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お蔵入りになっていたブルーノートの幻のアルバム : ジャズ・ファン必聴の隠れた名盤12選

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約1,000枚のアルバム数を誇るブルーノート・レーベルのカタログは、ジャズの歴史の中でもとりわけ敬意を集めるディスコグラフィーのひとつとなっている。ビバップやハード・バップからソウル・ジャズ、ポスト・バップ、さらにはアバンギャルドに至るまで、ブルーノートの特に重要な作品はジャズ・ファンなら誰もが自分のコレクションに加えるべき名盤だ。

とはいえ、このレーベルの最盛期である1950~60年代に録音されたすべての作品が発表されたわけではない。グラミー賞を受賞したプロデューサーであり、モザイク・レーベルの共同設立者でもあるマイケル・カスクーナは、1975年に当時休眠状態にあったブルーノートのアーカイブを調査する許可を得た。そのとき、そうした未発表音源を大量に発見したのだ。そこで発掘された未発表音源は実にアルバム100枚以上に相当した。当然のことながら、カスクーナはそれを世界中の音楽ファンと分かち合いたいと考えた。その結果、幻のブルーノート・アルバムの大規模な発掘リリース・プロジェクトが始まった。

それらのアルバムを聴いたリスナーの多くは、アルバムの内容が非常に優れていることに気づき、どうしてこのような質の高い作品が発表されなかっただろうかと訝しんだ。ブルーノートの共同設立者であり、1939年から1966年までメイン・プロデューサーを務めたアルフレッド・ライオンは潔癖症として有名で、彼が大好きだったのは何よりもスウィングだった。とはいえ、のちにカスクーナに尋ねられた彼でさえ、こうした幻のブルーノート・アルバムの多くが良質なものであることに同意している。そして、これらがお蔵入りした理由を説明することができなかった。

これらのブルーノート・アルバムはなぜお蔵入りになったのか?

ブルーノートが音源をお蔵入りにした最大の理由が品質上の問題ではないとしたら、他にどんな要因があったのだろうか? ひとつには、このレーベルのレコーディングが大量に行われていた点が挙げられる。たとえばアルフレッド・ライオンのお気に入りだったグラント・グリーン、スタンリー・タレンタイン、リー・モーガン、ハンク・モブレーはみな非常に多作なミュージシャンであり、ブルーノートの側が期待していた曲数よりもはるかに多くの数の曲を録音していた。

もうひとつの理由として、ブルーノートのリリース・スケジュールが一部のミュージシャンの急速な進化に追いついていなかった点が考えられる。サックス奏者のジャッキー・マクリーンの例を見てみよう。彼は1960年代初頭にハード・バップからより実験的なジャズへと進路を変えていった。おそらくそのせいで、従来の路線で録音した一部の音源は棚上げになっていた。それらは、彼の最新の音楽性を正確に写し出していなかったのである。

ときには、ヒット作がその後のアルバムの運命を左右することもある。その典型例がリー・モーガンの『The Sidewinder』だ。これに続くアルバムとして録音されたのは、より探求的な『Search For The New Land』であり、こちらは現在ではモーガンの最も偉大な作品として評価されている。しかし1964年、『The Sidewinder』のキャッチーなアルバム・タイトル曲が意外にもヒット曲となった。この成功を受けてライオンとブルーノートは同じようなグルーヴ志向の作品をリクエストし、モーガンはそれに応えて1965年に『The Rumproller』を発表した(結局『Search For The New Land』のリリースはさらに2年あとになった)。

このほかのアルバムは、それほど幸運ではなかった。その中には、ブルー・ミッチェルの『Step Lightly』のようにカタログ番号が割り当てられたものもあり、ティナ・ブルックスの『Back To The Tracks』のように、カヴァー・デザインまで完成していたものもあった。しかしながら、どういうわけか土壇場でリリースが見送られ、後年、発掘されるまでテープ倉庫の片隅で眠っていたのである。

