ソロ・デビューから『Calling Card』まで、ロリー・ギャラガーの70年代作品を振り返る

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1966年、アイルランド・コーク出身のロックバンド、テイストが初の舞台に立つや否や、注目を集め始めたのはギター兼ヴォーカルのロリー・ギャラガーだった。確かに、若きギタリスト、ヴォーカリスト、ソングライターの並外れた才能のおかげで、このアイルランド出身の新人トリオは出世の階段をかけ上った。1968年後半にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催され広く報じられたクリーム解散コンサートにも出演し、セカンド・アルバム『On The Boards』は全英アルバウチャートTOP20に食い込んでいた。

60年代が終わり、新しい10年の幕開けと共に、テイストは素晴らしく正しい方向に進んでいるかと思われた。しかし、1970年にスターが勢揃いしたワイト島フェスティバルでの素晴らしいパフォーマンスにも関わらず、退屈なビジネス絡みの問題でバンドのキャリアは断ち切られ、1971年の始めを迎えるころにはロリー・ギャラガーは原点に戻ってやり直す準備を整えていた。

テイストの活動終盤の間にイギリスへと移住したロリー・ギャラガーはロンドンを拠点に、新しいリズム・セクションのオーディションを行った。元ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのメンバーだったノエル・レディングとミッチ・ミッチェルが候補に入っていたが、最終的にロリー・ギャラガーが選んだのはベーシストのジェリー・マカヴォイとドラマーのウィルガー・キャンベル。元ディープ・ジョイのメンバーだった彼らは69年頃、テイストがアイルランドで活動していた時期にサポートしてくれたことのある2人だった。

ポリドールと再契約を果たし、自分の実力を発揮することを切望したロリー・ギャラガーの凄まじいクリエイティヴィティは、12ヶ月間の間に2枚ものソロ・アルバムをリリースするほどだった。テイストの『On The Board』のエンジニアだったエディ・オフォードによる監修で、セルフ・プロデュースしたセッションが収録されたロリー・ギャラガーのデビュー盤『Rory Gallagher』は1971年5月に発売され、過熱したロッカーたちの勢いのあるミックス の「Laundromat」やいつまでも新鮮なライヴの定番曲「Hands Up」、そして「Sinner Boy」や、アメリカーナ風の「It’s You」、繊細なバート・ヤンシュ風のフォーク曲「Just A Smile」、内省的な「I Fall Apart」といったより自身を見つめ直すような曲が提供された。

それからたった6ヶ月後の1971年11月にリリースされた『Deuce』は、またもや、すべてを包括したクオリティでいっぱいの一枚だった。音響的に型にはめられることを拒んだロリー・ギャラガーを垣間見ることができる巧みなジャズ・テイストの一曲目「I’m Not Awake Yet」でレコードは始まり、そこからは妥協しないロッカーたちによる「Used To Be」やクラシックなシカゴ・スタイルのブルースの「Should’ve Learned My Lesson」から、素朴なカントリー・ブルースの「Out Of My Mind」まで、ありとあらゆる多様な曲が収録され、最後にはテンションの高いドラマチックな大作でありロリー・ギャラガーの驚異的なスライド・ギターの腕前を見せつける「Crest Of A Wave」で最高潮に達する。

『Deuce』と共に、彼のバンドのライブ ・サウンドを記録するライブ盤を発売することがロリー・ギャラガーの次の目的だった。そして、ロリー・ギャラガーと仲間は、今でも高く評価される70年代のライヴ・アルバムの代表作が作られる。ジュニア・ウェルズの「Messin’ With The Kid」、ブラインド・ボーイ・フラーの「Pistol Slapper Blues」、そしてウィリアム・ハリスの「Bullfrog Blues」を情熱的にカヴァーした1972年の『Live In Europe』は、多種多様な形のブルースに関するロリー・ギャラガーの豊富な知識を反映していた。このアルバムには、『Deuce』の心躍る「In Your Town」やエモーショナルなマンドリンが奏でる「Going To My Hometown」といった自ら作曲した曲の扇情的なヴァージョンも収録されており、この中でロリー・ギャラガーは当時のアイルランドの大企業2社、フォード社の自動車工場とダンロップ社のタイヤの名前を挙げた。

ステージのロリー (右端) とベーシストGerry McAvoy、ドラマーWilgar Campbell。Photo:Daniel Gallagher

1972年はロリー・ギャラガーにとって良い年となった。『Live In Europe』は彼にとって初となる全英チャートTOP10入りを果たし、エリック・クラプトンをわずかな差で打ち負かして誰もが欲しがるメロディ・メーカー紙のギタリスト/ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー賞を獲得した。『Live In Europe』のリリース後、ロリー・ギャラガーは彼のバンドのラインナップを一新。ジェリー・マカヴォイはそのまま残ったものの、ウィルガー・キャンベルの代わりにロッド・ディアースを起用し、ベルファスト生まれのキーボード奏者、ルー・マーティンを新メンバーとして迎え入れた。

