で唯一、UKチャートでTOP10入りを果たしたのは、彼のライヴ・パフォーマンスを収めた1972年発表作『Live In Europe』だった。今作は彼にとって最長記録となる15週間に亘ってチャートインした。翌年には、『Blue Brint』で全米チャートにも初登場を果たした。


有名なヒット曲こそなかったものの、ロリー・ギャラガーは生涯を通して、多くの作品とツアーによって名声を築き上げていった。彼の最後のスタジオ・アルバムが、1990年に発表された11作目Fresh Evidence』で、彼が亡くなった時、新作ツアーやEPの発売などが予定されていたそうだ。

ロリー・ギャラガーにとってはとにかく音楽が全てだった。「ファッションには関係なく、ブルースとロカビリーのファンはまだいるんだよ」と、メタル・ハマー誌での彼の最後のインタビュー中で、音楽ジャーナリストのクリス・ウェルチにこう語っていた。「確かに、長い間、メディアはルーツ・ミュージックが時代遅れで終わったものだと見下していたね。でも俺がやろうとしてるのはルーツ音楽に敬意を払いながらも、ずっとやってきた古いブルースやアシッド・ロックのスタンダードとは違う、新しい素材を基にした音楽を創ることなんだ。古い素材を打ち込みながら、コードやメロディーを変えていくことこそが、最新の音楽を創っていくための鍵なのさ」。

Written by  Paul Sexton



ロリー・ギャラガー『Live In Europe』

   



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