なぜこれほどまでに多くのブルーノートの音源がお蔵入りになったのか。その理由のほとんどはおそらくこれからも明らかになることはないだろう。しかし非常にはっきりしていることがひとつある。ブルーノートのこうした幻のアルバムに収録されている曲の多くは、アルフレッド・ライオンの高い欲求水準を十分に満たしていたのである。

今回は、数ある幻のブルーノート・アルバムの中から必聴盤といえるものを選んでみた。あなたが考える必聴盤はこの中に含まれているだろうか? もし含まれていない場合は、どうか下のコメント欄に書き込んでいただきたい。

*各アルバムをクリックするとSpotifyのアルバム試聴ページに飛びます

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1. ハンク・モブレー『Another Workout』

アルフレッド・ライオンは間違いなくハンク・モブレーのファンだった。ジョージア州出身のテナー・サックス奏者であるモブレーは、1955年から1970年までのあいだにアルバム26枚分のレコーディング・セッションをブルー・ノートで行なっている。しかし興味深いことに、そのうち7枚はお蔵入りになり、長年のあいだリリースされることはなかった。

『Another Workout』はモブレーが吹き込んだ幻のブルーノート・アルバムの中でもおそらく最高のものであり、純粋なるハード・バップの隠れた傑作である。録音日は1961年12月5日で、リズム・セクションはマイルス・デイヴィスのグループから借りてきたメンバー (ベースはポール・チェンバース、ドラムスはフィリー・ジョー・ジョーンズ、ピアノはウィントン・ケリー) 。さらにギタリストのグラント・グリーンも参加している。

アルバムに収録された6曲のうち3曲はモブレーが自が作曲した作品で、残りの3曲はスタンダードから選ばれていた。その中の1曲は、ロジャース & ハマースタインの「Hello, Young Lovers」だった。このアルバムはモブレーが55歳で亡くなる1年前の1985年に初めてリリースされた。

– おすすめのトラック : 「Hello, Young Lovers」

Hello, Young Lovers (Remastered 2006)

 

2. ウェイン・ショーター『The Soothsayer』

ニューアーク生まれのサックス奏者であるウェイン・ショーターはブルーノートでさまざまなアルバムを録音しているが、その中の傑作2枚がかなりの年月にわたってお蔵入りになっていた。そのうちの1枚が1965年3月にレコーディングされた『The Soothsayer』である (もう1枚は同じ年の6月に録音された『Etcetera』で、こちらは1980年にリリースされている) 。

この『The Soothsayer』のレコーディングが行われたのは、ショーターがマイルス・デイヴィス・クインテットに加入して半年経ったころだった。このアルバムは6人編成のグループで録音されており、ショーター以外のメンバーは、マイルス・グループのロン・カーター (ベース) とトニー・ウィリアムズ (ドラムス) 、さらにトランペット奏者のフレディ・ハバード、アルトサックス奏者のジェームス・スポルディング、ピアニストのマッコイ・タイナーという顔ぶれだった。

アルバムのハイライトとしては、情熱的な「Angola」 (00年代までショーターのレパートリーとして残っていた) 、ハードにスイングするアルバム・タイトル曲、ビリー・ホリデイへのオマージュである優しいバラード「Lady Day」などが挙げられる。非常に質が高いアルバム『The Soothsayer』は、1979年にようやく陽の目を見ている。

– おすすめのトラック : 「Angola」

Angola (Rudy Van Gelder Edition / 2007 Digital Remaster)

 

3. ティナ・ブルックス『Back To The Tracks』

ノースカロライナ州出身のテナーサックス奏者ハロルド・”ティナ”・ブルックスは、1958年から1961年までのあいだにブルーノートで4回のレコーディング・セッションを行なったが、彼が生きているあいだにリリースされたアルバムは『True Blue』1枚だけだった。