ロリー・ギャラガーの新しいバンド・メンバーは1973年2月、アルバム『Blueprint』と共にお披露目された。ロンドンにあるポリドールのインハウス・スタジオであるマーキー・スタジオに行われたレコーディングは、ビッグ・ビル・ブルーンジーの「Banker’s Blues」の有力なカヴァーなど民族的ルーツを持った曲を増やしながら、陰気な8分にも及ぶ「Seventh Son Of A Seventh Son」やザディコ風の「Daughter Of The Everglades」といった曲と共に、またもやハっとするほど多岐にわたるセットだった。

『Blueprint』は再び全英TOP20入りを果たしたが、創造的に勢いに乗っていたロリー・ギャラガーは、73年11月に4枚目のソロ・アルバム『Tattoo』をリリース。輝かしいコレクションとなったこのアルバムには、にぎやかなブルース・ロッカーズの「Sleep On A Clothes Line」や「Cradle Rock」、聖歌のような「Tattoo’d Lady」のほか、 切ないバラード「A Million Miles Away」やロリー・ギャラガーがギリシャの弦楽器ブズーキをかき鳴らすジャジーな「They Don’t Make Them Like You Anymore」など魅力的な文体の展開が見られる曲が収録された。

案の定感銘を受けたローリング・ストーン誌は、ロリー・ギャラガーの “最も聡明で嬉しそうな作品” だと『Tattoo』を評し、彼は “音の作曲家へと発展した” と断言した。肯定的な批評と、カナダからドイツへと広範囲に及ぶ定期的なツアーと共に、ロリー・ギャラガーのファン層は急激に広がった。2枚組LPに収められた彼の重要な2枚目のライヴ・アルバム『Irish Tour 74』は、アイルランド、ダブリン、そして北アイルランド紛争の痕跡が残るベルファストで熱狂的に迎えられた国内コンサートから厳選されたものになった。

この感情のこもったコンサートは映像も撮影された。それは映像監督で元オブザーバー紙の音楽評論家を務めていたトニー・パーマーが同名の長編コンサート映像のためのものだった。このアルバムと映像はロリーの作品の中の絶頂期として高い評価を受け、感情を秘めたヴァージョンの「Tattoo’d Lady」やトニー・ジョー・ホワイトの「As The Crow Flies」の有力なカバ ーソング、10分に及ぶ激しい「Walk On Hot Coals」といった最高の曲たちが今日に至るまで人々を刺激し続けている。

ファンや批評家たちに温かく受け入れられていたにもかかわらず、『Irish Tour ’74』はロリー・ギャラガーがリリースしたポリドールからの最後の作品となった。1975年初頭、ザ・ローリング・ストーンズからミック・テイラーの後任ギタリストとしての依頼を真剣に検討したのち、ロリー・ギャラガーは新しいソロ活動の契約をクリサリス・レコードと結び、同年10月に『Against The Grain』をリリースした。素晴らしく心を奪われるような新たなアルバムには、レッドベリーの「Out On The Western Plain」を巧妙にカヴァーしたアコースティック・ヴァージョンや、熱狂的な「Souped-Up Ford」が収録。ローリング・ストーン誌はこの新作を同世代のギター・ゴッド、エリック・クラプトンやアルバン ・リーらと好意的に比較するなど、アルバムはアメリカでもさらに好意的な評価を獲得した。

ロリー・ギャラガーの有名なフェンダーのストラトキャスターの木材への言及でもあったが『Against The Grain』のタイトルには彼の反商業的なスタンスの意味も込められていた。それは、彼が “smoke bomb, dry ice /発煙弾、ドライアイス” と呼ぶようなタイプのライブ活動と張り合わないという彼の意識的な決断だった。それにもかかわらず、新しい音楽的挑戦を追求することを目指して、1976年の『Calling Card』の制作指揮をディープ・パープルのロジャー・グローヴァーにお願いすることにした。

その結果として、情味のないリフとは対照的にジャジーなタッチの「Do You Read Me」や、型にはまらないファンキーな「Jackknife Beat」、ジミヘンらしい攻撃的な「Moonchild」など、『Calling Card』はロリー・ギャラガーのキャリアの中で最も多彩な作品となった。しかしこの『Calling Card』にはバンド・メンバーの貢献があったにも関わらず、このグループとして最後のリリースとなってしまった。

Written By Tim Peacock


My Generation, My Music on SHM-CD <ロリー・ギャラガー編>

“第2のクリーム”と呼ばれたテイストのフロントマンとしてデビューして以降、一貫して質の高いブルース・ロックを演奏し続けたアイルランドの孤高のギタリスト、ロリー・ギャラガーのソロ作品17タイトルがユニバーサルの定盤シリーズ“My Generation, My Music”に登場!



 

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