ディオ『The Last In Line』解説:絶好調の中で発売されたバンド2枚目の名作アルバム

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ブラック・サバスのラインアップが崩壊した後の灰の中から生まれ、1982年に結成されたディオ(Dio)は、1983年の完璧で非常に親しみやすいアルバム『Holy Diver』で最初のヒットを飛ばした。「Rainbow In The Dark」とドラマチックなタイトル曲「Holy Diver」という2曲の全米トップ40ヒットを生んだこのアルバムは、批評家たちをうならせ(Kerrang!誌はこのアルバムを「完璧なメロディック・メタル・アルバム」と的確に評した)、英米でチャート上位に入り、バンドはアメリカでプラチナ・ディスクを獲得した。

『Holy Diver』の成功後、絶好調だったディオは、キーボーディストのクロード・シュネルを加えてコロラドに移り住み、ロッキー山脈のカリブー牧場でセカンド・アルバム『The Last In Line』のレコーディングを開始した。

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オジーの代わりに加入したブラック・サバス

最初にレインボーのヴォーカリストを務め、その後オジー・オズボーンの代わりにブラック・サバスを再生させ、ヘヴィ・メタル界最高のフロントマンの1人であることを証明したロニー・ジェイムズ・ディオにとって、『Holy Diver』の成功は、正当なものだったと言える。

オジー・オズボーンが1978年の『Never Say Die!』でブラック・サバスを脱退した時、バンドの忠実なファンたちは、ブラック・サバスの時代は終わったと考えていた。しかし、トニー・アイオミとギーザー・バトラーが思い切った賭けにでて、オジーからロニー・ジェイムズ・ディオにヴォーカリストが交代した後、ブラック・サバスは目覚ましい復活を遂げたのだ。

1980年の『Heaven And Hell』と1981年の『The Mob Rules』の2枚の完璧なアルバムは、大西洋の両岸でゴールドディスクを生み出し、1982年の2枚組のライヴ・アルバム『Live Evil』はバンドの恐るべきライヴ能力のすべてを捉えて絶賛を浴びた。

このような活動の中、ブラック・サバスはビル・ウォードに代わって元デリンジャーのドラマー、ヴィニー・アピスを迎え、ラインナップの大幅な変更を行った。『Heaven And Hell』ツアー中のハワイで、わずか数時間のリハでブラック・サバスとの初ライヴを乗り切ったヴィニー・アピスはその火の洗礼を生き延び、彼のドライヴなパーカッシブ・スキルは『The Mob Rules』に理想的な基盤を提供した。

 

ディオの結成

若返ったブラック・サバスの未来は1982年の初期にはバラ色に見えたが、ツアー疲れと『Live Evil』のミキシングをめぐるいざこざでバンド内に亀裂が生じ、ディオとアピスは脱退して自分たちのバンドを結成した。

シンプルに“ディオ”と名付けられた新バンドのラインナップは、元レインボー/ワイルド・ホーセズのベーシストであるジミー・ベインと、北アイルランドのバンド、スウィート・サヴェージのギタリスト、ヴィヴィアン・キャンベルを加えてすぐに完成した。

ヴィヴィアン・キャンベルは後に、オンライン出版『My Global Mind』のインタビューでこう語っている。

「僕にとって、『The Last In Line』と『Holy Diver』はどちらも強力なレコードで、クオリティという点では同じだったよ。個人的には『The Last In Line』の方が一体感があったけど、『Holy Diver』では全員が常にスタジオにいた。自分のパートが終わっても、他のみんなに励ましの言葉をかけていた。あれは共同作業であり、グループの努力だったんだ」

ディオは『The Last In Line』でも『Holy Diver』と同じアプローチを採用し、相乗的なチームワークによって80年代の偉大なメタル・アルバムのひとつを生み出した。ヴィニー・アピスのハイパーアクティブなミリタリー・スネアに後押しされ、バンドは「We Rock」にてトラップから轟音を立てて飛び出し、容赦ない「I Speed At Night」ではモーターヘッドのレベルまで速度を上げ、「Breathless」と爽快でエッジの効いた「Evil Eyes」ではヴィヴィアン・キャンベルに激しいソロを聴かせた。

そんな様々な楽曲が収録された『The Last In Line』『Holy Diver』がすでに証明していたように、ディオその小さい体と歌声で、筋肉やパイロテクニックというようなヘヴィ・メタルの要素をも超えることができ、それだけではなく繊細な部分も表現することができた。『The Last In Line』では、反抗的な「Children Of The Sea」風のタイトル曲の冒頭部分や、ディオの最も落ち着いたヴォーカルとクロード・シェネルによる繊細なキーボードがフィーチャーされた、みずみずしくアンセミックなヒット曲「Mystery」で、彼らは再び繊細な一面を見せている。

 

アルバムの成功と追悼バンド「ラスト・イン・ライン」

1984年7月2日にリリースされた『The Last In Line』は、その後12ヶ月間にわたってアメリカ、イギリス、ヨーロッパ本土を横断した絶え間ないツアーに後押しされたこともあり、世界中の目の肥えたメタル・ファンを魅了した。UKでトップ5に入り、アメリカではアルバムチャートのトップ30に食い込んでプラチナ・ディスクを獲得。そして、ディオの3作連続の名作となる1985年の『Sacred Heart』への道を開くことになった。

『The Last In Line』は、ロニー・ジェイムズ・ディオの死から2年後の2012年に結成されたトリビュート・バンドの名前にもなっている。当初はヴィニー・アピス、ヴィヴィアン・キャンベル、ジミー・ベイン、クロード・シュネルの4人で構成され、ディオでの活動に敬意を表するという観点からヴォーカリストのアンドリュー・フリーマンが加わったが、その後グループは進化を遂げた。彼らのスタジオ・アルバムである2016年の『Heavy Crown』にはオリジナル曲が収録され、故ジミー・ベインとクロード・シュネルに代わり、新人のフィル・スーザンとエリック・ノーランダーがそれぞれベースとキーボードで参加している。

Written By Tim Peacock



ディオ『The Last In Line』
1984年7月2日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music


『ディオ:ドリーマーズ・ネヴァー・ダイ』
2023年9月29日
デラックス・エディション/ Blu-ray / DVD



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