ブルックスは才能あるホーン奏者/作曲家であり、即興演奏にも才気があふれていた。しかし薬物中毒に冒され、ミュージシャンとしてのキャリアは長続きせず、1974年に42歳で早逝している。1960年に録音された『Back To The Tracks』にはカタログ番号が付けられ、ジャケット・アートまで用意されていたが、発売は中止になり、38年間にわたってテープ倉庫に眠ることになった。

ブルーノートがようやくこのアルバムを発売したのは1998年のことだった。このアルバムのレコーディング・セッションはトランペッターのブルー・ミッチェル、ピアニストのケニー・ドリュー、ベーシストのポール・チェンバース、ドラマーのアート・テイラーという顔ぶれで行われ、1曲にはアルトサックス奏者のジャッキー・マクリーンも参加している。ハード・バップのファンならば、このあまり知られていないが魅力的なアルバムをきっと気に入るはずだ。

– おすすめのトラック : 「Back To The Tracks」

Back To The Tracks

 

4. ボビー・ハッチャーソン『Oblique』

ロサンゼルスのヴィブラフォン奏者、ボビー・ハッチャーソンが1960年代後半にブルーノートで録音したアルバム5枚分の音源は、1970年代後半から1980年代前半にようやくリリースされた。その5枚の中でも最高傑作と言えるのが、このアルバム『Oblique』である。これは、ピアニストのハービー・ハンコック、ベーシストのアルバート・スティンソン、ドラマー/作曲家のジョー・チェンバース (2曲を提供) をフィーチャーしたすばらしいカルテットによるスタジオ録音作だった。

収録曲はどれもクールなポスト・バップのグルーヴとムードで一杯。至福の「Til Til Then」、ボサノバにインスパイアされた「Subtle Neptune 」、チェンバースが作曲したアヴァンギャルド色の強いアルバム・タイトル曲、ハンコックの「Theme From Blow Up」のスペイシーなアレンジ・ヴァージョンなど聴きどころは多い。この『Oblique』は1980年に日本で初めてレコード化された。

– おすすめのトラック : 「Theme From Blow Up」

Theme From "Blow Up" (Remastered)

 

5. リー・モーガン『The Procrastinator』

ブルーノートは1960年代のトランペッター、リー・モーガンの創造性あふれる活動ペースに追いつくことができず、アルバム8枚分に相当する音源が10年以上もテープ倉庫に保管されたままになっていた。1979年には全13曲の2枚組LP『The Procrastinator』が発表されたが、その7年前に既にモーガンは亡くなっていた。

このアルバムは1967年と1969年に録音された音源で構成されており、バックは綺羅星のような豪華なミュージシャンが務めている。その顔ぶれはウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ジョージ・コールマン、ボビー・ハッチャーソン、ハロルド・メイバーン、ロン・カーター、ビリー・ヒギンズといった具合だ。アルバムの収録曲は、先鋭的なポスト・バップ (アルバム・タイトル曲) 、ゆったりとしたバラード (ウェイン・ショーターが書いた「Dear Sir」は特筆に値する) 、ソウル・ジャズ (「Party Time」) といった多彩な内容になっている。

– おすすめのトラック : 「Dear Sir」

Dear Sir

 

6. アート・ブレイキー & ザ・ジャズ・メッセンジャーズ『Africaine』

1959年11月に録音された『Africaine』は、プロデューサーのマイケル・カスクーナに発掘され、1981年に発表されるまで、実に22年間もブルーノートのテープ倉庫に眠っていた。

このアルバムには重要な意味がいくつかある。まずサックス奏者のウェイン・ショーターにとって、これはジャズ・メッセンジャーズでのレコーディング・デビューにあたる。さらにこのセッションは、ジャマイカのテナー奏者ディジー・リースにとってブルーノートでの初レコーディングとなった (ただし皮肉なことに、彼はこのセッションではコンガを演奏しただけだった) 。

この『Africaine』は力強くまとまりのあるアルバムであり、レスター・ヤングにささげられたショーターの名曲「Lester Left Town」の初録音ヴァージョンも含んでいる。そうした点を踏まえると、このアルバムが未発表のままになっていたのが実に不可解なことに思えてしまう。この作品は最近、サブスクリプション限定のボックス・セット『Blue Note Review Vol.2: Spirit & Time』の一部として、オーディオ・マニア向けのLPで再リリースされた。

– おすすめのトラック : 「Lester Left Town」

Lester Left Town (Remastered)

 

7. グラント・グリーン『Matador』

ブルーノートのミュージシャンの中で、音源のお蔵入りに対する不満で最も苦しんだ人間は、もしかするとセントルイスのギタリスト、グラント・グリーンかもしれない。彼がリーダーとしてブルーノートで録音した音源のうち、未発表に終わったものは驚くことにアルバム10枚分にも及んでいる。その中の1枚が、1965年5月に録音された『Matador』だった。

このアルバムを録音したカルテットは、グリーン、ピアニストのマッコイ・タイナーとドラマーのエルヴィン・ジョーンズ (このふたりは当時ジョン・コルトレーンの有名なカルテットのメンバーだった) 、そして有名なベーシストのボブ・クランショーという顔ぶれだった。グリーンは元々ハード・バップの忠実な信奉者だったが、1960年代後半の2度目のブルーノート在籍時にファンク・ジャズに路線転換した。そしてここでの彼はディープなモード・ジャズのグルーヴを追求しており、そのキャリアの中でもとりわけ先鋭的なアルバムを作り上げている。

グリーンは自作曲2曲に加え、コルトレーンと縁の深い曲「My Favorite Things」も取り上げており、この曲を長大で探求的なヴァージョンに仕立て上げている。1979年にテープ倉庫から解放されるまで15年間もお蔵入りになっていた『Matador』は、歴史的な大発見といえる作品だった。グラント・グリーンのこうした側面は、このアルバムが発表されるまでまったく知られていなかったのである。

– おすすめのトラック : 「My Favorite Things」

My Favorite Things

 

8. アンドリュー・ヒル『Passing Ships』

シカゴ出身のピアニスト/作曲家、アンドリュー・ヒルが録音したこの傑作アルバムは、2001年にマスターテープが発見され、その2年後に発表された。鋭角的なメロディを好むヒルは、セロニアス・モンクとよく比較される。そんな彼は、ブルーノートに在籍したジャズ・ミュージシャンの中でも特に前衛的な部類に入る。

このセッションは、トランペット奏者のウディ・ショー、ディジー・リース、サックス奏者のジョー・ファレルらによる6人のホーン・セクションを含む9人編成で行われた。ヒルの先鋭的なトーン・ポエムは、彼の作曲家としてのオリジナリティだけでなく、オーケストレーターとしての手腕を際立たせている。ちなみに、このセッションのドラマーは19歳のレニー・ホワイトで、彼は後にフュージョン・スーパーグループのリターン・トゥ・フォーエヴァーで名声を得ることになる。

– おすすめのトラック : 「Sideways」

Sideways

 

9. ラリー・ヤング『Mother Ship』

ジョン・コルトレーンがサックスの偉人であるように、ラリー・ヤングはハモンド・オルガンの偉人だった。つまり、前人未到の領域に足を踏み入れる勇気を持ったイノベーターだったのである。このアルバム『Mother Ship』は1969年2月に録音された。それからほんの数ヶ月後、ヤングはマイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』とトニー・ウィリアムス・ライフタイムの『Emergency』というジャズ史に残る重要なアルバム2枚にサイドマンとして参加することになる。

『Mother Ship』の収録曲はほとんどが非常に先鋭的で、モード・ジャズとアヴァンギャルド・ジャズの両方をまたにかけるような内容になっていた。とはいえ、ここには魅惑的なボサノヴァの曲 (「Love Drops」) も収められている。このアルバムでヤングのサポート役を務めているのは、トランペッターのリー・モーガン (彼がこれまでに参加した中でも最も過激なセッションのひとつ) 、テナー・サックス奏者のハロルド・モーガン、ドラマーのエディ・グラッデンという顔ぶれだった。ヤングがブルーノートで吹き込んだ6枚目の (そして最後の) アルバム『Mother Ship』は、1980年にようやくリリースされた。

– おすすめのトラック : 「Love Drops」

Love Drops (Digitally Remastered 91)

 

10. スタンリー・タレンタイン『ZT’s Blues』

ピッツバーグの”シュガー・マン”と呼ばれたテナー・サックス奏者のスタンリー・タレンタインは、グラント・グリーンと同じく、ブルーノートが自分の録音をお蔵入りにしたことに苛立ちを感じていた。10年以上在籍したあとの1970年、タレンタインはブルーノートから離れたが、その時点でテープ倉庫にはアルバム8枚分に相当する音源が眠っていた。そうした音源の中で最も初期に録音されたのが、1961年9月の『ZT’s Blues』である。これは、1985年にタレンタインがブルーノートと再契約した後にようやく陽の目を見ることになった。

『ZT’s Blues』の大きな魅力のひとつは、これがタレンタインとギタリストのグラント・グリーンのコラボレーションだったことにある。このふたりが共演するのは非常にめずらしいことだった。どちらもすばらしいグルーヴの達人であり、プロデューサーのアルフレッド・ライオンもこのふたりのスウィングする演奏を高く評価していた。ハード・バップとソウル・ジャズが融合したこの全7曲のアルバムでは、ふたりはまさに絶好調の状態にあった。このアルバムでは、ピアニストのトミー・フラナガン、ベーシストのポール・チェンバース、ドラマーのアート・テイラーもフィーチャーされている。

– おすすめのトラック : 「The Lamp Is Low」

The Lamp is Low

 

11. ジャッキー・マクリーン『Consequence』

渋いアルト・サックス・サウンドで知られるジャッキー・マクリーンは、1960年代に入るとハード・バップからより先鋭的でアヴァンギャルドなスタイルへと変化していった。この『Consequence』は1965年12月3日にトランペッターのリー・モーガン、ピアニストのハロルド・メイバーン、ベーシストのハービー・ルイス、ドラマーのビリー・ヒギンズと共に録音された。しかし、マクリーンがブルーノートのアーカイブに残した7つのセッションのひとつとなってしまった。

ここで聴けるのは基本的にはボサノヴァ (すばらしい「Bluesanova」) やカリプソ (「Tolyspso」) の色合いが濃いハード・バップである。そうしたサウンドは、当時のマクリーンのより先鋭的なアルバムである『Destination… Out!』や『Right Now!』などとはスタイルが異なっていた。それゆえ、お蔵入りになったのかもしれない。とはいえこのアルバムは強力なアルバムであり、1979年に初めて正式に発表された。

– おすすめのトラック : 「Bluesanova」

Bluesanova (Remastered)

 

12. ブルー・ミッチェル『Step Lightly』

フロリダ出身のトランペッター、ブルー・ミッチェルがブルーノートで初めてリーダーとしてレコーディングに臨んだのは1963年8月13日のこと。そうして録音されたのが『Step Lightly』だった。ここでは、同じくブルーノートと契約していたテナー・サックス奏者のジョー・ヘンダーソン、アルト・サックス奏者のレオ・ライト、ピアニストのハービー・ハンコックを含む腕利きの6人編成での演奏になっている。

不可解なことに、このアルバムは (正式発表用のカタログ番号まで決まっていたにもかかわらず) 1980年までリリースされなかった。ジョー・ヘンダーソンが作曲したラテンの名曲「Mamacita」 (キャッチーな3ホーンの決めフレーズと魅力的なグルーヴが含まれた曲) で幕を開ける『Step Lightly』は、まとまりのある優れたアルバムだった。しかしミッチェルは1979年に49歳で亡くなっており、このアルバムの正式発表を喜ぶことはできなかった。

– おすすめのトラック : 「Mamacita」

Mamacita

Written By Charles Waring



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